第二十一話:透明な熱源
第二十一話:透明な熱源
夏休みが明けた学校に、もはや「女神」はいなかった。
スカーフを外し、無防備に首筋を晒した凪は、かつての崇拝者たちの視線を、静かな拒絶で切り裂いて歩く。彼女の隣には、いつも蒼真がいた。
「……また、言わせてるわね」
廊下を通り過ぎる背に投げかけられる、歪んだ囁き。蒼真は答えず、ただ凪の歩幅に合わせる。
「いいよ。……そんなことに、俺たちの時間はもう、無駄にできない。」
二人の周囲には、誰も踏み込めないほどに濃密で、冷たい熱気が漂っていた。
図書室の隅、彼らが占有する一角だけは、まるで真空地帯のように音が消えている。周囲の生徒たちが談笑していても、二人がページをめくる指先の音、吸い込まれるような呼吸の音だけが、耳障りなほど鮮明に響く。
ふいに目が合ったクラスメイトが、その鋭すぎる眼光に息を呑み、逃げるように視線を逸らした。
それは、明日をも知れぬ重病人が、最後の生を絞り出すような、喉の奥がヒリつくほどの拒絶だった。
放課後の六畳一間は、もはや生活の場ではなく、戦場だった。
二つの机を並べ、ひたすらペンが紙を削る音だけが響く。窓を開ければ、外にはかつて生存を確かめ合ったマンションが立っているが、今はそこを見上げる余裕さえない。
・ペンを持つ指が震える。
・計算を一度間違える。
・眠気で視界が滲む。
それでもやめない。
「……七瀬くん。ここ」
凪が差し出した物理の問題集。蒼真は無言でそれを受け取り、余白に最短の解法を書き込む。
「エネルギー保存則は捨てて、重心系で追え。三秒縮まる」
「……ええ」
会話は記号のように削ぎ落とされ、食事は一つのパンを分け合うだけで終わる。
アルバイトと勉強。蒼真の身体は限界まで削られ、その瞳だけが、暗闇の中で獣のように鋭く光っていた。
ある日、模試の結果が届いた。
判定の欄に刻まれた「D」の文字を、凪は細い指でなぞる。
「……まだ足りないわね。」
「ああ。……なら、足すだけだ。」
蒼真は凪の手を握ることはしなかった。ただ、隣で同じ難問に向き合うことで、二人で一つの酸素を吸っていることを確認した。
学校の掲示板に、蒼真の過去を揶揄する醜い文字が躍っても。
かつての友人たちが、遠巻きに彼らを憐れんでも。
二人は、一度も振り返らなかった。
深夜、二つの窓は、朝まで消えなかった。
それはかつてのような「救い」の点滅ではなく、明日を奪還するために、ただひたすらに、静かに燃え続ける青い炎だった。




