そして希む。
「何故このような、……とでも言いたげだなジルベール・バトラー」
「!いえ、そのようなことは」
正式な勅命と手続き後、彼の部屋へと私は呼ばれた。
未だ目の前のこれが現実であるのだという、実感が湧かない。試験の全貌は語られたが、上着だけ王族の仕立てを身に付けた王子の背に続きながらも疑問は尽きなかった。
もともと、宰相の選出で秘密裏に主となる王配や前宰相が紛れ込むこと事態はよくある手法だったらしい。しかし、今回年齢規定の関係で今まで候補となるような上層部は弾かれ、審査側に回った。内情を知る彼らが、己が推薦する候補者にその事実を仄めかすことは容易に考えられることだった。
特に今回はまだ城内で信頼も勝ち得ていない、経験も浅い、国外の王子。
試験中に候補者達が口を滑らせ、アルバート王子に対し不平不満を聞かれる恐れは大いにある。それを本人に聞かれれば不合格どころか、それ以上の処分を受け、推薦者本人にも害が響く可能性もある。口止めの必要もあったのだろう。試験に王族が紛れ込む為、発言には気を付けろと。そう語られていたのであれば、あの場で誰もが口を閉ざし知った仲同士までも言葉を交わさなかったことも納得できる。
「本来ならば私も候補者の一人として潜り込む予定だったのだが。……こちらの方が都合も良かった」
ニコラス宰相には茶番に付き合わせてしまったと。
そう続ける彼の言葉に、どうやら少なくともニコラス宰相は彼の理解者だったらしいと推察する。それなりに賢しいつもりだったが、まんまと私も含め全員が彼らの手の内だったらしい。
私の推薦者についても、特定の推薦者を持たなかった彼が唯一秘密裏の試験協力者だったらしい。アルバート王子、ジュードと呼ばれる架空の青年を推薦するという役割だった。そして、……その〝ジュード〟という黄金の木を隠すための雑木として私は推薦状を与えられ送り込まれた。
〝ジュード〟と年も近い若さで、身分も低い従者でありながら特殊能力を持っている。あくまで周囲の候補者の鍍金下を晒す為の圧倒的弱者の設定が、綺麗に私にも重なった。まさに格好の隠れ蓑だったのだろう。……まさかその隠れ蓑が最終選抜まで残るとは思わずに。
そう知れば彼の慌てようも突然の手のひらの返しも頷けた。
彼も、隠れ蓑だっただけの私が宰相に決まりかけさえしなければ偽証も目を瞑ってくれるつもりだったのかもしれない。私を送り込む前に異国の間者や裏稼業ではないことを確かめるべく身辺調査こそしたが、下級層出身と知っても今の主人にも黙し続けてくれていたのだから。
単なる雑木の一つならば許せたが、己が推薦した以上宰相に決まってからではもう引き返せなくなる。あの場で白状し女王に断わりをいれるしかなかったのだろうと考えれば、恨みかけていた彼に今は同情に近い申し訳なさも少し残った。
そしてその私の粗という名の上げ足を手に、己が推薦する候補者を宰相へ伸し上げたい上層部に見事取られ掲げ騒がれた。
あそこで偽証と下級層を前に出し、可能であれば次点候補者へと枠を返したかったのだろう。その中に自分の推薦者がいると信じて。
宰相の立場はそれだけ大きい。ただでさえ、国外の人間が王配になるという事実に通例通り城内では反対者もいた。その中で、好ましくない王配に代わり良くも悪くも〝信頼できる宰相〟を立たせたいと考える者は少なくなかったに違いない。
ヴェスト摂政によれば、最初の面接を担った上層部達は候補者を推薦しなかった純粋な中立人物。そして候補者を推薦した上層部は全員最終面接のみに分け、あの場で女王との対談後に有無だけの確認だった筈だが、……最終決定されたのが私だった所為で色々と予定外に狂ったらしい。アルバート王子が女王との対談前に別室で候補者達の腹を探っていたことも彼ら上層部は誰も知らされていなかった。
「下級層出身で立場も低く権力も持たず、更には〝次期王配〟へと無礼を働き不合格も決まった厩番の若者に誰も取り繕う必要はないからな。……目を見れば炙り出せる程度には粗も見せる」
わかりやすい衛兵との論争に、待合室で取り外されたフード、そして〝失格者〟として待たされたと錯覚させる窓のない部屋。彼の正体に気付く者などいるわけがない。その者の本性を炙り出すにもこれ以上の環境はなかっただろう。
ただでさえ緊張状態の中、王族の不況を買ったとみなされる無礼者に、既に立場を得ている上層部補佐等は特に精神的にも張り詰めていた筈だ。常に取り繕っていたところで、二人きりの部屋で仮に厩番の青年一人を殺しても「襲ってきたから抵抗した」と言えば許されるような状況に気も緩む。
中には彼への悪口を語りほくそ笑み、目で同調するか否定をせず表情に出したかもしくは本音を漏らした者もいたかもしれない。
改めてあの場で感情に流されず彼の腕を捻り上げなくて良かったと、今更になって心臓が酷く転がり出した。ある意味、他の候補者と違い立場の低い従者であったことが幸いしたともいえるだろうか。
「思い上がるなよ。断言しておくが、他の候補者も最終試験に残った殆どが腹の底はともかく紳士的な対応ではあった。お前が特別だったわけではない」
そう言って初めて本物の彼に眉間の皺を寄せて睨まれた。
待合室でフードを外した際に転倒したのは、老いの身体で足がもつれた事故だったらしいが、転んだことよりもアルバート王子に似せるべく眉間を寄せる方が疲れたとニコラス宰相が話していた。
ただでさえ自分も含め二人もの人数を一度に姿を変えさせたことは相当の負担だったらしい。最盛期は三人まで可能だったらしいが今は二人が限度だ。アルバート王子と会ったことがある人物も候補者に含まれていた為、声を隠すだけでなく表情も務めたらしいが、こうやって見ると睨んでいると見える彼本人は意図的にはそこまで睨んでもいないのかもしれない。睨んだ時の鋭さを見れば、それ以外の表情は恐らくこれが素なのだろう。
「あの時に突出して評価する点があると言えば、自ら名乗りもしなかった〝ジュード〟の名を唯一覚えていたことくらいだ」
アルバート王子に思考を読まれたように釘を刺された私は、唇を結び肩ごと強張らせ固まった。
決してあの審査で私への評価が上がったわけでもないと語る彼の言葉は恐らく嘘ではないだろう。最後、呟くように「まぁ一人からは一発貰ったが」と腹を一度押さえた。ただし単に無礼や八つ当たりではなく、あくまで「王族への侮辱」に対して憤った結果として殴られたらしく、その者に恨みはないらしい。
まさかその王族本人だとは殴った者も思いもしなかっただろう。そこまで王族に忠誠心がある者ならばむしろ何故その者が私より優先されなかったのかと、口に出さずとも思考に過ったが
「全てにおいて圧倒的に優秀なのがお前だっただけだ」
そう言い切った彼の言葉に、ほんの一瞬だか何かが喉の奥から込み上げた。
恥ずべき出生も立場も全て上塗り、私自身の全てで認められた感覚は遠い歓喜を彷彿とさせられた。一貫する彼の意見を聞きながら、改めて私は〝選ばれた〟のだと震える指先が一番最初に理解した。
彼女の為に、マリアの為に努力し続けたことは間違いなく無駄ではなかったのだと。
認められた。今私はもう下級層の人間でもなければ、ただの従者でもない。間違いないこの国の〝上層部〟だ。
茫然としたまま書いた任命書のサイン、今はもうまともに自分の名も書けぬだろう。
どうした、と。顔にも出てしまっていたらしい私を見て、アルバート王子は声を低めた。宰相として決められてから、私はまともに自分からは話せていなかった。
そうだ、こうして身に余る立場を許されたのも彼のお陰だというのに、まだ感謝の一つも告げていない。
「……感謝致します、アルバート王子殿下。この身で生涯尽くしても足りません。貴方があの場で口添え頂けなければ、あのまま私は」
「人前以外で敬称は不要だ、堅苦しい。あの部屋での気安さはどうした。それに助けに入ったわけでもない。ただ、お前が退室した時に絶対に逃すまいと私が一方的に囲い込んだだけだ」
あくまで公平さを前に出す彼に、深々頭を下げていた私はすぐに視線を上げてしまった。
敬称を不要と言われあまりの気安さを求められたことも驚いたが、それ以上の発言が続いていた。謁見の間へと彼が訪れ、ニコラス宰相まで姿を現したのも全て偶然ではなかったと言わんばかりの口調に、思考が止まりかけまた急速化する。彼は私が落とされかけるのを読んでいたとでも言うのか。
彼へどのような発言や態度が許されるのかと頭の隅で別回転に思考を回す。視線だけで尋ね口を閉ざす私にアルバート王子は席に座ると頬杖をつき、初めて不敵な笑みを浮かべて見せた。
「全候補者を遥かに凌駕した最有力候補者だ。〝ジュード〟に対し横暴な真似さえしなければ、些か問題があろうとも逃すつもりはなかった」
「……因みに。もし腕を捻りあげるなどの暴力を犯していた場合は」
「程度による。私の婚約者を軽んじるか色目を見せていれば迷わず突き落としたが」
寛大にも聞こえる言葉へ恐る恐る尋ねれば、判断のつきにくい回答が返ってきた。
随分と友好的な気配を肌で感じつつ、水面を突けば思ったよりも冗談めいた返しだ。我が国の王族を貶すような人間でさえなければ寛大に受け入れるつもりだったとも、今後もその気は起こすなよという脅しにも。
……単なる惚気にも聞こえた。
─ この日新たな私の主となったアルバート王子は、見かけよりもかなり人間味のある男だった。
「ジルベール、ニコラス宰相が今日も誉めていたぞ。飲み込みが早いと。一体どうやって覚えている?」
「恐縮です。昔から目にする蔵書をいつ二度と読めなくなるかもわからない立場にいたもので」
「言葉を整えるなと言っているだろう」
─ 顔はこれ以上なく威圧的に人目に写り、目付きは間違いなく悪い。それは、我が国には比較珍しい紫の瞳という所為だけではないだろう。
「アルバートおう、ッアルバート、様。そろそろひと息吐いてはどうだい。良かったら私が茶を淹れても?以前の屋敷でもなかなか好評だったので」
「〝アルバート〟で良い。記憶力は良いのではなかったかジルベール?言葉の遠慮も不要だ」
「……すまない」
─ 王族としての風格も混じえ、上層部にも己は余所者としてではなく〝フリージア王国の王族〟として堂々と振る舞うが、身近な相手には難なく距離を詰める。
「ジルベール。式の衣装だが、この装飾をお前はどう思う?」
「確かに。ただちに変更をニコラス宰相と共に上層部へも提案しよう。アルバート殿下は既に我が国の人間だとね」
「頼むぞ。お前の人へ取り入る手腕はこういう時助かる」
─ 翌月、女王との婚姻を結び正式に彼が〝王配〟となる頃には、私も友人として彼へ打ち明ける過去が増えていた。
……そして。
「ジルベール」
「……なんだい?」
その時は通り雨のように唐突にやって来た。
正式にニコラス宰相からその任を受け継いでから、暫く経ってのことだ。
いつもの声色とは違う、どこか重々しげなそれに私は首だけで振り返り答えた。
毎日顔を合わせる彼は逆に気付くのは時間がかかるだろうと思ったが、思ったよりは早かった。城内でも一部の上層部には噂されたが、私についてのそういった噂は宰相に任命された日から変わらず熱も引いていなかった為、上手く紛れさせることにも成功した。
今朝から妙に口数が少ないとは思ったが、今も机に両肘を付き指を組んでいる。私へ顔を向けず、珍しく俯きがちな視線の彼に口元が早くも笑いかけた。
「若き宰相であるお前が、近頃以前より余計幼く若作りして見えるのは私の気の所為か……?」
「いや、年相応だよアルバート。私はまだ十六になったばかりだから」
直後。……アルバートにしては珍しく部屋から溢れるほどの叫び声が放たれた。
十六だと⁈と鼓膜を貫かれ、椅子が倒れる勢いで立ち上がった彼は極限まで開かれた目のまま駆け込み私の胸元を掴み上げた。
驚くのも無理はない、つい先日十九になったことを祝われたばかりだったのから。
たった三つの違いでも成長途中の身体ではその差は顕著だった。定期的に少しずつ年齢を戻したが、たまにしか会わない人間には特に気付かれやすく今週は特に二度見三度見されることが増えていた。昨日やっと特殊能力が不要になるまで年を戻しきり、そのままの年齢でも〝ジルベール ・バトラー宰相〟として認識され城で過ごすことに成功した。
しかし、流石に毎日会っていても身長差から彼も違和感を感じていたらしい。この年でも背丈はその辺の者から浮かない程度には恵まれていたお陰で大人の中にも紛れ込めた。しかし、もともと背の高いアルバートには余計私の背の縮みが気になり、際立ったのだろう。
「それが本当の姿ということか⁈」
未成人では城に雇われることもできなかった。そう正直に語れば、一度は手を離された。しかし代わりに両手でべたぺたと私の顔を触り、肩に手を置き鼻息がかかるほど顔を近付ける。
眉を垂らしながら笑ってみせれば、何故今まで隠していたのかと問いを返された。
今までもなにも、本当はこのまま一生年を偽り続けようとすら考えていた。……しかし、それを明かそうと思えたのは。
「城から追い出すかい?」
……その日、初めて彼から拳を落とされた。
バコンッ、と、奥歯にまで響く衝撃に貫かれ流石に軽口過ぎたことは後悔した。
両手で頭を押さえ、痛みのあまり背中を丸めて堪える私にアルバートは「まだ詐称があったのか」と強い口調で窘めた。
出生を誤魔化し嘯き、更には現時点でまだ未成人である私が国の上層部、宰相に任じているなど普通ならば許されない。しかし、それでも。
「他に隠している事は?纏めてローザとヴェストに許しを乞うなら今のうちだぞ」
「……二歳下の、未来を誓った人がいる。彼女が十六になる前に迎えに行くと約束している……」
……明かそうと、そう思えたのは。彼ならば決して私を切り捨てないと確信できたからだろう。
腕を組み、鼻の穴を膨らませる彼はやはり私を追い出しはしなかった。
誰にも語ったことのなかったこの秘密を語っても「婚約者がいたとは」と鼻息を放たれただけだ。
─ 私の出生も底維持の悪さも全て知った上で傍に置いてくれた。
「行くぞジルベール。今ならばヴェストもオズワルド元摂政と共にローザと執務室にいる筈だ。私からも頼んでやる」
「ヴェスト摂政か……オズワルド殿下よりも遥かに苦手なんだが……。未だに私を見る目が冷ややか過ぎる……」
「当分は諦めろと言っただろう。あの時面接で虚偽を行ったお前が悪い。ちなみに彼の年も覚えているな?」
今日からは更に容赦がなくなるぞと、背後の首元を掴まれ猫の子のように私は引っぱり連れ出された。
─だからこそ共に年を取り、本当の姿で傍に付き支えたいと心から思った。
この先、長い付き合いになる彼に。




