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第十三話:廃棄プラントの慟哭

ペルセポリス・ネオの都市機能を支える光の部分が、上層や中層にあるとするならば、その光が生み出す膨大な廃棄物を処理し、都市の暗部を形成するのが、郊外に点在する巨大な廃棄物処理プラント群だった。中でも第七プラントは、最も古く、最も巨大で、そして最も危険な場所として知られていた。老朽化した設備、管理体制の不備、そして何よりも、どのような有害物質や違法な廃棄物が持ち込まれているか、もはや誰も正確には把握していないという噂。そこは、法の目も届きにくい、都市の吹き溜まりのような場所だった。


ライラ・ザハニとカーヴェ・アシュラフィは、今、その第七プラントの深部へと潜入していた。目的はただ一つ、イスファンディヤール社の非人道的な計画「プロジェクト・キメラ」によって生み出され、苦悩の内に逃走を続ける存在――「キメラ」――の保護だ。アルダシールからの情報によれば、キメラのエネルギー反応、そして彼を追跡する発信機の信号が、このプラントの深部で交錯しているという。だが同時に、イスファンディヤール社の特殊部隊と、アジ・ダハーカの末裔の残党もまた、この場所へ急速に接近しているとの警告もあった。


「…ひどい場所ね」


ライラは、顔をしかめながら呟いた。プラント内部は、まさに鉄屑の迷宮だった。錆びつき、油にまみれた巨大な機械群が所狭しと並び、迷路のように入り組んだ通路やキャットウォークが縦横に走っている。空気は、金属の焼ける匂い、腐敗した有機物の悪臭、そして正体不明の化学物質の刺激臭が混じり合い、呼吸するだけで気分が悪くなりそうだ。時折、どこかで金属が軋む音や、蒸気が勢いよく噴出する音が響き渡り、この巨大な施設全体が、まるで断末魔の悲鳴を上げているかのようにも聞こえた。


カーヴェは、ライラを庇うように先行し、手にしたセンサーで周囲の状況を慎重に確認しながら進んでいく。


「複数の熱源反応を確認。おそらくイスファンディヤール社の兵士だ。プラントの主要なアクセスポイントは、既に封鎖されている可能性が高い。奴らは、キメラをこのプラント内に閉じ込め、確実に回収するつもりだろう」


「末裔たちの気配は?」


「…まだ明確ではない。だが、奴らは通常のセンサーでは捉えにくい。油断はできない」


二人は、アルダシールが示した、比較的監視が手薄と思われるメンテナンス用の通路を選び、プラントの深部へと向かった。アルダシールは、遠隔からプラントの旧式な監視システムにハッキングを試み、可能な限り敵の位置情報を送ってきてくれているが、情報には限りがある。


深部へ進むにつれて、プラント内の異変は、より顕著になっていった。照明が不規則に明滅し、通路の案内表示が文字化けを起こす。計器類の針が狂ったように振り切れ、制御を失った小型の清掃ドローンが壁に激突して火花を散らしている。そして何より、空気中に満ちるエネルギーの質が、明らかに異常だった。それは、ライラの「刻印」に直接響いてくるような、不安定で、苦痛に満ちたエネルギーの波動。


「キメラが近いわ…」ライラは、眉をひそめて言った。「そして、かなり混乱しているみたい。力が…暴走している」


ライラの言葉を裏付けるかのように、突然、前方の通路の天井から、老朽化した巨大なパイプが、不気味な軋み音と共に落下してきた。カーヴェが瞬時にライラを突き飛ばし、二人は間一髪でそれを回避する。パイプは床に激突し、破裂して、内部から緑色の粘着質な液体を撒き散らした。強烈な腐食性のガスが発生し、二人は咳き込みながら後退した。


「…無差別な能力の暴走だ。これでは、プラント全体がいつ崩壊してもおかしくない」カーヴェが、マスクを装着しながら忌々しげに呟いた。


「急がないと…!」


キメラ自身の危険もさることながら、このままではプラント全体が大事故を引き起こし、周囲にも甚大な被害が及ぶ可能性がある。二人は、危険を承知で、さらに奥へと進んだ。


そして、ついに、プラント内で最も広大な空間――巨大な廃棄物の圧縮処理区画――へとたどり着いた。そこは、天井がドーム状に高く、床には圧縮された金属塊や、正体不明の廃棄物の山が、小高い丘のようにいくつも連なっている。巨大なプレス機やクレーンアームが、今は沈黙して、墓標のように聳え立っていた。


その広大な空間で、ライラたちが予想した通り、三つの勢力が対峙していた。


一方には、黒い強化戦闘服に身を包んだイスファンディヤール社の特殊部隊。数は十数名ほどだが、中には大型の戦闘用サイボーグも含まれており、その火力と防御力は侮れない。彼らは既に陣形を組み、冷静に周囲を警戒している。指揮官は、あの冷徹なサイボーグ幹部だった。


もう一方には、アジ・ダハーカの末裔の残党と思われる集団。数は少ないが、一人一人が強力なジャードゥーを操る気配を放っている。彼らは、イスファンディヤール社への憎悪と、キメラに対する複雑な感情(利用価値か、あるいは異端としての排除か)を露わにしている。彼らの中心には、リーダー格と思われる、禍々しいオーラを纏った人物がいたが、以前のリーダーとは違う、新たな顔ぶれのようだ。


そして、その両者から距離を取り、廃棄物の山の影に隠れるようにして、ライラとカーヴェが追ってきた存在――キメラがいた。その姿は、以前見た時よりもさらに不安定に見え、時折、身体の一部が別の生物のそれに変異したり、周囲の空間を歪ませたりしている。彼は、両組織から追われる恐怖と、自身の制御不能な力への絶望から、完全にパニックに陥っているようだった。


「…見つけたぞ、キメラ!」イスファンディヤール社の指揮官が、拡声器を通して冷たく宣告した。「大人しく投降しろ。抵抗は無意味だ」


「異形の存在め!」末裔のリーダー格が叫んだ。「貴様のような歪んだ力は、この世にあってはならん! 我らが粛清してくれる!」


両組織が、キメラに向けて同時に攻撃を開始しようとした、その瞬間。


「待ちなさい!」


ライラが、二人の間に割って入るように、声を張り上げた。カーヴェは、ライラを援護するように、臨戦態勢をとる。


「貴様らか、刻印持ちの娘と、守人の裏切り者め!」末裔のリーダー格が、憎悪の目をライラに向ける。


「ターゲット、ライラ・ザハニも確認。両名とも確保、あるいは排除せよ」サイボーグ指揮官は、冷静に部下に指示を出した。


状況は最悪だ。三つ巴の戦闘が避けられない。


「カーヴェ、キメラを頼む!」


ライラは叫び、自身の「刻印」の力を解放した。黄金色のオーラが、再び彼女の全身を包む。


「させるか!」


イスファンディヤール社の兵士たちが、ライラに向けて一斉に射撃を開始する。末裔たちも、強力なジャードゥーを放つ。


ライラは、両手を前にかざし、光のシールドを展開した。エネルギー弾や炎の渦がシールドに当たり、激しく火花を散らすが、ライラは歯を食いしばって耐える。同時に、彼女は遺跡で掴んだ感覚を頼りに、周囲のエネルギーの流れに干渉し始めた。プラント内の機械を誤作動させ、敵の足場を不安定にし、ジャミングフィールドのようなものを発生させて、敵のセンサーや通信を妨害する。


その隙に、カーヴェは動いた。彼は、守人としての驚異的な身体能力を発揮し、敵陣へと切り込んでいく。彼の目的は、敵を殲滅することではない。ライラがキメラと接触するための時間を稼ぎ、敵の注意を引きつけることだ。彼は、プラント内の複雑な地形と、ライラが作り出した混乱を利用し、敵を翻弄する。ブレードが閃き、サイボーグの装甲を切り裂き、末裔のジャードゥー使いの隙を突く。彼の動きは、まるで死を恐れぬ疾風のようだった。


ライラは、カーヴェが稼いでくれた時間を使って、ゆっくりとキメラへと近づいていった。キメラは、戦闘の喧騒と、ライラから放たれる強大なエネルギーに怯え、廃棄物の影で小さく蹲っている。その姿は、怪物というよりも、迷子になった子供のように見えた。


「大丈夫よ…」ライラは、武器を捨て、両手を広げて見せた。「もう怖くない。私は、あなたを傷つけたりしない」


彼女は、刻印の力を抑制し、穏やかで、温かい、共感の波動だけを、そっとキメラに向けて放った。


キメラは、最初はビクビクと怯え、威嚇するように周囲の空間を歪ませていたが、ライラの波動に触れるうちに、少しずつその抵抗を弱めていった。ライラの波動は、彼がこれまで感じてきた、イスファンディヤール社の冷たい支配欲や、末裔たちの憎悪とは全く違う、純粋な理解と受容の響きを持っていたからだ。


『…だ…れ…?』


キメラの頭の中から、か細い、複数の声が混じり合ったような思念が、ライラの意識に流れ込んできた。


「私はライラ。あなたを助けに来たの」ライラは、心の中で答えた。「あなたは、一人じゃない」


ライラは、さらに一歩近づき、キメラの前に膝をついた。そして、彼が落としたのであろう、あの破れた家族写真を取り出し、そっと彼に見せた。


「…あなたの家族ね? あなたには、帰る場所があったはずよ。思い出せる?」


写真を見た瞬間、キメラの身体が激しく震えた。彼の頭の中に、断片的な記憶が嵐のように蘇る。優しい母親の笑顔。公園で遊んだ日の暖かな日差し。そして…研究に没頭し、どこか遠い存在だった父親の姿。


『…かあ…さん…』キメラの歪んだ口元から、掠れた声が漏れた。『…ちち…うえは…?』


父親の記憶は、曖昧で、そして強い拒絶感と結びついているようだった。写真の破られた部分が、彼の心の傷を象徴しているかのようだ。


『ワタシは…作られた…失敗作…だから…父は…ワタシを…』


彼の思念は、途切れ途切れで、混乱していた。だが、ライラには、彼の深い悲しみと、父親に対する愛憎入り混じった複雑な感情が、痛いほど伝わってきた。


「あなたは失敗作なんかじゃないわ」ライラは、強い口調で言った。「あなたは、生きてる。心がある。それだけで、価値があるのよ。誰にも、あなたを利用する権利なんてない」


ライラは、そっと手を伸ばし、キメラの震える肩に触れようとした。


その瞬間だった。


「…ようやく見つけたぞ、私の『最高傑作』」


冷たい、しかしどこか歪んだ愛情を感じさせる声が、背後から響いた。ライラが振り返ると、そこには、いつの間にか、ドクター・アルヴァンと名乗った男が、数名の黒ずくめの部下と共に立っていた。彼らは、イスファンディヤール社とも末裔とも違う、高度なステルス技術を使っていたのだろう。これまで全く気配を感じさせなかった。


アルヴァンは、キメラを見て、満足そうに微笑んだ。


「さあ、一緒に来るんだ、息子よ(あるいは娘よ)。私が、お前を苦しみから解放してやろう。そして、我々をこんな目に遭わせた、愚かなイスファンディヤール社に、共に復讐を果たそうではないか」


彼の言葉と、その瞳の奥に宿る狂気に、ライラは確信した。この男こそが、キメラの父親、ザイド博士本人なのだ、と。そして、彼の目的は、キメラの保護などではなく、その力を利用した復讐なのだ、と。


キメラは、父親(と思われる人物)の登場に、激しく動揺した。記憶の中の父親のイメージと、目の前の男の歪んだ愛情が、彼の心をさらに混乱させる。


『ちち…うえ…? ちがう…あなたは…ワタシを…!』


アルヴァン(ザイド博士)は、キメラの拒絶に顔を歪めた。


「まだ理解できんのか、愚かな子め! 私がお前を創り直してやったのだぞ! 不完全な肉体を捨て、永遠の力を持つ存在へと! 私に感謝こそすれ、拒絶するとは!」


彼は、部下に合図を送り、キメラを捕獲しようとした。


「やめなさい!」


ライラは、キメラを庇うように立ち塞がった。


その時、キメラの中で、何かが決壊した。父親への失望、作られた存在としての絶望、そして、初めて向けられたライラの無条件の優しさ。それらが混ざり合い、彼の内に残された最後の力が、ライラを守るという、ただ一つの純粋な意志へと収束した。


『ウオオオオオオッ!!』


キメラは、獣のような雄叫びを上げた。彼の身体から、これまでとは比較にならないほどの、強烈なエネルギーの衝撃波が放たれた。それは、アルヴァンの部隊だけでなく、近くにいたイスファンディヤール社の兵士や末裔たちをも巻き込み、吹き飛ばした。


「なっ…!?」アルヴァンは驚愕の表情を浮かべた。


衝撃波は、ライラには向けられなかった。キメラは、最後の力を振り絞り、ライラを守ろうとしたのだ。だが、その代償は大きく、キメラ自身もエネルギーを使い果たし、その場にぐったりと倒れ込んだ。


「キメラ!」ライラは駆け寄った。


その瞬間、プラント全体が、これまでで最も大きく揺れた。天井から巨大な金属塊が落下し、床には深い亀裂が走り、そこから有毒なガスが噴き出し始める。キメラの最後の暴走が、プラントの崩壊を最終段階へと加速させたのだ。


「まずい! ここももう終わりだ!」カーヴェが、アルヴァンの部隊を退けながら叫んだ。「脱出するぞ!」


アルヴァンは、倒れたキメラを見て、忌々しげに舌打ちしたが、自身の身の危険を察知し、部下と共に撤退を開始した。イスファンディヤール社と末裔の残党たちも、混乱の中で、それぞれ脱出口を探し始めている。


もはや、戦闘どころではない。この崩壊する鉄屑の迷宮から、生きて脱出することが最優先だ。


ライラは、意識を失いかけているキメラを抱きかかえた。その身体は、人間とも機械ともつかない、冷たくも、どこか温かい感触があった。


「カーヴェ、お願い!」


「分かっている!」


カーヴェは、ライラとキメラを背負うようにして、アルダシールが示唆した緊急避難シャフトへと向かうルートを探し始めた。だが、崩落は激しく、行く手は次々と塞がれていく。有毒ガスが充満し、視界も悪い。


(このままでは…!)


ライラは焦りを感じた。その時、腕の中で、キメラが微かに目を開けた。そして、最後の力を振り絞るように、前方の分厚い金属製の壁を指差した。


『…あっち…チカミチ…』


彼の思念が、ライラの頭の中に流れ込む。そこには、通常の人間では到底通れないような、狭いダクトスペースが隠されているらしい。


「カーヴェ、あそこよ!」


ライラはキメラの言葉を信じ、カーヴェを導いた。カーヴェは、ブレードでダクトの入り口をこじ開け、三人は狭い空間へと滑り込んだ。背後で、通路が完全に崩落する轟音が響いた。


ダクトの中は、真っ暗で、狭く、息が詰まりそうだった。だが、確かに地上へと続いているようだった。キメラは、ライラの腕の中で、完全に意識を失っていたが、その寝顔は、ほんの少しだけ、安らかに見えた。


どれくらいの時間、暗闇の中を進んだだろうか。やがて、前方に微かな光が見えてきた。そして、新鮮な外気が流れ込んでくるのを感じた。


三人は、ボロボロになりながらも、ついに崩壊する第七廃棄物処理プラントから、地上へと脱出した。そこは、プラントの裏手にある、忘れられたような空き地だった。空は、夜明け前の、深い藍色に染まっている。


ライラは、意識のないキメラをそっと地面に横たえた。彼の容態は安定しているようだが、予断は許さない。カーヴェもまた、深い傷を負いながらも、周囲を警戒している。


(助け出せた…でも…)


ライラは、キメラの寝顔を見つめながら、これからどうすべきかを考えた。彼をどこへ連れて行く? どうすれば、彼の心と身体を癒やすことができる? イスファンディヤール社や、アルヴァン(ザイド博士)の追跡は、必ず続くだろう。


そして、ラフマーニ博士が示唆した「失われた聖地」。そこへ行けば、ライラ自身の力の制御法だけでなく、キメラを救うための手がかりも見つかるかもしれない。


ライラは、カーヴェと視線を交わした。彼の瞳にも、同じ考えが浮かんでいるようだった。


「…行くしかないようね」ライラは、静かに言った。


「ああ」カーヴェも頷いた。「新たな旅立ちだ。三人でのな」


ライラは、キメラの冷たい手に、そっと自身の温かい手を重ねた。手の甲の黒い刻印が、まるでキメラの苦しみに応えるかのように、微かに疼いた気がした。


夜明け前の薄闇の中、三つの影が、ペルセポリス・ネオの喧騒を背に、新たな目的地へと向かう決意を固めていた。彼らの前途には、依然として多くの困難と謎が待ち受けている。だが、その瞳には、絶望ではなく、未来への、そして互いへの、確かな信頼の光が宿っていた。

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