第十一話:不落の境界
第十一話:不落の境界
学校という組織の排他性は、夏が近づくにつれてその熱を帯び、鋭利になっていった。
蒼真への風当たりは、もはや「無視」という段階を超えていた。教科書が隠される、上履きに砂が入っている。そんな稚拙で執拗な嫌がらせが日常となったが、蒼真は相変わらず、死んだ魚のような目でそれらを淡々と処理していた。
「……もう、いいわ。七瀬くん、私に関わらないで」
放課後、誰もいない渡り廊下で、凪が絞り出すような声で言った。
彼女の「女神」としての評価も、蒼真を庇い続けていることで暴落していた。周囲の女子たちは、彼女の完璧さにひびが入るのを待っていたかのように、公然と陰口を叩き始めている。
「私と一緒にいたら、あなたまでもっと酷い目に遭う。……私は、もう壊れてもいいの。でも、あなたは……」
「壊れていいわけないだろ」
蒼真は凪の言葉を遮り、彼女の瞳を真っ向から見据えた。
かつて親に切り捨てられ、誰にも信じてもらえなかったあの日――あの日のことを、思い出していた。あの日、俺が一番欲しかったのは、隣に立ってくれる誰かだった。だから、俺は絶対にこいつを離さない。
「俺は慣れてるんだ。お前を守るくらい、なんてことない」
「……傲慢よ。そんなの、いつか限界が来るわ」
「限界が来たら、その時にまた考える。……俺が言っただろ。俺はあきらめが悪いんだよ」
凪は唇を噛み、逃げるようにその場を去った。
彼女の背中に、自分たちに向けられる「正義」という名の悪意が降り注ぐ。蒼真はそれを背中で受け止めるように、彼女の後ろ姿が見えなくなるまでそこに立ち続けた。
★
数日後。ついに決定的な「嵐」がやってきた。
父からの最後通告。
『週末、迎えをやる。二度と逃げられると思うな。お前の代わりなど、いくらでも用意できるのだから』
スマホの画面に映る冷徹な文字。凪は、高級マンションの自室で、震える手でそれを握りしめていた。
修正。面談。期待に応えられなかった自分への罰。
もう、どこにも逃げ場はない。学校でも、家庭でも。
外は、激しい夕立がアスファルトを叩きつけていた。
凪は、気づけば傘も差さずに家を飛び出していた。
向かう先なんてない。ただ、この息の詰まるような「完璧な檻」から遠ざかりたかった。
★
蒼真は、雨に打たれながら駅へと歩いていた。
ふと、路地裏の公園に、街灯の光に照らされた細い人影を見つける。
激しい雨の中、ブランコに座り、膝に顔を埋めて震えている少女。
ずぶ濡れのブラウスが肌に張り付き、隠し続けていた彼女の「正体」が、雨の冷たさの中で今にも露わになりそうだった。
「……凪」
蒼真が駆け寄り、自分のパーカーを脱いで彼女の肩にかけた。
凪はゆっくりと顔を上げた。その瞳からは、涙なのか雨なのか分からない雫が溢れ、絶望に濁っている。
「……助けて、七瀬くん」
初めて、彼女が城壁を崩した瞬間だった。
「私……もう、自分を騙しきれない。……お父さんのところに帰りたくない。……私は普通じゃないの。……消えたい……」
蒼真は、震える彼女の身体を力一杯抱き寄せた。
雨音にかき消されないよう、彼女の耳元で、これまでで一番強い声を出す。
「分かった、今日は帰るな。一緒にいよう」
雨は、激しさを増していく。
二人の「孤独」が完全に決壊し、混じり合った夜だった。




