第二十三話:針の穴の光
第二十三話:針の穴の光
一月、共通テスト直前。模試の判定は、依然として「D」のままだった。
超一流国立医学部。そこは、最初から“こちら側”の人間が行く場所だと決められていた。後ろ盾も潤沢な教育資金もない二人が、そこに挑むことの無謀さを、周囲の嘲笑は残酷に突きつけていた。
「……まだ、一点足りない」
蒼真は、深夜のアパートで、過去問の採点結果を見つめていた。
合格最低点まで、あと数点。その数点を埋めるために、彼は睡眠時間をさらに削った。
食事は、凪が差し入れてくれるおにぎり一つ。それを噛み締める時間さえ惜しみ、英単語帳を睨みつける。
蒼真の身体は、もはや神経だけで動いていた。
マークミスをして舌打ちし、同じ英文を三回読み直す。
不意に襲う眩暈。椅子から崩れ落ちそうになるたび、彼は窓を開けた。
冷気が部屋に流れ込み、向かい側のマンションに灯る、凪の部屋の明かりが視界に入る。
あちらも、まだ戦っている。
その光だけが、蒼真をこの世界に繋ぎ止める唯一の命綱だった。
★
学校の放課後。
暖房の切れた図書室で、二人は向き合っていた。
吐く息は白く、ペンを握る指先はかじかんで感覚がない。
「……凪、この数学の難問、捨てていい」
蒼真の声は掠れていた。
「今の俺たちに必要なのは、難問を解く華やかさじゃない。誰もが取れる基礎を、一分の狂いもなく、完璧に、必死に仕留めることだ。……それだけで、針の穴は通れる」
凪は、青白くやつれた顔で頷いた。
かつての「女神」の輝きは、もはやそこにはない。
代わりにあったのは、泥にまみれても生き抜こうとする、一人の「人間」の凄絶な美しさだった。
廊下を通り過ぎる佐々木たちが、窓越しに彼らを指差して笑う。
だが、二人は顔を上げない。
彼らが解いているのは、単なる問題ではない。
自分たちを「欠陥品」や「汚れ物」として処理した世界に対する、無言の反論なのだから。
★
二月。共通テストを終え、自己採点の結果は「ボーダーライン上」。
二次試験に向けて、二人の集中力はもはや狂気と言える域に達していた。
凪は、トイレの個室で泣くのをやめた。
代わりに、鏡に映る自分に向かって、父から借りた銀の栞を握りしめ、こう呟くようになった。
「……私は、空気。なくてはならない、空気」
そして、ついに最後の模試。
二人の名前が、ついに「B判定」のリストに載った。
「……数字が、上がった。」
「ああ。」
試験会場の白い校舎が、まぶしかった。
三月。雪解けの泥濘を越えて、二人は二次試験の会場へと向かった。
振り返れば、あの六畳一間と、マンションの窓。
そこから始まった長い、長い生存確認の旅が、今、最大の山場を迎えようとしていた。




