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社畜OLは異世界でも休めない。〜破滅フラグをへし折るために領地経営を立て直したら、冷血宰相にヘッドハント(求婚)されました〜  作者: 綾瀬蒼


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第9話 休めない二人の、幸せな契約更新

冬薔薇夜会の翌朝、王都は二種類の噂で満ちていた。


ひとつは、監査院副長官ギルバート・ヴァルツが拘束された件。

もうひとつは――「氷の宰相が、婚約者を溺愛している」という、どうでもいい尾ひれのほう。


「どうでもいいとは言いませんが、優先順位が違います」


財務局の執務室で、私は回収金の再配分表を叩き直していた。机の上には、昨夜押収した口座の残高証明、凍結命令書、返還計画、軍務省への再支給案。国庫に戻すだけでは足りない。削られた現場へ、ちゃんと血を戻さないと“治ったふり”で終わる。


サイラスは隣で書類に目を通しながら、淡々と告げた。


「軍需費の穴は塞いだ。次は信頼の補修だ」


「補修だけじゃ足りません。再発防止策まで実装して初めて、案件クローズです」


私が魔導板に新しい欄を増やすと、サイラスのペン先が一瞬止まった。


「……君は、本当に終わらせるのが上手い」


「終わらせないと、また死にますから」


言いながら、私は“最後の謎”に指を置いた。回収金の総額と、凍結口座の総額が、わずかに一致しない。誤差に見える桁。でも私は、誤差を誤差として扱うときの怖さを知っている。


「この差分、どこですか」


サイラスが視線を寄せる。


「誤差ではないのか」


「誤差に見せるのが上手い人間が、今回の相手でした」


私は回収対象の口座を一覧にし、名義会社の代表者と管理人を紐づけ、流出先を枝分かれさせた。すると一本だけ、妙に細い枝が残った。金額は小さいが、動きが規則的すぎる。


「……積立?」


「ええ。月末の金曜夜、閉庁直前。いつもの癖です」


枝の先にあったのは、王都郊外の小さな慈善団体名義の口座。見た目は“善意”の器。でも実態は、寄付を装った資金洗浄の受け皿だった。


「これで回収総額が一致します。最後の一滴まで」


私がそう言うと、サイラスは短く頷いた。


「見事だ。――これで、国は前に進める」


そう言いながらも、彼の目の下の影は濃い。寝ていない。私の視線に気づいたのか、サイラスは珍しく先に言い訳をした。


「三時間は寝た」


「申告ありがとうございます。では、本日分の睡眠申請書も出してください」


「書式は」


「統一フォーマットです」


ほんのわずかに、サイラスの口元が動いた。氷が割れるような、薄い笑み。これを見られるなら、ブラック改革にも意味がある――いや、ない。私は首を振って、自分の感情を業務の棚に押し戻した。


「宰相閣下。ところで、契約の更新、いつしますか」


サイラスが目を上げる。


「……婚姻のことか」


「ええ。期限付き婚約は、契約終了条件が明記されてました。今は状況が変わった。更新するなら、条項を整えましょう」


「条項を整える、で結婚を語る女は初めてだ」


「私は初めてなので、私のやり方で」


しばらく見つめ合って、先に折れたのはサイラスのほうだった。


「分かった。――式は簡素でいい。だが、君の望む条項を入れろ」


「望む条項?」


「休め」


即答だった。


私は言葉を失った。あのサイラスが、休めと言った。


「……今、休めって言いました?」


「言った。君が倒れたら、私の執務が止まる」


「まだ効率で言う」


「効率だ」


淡々と言い切ったあと、サイラスは視線を逸らして付け足す。


「……それだけではない」


その“それだけではない”が、彼にとってどれだけ大きいかを知ってしまったから、私は魔導板を閉じる手に少し力が入った。


◇◇◇


結婚式は、冬の光が差し込む小さな礼拝堂で行われた。


豪華な祝宴はない。代わりに、必要な人だけがいた。財務局の古株役人は正装で背筋を伸ばし、クロムウェル領から駆けつけたグレアムは泣きそうな顔で胸を張っている。軍務省の現場担当者たちも、短い休みをもぎ取って参列していた。


誰もが、この一年の“火”を知っている顔だった。


誓いの言葉は、驚くほど短かった。


「……互いの生存と、尊厳を守る」


サイラスがそう言い、私も頷いた。


「互いの職務を尊重し、過労を防止する」


司祭が一瞬固まった気がしたけれど、聞かなかったことにして進めてくれた。賢い人だ。


指輪交換のあと、私たちは最後に紙へ署名した。婚姻届ではなく、私が用意した“合意書”――もちろん法的な本体は別にある。これは私たちの、生活の契約だ。


・週に一日は休息日を設ける(緊急時を除く)

・夜間の追加作業は、双方の同意を要する

・食事は抜かない(抜いた者は差し入れを受け入れる義務)

・仕事の議論は、寝室へ持ち込まない(例外:国家の危機)


署名し終えた瞬間、サイラスが私の耳元で低く言った。


「最後の例外条項が、君らしい」


「現実に負ける契約は、契約じゃありません」


「……なら、例外は極力発生させない」


その言い方が、仕事の約束なのに、私には少しだけ別の意味に聞こえた。


礼拝堂を出ると、冬の空気が澄んでいた。歓声の代わりに、静かな拍手が起こる。派手さはない。でも、この拍手は軽くない。数字の重みを知る人間の拍手だ。


私はようやく、胸の奥の硬いものがほどけた気がした。


――破滅フラグは、折った。

少なくとも、以前の形では。


◇◇◇


「新婚旅行先は、療養地にした。温泉だ」


馬車の中でサイラスが言った。


「療養地……。有休消化っぽい響きで良いですね」


「有休?」


「休むための権利です。今日はそれを行使します」


そう宣言した五分後、私は膝の上で書類を開いていた。自分でも呆れる。紙の匂いが落ち着くのが悪い。


「……レティシア」


「見ない。今日は見ない。……でも、この馬車代の請求書、単価が二重になってます」


サイラスが黙って私の手元を見る。


「請求元は王宮御者隊。正規だ」


「正規でも間違えます。人は」


私は項目を指で追った。往路と復路の距離が同じなのに、復路だけ“関所通過料”が計上されている。通らないルートなのに。つまり――誰かが、どこかで同じ請求を混ぜ込んだ。


「これ、横領というより慣習の小さな穴です。黙って払ってきた分が積もってる。今の国に必要なのは大事件の摘発だけじゃなくて、こういう“当たり前の誤差”の是正」


サイラスが静かに言う。


「……君は、休むのが下手だな」


「宰相閣下もでしょう」


「私のほうが上手い。君を止めるという仕事がある」


「それは仕事じゃなくて――」


言いかけた私の言葉を、サイラスが珍しく遮った。


「続きは、宿で。――寝台の上で。もちろん、仕事の話以外を」


私は固まった。馬車の揺れが急に大きく感じる。護衛が外にいることを思い出して、咳払いで誤魔化した。


「……今、契約違反になりかけました。寝室に仕事を持ち込まない条項」


「持ち込むのは君だ。私は別件だ」


「別件って何ですか」


サイラスは窓の外へ視線を向けたまま、淡々と答えた。


「君が確認しなくてもいいように、先に全部片づける件だ」


胸の奥が、じわりと熱くなった。氷の宰相が、私の“過労癖”まで見越して、先回りしている。そんなのは、反則だ。


「……じゃあ、私は何をすればいいんですか」


サイラスが、ほんのわずかに口元を動かす。


「休め。笑え。食べろ。眠れ」


「命令口調」


「契約条項の履行確認だ」


私は書類を畳み、わざと丁寧に鞄へしまった。


「分かりました。今日は有休。――ただし、請求書の誤りは明日、フォーマット化して直します」


「明日でいい」


「ええ。明日でいい」


繰り返した言葉が、自分の口から出たことが信じられなかった。明日でいい、なんて。前世の私なら言えなかった。言った瞬間に負けだと思っていた。


でも今は、違う。


勝つために休む。生きるために休む。守るために休む。


馬車が療養地の門をくぐり、湯けむりの匂いが漂ってきた。宿の灯りが見える。ほんの少しだけ、肩の力が抜ける。


――そのとき、馬車の窓に、影が差した。


小さな封筒が差し入れられる。財務局の封蝋。しかも、黒印。


私は封筒を見つめ、サイラスも見つめた。


サイラスは、ため息ひとつつかずに言った。


「開けるな。今日は有休だ」


私はゆっくり頷いた。


「……明日、開けます」


封筒を鞄の底へ押し込み、私はサイラスに手を差し出した。


「では、契約履行の時間です。温泉、行きましょう」


サイラスが私の手を取り、驚くほど自然に指を絡めた。


「命令か」


「提案です。採択してください」


「採択する」


休めない二人の契約は更新された。

ハッピーエンドの形は、たぶんこれでいい。


だって――明日も出勤するとしても。

今日は、ちゃんと生きて、ちゃんと休むと決めたから。


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