月城家当主
月城家別邸。都から少し離れた閑静な土地で周りは山や森に囲まれている。月城本家のある都の中心部からは列車で一時間ほどである。敷地は本家ほどではないが広く、立派な庭もある。庭の池には金の鯉が泳ぎ、時には白鷺が羽を休めに来たりもする自然豊かな場所なのだ。この別邸は基本的に当主夫妻専用である。その一室、当主専用の応接室“薊の間”に今日は珍しく若い客人が通された。
「よく来たな、廉。久しぶりだ。いつぶりかな?さあ、入って掛けなさい。コーヒーは飲めるかな?」
本日の客人は廉である。昨日、例の幻影を見て、急いで当主との面会を取り付け、会いに来たのであった。月城家当主は廉にとっての曽祖父、豪の父である。名前は月城仁。まだ家督は譲っていないが、齢八十五歳と高齢のためほとんどをこの別邸でのんびりと過ごしている。ビジネスのほとんどは息子たちや親戚に任せているのだ。
「はい。お爺様、本日は突然の申し出にも関わらず、お時間を作ってくださり、ありがとうございます。失礼いたします。」
廉は礼儀正しく挨拶をした後、仁に勧められたとおりに仁の向かいのソファに腰を下ろした。仁は秘書にコーヒーを二つ頼むと廉の方に向き直る。
「お爺様、お元気そうで何よりでございます。」
廉は背筋を伸ばし剣士らしく、いつもよりはきはきとしている。
「廉、そう畏まるな。今日は何やら急ぎの用があって参ったのであろう。申してみよ。」
仁は穏やかな口調で廉に問いかけるが、その声色は当主ならではの威厳に満ちている。仁本人は特段気にしてはいないのだが、剣士として長く活躍し、当主として優れた采配を振るってきたせいか自然と隠しきれない威厳が漂ってしまう人物である。また、短髪に立派な口髭、高齢でも鍛えられた肉体を維持し大柄で姿勢も良いあたりが、益々そう見せているのだろう。そして仁は勘が良い。大方、廉の要件は見当がついているようである。
「は、はい。その、えっと…。」
廉はこれからしようとしている異質な話と緊張感とで珍しく言葉を詰まらせているが、仁は“これも勉強”と思って静かに見守る。本題に入る前に秘書がコーヒーを運んできた。
「さぁ、廉。まずはコーヒーでも飲みなさい。」
コーヒーと一緒にとてもかわいらしくデコレーションされた小粒のチョコレートが出された。
「先日、来客の手土産でいただいたものなんだが、この菓子もうまいぞ。」
仁はそう言ってチョコレートも勧めてくれた。廉は温かいコーヒーを一口飲み、気持ちを落ち着かせた。
「ありがとうございます。実は本日、お爺様にお聞きしたいことがあり、お伺いさせていただきました。当家に伝わる絵本の原本についてです。」
「それで?」
仁は先を促した。
「はい。少し気になることがあり、昨日、書庫で絵本の原本を見つけたのですが、その時に本から突然、男の幻影が現れ、私の額に指をかざすとあとは当主様に聞けと言って消えてしまったのです。私が幻覚を見たのかとも思ったのですが、先日遭遇した不思議な光景とも相まって、私が知るべき何かがあるのではと思い、お爺様にお話をお伺いに参ったのでございます。」
仁は口髭を擦りながら廉の右手に視線を落とした。
「廉よ、その右手はどうした?」
廉の右手には人差し指の付け根から小指の付け根に向かって幾重かに包帯が巻かれていた。
「あ、これは、その…。」
「外してみよ。」
廉は仁に促されるまま包帯を外すと、申し訳なさそうに言う。
「実は、昨日、幻影を見た後から人差し指に指輪があり、外そうとしたのですが、どうしても外れず…。一人前でもない剣士が装飾品など申し訳ございません。ましてや剣を握る手元に装飾品など…。お爺様にお目にかかるため、何度も外そうと試みたのですが…。」
「そうか。予定通り、そなたが選ばれたのだな。」
仁はうんうんと頷き、一人納得している。
「少し遅くなったが、順を追って話すとしよう。これは月城家にとって最も大切と言っても良い月城家としての使命の話になる。それに、これは月城家の極秘の任務だ。他言は許されぬ。もし不用意に他言すれば、関わっているものは一人残らず消されてしまうだろう。聞く覚悟はできているか?」
廉は緊張の面持ちで息をのんだ。
「はい。できております。」




