第七話:残響
第七話:残響
放課後の校舎は、どこか死後を思わせるほど静まり返っていた。
数時間に及ぶ説教と、三枚の反省文。
ようやく解放された俺――蒼真が、重いカバンを肩にかけ直して校門へ向かうと、そこには一人の影が立っていた。
街灯に照らされた、長い黒髪と凛とした立ち姿。凪だった。
「……待っていたのか?」
俺の問いに、凪は視線を泳がせ、不自然なほどぶっきらぼうに答えた。
「……別に。義務だから。助けてもらったままなのは不愉快だし、お礼を言わなきゃいけないと思っただけよ」
学校での「女神」の仮面が、少しだけ剥がれかけている。俺の前でだけ見せるその不器用な表情に、喉の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。
「勝手に連れ出して、悪かったな。……反省文三枚で済んだよ」
俺の言葉に、凪の口元が、ほんのわずかに揺れた。それは微笑みと呼ぶにはあまりに微かな、氷が解けかけるような変化だった。
「これからの体育、どうするんだ?」
「……どうにかするわ。もう、あんな騒ぎは起こさない。……あなたを、これ以上巻き込みたくないから」
凪はそれ以上語らず、駅へ向かう道を歩き出した。
俺たちは一メートルほどの距離を保ったまま、並んで歩く。
初夏の夜風が、俺たちの間をすり抜けていく。駅の改札前で、凪は「ここでいいわ」と言って足を止めた。
「さようなら。……ありがとう、七瀬くん」
彼女は俺とは逆方向のホームへと消えていった。
俺は彼女の背中が見えなくなるまで見送り、それから反対側の電車に乗った。
お互いに、相手がどこへ帰り、どんな夜を過ごしているのか、まだ何も知らない。
★
凪は、静まり返った自室の窓辺に立っていた。
冷たい都会の夜景。その中で、道路を挟んだ向かい側にある、古びた安アパートだけが、彼女にとって唯一の「現実」だった。
ぽつり、と。
向かいのアパートの二階、角部屋に灯りが点った。
(今日も、あの部屋に灯りがともる。あの人は、ちゃんと生きている……)
凪は窓ガラスに額を預け、その小さな光を瞳に焼き付ける。
今日、空き教室で自分を連れ出したあの少年の、温かかった手の感触を思い出しながら、彼女はその匿名な存在にだけ、心の内で今日あったことを語りかけた。
★
だが、安穏な時間は、翌日の登校と同時に終わりを告げた。
「おい、見たかよ。ネットの掲示板」
「あいつ、やっぱりヤバい奴だったんだな。前の学校で何したか知ってるか?」
教室に入った瞬間、空気が一変した。
昨日までの好奇の視線が、明確な「拒絶」と「恐怖」へと変わっている。
誰かが、蒼真の過去――あの冤罪事件の噂を掘り起こしたのだ。
「例の件、マジだったんだな」
「凪さんを連れ出したのも、そういうことだろ。最悪だな」
ひそひそとした囁きが、鋭い刃となって蒼真を取り囲む。
かつて自分を焼き尽くしたあの「虚構の烙印」が、再び背中に押し付けられる。
蒼真は無言で席に着き、誰とも目を合わせずに教科書を広げた。
だが、その様子を、教室の入り口で凍りついたように見つめている瞳があった。
凪だ。
彼女は、孤立する蒼真の背中と、彼を嘲笑う周囲の顔を交互に見つめていた。
その光景から、どうしても目を逸らすことができなかった。




