犬を被った猫の完璧なグダグダ修学旅行プラン
修学旅行1日目 10月10日
北海道・新千歳空港→伊丹空港→清水寺
私は自身の祖母に連れられ、空港に到着した。私なりにオシャレをしてきたが、ウケが良いかは気にしなかった。
全生徒が合流後、飛行機へと向かった。人生初めての飛行機である。普段感情を抑えている私であっても、自身のワクワクを抑えられはしなかった。
遂に飛行機に乗った私は、なんと運のいいことにA席であった。窓側の席、外の景色がよく見えた。離陸後、正直叫んだ。とても怖かった、だがそれと同時にそれを上回る感情が私を包んだ。空、空、空…私の眼前を覆い尽くす雲と空である。そんな雲と雲の先、丸みを帯びた世界の切れ目に私はただ感動する他なかった。
顔を下に向ければ羊雲に積乱雲、もしかしたら「くじらぐも」もあるかもしれないと思いながら私は空の旅と今後のことへの期待を胸に心の底から楽しんだ。
新千歳〜伊丹までの旅を楽しみ、飛行機から降りた私は、内地の気候を恨んでいた。
10月ともなれば気温も落ち着き涼しい気温であるはずだ、と考えていた私の思考はその気温とともに粉々と砕けていった。どうやらこの気候でも内地の方々は涼しく感じているらしい。
空港から出て、観光バスに乗った私は道中に見えた太陽の塔、淀川などの話をバスガイドさんから聞きながら清水寺へと向かう。
純どさんこの私にとって横向きの信号機に歩道と車道との境目が曖昧なうえ矢羽根のない道という光景を異様に思い、自分の知らない世界がそこには流れているのだと感じた。
清水寺に到着、寺に向かう道中数えきれない人とすれ違いながら、土産物はどこで買おうかとあたりを見ながら清水の舞台へとたどり着いた。自由時間となり、私は早足で子安の塔へ向かった。清水寺と逆位置にある塔である。
そこから見た清水寺は、まるで物語の中にいるのではないかと思わせる確かな存在感と美しさを放つ荘厳なお寺であった。
その後、更に上を目指し清水山を登山していた。疲れを忘れ駆け上っていた。そこから見える景色はさぞ美しいと思ったが、頂上までは間に合わず私は渋々下山した。
観光バスに乗りホテルへと到着、少々のどやかなる時間が訪れてほしかったが私のクラスだと当然無理である。
私の部屋で麻雀が催されていたからである。紙麻雀が駄目だからと本体を持ってくるんじゃあないよ。
夜もふけ深夜、一度は眠りに落ちた私は薄明かりの中目を覚ましていた。初めての連続による興奮か、クラスメートと一緒にいることによる緊張か、真相は定かではないが明日への期待を胸に私はもう一度眠りについた。
2日目 10月11日
薬師寺→奈良公園→東大寺→嵐山
身支度を済ませ8:30、私達はバスに乗り薬師寺まで向かった。道中任天堂の本社などを横切りながら薬師寺に住まう仏様である東方浄瑠璃浄土薬師寺瑠璃光如来の名前を覚えようと繰り返し呟いていた。
薬師寺の講話室へ行くと人生の内0.0000117%の間だけ話を聞くことになる(自称)SSRお坊さんに出会った。一期一会の出会いではあるが、名前は忘れてしまった。
顔を上げれば面倒→面白い。確かに一理ある面白い講話を聞き終え私達は本堂の方へと向かった。薬師寺の観光を終え、私達は奈良公園へと向かった。
奈良公園に近づくにつれて、目の前のシカの数が増えていった。ついた頃には至る所にシカづくし、懐かしの牧場の臭いも漂った。
しかし、バスから降りた先で見た光景は試される大地北海道で育った私にとっては驚きの光景だった。
小さい、あまりにも奈良のシカが小さかったのである。エゾシカの半分にも満たないかもしれないその小さな体躯とそれに反したふてぶてしさが私達を出迎えていた。
鹿せんべいでの餌付け中、仕方ないことではあるが靴裏にはシカの糞がくっついていた。運がつくと縁起のいいものであるらしいが、全身に浴びればただの不運であろう。
その後私達は東大寺南大門へと向かった。南大門内の金剛力士像は見上げるほど高く、目の高さであれば足元しか見えなかった。
南大門を過ぎ大仏殿へと向かうそのとき、大仏殿手前の広場では祭りの後のような状態となっていた。どうやら先日、とある有名な方のライブがあったらしい。
大仏殿に進入し、まず最初に気になったことは盧遮那仏像…ではなく恐ろしく急な角度の階段であった。正直仏様より気になった。むしろ梯子と言うべき角度だった。
気を取り直して仏様、その威容を見た私は少なくない圧力を感じていた。少し回って後ろ側。そこには仏様に仕える四天王像が立ち並んでいた、2名程生首であったが。
大仏殿を抜け昼食を食べるための店へ向かう道中、昔話もかくやといった雰囲気の建物を見つけた。
森の中の空気感、周りに立ち並ぶ無数の灯籠もあってその立ち姿に境界へと迷い込んだ気分になった。
食事も終わり帰り道、ふと目に止まった1匹のシカは私を元の世界へと連れ帰るように短く、それでいてしっかりとしたお辞儀を行いその姿を見失うまで静かに見つめていた。
2日目も終わりに近づき嵐山。京都でできる最後のお土産選びを行っていた最中、買い物の値段であろうか、1つのメダルを渡され、私は店に設置されたガチャポンをガチャった。ポンッと出てきた景品はまさかの1等、美味しい八ツ橋詰め合わせを頂いた。最後に最高の土産物と話を手に入れ後輩への土産を探して歩いた。
その後は、京都の気候を舐めてかかり桃味のソフローズンを買っては腹を壊し、また誕生石のアクアマリンとターコイズを買い込んだ。
バスに戻ってホテルへとたどり着き、食事を終えた私達は吉本芸人の方々による出張ライブを楽しんでいた。ライブに来た2組の芸人は確かな笑いを起こし、その実力を遺憾なく発揮していた。
それにしても、特徴的な名前や持ちネタがあることによる覚えられやすさは、芸人に限らず数多くの分野において大事な要素なのであろう。検索をかける際にも役に立つ。
ライブも終わり、のち就寝、私は明日へのワクワクを抑えられずにいながらも、今日は昨日と違い、深い深い眠りについた。
3日目 10月12日
京都競馬場→万博記念公園→大阪競馬場→天神橋筋商店街→千日前商店街
今日はいよいよ自主研修、ホテルにて最後の食事を食べ、私達はそれぞれの土産を作りに歩きだしていた。ある人はUSJへ、ある人は映画村へ、そしてある人は…京都競馬場に向かっていた。
季節:秋、月日:10/12、近日起こる一大イベントといえば?そう、秋華賞である。
近くの建物にも沢山のポスターが貼られ今か今かと待ち望む空気感の中私は、立ち尽くしていた。
当たり前のことだが、競馬場に入れるのはレースが開催される休日だけである。にも関わらずターフィーショップで買い物をしようとしていた阿呆が一人、ゲートの開門を今か今かと待っていた。
当然開くはずもなく渋々の帰り道、柵の外であっても私はそうするべきと考え、ライスシャワー号のお墓へ向かい一礼した。
気を取り直して研修先2つ目、万博記念公園へと向かった。1日目の動きと逆方向へと進み、人生初めてのモノレールへと乗車した。
揺れはなく、その静かな歩みが妙な眠気へと導いてから程なくして、万博記念公園へと到着した。
ところで貴方は太陽の塔を知っているだろうか?1970年完成の岡本太郎がデザインした建造物で、未来の黄金の顔・現在の太陽の顔・過去の黒い太陽という3つの顔を持っており、それぞれの顔に意味を持っている。
ですが、そんな太陽の塔は実は第四の顔を持っており、その顔は地下にある「地底の太陽」という作品だ。が、現在の地底の太陽は復元されたものであり、元々の姿の行方は未だわかっていません。
復元された地底の太陽に「生命の樹」という地球の生命の進化を表現した作品を見ながら塔を登り、下りは太陽の塔の開発資料と作者の格言が書かれた壁面を眺めた。
太陽の塔から退出し、日本庭園へと歩みを進めた私には庭園を楽しむためのある秘策があった。
それは事前にこの時期に咲く花を網羅し、同行者の方に庭園に咲く花を完璧にガイドして見せるという内容だった。幸い、この時期に庭園で咲く花を紹介しているサイトがあったため調べることは簡単だった。そして結局、何種類の花を見たかって?
0種類ですね。季節の変わり目、咲いてる花など有るわけもなかったのでした。ただし道民の方々には理解できるかもしれませんが、竹林とその中に佇む獅子威し、そして綺麗な枯山水をお目にすることが叶いました。
時間が過ぎてお昼ごろ、私は同行してくれている先生と共に、現地の食事を楽しんでいた。私は元祖たこ焼きという元より味付けされている昔ながらのたこ焼きを食べ、ついでにバナナパフェも食べた。美味い。
万博記念公園を過ぎ、次に向かうは阪神競馬場。モノレールから乗り換え「阪急電車」、私の好きな小説の舞台でもあったため、登場人物の見ていた景色が今ここにあるという興奮を抑え気味にし、いざ乗車!座席の色は緑であり向きは壁付き、壁の模様は木目で次駅までの距離は…あれ、一駅短くないか?
そう、一駅が1分程しかないのである。作中も1話5分程度で読める内容だが、それにしてもあまりに短い。余韻に浸る余地もない。
作中登場した、淀川も、駅に出来たツバメの巣も、思い出す頃には過ぎていった。そしてたどり着くのは仁川駅、この時点で察している人もいるかも知れませんが、阪神競馬場、当然開いてません。
開いてはいないがそれでもレース場を見たい。幸いなことに平日であっても競馬場の公園の方は開いている。
公園にある噴水のセントライトの像を眺め、遂に私の瞳は阪神の芝を、ゴール板を映した。
春古馬三冠の最初と最後を飾る、大阪杯と宝塚記念、その会場に私は立っているという喜びと、未だ到達者のいない春古馬三冠というものの重圧を感じ、初給料はかしわ記念に使いたいなと考えながら阪急電車の残りの駅を楽しみたかったが、どうにもこれまでの疲れが一気に襲ったのか私は眠気に溺れ、同行者の方に起こされた西宮北口駅まで目を閉じていた。
西宮北口駅から大阪梅田駅に乗り換える際にふと駅に貼られたポスターが目に入った。
「部落差別をなくそう!」…、そういう言葉は知っていたし、そういう物があることも知っていた。だが実際に、そう言う風にポスターが貼られているという光景に、私は自分の知る日本とは違うところにいるのだという気分になった。
大阪梅田駅を出て、到着するのは天神橋筋商店街。喧騒と道と道があやふやなチープでフレンドリーな懐かしさを感じる町並みに心を小躍りさせながら右見りゃ本屋、左見りゃ文字T売り場の道を行き、晩御飯に豚まんを買って昔見たような景色を眺めながらグリコサインを目指した。
グリコサインに着いたら、そこにあった景色はこれぞ大阪という姿だった。大きなカニの看板に沢山のポスター、大きな液晶にダンボールの上に置かれたハンドメイド作品達。満員の地下鉄内もかくやという人混みに、少し目を離せばすぐに迷子になってしまいそうであった。
グリコサインの近くでも沢山の人がグリコポーズを取りながら記念写真を取っており、私もグリコポーズをして記念写真を撮った。
歩き回っている道中、トルコアイスのお店に立ち寄った。トルコアイスがどういうものかは理解していたが、実際にアイスを取ろうとしてみると意外にも取ることが出来ずに五回ぐらい焦らされた。味に関してはあまり他のアイスとは変わらず、パフォーマンスを楽しむものであると思った。(個人の感想です)
それはそれとして、私は1つ思うことがあった。USJ組が羨ましい。時間がなかったし見たいものが他にあったのだから仕方がないが、羨ましいものは羨ましい。羨ましかったので自分も見に行くことに決めた。
千日前商店街の、スパイダーマ〇。スパイダーマ〇も見たのでお土産を買いになんばグランド花月へ向かい、そのままホテルのある南海なんば駅へ向かった。
ホテルに到着、歩数計を確認すれば歩数は3万歩以上であり、自主研修時間の半分近くを歩いて過ごしていたことを物語っており、疲れを癒やすためにも私は一足先に客室へと向かった。
室内は土足であり多少困惑しながらもこれも経験と考えた。一息し、一日の疲れを洗い流すべくお風呂場へと向かうと、お風呂場は逆2点ユニットバスと説明するべきかもしれないトイレとお風呂が一緒になった構造であり、お風呂はカーテンで仕切られていた。正直使い方が全く分からなかったため手探りで操作を確認しながら昔映画で見た動きを真似てシャワーを浴びた。
その後も備え付けのコーヒーメーカーを使おうとしたら水が入ってなかったり、パックでお茶を飲もうとしたら穴を開けてしまって粉だらけにしてしまったり、備え付けの歯ブラシを使おうとしたら唇を切ったりと5つ星ホテルの洗礼を受けながら針を進めた。勿論ゲームをする時間も相手もいませんでした。健康最高!
4日目 10月13日
大阪城→伊丹空港→新千歳空港→我が家
見学旅行最終日、相変わらずの暑さにもいい加減慣れてきた朝の外の景色は佳景であった。謎の地球のオブジェに季節外れのイルミネーションのような飾りを脇目にホテルを後にして、私達は最後に大阪城天守閣へと向かった。
外堀を進み大手門、様々な逸話を聞きながら天守閣へとたどり着いた。天守閣の内部は歴史資料館となっており、豊臣秀吉と大阪城に関する様々な資料が展示されていた。丈木という刀剣や豊臣家の繁栄と衰退までの歴史、そして屋上には周囲を一望できる展望台があった。当然昔と違ってはいるが、自分が今豊臣家の人々が見ていた景色をこの目で見られたことに笑みがこぼれた。
大阪城から出て最後の昼餐、選ばれたのはバイキングでした。とはいえバイキングは嫌いじゃない、なにせ自分の食べたい様々な料理を自分の無理しない範囲で好きなように選んで食べることが出来るのだから。
とりあえずキャベツの千切りを食べられるだけ取った。自分の食事が済んだ頃、隣の人がフルーツポンチを残していたが、こういったことを考え腹は取っておいていた。代わりにポンチを食べ終わった頃、別隣の人があえて更に追加で持ってきた。
当然私は食べられるわけもないし、取ってきた本人ですら食べられそうになかった。なんのためのバイキングかと心底思い、このときだけでもいいからフルーツポンチを残した生物の胃の中に残した分だけのフルーツポンチを転移できる能力が欲しいと切実に感じていた。食べ物を粗末にするのは駄目絶対。
昼餐も終わり、いよいよ空港に着いた。飛行機も2度目ともなるとなかなか慣れてきており、飛ぶ際に叫ぶことはなかった。
外の景色を眺めたかったが、選ばれたのは内側の席であった。仕方がないので前の椅子の裏に付けられた液晶で見たかった映画を見ることにした。
流石に旅行終わりということもあり機内は静寂に包まれていた。私も疲れから居眠りし、気付けば新千歳、試される大地北海道へと帰ってきていた。
内地から帰ってきた私は北海道の気候を恨んでいた。内地から戻ってきたからとはいえ、ここまでの温度差があるということをすっかり忘れており、後日体調が悪くなることは火を見るよりも明らかであった。
いっそのこと火があればこの寒さも多少はましになったのかもしれないが、そんな冗談を言えるほど頭も回らせることが出来なかった。
帰りの会も終え皆それぞれの帰路に着き、私も空港から出てバスに乗り込んだ。未だ心に余韻を残しながらバスに揺られ、今までの思い出を見返しぼやけた写真を削除しながら気付けば最寄りの駅へとたどり着いた。
バスを降り駅から出て帰り道、なんの土産を話そうかと考えながらキャリーバッグのガラガラ音を鳴らしながら、晴天の空、私は輝く月に見守られながら、最愛の家族のもとへたどり着いた。