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第十七話:聖地パリーダエーザ、開かれる門

アムダリヤ砂漠の夜空に、不気味なほどに明るい光条が横たわっていた。『天翔る蛇』と呼ばれる長周期彗星が、まさに天頂へと達しようとしているのだ。その青白い光は、眼下に広がる広大な砂漠を、まるで真昼のように照らし出していた。ライラ・ザハニ、カーヴェ・アシュラフィ、そしてレン(ゼロ)の三人が乗る輸送車両は、砂塵を巻き上げながら、その光の中心へと向かって疾走していた。天穹の読人から託された『真の星図』が、ライラの意識の中で、進むべき道を明確に示している。


背後からは、依然として複数の追手の気配が迫っていた。イスファンディヤール社の特殊部隊、そしてアジ・ダハーカの末裔の残党。彼らもまた、この稀有な天文現象が意味するもの――聖地パリーダエーザの門が開かれる瞬間――を知り、最後の決戦の地へと集結しつつあるのだ。


「…見えた!」


ライラが、前方を指差して叫んだ。砂漠の地平線の先に、蜃気楼ではない、確かな緑の影が見え始めたのだ。そして、その中心には、月光(あるいは彗星の光)を浴びて白く輝く、巨大な古代遺跡のシルエットが浮かび上がっている。


伝説のオアシス、聖地パリーダエーザ。数千年もの間、砂漠の奥深くに隠され、天穹の読人によって守られてきた場所。ついに、彼らはたどり着いたのだ。


車両を遺跡の手前で止め、三人は息を呑んでその光景を見つめた。そこは、想像を絶するほどに美しく、神秘的な場所だった。砂漠の中央に存在するとは思えないほど豊かな緑が溢れ、澄み切った水を湛えた泉が点在し、見たこともないような奇妙な形の花々が咲き誇っている。そして、それらの自然と完全に調和するように、白亜の石材か、あるいは未知の素材で作られた巨大な神殿や塔が、静かに聳え立っていた。空気は驚くほど清浄で、遺跡のコアの間とも、星見の洞とも異なる、穏やかで、しかし生命力に満ちた強力なエネルギーが、聖地全体を満たしている。


ライラは、自身の右手の甲の刻印が、この場所のエネルギーと深く、そして心地よく共鳴しているのを感じていた。まるで、長い旅の末に、ようやく故郷へと帰り着いたかのような、不思議な安らぎと、同時に身が引き締まるような神聖な感覚。レンもまた、この清浄なエネルギーに触れ、彼の不安定な精神が少しだけ落ち着きを取り戻しているように見えた。彼は、周囲の美しい景色を、子供のように目を輝かせて見回している。


「…これが、パリーダエーザ…」カーヴェもまた、その光景に圧倒され、静かに呟いた。「伝承以上の場所だ…」


だが、感傷に浸っている時間はなかった。空を見上げれば、天翔る蛇(彗星)は、まさに天頂に達し、その核から放たれる青白い光が、地上に複雑な光のパターンを描き始めている。星々の配置も、ライラが星見の洞で見た『真の星図』が示す、完璧な配列となっていた。


「…今しかないわ」ライラは言った。「聖地の門が開かれるのは、この瞬間だけ」


三人は、聖地の中心にある、ひときわ巨大な神殿のような建造物へと向かった。その正面には、高さ数十メートルはあろうかという、巨大な二枚扉の門が、固く閉ざされている。門の表面には、アジダハーカと思われる竜のレリーフや、宇宙の星々、そして歴代の刻印持ちたちの姿を思わせる、精緻で複雑な模様がびっしりと刻まれていた。そして、門全体が、目に見えない強力なエネルギーフィールドで守られており、近づくだけで肌がピリピリと痛むほどだった。


「…ここが、聖地の最奥部へと続く門…」ライラは、門を見上げ、ゴクリと唾を飲んだ。


彼女は、星見の洞で天穹の読人の長老から託された知識を思い出す。門を開くためには、古代の言語で紡がれる、特別な詠唱が必要であること。そして、その詠唱に合わせて、刻印の力を特定の波長で共鳴させなければならないこと。それは、ライラの持つ力の全てを注ぎ込む必要のある、困難な儀式だった。


「カーヴェ、レン。お願いがあるの」ライラは、二人に振り返って言った。「私が儀式を行っている間、何があっても、私を守ってほしい。そして、私を信じてほしい」


「…無論だ」カーヴェは、力強く頷いた。「お前が門を開くまで、たとえこの身が砕け散ろうとも、誰一人として近づけさせん」


「…ライラ…ボクも…守る…!」レンもまた、まだたどたどしい言葉ながら、強い意志を目に宿して言った。彼の小さな手には、ライラを守りたいという決意が込められているように見えた。


ライラは、二人の言葉に勇気づけられ、深く息を吸い込むと、巨大な門の前に一人、進み出た。そして、両手を門にかざし、意識を集中させ、古代の詠唱を始めた。


それは、ライラ自身も初めて口にするはずの、古く、美しい旋律だった。だが、まるで自身の魂に刻まれていたかのように、言葉は自然と紡ぎ出された。宇宙の創生、星々の運行、アジダハーカの息吹、そして生命の調和を歌う、荘厳な祈りの歌。


ライラの声が、聖地の清浄なエネルギーと共鳴し、美しい響きとなって夜空へと広がっていく。同時に、彼女の右手の甲の刻印が、再び眩い黄金色の光を放ち始めた。その光は、門に刻まれた模様と呼応し、門全体が、まるで呼吸するかのように、ゆっくりと明滅を始めた。


儀式は順調に進んでいるかに見えた。だが、その瞬間だった。


「見つけたぞ! 聖地の門だ!」


「刻印持ちの娘を止めろ! 門を開かせるな!」


けたたましいエンジン音と怒号と共に、聖地の入り口方向から、多数の影がなだれ込んできた。イスファンディヤール社の特殊部隊と、アジ・ダハーカの末裔の残党たちだ。彼らは、天穹の読人たちの抵抗を突破し、ついにこの聖域まで到達したのだ。


「来たか…!」カーヴェはブレードを抜き放ち、ライラの前に立ちはだかった。「行け、ライラ! 儀式を続けろ! ここは俺が引き受ける!」


カーヴェは、雄叫びを上げると、迫りくる敵の大群へと単身、突撃していった。彼の動きは、守人としての技の全てを注ぎ込んだかのように、鋭く、速く、そして決死の覚悟に満ちていた。彼は、傷ついた身体で、次々と敵を薙ぎ払い、斬り伏せ、ライラが儀式を終えるための、貴重な時間を稼ごうとしていた。


「カーヴェ…!」


ライラは、後ろ髪を引かれる思いだった。だが、今は儀式を中断することはできない。門を開くことができるのは、この瞬間しかないのだ。ライラは心を鬼にし、詠唱と力の集中を続けた。


レンもまた、カーヴェの奮戦と、ライラの危機を見て、恐怖に震えながらも、小さな身体でライラの前に立った。そして、彼は自身の持つ力を、初めて完全に自身の意志で、制御された形で発動させた。


『…イヤ…! ライラに…近づくな…!』


レンの周囲の空間が、ぐにゃりと歪んだ。それは、敵の兵士たちの動きを鈍らせ、彼らが放つエネルギー弾の軌道を逸らす、限定的な空間歪曲フィールドだった。さらに、彼は近くにあったイスファンディヤール社の戦闘用ドローンに精神を接続し、その制御を奪うと、逆に追手の兵士たちへと攻撃を仕掛けさせた。


「な、なんだこの小僧は!?」


「ドローンが! 制御不能!」


敵陣に混乱が広がる。レンの予想外の援護は、カーヴェの負担を僅かながらも軽減させた。彼は、ライラとカーヴェを守るという強い意志によって、自身の力を新たな段階へと覚醒させつつあったのだ。


一方、ライラの儀式は、佳境を迎えていた。詠唱の声はますます力を増し、刻印の輝きは最高潮に達する。門の模様全体が、眩い黄金色の光で満たされ、巨大な門が、地響きと共に、ゆっくりと、内側へと開き始めたのだ。


ゴゴゴゴゴゴ……


数千年の間、固く閉ざされていた聖地の門が、今、開かれようとしている。門の隙間からは、筆舌に尽くしがたいほどの、純粋で、強大なエネルギーの光が溢れ出し、聖地全体を照らし出した。そこは、まさに神々の領域、あるいは宇宙の根源へと繋がる場所なのかもしれない。


「開いた…!」


ライラは、儀式を終え、消耗しながらも、歓喜の声を上げた。


だが、安堵する暇はなかった。門が開いたことで、敵の攻撃はさらに激しさを増した。彼らは、聖地の内部へとライラたちを行かせまいと、最後の猛攻を仕掛けてくる。カーヴェは奮戦しているが、既に限界に近い。レンの力も、長くは持たないだろう。


ライラは、開かれた門の向こうの光と、傷つきながら戦う仲間たちを交互に見た。一人で聖地の奥へ進み、その力を得るべきか? それとも、仲間を助けに戻るべきか? 一瞬の、しかし究極の選択が、彼女に迫られた。


(…一人じゃない…!)


ライラは、迷いを振り払った。


「カーヴェ! レン! 一緒に行くわよ!」


ライラは叫び、再び刻印の力を解放した。今度は、防御や妨害のためだけではない。彼女は、聖地の門から溢れ出す純粋なエネルギーの一部を、自身の刻印を通して引き寄せ、増幅させると、それを浄化の光の波として、周囲の敵へと放ったのだ。


黄金色の光が、戦場全体を包み込む。その光に触れたイスファンディヤール社の兵器は機能を停止し、末裔たちの邪悪なオーラは霧散した。敵は武器を落とし、戦意を喪失したかのように、その場に膝をついた。それは、破壊ではなく、調和をもたらす力。ライラがアジダハーカとの対話で得た、刻印の真の力の一端だった。


ライラは、その隙に、満身創痍のカーヴェと、力を使い果たしてぐったりとしているレンを抱え上げ、開かれた聖地の門の中へと飛び込んだ。


三人が門を通過した瞬間、背後で門が再びゆっくりと閉じ始める音が聞こえた。そして、門の内部に足を踏み入れた途端、彼らは言葉を失った。


そこは、物理的な法則が通用しないかのような、異次元空間だった。床も壁も天井もなく、ただ、無限に広がる宇宙空間のような暗闇の中に、無数の星々が輝き、銀河が渦巻いている。時間の流れすら曖昧で、過去の出来事の幻影や、未来の可能性を示すビジョンが、泡のように生まれては消えていく。そして、その空間の中心には、遺跡のエネルギーコアよりも遥かに巨大で、純粋で、そして強大な、黄金色の光の球体が、静かに、しかし圧倒的な存在感を放って輝いていた。あれこそが、アジダハーカの力の真の源泉、聖地の核心なのだろう。


ライラは、自身の刻印が、その力の源泉と深く共鳴し、まるで故郷に帰ってきたかのような、懐かしくも畏敬の念を抱かせる感覚に包まれた。


彼女が、その力の源泉へと、吸い寄せられるように近づいていった時。


黄金の光の中から、ゆっくりと、一つの巨大な姿が現れた。それは、東洋の竜とも、西洋のドラゴンとも違う、光そのもので編まれたかのような、神々しいまでの美しさを持つ、黄金色に輝くアジダハーカの幻影だった。その大きさは計り知れず、瞳は宇宙の深淵を湛え、計り知れない知性と慈愛を感じさせる。遺跡のコアで感じた荒々しいエネルギーとは全く違う、穏やかで、超越的な存在。


ライラは、その圧倒的な存在を前に、自然と膝をつきそうになった。カーヴェもレンも、声もなく、ただその光景を見守るしかなかった。


『…よくぞ参った、刻印持ちよ』


アジダハーカの幻影の声が、言葉ではなく、直接ライラの意識に響いた。それは、男の声でも女の声でもない、宇宙の響きそのもののような、深遠な声だった。


『永き時を経て、汝はついに、この聖地へとたどり着いた。汝が乗り越えてきた試練、その覚悟、そしてその選択、我は見届けていた』


アジダハーカの視線が、ライラを包み込む。それは、全てを見通すような、温かくも厳しい視線だった。


『最後の問いを投げかけよう、刻印持ちよ。汝はこの力――アジダハーカの力、世界の調和を左右する力を、何を願い、何のために使う?』


その問いは、シンプルだが、重い。ライラの存在意義そのものを問う、究極の試練だった。


ライラは、一瞬、言葉に詰まった。だが、彼女の心の中には、もう答えは定まっていた。これまでの旅で見てきたもの、感じてきたこと、そして仲間たちとの絆。それらが、彼女の答えを形作っていた。


ライラは、顔を上げ、アジダハーカの幻影を真っ直ぐに見据え、そして、自身の心の奥底からの言葉を紡いだ。


「私は…この力を、支配のためには使いません。誰かを傷つけるためにも使いません」


彼女の声は、震えていなかった。そこには、揺るぎない決意があった。


「私は、この力を、調和のために使います。争いを終わらせ、異なる存在――人間も、ジャードゥーを持つ者も、そして…キメラのような存在も――が、互いを理解し、受け入れ、共に生きていける未来を築くために。たとえそれが、困難な道だとしても。それが、私の願いであり、刻印持ちとしての、私の選択です」


ライラの言葉は、聖地の空間全体に響き渡った。その純粋で、力強い意志に、カーヴェもレンも、そしてアジダハーカの幻影も、静かに耳を傾けているようだった。


長い沈黙の後、アジダハーカの幻影が、ゆっくりと頷いたように見えた。


『…良き答えだ、刻印持ちよ。汝の選択、しかと受け止めた』


アジダハーカの声には、承認と、そしてどこか安堵のような響きがあった。


『ならば、汝に真の力を授けよう。それは、破壊の力ではなく、創造と調和の力。汝がその力を正しく使う限り、我もまた、汝と共に在ろう』


アジダハーカの幻影から、眩い黄金色の光が放たれ、ライラの全身を優しく包み込んだ。ライラの右手の甲の刻印が、これまでにないほどの輝きを放ち、その光は黒い紋様を完全に覆い尽くし、純粋な黄金色の輝きへと変容した。ライラは、自身の内なる力が、アジダハーカの力と完全に調和し、一つになるのを感じた。それは、もはや制御不能な奔流ではなく、穏やかで、温かく、そして無限の可能性を秘めた、清らかな泉のような力だった。彼女の「刻印」は、今、真の覚醒を遂げたのだ。


力の授与が終わると、アジダハーカの幻影は、満足げにライラを見つめ、そして、ゆっくりとその姿を光の中へと消していった。


同時に、ライラは、聖地の空間全体が、その役割を終えようとしているのを感じ取った。天翔る蛇(彗星)が天頂を過ぎ、星々の配置が変わり始めている。聖地の門が、ゆっくりと閉じ始めているのだ。


「カーヴェ! レン! 戻るわよ!」


ライラは、完全に覚醒した力の一部を使い、まだ聖域の外で戦闘を続けていた(あるいは侵入しようとしていた)敵の残党たちの動きを、一時的に完全に封じ込めた。そして、カーヴェとレンの手を取り、閉じゆく門へと急いだ。


三人は、門が完全に閉じる直前に、間一髪で聖地の外へと脱出した。振り返ると、聖地パリーダエーザは、まるで砂漠の蜃気楼のように、急速にその姿を曖昧にし、周囲の砂漠の風景の中へと溶け込んでいく。古代からの秘密を守ってきた場所は、その役割を終え、再び永い眠りにつこうとしているようだった。


朝日が、アムダリヤ砂漠の地平線から昇り始めていた。黄金色の光が、砂漠全体を、そして三人の姿を照らし出す。


ライラは、自身の右手の甲を見た。そこには、もはや黒い焼き印ではなく、皮膚そのものから発するように、美しい黄金色の刻印が輝いていた。そして、白銀に変わった髪も、朝日に照らされて、神秘的な輝きを放っている。彼女は、確かに変わったのだ。


カーヴェは、傷つきながらも、ライラの無事な帰還と、彼女が遂げた変容を、深い安堵と、そして新たな敬意のこもった目で見つめていた。レンもまた、ライラの傍らに寄り添い、彼女の放つ穏やかなオーラに、安心しきったような表情を浮かべている。


彼らの戦いは、一つの大きな結末を迎えた。アジダハーカのコアは安定し、聖地の力は守られた。イスファンディヤール社と末裔たちの目論見は、ひとまずは阻止された。


だが、物語はここで終わりではない。イスファンディヤール・コーポレーションという巨大な組織は、まだ存在している。プロジェクト・キメラの脅威も残っている。そして、ライラ自身が、この覚醒した力を、これからどう使い、どんな未来を選び取っていくのか。


ペルセポリス・ネオへ戻るべきか? それとも、ラフマーニ博士が示唆した、他の古代遺跡やアーティファクトを探す旅を続けるべきか? あるいは、レンの失われた過去を取り戻し、彼が人間として生きていく道を探すべきか?


ライラは、隣に立つカーヴェと、そして腕の中のレンを見た。彼らという、かけがえのない仲間がいる。一人ではない。


彼女は、昇り始めた太陽を、真っ直ぐに見据えた。その瞳には、もはや迷いはなかった。そこには、困難な未来を切り開いていく強い意志と、世界への、そして生命への深い慈愛に満ちた、希望の光が輝いていた。


「さあ、行きましょうか」


ライラは、穏やかに、しかし力強く言った。


黄金の刻印を持つ探偵の、本当の物語は、この砂漠の夜明けと共に、今、まさに始まろうとしていた。

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