第2話 魔法よりも鋭い「Excel脳」の逆襲
領主館の私室が、深夜のうちに戦場になった。
机の上には、過去三年分の領収書と出納帳、税収台帳、商会との契約書の写し。蝋燭の火が揺れるたび、紙の山の影が伸びては縮む。前世なら、ここに冷めたコンビニコーヒーが鎮座していたはずだけれど――今夜の相棒は、薄いスープと、魔導板。
黒い板に指を滑らせると、淡い光の文字が浮かぶ。罫線を引き、項目を並べ、数字を流し込む。見た目こそ違っても、やっていることは同じだ。
(よし。脳内でピボット展開、開始)
私はまず、領収書の“癖”を探した。金額の並び、端数処理、日付の付け方、押印。人間が書いたものには、必ずクセが出る。クセは嘘をつけない。
二時間後、魔導板の上に、私だけが分かる地図ができた。
「……やっぱりね」
代官バルドーの管轄の支出だけ、“綺麗すぎる”のだ。金額が妙に丸い。例えば銀貨一〇〇枚、二〇〇枚、五〇〇枚。現場の支払いは本来、端数が出る。食糧、道具、修繕、賃金。現実はそんなに整っていない。
さらに、同じ月に「倉庫補修費」が二回計上されている。片方は“緊急”、片方は“追加”。そして両方とも、同じ商会名――ルミエール商会。
(王都の商会が、こんな辺境の倉庫補修を? しかも二回?)
私は領収書の紙質を比べた。押印の滲み方も。すると二枚だけ、わずかに違う。紙が新しい。封蝋の欠け方が不自然。書き手の筆圧も違う。
――偽造だ。
証拠はまだある。
私は税収台帳を開き、“未収金”の項目を魔導板に写した。未収金は、回収予定と紐づくはずだ。なのにこの領地は、未収金が年々増えている。徴税が下手? いいえ、違う。
未収金の増え方が、ある村に偏っている。
(ミル村……蜂蜜の産地。ここの未収金だけ、毎年きっちり同じ割合で増えてる)
貧しい村の滞納は、年によって揺れる。天候で収穫が変わるからだ。なのに、一定の割合で増えるのは不自然すぎる。まるで誰かが意図的に“帳簿上でだけ”未収にして、差額を吸っているみたいに。
「グレアム」
扉の外で待機していた執事長が、すぐに入ってきた。疲れているはずなのに、目が冴えている。私の作業速度に、置いていかれまいとしている顔だ。
「領内の徴税担当者、今すぐ呼べる?」
「夜明け前ですが……可能でございます」
「代官バルドーもね。――逃げたって聞いたけど、まだ領内にいる。馬を変えた形跡があるはず」
グレアムが目を見開く。「なぜそれを……」
「飼葉代の支出。昨日だけ二倍。馬小屋の記録と合ってない。つまり、馬が増えたか、馬を使ったか」
言った瞬間、背後で侍女が小さく息を呑んだ。たぶん、私が魔法でも使ったように見えたのだろう。
(魔法じゃない。監査だ)
夜が明けるころ、代官バルドーが連れて来られた。汗をかき、作り笑いを張り付けたまま、私の前に膝をつく。
「お嬢様、お目覚めになられて何より。王都ではお辛い目に――」
「倉庫補修費、同月二回。片方は偽造。押印が違う」
私は淡々と、領収書を二枚並べた。バルドーの顔が引きつる。
「な、何を根拠に……!」
「根拠なら他にもある。ミル村の未収金。毎年、同じ割合で増えてる。村の収穫がそんなに安定するわけない。徴収した税の一部を“未収”に見せかけて抜いてる」
「でたらめだ!」
「でたらめは数字が嫌うのよ」
私は魔導板を彼の前に滑らせた。そこには三年分の徴税額、村ごとの収穫量、未収金の推移。さらに、王都商会への“前払金”の増減と、代官の私的支出の一致。
「この月、ルミエール商会への前払金が増えた。ほぼ同時期に、あなた名義で王都の家屋の購入手付金が支払われてる。支払先の商会が同じ」
バルドーの喉が鳴った。
「……なぜ、そこまで……」
「前世の私の仕事は、こういうのを見つけることだったの」
言い終えた瞬間、彼の肩が崩れた。観念したように、震える声が漏れる。
「……少し、少しだけだったんだ。領地が苦しいのは本当で……俺だって、家族が……」
「家族を守りたかったなら、領地を食い物にするな」
言葉は冷たく出た。でも、私の中では別の計算が動いていた。
(ここで切り捨てるだけじゃ足りない。穴を塞いで、再発防止の仕組みを作る)
「グレアム。代官の権限を停止。徴税は二人体制に。現金の受け渡しは必ず立会い、日次で残高照合。倉庫は入出庫を印章二重化。帳簿の様式も統一する」
「かしこまりました」
バルドーは連行されていった。私の胸の奥に、鈍い達成感が落ちる。
数字の謎は解けた。けれど、これはスタートラインだ。
◇◇◇
午前。私は領内の代表者を集めた。村長、職人頭、商人、護衛隊長。会議室の空気は重い。誰もが「どうせ手遅れだ」と顔に書いている。
私はまず、短い資料を配った。領地の現状と、止血策。そして――特産品の話。
「クロムウェル領の“霜蜜”は質がいい。なのに王都での値が安い。なぜか分かる?」
村長が渋い顔で答える。「運ぶのに金がかかりすぎる。道が悪い。護衛も必要だ。商会に買い叩かれる」
「つまり、流通コスト」
私は頷いた。前世の物流改善で何度も聞いた言葉だ。
「今までは、王都の商会が運ぶ権利を独占してた。彼らは往復で運賃を取る。でも実際、王都からこちらに来る荷車は、塩や鉄を運んできて――帰りは空で戻ってる」
商人が目を丸くする。「空で……?」
「ええ。だから提案。帰り便に霜蜜を積む。戻り便は追加のコストが少ない。運賃を半分にできる」
ざわめきが広がった。私は畳みかける。
「それと、容器。今の壺は割れやすい。破損率が高いなら、その分が価格に乗る。樽を規格化する。蜂蜜は粘性が高いから、密封してしまえば樽のほうが安全」
職人頭が身を乗り出す。「樽なら作れる。だが規格を揃えるとなると……」
「揃えるの。揃えれば、積み込みが速くなる。荷崩れしない。結果、護衛時間も短くなる。――全部、コスト削減」
私が魔導板に簡単な式を書き込むと、文字が光って並んだ。
(運賃×往復)+(破損率×損失)+(待機時間×護衛費)=現在の流通コスト
→ 規格化+戻り便活用で、破損率と護衛費を下げる
「……数秘術か?」
誰かが呟いた。別の者が咳払いで誤魔化す。私は心の中でため息をつく。
(数式です。Excelです)
「難しい話じゃないわ。無駄を減らして、同じものを高く売る。その分、領民にも戻す。税も“取れるところから”じゃなく、“回るようにしてから”取る」
沈黙の後、村長がゆっくり頷いた。
「……やってみる価値はある。だが、商会は抵抗するぞ」
「抵抗させない。契約を見直す。必要なら新しい取引先も探す。領地を担保にされる前に、こちらから条件を作る」
私の声が、少しだけ強くなる。
「私はもう、誰かの気分で首を切られる働き方はしない。ここは私の領地で、あなたたちは私の人員。生き残るために、全員で回す」
会議室の空気が、ほんのわずかに変わった。諦めの膜が、一枚だけ剥がれ落ちる感触。
その日の夕方、倉庫には“新しい台帳”が置かれ、霜蜜の樽の試作品が並び始めた。徴税担当は二人体制になり、受領の印章が二つになった。
私は私室に戻り、魔導板に一通の報告書を打ち込む。
『クロムウェル領 緊急改善報告(第一次)』
差し止めた不正支出の金額。回収見込み。再発防止策。流通コスト削減計画。今後三か月の資金繰り表。
最後に、署名を書き入れる。
――レティシア・ヴァン・クロムウェル。
(これが、私の生存戦略。数字で生きる。数字で守る)
報告書を封蝋で閉じたとき、窓の外で日が落ちた。
王都にいる誰かが、この紙を見れば、きっとこう思うだろう。
「辺境の没落領地が、なぜこんな資料を出せる?」
その“誰か”が、私の次の運命を連れてくることを――このときの私は、まだ知らない。




