舞台の袖で見る景色
髪を切られる人が出てきますが、そのような行為を推奨している訳ではありません。
いつも舞台の中心にいるのは美しい彼女。
豪奢な金の髪に煌めく宝石の髪飾りをつけ、複雑に編み込まれたスタイルは流行の最先端だった。
理知的に光る瞳は透徹な深い青で、サファイアのように澄んでいた。
名家のご令嬢、王太子の婚約者、公爵家の優秀な長女、更に優秀な兄に溺愛されている妹、彼女を紹介する言葉も、称賛する言葉も沢山あったが、彼女はどの言葉にも薄く笑みを浮かべているだけだった。
そんな彼女の無機質な微笑は、まるで一流の画家が描いた女神のように美しかった。
私はそんな彼女を遠くから見つめるだけの立場でしかない。
近付くこともできず、ただ見つめるだけの。
時折り彼女の瞳から作られた感情すらも消えることがあったが、それは決まって彼女の婚約者である王太子殿下と対峙している時だった。
完璧に作られた笑顔と感情のない瞳、腕のいい職人が作った人形の方がまだ感情が見えそうだった。
王太子殿下と並んで歩いている時、彼女の瞳はいつも昏く沈んでいた。
なのに、口元の笑みがアンバランスで私はいつも恐怖と、それに相反する感情を抱いていた。
彼女はきっと王太子殿下を狂おしい程に愛している。
だからこそ、王太子殿下が誰を見ているかに気付いている。
彼女の親友である子爵令嬢。
身分差がある二人だけれど元々子爵家が公爵家の忠臣だったため、彼女達も未来の王妃と侍女として親交を深めているというのは有名な話だった。
子爵令嬢といる時は、公爵令嬢の顔には年相応の笑顔が浮かんでいた。
親友を愛する婚約者を愛する彼女は、結婚したらどちらの笑顔を浮かべるのだろう、と私は思っていた。
『殿下、次の夜会のドレスコードはお決まりですか?デザインを決めなくてはいけないので……』
『あ、あぁ。青を基調としているんだ。君にはいつも通り私からドレスを贈るよ』
そう、王太子殿下はお約束をしたけれど、夜会当日、誰もが目を疑ったに違いない。
何故、公爵令嬢と子爵令嬢が似たようなデザインのドレスを着ているのか。
公爵令嬢と似ている、ということは対になるように作られた王太子殿下の衣装とも似ているということで、王太子殿下は満足そうな顔だったが子爵令嬢は真っ青な顔をしていた。
公爵令嬢は、やはり穏やかな笑みを浮かべていた。
―王太子殿下を見つめる、荒れ狂う嵐のような愛を宿していた瞳が徐々に凪いだことに、私以外気付いていたのだろうか。
古い傷が、チリリと痛んだ―。
♦♦♦
そろそろ王太子殿下と公爵令嬢の婚礼準備が始まるか、といった頃、公爵令嬢が子爵令嬢の髪を切ったという話が令嬢たちの間を駆け巡った。
夜会から数日後、王太子殿下とのお茶会の場で、公爵令嬢は無言で子爵令嬢の髪を根元から切り落としたという。
いつも緩く後ろで束ねていた子爵令嬢の髪は、とても美しかったことを覚えている。
『貴女は結い上げては駄目よ。美しい髪なのだから、流れるままにしていてね』
公爵令嬢の言葉通り、ヘーゼル色は艷やかで、絹糸よりも滑らかだろうと思わせる、女性であればあのような艶を出したいと憧れる髪だった。
―その髪を、公爵令嬢はいつもの笑みで切り落としたという。
慌てて止めた周囲を、彼女は不思議そうに見回したと。
『―何故、こんなことをした?』
王太子殿下が問い詰めた時、彼女はどんな表情をしていたのか、私は想像することしかできない。
けれど、きっと彼女は笑ったのだろう。
―あの昏い瞳で。
♦♦♦
結局のところ、政略で結ばれている王太子殿下と公爵令嬢の婚約は破棄されなかった。
被害者は子爵令嬢一人だけで、公爵令嬢の侍女が大変な粗相をしたため、公爵令嬢が罰したのだ、という話が流れてきた。
婚約者同士の交流の場で同じ席に着いていたことも子爵令嬢の落ち度にされていた。
恐らくは、殿下が無理に座らせたのだろうと容易に想像ができていたが、誰もそれを指摘しない。
子爵令嬢は親元に戻されたと聞いている。
王太子殿下も、表面上は特に変わりはないが、二人の女性を傷つけたことをどう思っているのかなんて、私が疑問に思うことではない。
それは、理解しているが……。
「珍しいわね、貴女が私をお誘いになるなんて」
やはり、彼女はどんな時でも美しい。
突然訪問した私を、彼女はいつもの笑みで迎え入れたが決して歓迎も拒絶もしていない。
「急なことでしたが、応じてくださりありがとうございます。―何故、切ったのですか?」
「私、貴女のその単刀直入なところが好きよ。裏を読まなければいけないような会話は疲れるわ。あの子とも、いつからそんな関係になってしまったのか、よく覚えていないけれど」
彼女はカップに口をつけてから感情の宿る瞳でにこりと笑った。
「貴女とも、もっと仲良くなれると思っていたけれど、何故貴女は私から離れてしまったのかしら」
過去を懐かしむ彼女は、いつから現実を生きていなかったのか。
「―無礼を承知で申し上げれば、似ていたから、でしょうか」
彼女と、私は似ていたのだ。
狂おしい愛を隠すことを強いられた彼女と、
政略の相手なのに婚約者を愛した私と。
彼等は、彼女を、私を見ない。
追いかけてしまう苦しみを彼女と分かち合うことができれば、結果は変わったのか、それとも、違う意味があったのだろうか。
私はただ、それが知りたかった。
「あらそう、似ていると思ったのね。でも、貴女は彼を自分で独占したかった、だから彼が離れないようにした。そうでしょう?」
「―ええ。卑怯だとは思っています。落ちぶれかけた伯爵家の三男を、援助と引き換えに侯爵家の婿に―。彼が幸せかなんて、考えもしなかった。平民になりたかったかもしれないのに。そこは、申し訳ないとは思っています」
「情熱的ね、貴女。そして、とっても可愛らしい後悔だわ。彼が本当に貴女との婚約を厭うなら、彼はさっさと身分を捨てて平民になってしまえばよかったの。そこまで彼が意思表示をしたのなら、貴女も諦めたのでしょう?」
「―そう、思います。そこまで拒絶されれば、諦めもついたのでしょう」
彼女は芝居がかった仕草で首を傾げた。
口元の笑みはいつも通りで、とても赤い唇で。
「似ていると貴女は言うけれど、私はそうは思わないわ。きっと貴女は私があの子に嫉妬をしたから、と思ったのかしら?」
金色の髪が、肩からさらりと落ちる。
その光景に違和感を覚え、すぐに気付いた。
いつも結い上げられていた彼女の今日の髪型は、あの子爵令嬢と同じだった。
「ええ。失礼ながら、多くはそう思っていると思います」
「そうねぇ、ご期待に沿えずに申し訳ないのだけれど、彼女の髪があまりに綺麗だったから」
「……え?」
何でもないことのように彼女は答えた。
「彼女の髪があまりに綺麗だったから、だから切りたくなってしまったの」
カップを置いた彼女が笑う。
「それだけなのよ」
♦♦♦
あの日、公爵令嬢は赤い唇で笑っていた。
瞳に宿る感情に恐れを抱き、すぐにその場を離れてしまった。
婚約者は、私には相変わらず優しく誠実に接している。
私の家が、彼の家を支えていると知っているから。
いつか、あの公爵令嬢の気持ちを理解してしまった時、私は彼をどうするのだろう。
ウェディングドレスを着た彼女の目線が私を捉えた。
そして、彼女はまた笑った。
赤い唇を持ち上げて。
「どうしましたか?」
「あまりに綺麗で、感動してしまいました」
「そうですね、私達もそろそろ支度を始めなければいけないですね」
「……はい」
幸せ、なのだろうか。
彼にとっては義務で、私にとっては望みで。
―彼女にとっても義務だったとしたら、彼女が本当に望んでいたのは……。
「そう、そうだったのですね……」
彼女の笑みを、私は真似た。
婚約者が隣で息を吞んだが、私はただ微笑むだけだった。
何故か、涙が流れていた―。
終
名前を出さずに書いてみようとしたら難しかった…。
実際に他人の髪を切った人に理由を聞いたことがあります。
「綺麗だったから切っちゃった」って言ってました。意味分からなすぎました。
婚約者への愛<子爵令嬢への独占欲。表現力ぅぅ。
一字下げやってくれる機能初めて使ってみたら便利ですね(今更)
泣いた理由?過去への餞でしょうかね。決別なのか共鳴なのか。
番外編の公爵令嬢視点で明らかに、なるかもしれない。
★登場人物★
公爵令嬢・・・婚約者も子爵令嬢も大好き。動機は「本当に綺麗な髪だったから」だけ。違う次元で生きてる。
子爵令嬢・・・親友怖い。その婚約者嫌い。一番被害者だけど家に戻れてよかった。
王太子・・・小さい頃は優秀だった。正妻、愛人(予定)皆でハッピーと思ってた脳内ハッピー王子。公爵令嬢は過去の幻想を愛した疑惑。
侯爵令嬢・・・思考回路ネガティブの何もかも一般人。公爵令嬢のようにはなれないので婚約者は無事だけどずっと引け目を感じそう。公爵令嬢の狂気のジェネリック版。…廉価版?
侯爵令嬢婚約者・・・婚約者のことは尊重しているし自分の立場もわかってる。三男なのに婿入りできてラッキー。楽天家なので侯爵令嬢専属カウンセラーになりそう。




