第十二話:光の住人
第十二話:光の住人
激しい雨音に追われるようにして、俺たちは古びたアパートの階段を駆け上がった。
ずぶ濡れの凪の肩を支え、二階の角部屋の前で鍵を開ける。
「……入れ。狭いけど、雨は凌げる」
凪は、促されるままに部屋へ足を踏み入れた。
六畳一間の、男の一人暮らし。必要最低限の家具しかない殺風景な部屋だが、凪は玄関先で立ち尽くしたまま、信じられないものを見るような目で周囲を見渡している。
「……ここ、あなたの部屋?」
「ああ。ボロアパートで悪かったな。とりあえず、タオル――」
蒼真が押し入れからバスタオルを取り出そうとした時、凪がふらふらと窓辺へ歩み寄った。
彼女は、濡れた手でカーテンを少しだけ開け、外を覗き込む。
そこに見えるのは、道路一本を隔てて建つ、あの少しだけ上等なマンションだった。
そして、その三階の、一番端にある一室。
「……あそこ」
凪の指が、雨に濡れたガラス越しに自分の部屋を指差した。
「あそこが、私の部屋よ。……嘘でしょう?」
蒼真は、手に持ったタオルを落としそうになった。
慌てて窓際へ駆け寄り、凪の視線の先を追う。
「……は? あそこ、お前の家なのか?」
「ええ。……私、ずっと見ていたわ。この部屋の窓に、灯りが点るのを。……あそこに誰かが住んでいて、毎日、ちゃんと生きている。それだけが、私の救いだったのに……」
凪が、呆然とした顔で蒼真を見上げた。蒼真もまた、口を開けたまま固まっていた。
一年半。
学校で「女神」と崇められ、俺が必死に守ろうとしていた、この少女だったなんて。
「……なんだよ、それ。じゃあ、俺たちは……」
「ずっと、お向かいさんだった……ってこと?」
凪の言葉に、蒼真の口元から、思わず乾いた笑いが漏れた。
凪もまた、濡れた髪をかき上げながら、困ったような、それでいてどこか晴れやかな、奇妙な笑みを浮かべていた。
「……ふふ、あはは! 最悪だわ。あんなに真剣に窓を見つめて、祈るような気持ちでいたのに。……まさか、あなただったなんて」
「こっちのセリフだ。女神様が、あんな高級マンションで一人で何してるのかと思ってたら……。……俺たち、バカみたいだな」
二人の笑い声が、狭い部屋に響く。
雨の冷たさも、追い詰められた絶望も、その瞬間だけはどこか遠い出来事のように感じられた。
だが、笑い声が止んだ後。
蒼真は濡れたままの凪に、ようやくタオルを押し付けた。
「……とにかく、着替えろ。俺はコンビニにでも行ってくるから」
「……いいわよ。……少し、待って」
凪はタオルで顔を覆い、深く息を吐いた。
凪はもう一度、窓の向こうを見た。彼女の心に、最後の一歩を踏み出す勇気を与えていた。
(この人なら。……あの窓の主が彼なら、私は――)
タオルから顔を上げた彼女の瞳には、先ほどまでの絶望ではない、静かな覚悟が宿っていた。
凪の本当の告白は、雨の音が少しだけ静まった、その直後に待っていた。




