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社畜OLは異世界でも休めない。〜破滅フラグをへし折るために領地経営を立て直したら、冷血宰相にヘッドハント(求婚)されました〜  作者: 綾瀬蒼


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第5話 王都財務局、ブラック改革

財務局の廊下は、紙の匂いと疲労でできていた。


積み上がった書類箱。机に突っ伏す役人。目の下に隈をこしらえた補佐官が走り、どこかで誰かが「期限が!」と叫んでいる。壁際には、処理待ちの申請書が“山”として育っていた。


(……これは地獄じゃない。地獄の業務委託先だ)


案内された私の席は、廊下に面した小部屋の片隅。椅子は硬く、机は狭い。けれど、机の上に置かれた未処理の束の厚みは、私の決意を十分に広げてくれた。


「ここが君の職場だ」


サイラスは淡々と言い、すでに次の書類を抱えて去ろうとしている。まるで私を“火消し要員”として投下しただけ、と言わんばかりだ。


私は呼び止めた。


「宰相閣下。まず現状把握が必要です。財務局の業務フロー、担当部署、承認権限、締切一覧。あと、今この瞬間の未処理件数」


サイラスは一拍だけ止まり、こちらに振り返る。


「分かっている。……だが、そんなものは存在しない」


「存在しない?」


「慣習で回っている」


胃の奥がひきつった。前世でも何度も聞いた言葉だ。慣習で回るのは、現場が優秀な間だけ。優秀な人間から順に潰れて、最後に残るのは瓦礫になる。


「では作ります。今日中に」


「今日中に?」


「ええ。燃えているなら、消火計画が先です」


言い切ると、サイラスの視線がほんの僅かに鋭くなった。反対ではない。評価している顔だ。厄介な上司が「面白い」と思ったときの目。


「好きにしろ。必要な人員は与える」


去り際、彼は付け足した。


「ただし、止めるな。夜が来る」


……最悪の激励だった。


◇◇◇


まず私は、火元を数えた。


「未処理の申請書、全部ここに集めてください。箱を三つ。『支払い』『徴収』『その他』。期限ごとに色紐を付けます」


役人たちは呆然としていた。誰もが疲れ切っていて、反応が遅い。命令は“短く”“具体的に”が鉄則だ。


「それと、今から一時間、会議禁止。質問は手を挙げて、私に直接」


「会議を……禁止?」


言ったのは、年配の役人だった。胸元の徽章が多い。たぶん、古株の課長格。


「君は誰だね。ここは財務局だ。勝手な――」


「レティシア・ヴァン・クロムウェル。宰相直属の特別補佐官です」


私は彼の言葉を遮って、穏やかに笑った。


「今日から、あなたの残業を減らします。協力してください」


残業、という単語に部屋の空気がわずかに動いた。希望に縋る目と、不信の目が混ざる。


私は魔導板を机に置き、光る文字で大きく書いた。


『財務局 緊急棚卸し(本日分)』

・未処理件数

・期限別

・原因分類(差戻し/不備/承認待ち/不明)

・処理時間(平均)

・重複チェック箇所


「紙が山になってるのは結果です。原因を潰します」


役人たちは半ば反射で動き始めた。箱が運ばれ、束が積まれ、期限の封蝋や日付が露出していく。私はその横で、申請書の“形式”に目を凝らした。


(……ん?)


同じ“支払い申請”なのに、書式が五種類ある。部署ごとに様式が違い、用語も違う。添付資料の指示もまちまち。これじゃ不備が出ないほうがおかしい。


さらに致命的だったのは、承認欄。


署名欄が二つのもの、三つのもの、なぜか五つあるもの。しかも順番が違う。結果、申請書は局内をさまよい、どこかで止まり、誰かが見失って山になる。


「……火元、ここじゃん」


私は箱から一枚引き抜き、古株役人に見せた。


「この申請、何度戻されています?」


「三度……いや、四度だったか……」


「理由は?」


「添付が足りない、署名が足りない、金額の根拠が――」


「根拠が足りないのは申請者のせいじゃありません。様式が“根拠を出せない形”になってる」


古株役人が言い返そうとして止まった。反論が思いつかない顔だ。


私は魔導板に、承認の流れを一本線で描いた。


受付 → 形式チェック → 内容審査 → 承認 → 支払い実行 → 完了記録


「今はこの線がありません。だから戻る。戻るから溜まる。溜まるから残業になる。残業になるからミスが増える。ミスが増えるからまた戻る。――無限ループです」


役人たちの顔色が変わった。自分たちの苦しみが、言葉になったからだ。


「今日から変えます。まず、書式は一つに統一。添付資料チェックリストを付ける。承認は“例外だけ”二段階。それ以外は一次承認で進める。あと――」


私は古株役人を見た。


「無駄な会議は禁止です」


部屋が静まり返る。誰かが咳払いした。


古株役人が低い声で言う。


「会議を無くして、どうやって合意を取る」


私は即答した。


「合意は紙で取ります。議事録を書く時間があるなら、決裁欄に署名してください」


そして魔導板に、計算を浮かべた。


「会議が一回一時間、参加者が十人、週に五回。人件費換算で――」


私は数字を滑らせる。


「月に約二百時間。あなた方は毎月、二百時間ぶん“何も生まない時間”を買ってます。だから締切に追われる」


ざわめきが走った。誰もが薄々分かっていたのに、数字にされた瞬間、言い訳が死ぬ。


そのとき、扉が開いた。


サイラスが、無言で入ってきた。背後に護衛はいない。書類を抱え、疲れなど感じさせない背筋のまま、室内を一望する。


箱の山。色紐。魔導板のフロー図。役人たちの硬直した顔。


サイラスは私に視線を落とした。


「状況は」


「火元は書式と承認フローです。今日から統一します。会議も止めます」


「止めろ。会議を」


サイラスは役人全員に向けて言った。


「今この瞬間から、会議は宰相命令で停止。異議は受け付けない。レティシアの指示に従え」


役人たちが一斉に固まる。私も内心で舌打ちした。


(権力で押すの、速いけど反動がでかいのよ)


けれど、今は燃えている。反動のケアは、鎮火してからだ。


私は淡々と続けた。


「今日中にテンプレートを作って配布します。明日から受付の入口を一本化。申請はここで止める。局内で迷子にさせない」


その日、財務局は初めて“流れ”を手に入れた。


◇◇◇


夜。


役人たちが、信じられないという顔で机に向かっている。書類は相変わらず多い。だが、戻る数が減っていく。箱の山が“増えない”というだけで、空気が軽くなる。


「……レティシア様」


若い補佐官が恐る恐る声をかけてきた。


「今日だけで、支払い申請の差戻しが半分以下です。こんなこと、初めてで……」


「初めてが一番気持ちいいのよ。慣れてはいけないけど」


私は笑い、魔導板に“明日の優先順位”を並べた。期限、金額、影響範囲。燃えている建物から、先に助けるものを選ぶ。


ふと、向かいの執務室の灯りが目に入った。サイラスの部屋だ。まだ明るい。扉の隙間から、紙をめくる音が途切れない。


(あの人も、燃えてる側なのに顔色が変わらない。危険だわ)


私は立ち上がり、財務局の小さな厨房へ向かった。夜勤用の配給は乾いたパンだけ。これでは脳が動かない。前世の経験が断言する。


棚を漁り、ありものを集める。卵、塩、乾燥肉、香草、少量の乳。鍋に湯を沸かし、乾燥肉で出汁を取る。塩で整え、卵を落として火を止める。仕上げに香草。


簡単な“栄養のある温かいもの”ができた。


私は盆に二つ、椀を乗せて執務室をノックした。


「宰相閣下。入ります」


返事がない。だが中から紙をめくる音がする。私は扉を開けた。


サイラスは机に向かい、山のような資料を前に、眉一つ動かさずに線を引いていた。灯りに照らされた横顔は冷たいほど整っているのに、目の下に薄い影がある。


「食べてください」


私は椀を置いた。


サイラスが顔を上げ、湯気を見た。ほんの僅かに瞳が揺れる。


「……何だ、それは」


「夜食です。温かい塩スープ。卵入り。脳が動きます」


「必要ない」


「必要です。あなたが倒れたら、契約上、私の仕事が増えます」


言うと、サイラスは一瞬だけ黙った。そして、ゆっくり椀に手を伸ばす。


口を付けた瞬間、彼の肩がほんの少し落ちた。気のせいかもしれないほどの変化。それでも私は見逃さない。


「……温かい」


「ええ。温かいものは、残業の敵です」


「妙な理屈だ」


「経験則です」


サイラスは二口目を飲み、椀を置いた。視線が私の指先に落ちる。インクで汚れたままの手。


「君は、いつ休む」


「この局が“燃えていない状態”になったら」


「いつだ」


「私が決めます」


少しだけ間が空いた。


サイラスは、低く言った。


「……勝手に消えるな。私の視界の外で倒れられるのは困る」


困る、という言葉なのに、妙に私的な温度が混じっている。


私は椀を持ち上げながら、わざと軽く返した。


「分かりました。倒れるときは事前申請します。統一フォーマットで」


サイラスが、ごく僅かに口角を動かした。笑みと呼べるほどではないが、“氷”がきしむ音がした気がする。


執務室を出る前、私は机の端に積まれた一枚の資料が目に入って、足を止めた。


軍需関連の支出。金額が、異常に大きい。しかも摘要が曖昧で、添付資料の欄が空白。


(……これ、ただのブラック改革で終わらない匂いがする)


私は視線を戻し、何も言わず扉を閉めた。


鎮火はまだ途中だ。

けれど、火の下には別の“燃料”が埋まっている。


その予感だけが、夜の財務局の匂いに混じっていた。


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