第二話:虚構の烙印
第二話:虚構の烙印
教室の窓際、一番後ろの席。
担任が読み上げる規則正しい波のような自己紹介が、教室の中を行き来している。
新しいクラスメイトたちの、弾けるような笑い声。無造作に机を引く音。それらすべてが、どこか遠い。
まるで、光も届かないほど深い水槽の底に沈められているみたいだ。音は届く。けれど意味だけが、水面の向こう側に置き去りにされて、こちらには届かない。
――視線。
それには、もう二年以上も慣れきっている。
この町は、俺を「犯罪者」に仕立て上げたあの場所から、電車を二つ乗り継ぐほど離れている。ここに、俺の過去を知る人間はいない。
いない、はずだ。
それでも、誰かと目が合うたびに心臓の裏側が冷える。
いつか、誰かが。何かの拍子に、あの「亡霊」を呼び出すのではないか。
「あいつ、中学の時にさ……」
そんな囁きが、この平穏な教室に入り込む瞬間を想像してしまう。
根拠はない。だが恐怖だけは、制服の裏地みたいにべたりと張り付いて剥がれない。
あの日、喉の奥が焼けつくほどに乾いた放課後。
静寂を切り裂いた女子の悲鳴と、床に転がったスマートフォン。液晶に映る、切り取られた一枚の画像。
「……お前だろ、これ」
クラスメイトの一人が、俺を指差した。理由は単純だった。俺の鞄のすぐ横に、それが落ちていたから。ただ、それだけ。
「違う」
俺の声は、驚くほど軽かった。
必死さも怒りも乗らない、乾ききった否定。俺はやっていない。
だが、周囲の目はすでに結論を終えていた。犯人が俺であるほうが、彼らにとっては話が早かったのだ。
教師は狼狽え、クラスは正義という名の熱に浮かされた。
「そんな子に育てた覚えはない」
父から投げつけられたのは、怒号ではなく、俺を切り捨てる冷徹な声だった。母はただ俯いたまま、最後まで何も言わなかった。
その瞬間、理解した。正しさなんてものは、誰かに信じてもらえなければ存在しないのだ。
数日後、この離れた街の中学へと、追放されるようにして転校が決まった。
用意された、街外れの安アパート。
「高校卒業までは面倒を見てやる。……その後は、好きにしろ」
『好きにしろ』の意味は、もう知っている。二度と俺たちの前に現れるな――だ。
あれから一年半。
この街では、まだ亡霊は形を持っていない。俺はただの、無口な生徒の一人に過ぎない。
けれど俺の背中には、まだあの日の泥が乾かずにこびりついている。
不意に、強い風が教室の窓を叩いた。
窓の外で、桜が激しく舞い上がる。ふと、強烈な視線を感じて顔を上げた。
視線。……あいつだ。凪。
壇上に立っていたあの少女が、まだ自分の席に着くこともせず、立ったまま、まっすぐに俺を見ていた。
俺の汚れた過去も、隠し持った恐怖も、彼女は何も知らないはずなのに。それでも、彼女の瞳は妙に正確だった。俺が必死に築いた「無関心」という名の壁。そのわずかなひび割れを、正確に見抜いている。
――あいつも、何かを抱えている。
根拠なんてない。ただの直感だ。だが、確信だけはあった。
蒼真は逃げるように視線を逸らし、教科書の端を、指が白くなるまで握り締めた。
関わるな。誰とも、何とも。
そう決めたはずなのに。なぜか、胸の奥の古傷だけが、静かに熱を持ち始めていた。




