第十八話:不在の窓
第十八話:不在の窓
凪が手術のために入院してから、一週間が過ぎた。
蒼真はいつものようにバイトを終え、コンビニの袋を提げてアパートの階段を上る。無意識に視線が向くのは、道路の向こう側――あのマンションの、三階の端の部屋だ。
消えている窓。
一年半、当たり前のようにそこにあった「凪の生存確認」が途絶えた部屋は、まるで街のどこかが、削り取られたみたいだった。
「……静かすぎるな」
自分の部屋に入り、電気をつける。
六畳の空間には、凪が置いていった数冊の参考書と、彼女が格闘したフライパンが残されている。凪がいなくなったわけではない。数週間後には戻ってくる。分かっていても、かつての「独り」とは違う、鋭い欠落感が蒼真の胸を突いた。
凪は今、病院という真っ白な世界で、自分の身体の一部を切り離し、新しい自分になろうとしている。
彼女はあんなに震えながらも、最後には自分の意志で一歩を踏み出した。
それに引き換え、俺はどうだ。
蒼真は、クローゼットの奥に押し込んでいた古いボストンバッグを引っ張り出した。
中には、前の学校を去る時に詰め込んだ、教科書やプリントが乱雑に入っている。その底に、一枚の「退学勧告書」が眠っていた。
当時、俺を罠に嵌めた奴らの顔。
保身のために俺を切り捨てた担任の、謝罪さえ口にしない卑屈な目。
そして、「恥ずかしいから、もう帰ってこないでくれ」と言い放った父親の声。
凪が命懸けで自分を取り戻そうとしているのに、俺だけがこの狭い部屋で、被害者のフリをして立ち止まっているわけにはいかない。
蒼真は、机に向かってノートを開いた。
凪からもらった、あの付箋。そこには彼女の綺麗な文字で『ありがとう』とだけ書かれている。
蒼真は、震える手でスマートフォンを握りしめた。
履歴の奥深くに沈んでいた、かつての友人の番号。唯一、あの時「お前じゃないよな」と一言だけメッセージをくれた男だ。
呼び出し音が鳴る。
耳元で響く電子音は、自分の心臓の音よりも大きく聞こえた。
「……もしもし。七瀬だ。……久しぶりだな。……折り入って、聞きたいことがあるんだ」
窓の外、凪のいないマンションの影を見据えながら、蒼真は静かに、けれど明確に言葉を紡ぎ始めた。
それは、奪われた居場所を取り戻すための、その向こうで、誰かが息を吸う気配がした。




