表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/18

第四話:アフラマズダの眠る場所

ペルセポリス・ネオ郊外のセーフハウスに、張り詰めた空気が満ちていた。古い倉庫を改造しただけの殺風景な空間だが、今は巨大な陰謀と古代の謎に挑むための作戦司令室と化している。壁に投影されたホログラムディスプレイには、地下遺跡セクター『アフラマズダの眠る場所』の断片的な地図、ファリード先生の手書きメモの画像、ラフマーニ博士が残したデータの一部、そしてカーヴェが持ち込んだ出所不明の機密情報が複雑に絡み合い、点滅している。


ライラ・ザハニとカーヴェ・アシュラフィは、そのディスプレイを前に、黙々と潜入計画の最終確認を行っていた。彼らの間には、もはや余計な言葉は必要なかった。共有する目的――真実の探求とイスファンディヤール社の阻止――そして、すぐそこまで迫っているであろう、未知の危険に対する覚悟が、無言の連携を生み出していた。


「…現状で最も可能性が高いルートは、これね」


ライラはディスプレイ上の一点、ジール・ザミーンのさらに地下深くに存在する、廃棄された旧時代の地下鉄網を指し示した。そこから分岐する、忘れられたアクセス坑道の一つ。公式記録には存在せず、イスファンディヤール社の監視網からも、おそらくは外れているであろう経路。


「旧ペルセポリス・メトロ、デルタ線。数十年前の大規模地盤沈下で放棄された区画だ。インフラはほぼ崩壊している。生存者はいないとされているが…定かではない」カーヴェが、ライラの指した場所に関する補足情報を、淡々とした口調で付け加えた。「坑道は、遺跡の外殻、セクター・ガンマに通じている可能性がある。警備は手薄だろうが、構造的な危険と、予期せぬ障害は覚悟すべきだ」


彼の情報源は依然として謎だったが、その正確さは疑いようがない。まるで、彼自身がその場所を歩いたことがあるかのように、詳細な情報を把握していた。


「セクター・ガンマから、ラフマーニ博士のデータが示す『古文書保管区画』…おそらく、ファリード先生が探していた詩の完全版がある場所…までは、直線距離で約3キロ。ただし、内部構造は不明な点が多い。既知のトラップ、イスファンディヤール社が設置した監視システム、そして…未確認のエネルギー反応」


ライラはディスプレイに表示された、赤く点滅するエリアを指した。遺跡の中心部に近い場所で、強力かつ不安定なエネルギーが観測されている。ラフマーニ博士のデータによれば、それは周期的に活性化し、周囲の環境だけでなく、特定の遺伝子マーカーを持つ人間の精神にも影響を与えるという。


(特定の遺伝子マーカー…私のこと…)


ライラは、昨夜、ラフマーニ博士のデータ記憶装置に触れた瞬間に感じた奇妙な感覚――眩暈、幻視、そして身体の内側から湧き上がるようなエネルギーの高まり――を思い出していた。遺跡に近づくにつれて、あの感覚は強まっている。それは、希望なのか、それとも破滅への予兆なのか。


「装備はこれで全てね」ライラは思考を振り払い、床に広げられた装備品を確認した。暗視・熱感知機能付きゴーグル、多機能環境センサー、ロック解除や切断に使うマルチツール、軽量クライミングギア、長時間活動用の予備電源パック、緊急用の医療キット、そして数種類の特殊グレネード――EMP、音響、そして対ジャードゥー能力者用の精神干渉タイプ。これらは、ライラの探偵業の蓄えと、カーヴェがどこからか調達してきた高性能な装備が混在していた。


二人は黙々と装備を身に着け、最終チェックを行う。互いの動きには無駄がなく、まるで長年コンビを組んできたかのように、息が合っていた。奇妙な感覚だった。出会ってからまだ日は浅いのに、この謎めいた男とは、言葉を交わさずとも意思が通じる瞬間がある。彼もまた、自分と同じように、この遺跡に何か深い因縁を持っているのだろうか。


準備の最終段階、ライラが小型ドローンを起動チェックしている時、再びあの感覚が襲った。軽い眩暈。そして、一瞬だけ、脳裏に閃光と共に複雑な幾何学模様が浮かび上がる。それは、以前よりも少しだけ鮮明で、長く持続したように感じられた。


「…大丈夫か?」


カーヴェの声に、ライラははっと我に返った。彼が心配そうな、あるいは何かを観察するような鋭い視線を向けている。


「ええ…なんでもない。少し、疲れているだけかも」


ライラは誤魔化すように微笑んだが、内心では不安が膨らんでいた。この現象は、確実に遺跡と関連している。遺跡のエネルギーが、自分の中の何かを呼び覚まそうとしているのだろうか? ラフマーニ博士のデータにあった「制御不能な刻印の暴走」という言葉が、不吉な響きをもって蘇る。だが、同時に、心の奥底で奇妙な高揚感が湧き上がるのも感じていた。まるで、自分が本来いるべき場所に、ようやく帰ろうとしているかのような…。


「行くぞ」カーヴェが短く言った。「夜明けまでには、目標地点に到達したい」


ライラは頷き、最後の装備を確認すると、カーヴェと共にセーフハウスを後にした。


ペルセポリス・ネオの夜は、決して本当の闇を知らない。上層階級の煌びやかな光、中層街の猥雑なネオン、そして下層ジール・ザミーンの怪しげな灯り。だが、二人が目指すのは、それらの光すら届かない、都市の最深部だった。


ジール・ザミーンの喧騒を抜け、公には存在しないとされるサービスリフトや、忘れ去られた管理用通路を使い、彼らはさらに地下深くへと下降していった。空気は次第に重くなり、湿気と埃、そしてカビの匂いが強くなる。壁からは水が染み出し、足元にはぬかるみが広がっていた。時折、グロテスクな形状をした巨大な昆虫や、光のない環境に適応した白く目のないネズミのような生物が、物陰から現れては素早く姿を消した。


「…旧ペルセポリス・メトロ、デルタ線の入り口は、この先だ」


カーヴェは、崩落したトンネルの瓦礫の山を指し示した。そこには、かつて駅のプラットフォームだったであろう痕跡が、辛うじて残っている。壁には色褪せた広告ポスターの残骸が張り付き、天井からは錆びた鉄骨がぶら下がっていた。まるで、文明の墓場のような光景だった。


二人は瓦礫を乗り越え、旧地下鉄のトンネルへと足を踏み入れた。内部は完全な闇。ヘッドライトの光だけが頼りだ。線路は歪み、所々で寸断されている。壁面には、地盤沈下の影響を示す巨大な亀裂が走り、いつ崩落してもおかしくない状態だった。


「センサーに反応。前方、複数。熱源なし…おそらく旧式の警備ドローンだ」


カーヴェが手元の端末を確認しながら警告した。放棄されたとはいえ、重要インフラだったこの場所には、最低限の監視システムが残っているらしかった。


「私が引き付ける。あなたは先に進んで」


ライラはそう言うと、小型ドローンを発進させ、わざと音を立ててドローンを先行させた。予測通り、数機の蜘蛛のような形をした旧式ドローンが、壁の窪みから現れ、ライラのドローンを追って行った。その隙に、ライラとカーヴェは音を立てずに、ドローンのセンサー範囲外を駆け抜ける。


その後も、行く手には様々な障害が待ち受けていた。有毒ガスが充満する区画では、携帯用フィルターマスクを装着し、息を殺して通り抜けなければならなかった。巨大な地下水脈がトンネルを水浸しにしている場所では、クライミングギアを使って壁面を伝い、濁った水の中を泳いで進んだ。


そして、最も危険だったのは、この地下世界に適応した未知の生物との遭遇だった。闇の中で、複数の赤い目が光り、鋭い爪を持つトカゲのような生物の群れが襲いかかってきたのだ。カーヴェは驚異的な体術でそれらを撃退し、ライラもプラズマガンで援護したが、数匹に腕や脚を噛まれ、浅くない傷を負った。


「…大丈夫か?」カーヴェが、ライラの腕の傷に素早く応急処置を施しながら尋ねた。彼の表情は読み取れないが、その手つきには確かな気遣いが感じられた。


「ええ、問題ないわ。それより、先を急ぎましょう」


ライラは痛みを堪え、立ち上がった。目的地はまだ遠い。


数時間にも及ぶ過酷な探索の末、二人はついに、目的のアクセス坑道の入り口があると思われる、旧地下鉄の廃駅『アザル・ステーション』にたどり着いた。そこは、他の場所よりもいくらか保存状態が良く、プラットフォームの形状や、駅名を示す錆びたプレートが残っていた。そして、プラットフォームの最も奥まった壁面に、彼らが探していたものが存在した。


高さ3メートル、幅2メートルほどの、分厚い金属製の扉。表面は滑らかで、継ぎ目一つ見当たらない。そして、その中央には、複雑な曲線と幾何学模様が組み合わさった、古代文字のようなレリーフが刻まれていた。それは、ライラが時折、幻視で見る「刻印」の模様の一部に酷似していた。


「これか…」ライラは息を飲んだ。「アフラマズダの眠る場所への入り口…」


「間違いない。だが、問題はこれだ」カーヴェは扉の前に立ち、手元のセンサーをかざした。「強力なエネルギーフィールドが展開されている。物理的な破壊は不可能。さらに、内部には高度な生体認証システムも作動しているようだ。記録にないタイプだ…古代の技術か?」


ライラは扉に近づき、レリーフを注意深く観察した。そして、ラフマーニ博士のデータ記憶装置からアルダシールが解析した情報の中に、この扉のロック解除シーケンスに関する記述があったことを思い出した。


「…博士のデータに、解除コードの一部があったはずよ。それと、私のハッキングスキルを組み合わせれば…」


ライラはデータパッドを取り出し、扉の脇にある、かろうじて認識できる程度のインターフェイスパネルに接続した。表示されるのは、解読不能な古代文字の羅列。だが、ライラは集中し、ハッキングツールを起動させ、同時に博士のデータから抽出したコードを入力していく。


『…シーケンス、70%解除…警告、不正アクセス検知…カウンタープログラム起動…!』


データパッドの画面が赤く点滅し、警報音が鳴り響く。


「まずい! エネルギーフィールドの出力が上昇している!」カーヴェが叫んだ。「このままでは、システムが自爆するぞ!」


彼は懐から、掌サイズの奇妙な装置を取り出した。表面には、これもまた古代文字のようなものが刻まれている。


「この装置で、フィールドを一時的に中和できるかもしれん。だが、長くはもたない。やるなら今だ!」


カーヴェが装置を扉にかざすと、青白い光が放たれ、扉を覆っていたエネルギーフィールドが、一瞬だけ揺らいだ。


「今よ!」


ライラは最後のコマンドを入力し、そして、意を決して、インターフェイスパネルに直接、自分の掌を押し当てた。生体認証。これが最後の関門だ。


ライラの掌がパネルに触れた瞬間、奇跡が起こった。


パネルが淡い緑色の光を発し、ライラの掌の形をスキャンするように光が走った。そして、扉の中央にある古代文字のレリーフが、まるでライラの生体情報に呼応するかのように、力強く明滅し始めたのだ。


ゴゴゴゴ…という重々しい地響きと共に、分厚い金属製の扉が、ゆっくりと内側へとスライドし始めた。


「…開いた…」ライラは呆然と呟いた。「私の…生体情報に反応した…?」


「お前が『鍵』の一部であるということか…」カーヴェが、驚きと、何か別の感情が混じったような声で言った。


扉の向こうには、完全な闇ではなく、微かな光が満ちた空間が広がっていた。


二人は顔を見合わせ、頷き合うと、意を決して、開かれた扉の向こうへと足を踏み入れた。


息を呑むような光景が、そこに広がっていた。


そこは、これまでの地下世界の陰鬱さとは全く異質な空間だった。空気は驚くほど澄んでおり、微かに甘く、芳しい香りが漂っている。周囲の壁や天井は、継ぎ目のない滑らかな金属、あるいは未知の鉱物で構成されており、それ自体が柔らかな燐光のようなものを放っていた。内部は広大で、巨大な柱が森のように林立し、天井は遥か高く、ドーム状になっている。まるで、古代に建造された巨大な神殿か、あるいは異星の宇宙船の内部に迷い込んだかのようだ。


「これが…アフラマズダの眠る場所…」


ライラは、その荘厳さと神秘的な雰囲気に圧倒され、立ち尽くした。空気中には、皮膚で感じ取れるほどの、微弱だが明確なエネルギーが満ちている。それは心地よくもあり、同時に畏怖を感じさせる、不思議な感覚だった。


「気を抜くな。ここは美しいだけではない」カーヴェが低く警告した。「センサーが複数の異常なエネルギー反応と、未知の生命活動パターンを感知している」


彼の言葉通り、この遺跡は侵入者を拒むかのように、様々な危険を秘めていた。


二人が最初の広大なホールを抜け、細い通路へと進むと、早速、古代の罠が牙を剥いた。何の変哲もない通路の床が、突然、音もなく消失し、深い奈落が現れた。ライラは落下しかけたが、カーヴェが瞬時に彼女の腕を掴み、引き上げた。


「サイコメトリーで危険を予知できなかった…?」カーヴェが訝しげに尋ねる。


「ええ…何か、この遺跡のエネルギーが、私の能力を妨害しているか、あるいは上書きしているような…そんな感じがする」


ライラは自身のジャードゥーに異変が起きていることを感じていた。サイコメトリーの精度が落ちている代わりに、時折、未来の断片のような、あるいは遺跡の意図のようなものが、直接脳裏に流れ込んでくることがあるのだ。


その後も、壁から高エネルギーのダーツが射出されたり、特定の模様が描かれた床を踏むと強烈な音波が発生したり、さらには精神に干渉し、過去のトラウマや恐怖を幻覚として見せるエネルギーフィールドが展開されたりと、次々と高度なトラップが二人を襲った。


ライラは不安定ながらも発現し始めた新たな予知能力のような感覚と、ファリード先生の資料にあった古代文字の知識を頼りに、トラップのパターンを読み解こうとした。カーヴェは、その超人的な身体能力と戦闘スキル、そして彼が持つ不可解な知識(まるで遺跡の構造を知っているかのような動きを見せることもあった)で、物理的な危機を切り抜けていく。二人は互いの能力を補い合い、時には激しく口論しながらも、絶妙な連携で困難な状況を乗り越えていった。


遺跡の探索を進める中で、二人は奇妙なものを発見し始めた。明らかに古代のものではない、破壊された金属製の扉。壁に後から設置されたと思われる、しかし今は機能停止している監視センサー。床に散らばる薬莢や、プラズマ兵器による焦げ跡。そして、時には、イスファンディヤール社のロゴが入った、遺棄された装備品や、黒焦げになった兵士の遺体の一部と思しきものまで。


「…イスファンディヤール社は、かなり深くまで侵入していたようね。そして、ここで何らかの戦闘があった…」ライラは顔を顰めて言った。「相手は…遺跡の防衛システムか、それとも…?」


カーヴェは無言で、戦闘の痕跡を調べていた。彼の表情は硬い。


「…どちらもだろう。だが、それだけではないかもしれん」


彼の言葉の意味を、ライラはすぐには理解できなかった。


遺跡の深部へと進むにつれて、ライラの身体に起こる異変は、ますます顕著になっていった。眩暈や幻視の頻度が増し、時には立っているのも辛いほどのエネルギーの波を感じることがあった。そして、腕や手の甲に、淡い光を放つ幾何学模様――「刻印」の一部――が、浮かび上がっては消えるのを、カーヴェも視認するようになった。


「ライラ…大丈夫か?」


カーヴェが、珍しく感情のこもった声で尋ねた。


「ええ…少し、変な感じがするだけ。でも、怖くはないわ。むしろ…何かに導かれているような…そんな気がする」


ライラは、特定の壁画や碑文の前で立ち止まることが増えた。そこには、アジダハーカと思われる竜の姿や、星々の運行図、そして「刻印」を持つ人物が何かを行っているような場面が描かれている。それらを見ると、古代文字がライラの目にだけ強く輝いて見え、意味は分からないながらも、囁くような声が頭の中に響くのだ。まるで、遺跡そのものが、彼女に語りかけているかのように。


カーヴェは、そんなライラの様子を、複雑な表情で見守っていた。彼の瞳には、心配と、警戒と、そして何か別の、ライラには読み取れない深い感情が浮かんでいた。


その時だった。安全な場所を見つけて休憩を取り、アルダシールに定期連絡を入れたライラの通信端末に、緊急度の高い暗号化メッセージが届いた。ラフマーニ博士のデータ記憶装置の、さらなる解析結果だった。


『ライラ、とんでもないことが分かったぞ! あの記憶装置には、ラフマーニ博士の研究日誌の一部が記録されていた! それによると…』


アルダシールの興奮した声が、スピーカーから途切れ途切れに聞こえてくる。


『遺跡の中心部には、アジダハーカそのもの、あるいはそのエネルギーの源泉となる『コア』が存在するらしい! コアは特定周期で活性化し、周囲の空間だけでなく、特定の遺伝子マーカーを持つ人間の精神に強烈な影響を与える!』


ライラは息を飲んだ。特定の遺伝子マーカー。自分のことだ。


『イスファンディヤール社は、そのエネルギーを利用して、ジャードゥーの強制覚醒実験や、精神支配技術の研究を行っていた! 彼らはコアを制御し、世界を支配するつもりなんだ!』


『そして、お前…被験者"ヤスミン"は、その研究の最重要ターゲットだった! お前の持つ特異な遺伝子マーカーは、コアエネルギーとの最高レベルの共鳴が予測されている! だが、それは同時に、制御不能な『刻印』の暴走、あるいは最悪の場合、コアとの精神的・物理的な融合を引き起こすリスクがある、と博士は警告している! ライラ、お前、今すぐそこから離れろ! 危険すぎる!』


アルダシールの悲鳴のような声が、静かな遺跡の中に響き渡った。


ライラは愕然とした。自分が、そんな危険な存在だったというのか? ファリード先生は、ラフマーニ博士は、このことを知っていて…?


カーヴェは、ライラの隣で静かに通信を聞いていた。彼の表情は、これまでになく険しいものになっていた。


「…やはり、そうか」彼は低く呟いた。「お前は、鍵であると同時に、起爆装置でもあるのかもしれんな」


その言葉は、ライラの胸に冷たく突き刺さった。


通信が切れると、遺跡の空気が一層重くなったように感じられた。アルダシールの警告は、無視できない。だが、今さら引き返すことなどできるだろうか? 真実は、この先にあるのだ。


二人は再び歩き出した。だが、以前にも増して、周囲への警戒を強めながら。


そして、彼らは広大な円形のホールへとたどり着いた。天井はドーム状になっており、壁面には無数のクリスタルのようなものが埋め込まれ、星空のように輝いている。ホールの中心には、巨大な祭壇のような構造物が見えた。おそらく、ここが遺跡の中心部に近い場所なのだろう。


だが、そのホールの中央には、予期せぬものが鎮座していた。


それは、高さ5メートルはあろうかという、巨大な人型の像だった。しかし、石や金属で造られたものではない。遺跡の壁と同じ、滑らかで淡い光を放つ未知の素材でできており、まるで生きているかのように、内部からエネルギーが脈打っているのが感じられる。関節部分は複雑な機構で構成され、頭部には一つだけ、赤い単眼が不気味な光を放っている。古代のゴーレムか、あるいは自律型の防衛ロボットか。


二人がホールに足を踏み入れた瞬間、その赤い単眼が、ギロリと彼らを捉えた。


『侵入者ヲ確認。排除スル』


合成音声のような、しかしどこか有機的な響きを持つ声が、ホール全体に響き渡った。巨大な像――遺跡の守護者――が、重々しい足取りで動き出し、二人に向かってきた。


「来るぞ!」カーヴェが叫び、ライラを突き飛ばした。次の瞬間、守護者の腕から放たれた高エネルギーの光線が、先ほどまでライラがいた場所を焼き焦がした。


戦闘が始まった。守護者の攻撃は苛烈だった。腕から放たれるエネルギー光線、地面を叩きつけて衝撃波を発生させる物理攻撃、そして周囲のクリスタルからエネルギーを吸収して放つ広範囲攻撃。その動きは巨体に似合わず俊敏で、防御力も異常に高い。


ライラのプラズマガンは、守護者の表面に僅かな焦げ跡をつけるだけで、ほとんど効果がない。カーヴェの特殊合金製のブレードも、硬い装甲に弾かれるばかりだ。


「弱点はどこだ!?」ライラは遮蔽物に隠れながら叫んだ。


「分からない! だが、動きにパターンがあるはずだ!」カーヴェは攻撃を回避しながら、守護者の動きを冷静に観察している。


ライラはサイコメトリーで守護者の構造を読み取ろうとした。だが、その内部構造はあまりにも複雑で、放出されるエネルギーも強すぎるため、明確な情報は得られない。ただ、一つだけ分かったことがある。守護者のエネルギー源は、このホール全体に満ちている遺跡のエネルギーそのものであり、特に頭部の赤い単眼にエネルギーが集中しているということだ。


「あの目よ! あの赤い目がコアになっているはず!」


ライラはカーヴェに叫んだ。


「分かった! 俺が注意を引きつける! お前はあの目を狙え!」


カーヴェは敢えて守護者の正面に躍り出て、挑発するように攻撃を仕掛けた。守護者の攻撃がカーヴェに集中する。彼は紙一重でそれをかわし続け、ライラに時間を与える。


ライラはプラズマガンを最大出力に設定し、精神を集中させた。遺跡のエネルギーが、自分の中の「刻印」と共鳴し、増幅されていくのを感じる。腕に浮かび上がる模様が、これまでになく強く輝き始めた。


(いける…!)


ライラは遮蔽物から飛び出し、守護者の赤い単眼に向けて、全エネルギーを込めたプラズマ弾を発射した。


閃光がホールを包む。プラズマ弾は、守護者の単眼に直撃し、激しいスパークを散らした。守護者の動きが、一瞬だけ停止する。


「やったか!?」


だが、喜びも束の間、守護者は再び動き出した。単眼には亀裂が入っているが、破壊には至っていない。そして、その赤い光は、先ほどよりもさらに怒りに満ちたような、禍々しい輝きを放っていた。


『警告。自己修復プログラム起動。脅威レベル上昇。殲滅モードヘ移行スル』


守護者の全身から、赤いオーラのようなエネルギーが噴き出し始めた。動きがさらに速くなり、攻撃も苛烈さを増す。


「まずい! あれは止められない!」カーヴェが叫んだ。


二人は絶体絶命の窮地に立たされた。


だが、その時だった。ライラの脳裏に、再び囁き声のようなものが響いた。


『…調和…律動…古き唄…』


それは、遺跡の壁画で見た、あるいはファリード先生の資料にあった、詩の一節と関連しているように感じられた。そして、守護者の動きの中に、ある特定のパターン、エネルギーの流れの「間隙」のようなものが見えた気がした。


「カーヴェ! あの動きに合わせて! 右脚の関節部!」


ライラは、直感とも呼べる閃きに従って叫んだ。カーヴェは一瞬戸惑ったが、ライラの言葉を信じ、守護者が特定の攻撃パターンを見せた瞬間、その右脚の関節部分に、全速力で突進し、ブレードを突き立てた。


ギャリィィン!という甲高い金属音と共に、ブレードが装甲の隙間に深々と突き刺さった。守護者の巨体が大きく傾ぎ、バランスを崩す。


「今よ!」


ライラは最後の予備エネルギーセルをプラズマガンに装填し、再び守護者の単眼――亀裂の入った部分――を狙って撃った。


今度こそ、プラズマ弾は単眼を完全に破壊した。赤い光が消え、守護者の全身からエネルギーが急速に失われていく。巨体は動きを止め、膝から崩れ落ちるようにして、完全に沈黙した。


激しい戦闘が終わり、ホールには再び静寂が戻った。ライラとカーヴェは、互いに肩で息をしながら、沈黙した守護者を見つめていた。


「…助かったわ」ライラが掠れた声で言った。


「…お前のあの指示がなければ、危なかった」カーヴェも、珍しく安堵の色を浮かべていた。「なぜ分かったんだ?」


「分からない…ただ、声が聞こえたような…そして、動きが見えたような…」ライラは自身の変化に戸惑いながら答えた。


二人は、守護者を避け、ホールの奥へと進んだ。そこには、ファリード先生のメモやラフマーニ博士のデータが示唆していた区画――おそらくは「古文書保管区画」――へと続くと思われる、巨大な扉が存在した。


その扉は、これまでのどんな扉とも異なっていた。まるで一枚の巨大な黒曜石をくり抜いたかのような、滑らかで光沢のある表面。扉全体には、複雑怪奇な古代文字と、星図か回路図のようにも見える幾何学模様が、銀色の光を放ちながら刻まれている。そして、扉の前には、目に見えない強力なエネルギーフィールドが展開されており、近づくだけで肌がピリピリと痛むほどだった。


「これが…最後の扉か」カーヴェが息を飲んだ。


「解析した解除コードは通用しない。物理的な破壊も不可能…」ライラはデータパッドを確認しながら言った。「そして、このエネルギーフィールド…尋常じゃないわ」


ライラが、恐る恐る扉に近づいた、その瞬間だった。


彼女の腕と手の甲に浮かび上がっていた「刻印」の模様が、扉に刻まれた模様と共鳴するかのように、激しく明滅し始めたのだ。そして、囁き声のようなものが、今度ははっきりとした言葉となって、ライラの頭の中に直接響き渡った。


『汝、鍵を持つ者…古き血脈を受け継ぎし娘よ…』


ライラは驚いて後ずさった。声は、明らかにこの扉から、あるいは扉の向こうから聞こえてくる。


『扉を開く資格を示せ…汝の意志を…汝の力を…捧げよ…』


声は、威厳に満ちており、抗いがたい力を持っていた。扉を開くには、外部からの干渉ではなく、ライラ自身の内なる力と、扉を開けたいという強い意志が必要なのだと、直感的に理解した。


だが、同時に、アルダシールの警告が脳裏をよぎる。『制御不能な刻印の暴走』『コアとの融合のリスク』。この扉を開くことは、自分自身に計り知れない危険をもたらすかもしれない。


ライラは逡巡した。真実への渇望と、未知なる力への恐怖の間で。


隣で、カーヴェが固唾を飲んでライラを見守っていた。彼の瞳には、警戒と、期待と、そしてライラには読み解けない深い感情が揺らめいていた。


「…行くしかないのね」


ライラは覚悟を決めた。ファリード先生の真意を知るために。自分の過去と向き合うために。そして、この遺跡に隠された秘密を、イスファンディヤール社のような者たちに渡さないために。


彼女は震える手で、ゆっくりと扉に触れた。


その瞬間、世界が白い光に包まれた。


眩いばかりの光が、扉から、そしてライラ自身の身体から溢れ出し、ホール全体を満たす。ライラの全身に、電流が走るような激しい衝撃と、同時にエクスタシーにも似た高揚感が奔流のように押し寄せた。


「ライラッ!」


カーヴェの叫び声が遠くに聞こえる。ライラの瞳の色が、深紅に、あるいは黄金に変化したように見えた。身体に刻まれた「刻印」の模様が、皮膚の下で脈打つように輝き、全身に広がろうとしている。意識が、強大なエネルギーの奔流に飲み込まれそうになる。


『受け入れよ…力を…宿命を…』


囁き声が、誘うように響く。


ライラは必死に自我を保とうとした。光の中で、彼女は固く目を閉じ、強く念じた。(私は、私だ…!)


光が収束し始めた。そして、目の前の巨大な黒曜石の扉が、ゴゴゴゴ…という地響きと共に、ゆっくりと、内側へと開き始めた。


扉の向こうには、何があるのか? 詩の完全版か? アジダハーカの秘密か? それとも、ライラ自身の運命を変える、更なる試練か?


光の名残の中で、ライラは、開かれゆく扉の向こうの暗闇を、そして自分自身の内に目覚め始めた未知の力を、期待と恐怖が入り混じった複雑な感情で見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ