第十話:境界の外側
第十話:境界の外側
週末の駅前は、吐き気がするほどの活気に満ちていた。
待ち合わせの改札口。蒼真は、身体に馴染んだ古いTシャツにパーカーを羽織り、壁に背を預けていた。
やがて、人混みの向こうから彼女が現れた。
凪は、学校の制服姿よりもさらに「非日常」を纏っていた。
薄手のブラウスに、膝下まで隠れる長いスカート。そして、六月の陽気には不釣り合いなほど、首元を隠すシルクのスカーフを固く巻いている。
周囲の喧騒から浮き上がるようなその姿は、今も踏みとどまろうともがいていた。
「……待たせたかしら」
「いや、今来たところだ」
お互いに、少しだけぎこちない。学校という「檻」の中ではない場所で会うのは、想像以上に落ち着かなかった。
蒼真が彼女を連れて行ったのは、駅からバスで三十分ほど離れた、海沿いの廃線跡だった。
今は遊歩道として整備されているが、訪れる者は少なく、錆びたレールが草むらの間にひっそりと横たわっている。
「ここ……」
「俺がこの街に来て、最初に見つけた場所だ。誰もいないし、誰も追いかけてこない。……学校の連中も、親もな」
潮風が吹き抜け、凪の長い黒髪をさらっていく。
凪はスカーフの端を押さえながら、ゆっくりと歩き出した。レールの上一つ分、一歩ずつ自分の居場所を確認するように。
「昨日……メールが来たの。父から」
凪が、海の向こうを見つめたまま呟いた。
「来月の末に、戻れって。予定していた……私の『修正』について、話があるみたい」
「修正?」
「ええ。彼らにとっての私は、期待を裏切った失敗作だから。……。そういう冷たい人たちなのよ、私の家族は」
蒼真は、海を見つめる彼女の横顔に、自分を捨てた父親の冷酷な声を重ねていた。
「……戻るのか?」
「……分からない。でも、逆らえないわ。……逆らって、どこに行けばいいのか、私にはもう見つけられない」
凪の足取りが、ふらりと乱れた。
暑さのせいか、それとも極限まで張り詰めた緊張のせいか。
蒼真は反射的に、彼女の細い肩を支えた。
「……凪?」
掌から伝わってくる彼女の体温は、驚くほど高かった。
けれど、その肩は驚くほど華奢で、厚手のブラウス越しでも分かるほど、その骨格は壊れそうで怖い。
同時に、首元のスカーフがわずかにずれ、彼女が必死に隠していた「空白」――喉仏のない、滑らかな首のラインが、蒼真の瞳を掠めた。
「……ごめんなさい。少し、眩暈がしただけよ」
凪は慌てて身体を離し、スカーフを直し直した。その瞳には、恐怖と拒絶が入り混じっていた。
「……帰ろう。少し、歩かせすぎた」
蒼真はそれ以上、踏み込まなかった。
ただ、去り際に一言だけ、自分に言い聞かせるように言った。
「……いなくなるなら、それまでに美味いもんでも食っとけ。……俺も、あきらめが悪い方だからな」
帰り道の電車の中。
二人の間に会話はなかった。
けれど、繋いでもいない手のひらが、先ほど触れた彼女の熱を、ずっと忘れられずにいた。




