望み、
「最後の候補者です。ジルベール・バトラー、歳は十八。今回候補者最年少であり、特殊能力は〝年齢操作〟になります」
案内役に紹介を受け、深々と礼をする。これ以上経過を考える時間などない。
赤い絨毯に導かれる先には玉座に座する若き女王と、そして傍には青髪の青年が控えていた。位置から判断し、摂政であるヴェスト王子だろうか。未だ前摂政であるオズワルド摂政に指南こそ受けているが、若くして国の実権を与えられた王子だ。
案内役の紹介のまま、先ほどの面接とはまた異なる者達が絨毯の左右に控える形で整列していた。……アリングハム伯爵もそこに居る。少なくとも彼らは上層部で間違いないようだ。
私の推薦者である彼も、大きく目を見開きこちらを凝視していた。私の特殊能力は知らなかったのだから驚くのも無理はない。
「ジルベール・バトラー。今回の試験、最も優秀な成績を収めたのは貴殿ということでした。是非話を聞かせて下さい」
優雅に笑む女王はまだ若いにも関わらず、威厳を纏っていた。
王族というだけでこうも王の風格を放つものなのか。
ありがたき幸せ、そう言葉を返し一度片膝を突き礼をする。最大限の礼を尽くしつつ、一言一言の発言に留意し私は問いに答え続けた。……〝最も優秀な〟と、間違いなく語られた言葉に心臓が熱く拍動するのを感じながら。
既に先の面接で尋ねられた答えから今後の国の展望、それらしい志と改めて宰相の任を務める覚悟を語った。理想的且つ求められる宰相像を私の思考が許す限り最大限に演じてみせる。あと一歩と足をかけたこの瞬間を逃すまいと、全神経を研ぎ澄ます。
「……いかがでしょうか、姉君。特殊能力も教養も申し分なく、筆記の成績も飛び抜けておりました。他の候補者より些か若過ぎますが、ニコラス宰相の求める条件にも相応します」
そうですね。と、女王が王子の言葉に一言返した。
最後の候補者と紹介されてはいたが、どうやらその最後であったことにも意味があったらしい。
敢えて私からは是非の言葉を放たず時を待つ。あくまで優秀な若者を演じ、己が欲は微塵も見せない。
視界の端では並ぶ上層部達も黙しながらも頷いていた。不老の宰相か、と。そう語る声に、鳴らしかけそうな喉を堪えたその時。
「お待ち下さい……‼︎申し訳ございません、その前にお伝えせねばならないことが……‼︎」
突然、全てが順調に進んでいた流れが堰き止められた。
鋭くなりそうな目を抑え、顔の角度を変えて見れば異議を唱えたのはアリングハム伯爵だった。
王族の御前、最低限声を抑えたがその注目を浴びたまま血相変えた顔で発言の許可を求めた。一体どういうことか、嫌な胸騒ぎに胃の中が回るような薄気味悪さを覚えながら口の中を噛む。そして、……あろうことかその場で赤裸々に語り出した。
私が下級層の生まれであることも、下級貴族に雇われる前は孤児であったことも全て。
まさかの推薦者である彼からの裏切りに、私は思考が白に消えた。
何故突然私を陥れたのかと思うと同時に、そもそも今の主人ですら知り得ない情報を何故知っているのかと疑問が過ぎる。私はそれを城に潜り込んだ時点で全て隠し通していたというのに。
ぺらぺらと脂の乗った舌を回し語る伯爵の話によると、私を推薦する時点で前の屋敷への調べはつけていたらしい。
前の屋敷では、住み込みで雇われる為に同情を引くべく親がいないことも下級層から必死で生きたきたことも確かに語った。……人の良い男と思って甘く見ていた、彼もまた上層部の一人には違いなかったことを思い知る。
私の特殊能力以上に、彼の発言はその場の空気を一瞬で騒然へと変えた。
あくまで重視されるのは特殊能力。私のそれが本物であることは変わらない以上、成績と並び優勢は変わらない。しかし……
『特殊能力だけではなく貴族とかそういう格式高い人間が選ばれる』
試験管の一人だったのであろう彼の言葉が、刃物のように私の頭蓋を突き立てた。
単なる上層部ではない、宰相は王族の補佐だ。我が国至上主義の上層部も少なくない中、国外の人間である王子とそして卑しい下級層出身の若輩者。彼らが判断を戸惑うのはそれだけでも充分だった。
何故詐称するような者をと、当然のように疑問を口にする上層部の一人へ伯爵は苦々しそうに顔を歪めた。突然の向かい風はここまでに止まらない。何故なら、私は。
「ジルベール・バトラー。先の面接での記録が正しければ下級貴族の出身であると聞きましたが。つまり貴殿は虚偽を語ったということでしょうか?」
静けたものではない低めた声に、最初は誰だかわからなかった。
しかし顔を上げれば、玉座の傍に佇んでいたヴェスト王子が先ほどまでの柔らかな眼差しが嘘のように私を鋭く睨み見下ろしていた。
王族のその眼光を受けた瞬間、胃だけではなく全ての臓器が縮み上がった。あれほど口に自信があった筈にも関わらず言い訳の一つも出てこない。
確かに口にした。気付かれるはずも無いと鷹を括り、証拠も何もないと敢えて語って見せた。まさか既に推薦者の手で調べを尽くされていたとは思いもせずに。
王女が「何故そのような偽りを」と不思議そうに零したが、今この状況が理由全てを物語っている。
あくまで重視されるは特殊能力と本人の実力。下級層の志願者がいても規定に問題はない。しかし貴族であればその門もまた開けやすいのも事実。特に単なる上層部ではなく宰相という椅子であればなおさらだ。何より、…………下級層の人間であることを私自身が隠したかったのだ。
そして今、虚偽の記載と言う事実がさらに罪となって私の首を締め上げる。あと一歩で乗り切るはずだった道が崩れ落ちていく。
「アリングハム伯爵!選抜前からそれを知った上で何故彼をこの場へ推薦を?」
「いえ当然彼にもそれなりの素質があると考えたことは事実です!推薦状の内容にも私からの虚偽はありません!それにっ……」
上層部の一人に投げかけられた伯爵は肩を上下させるとそこで一度言葉を止めた。
その先を言いづらそうに苦い顔をしつつ、視線と表情だけで王女と摂政を見つめる。すると視線を受けた王族二人も一拍置いてから納得したように頷いた。なるほど、と摂政が零したが私には何が何やらわからない。
それに、と一度言い直したアリングハム伯爵は、咳払いをしてから可哀想なものを見る目で私を見下ろした。
「…………彼が神聖なる城で自ら虚偽の申告をするとも、その上でまさか本当に最終候補として謁見の間まで訪れることになるなど思いもしなかったのです」
てっきり第一試験の段階で終えるのかと。と、そう私の目を見てほざく男に耳を疑うと同時に、……酷く納得もした。
知能試験。私にとっては簡単なものではあったが、確かにあれで落とされた貴族や上層部補佐従者などの候補者もいる。
下級層の生まれと知り、使用人や従者としてしか生きてこなかった私がまさかそこを乗り越えるなど思ってもみなかったのだろう。当然と言えば当然だ。
どうやら人が良いだけだと思っていた彼はそうでもなく、その上で私には単純な記念程度の感覚での推薦だったらしい。
視界が狭まり、黒と白に明滅する。私へ宰相になるべく通行書を与えた彼からの裏切りと、見下されていたという事実。そしてこの場で語られたという時点で、彼が本心では私に宰相など不相応だと判断していたのだと思い知る。この場であの口が縫い留められてさえいればと一瞬の間に百は思う。
王子から「ニコラス宰相の意見も聞くべきでしょうか」と、裁判も兼任する役職の名が上げられる。
上層部からも語られる。下級層の、いやそれ以前に虚偽を、しかもあまりに若過ぎる、特殊能力で永遠に宰相に立たれては、不老など持っていると知られれば近隣諸国から争いの種に、と。次第に利点として見られていた部分まで反転され悪点として語られ出す。
これでは今後宰相はおろか、城からも追い出されかねない。いや神聖な宰相を決める試験で、王族の前で偽りを語ったなど罪とされればもう私はマリアを、彼女を迎えにいくことは愚か城に残るさえも
「いや、私は彼を貰いたい」
突然。背後から響くその声に、最初は振り返ることもできず息が止まった。
瞼がなくなる感覚と共に、目の前の王女と王子が声の方向へと視線を上げた。上層部から惑いの声が多く上がる中、全く迷いない足取りで近づくその気配の声は……聞いた覚えのあるものだった。
恐る恐る低めた頭のまま振り返る。王族の前であるにも関わらず進むその男は、王族の前へ迷いなく進み出た。……黄茶色の短髪に、黒の瞳をした厩番の服の男だ。
上層部が立ち上がり、不敬だと、何者だと声を荒げ衛兵に連れ出せと命じる中、衛兵は誰一人動かない。目だけを走らせ王族の命令を待つように口を絞っている。
すると何人かの上層部は「待て」「この声は」「……ス宰っ……」と声を急激に潜ませだした。試験管の一人であった彼の正体はどうやら彼らより遥かに上らしい。
顎に力が入らずただ茫然とする私の、その背後まで辿り着いた彼は更に隣にまで並び平服することなく女王へ向き合った。
「才能も知能も特殊能力にも恵まれた若者。もともと我が国では身分などよりも才能が全て。今この場に居られる上層部にも下級層生まれの方が皆無ではありません」
堂々と語られる言葉に、上層部の一部が口を噤む。
まさか今この場にもいるのかと思わず目を見張る中、ならば何故とまた新たな疑問も浮かぶ。いや、最も謎なのは今この場で彼が発言権を得ていることだ。
床に手を突き、膝を折り振り返った身体のまま彼を見上げる。私より背も低く、十六と言われ誰も疑問に思わず平然と候補者の中に馴染みきっていた彼を。
「それとも、やっと粗を見せた最有力候補者を引きずり落としたい理由でもあったのでしょうか」
ちらりと黒の瞳を上層部へ向けるだけで、誰もが口を結ぶ。
唯一目を伏せず顔色だけを悪くしているのはアリングハム伯爵だけだ。正面へ向き直り、王女と王子を見れば彼らもただ眺めるようにその目を置き発言を許していた。更には途中で彼女らの視線が遠くなる。振り返れば厩番の男の遥か背後、開け放たれたままの大扉の向こうからもう一人の影がまた現れた。その途端、また上層部達の息を引く音がいくつも連続し短く止まった。一歩一歩ゆっくりとした足取りで訪れた男には、私もまだ驚かなかった。今は、フードも被っていない。
鋭い紫の眼光で眉間の皺を狭めた男は、衛兵を引き連れ現れた。ああやはりと、その男を前にただ思う。赤の絨毯を歩く男は王女に礼をすると静かな眼差しで、跪く私とそして上層部を見比べていた。
厩番だった筈の男は、あいも変わらずその男性へ親し気に視線を投げる。「いかがでしょうか」と尋ね、私よりそして厩番よりも更に一歩前まで進み立ち止まった御方へ向けて平然と。
「試験会場でご覧になった貴方の意見もお聞かせ願いたい〝ニコラス宰相〟殿」
告げられた瞬間、フードの男の姿〝が〟変わっていった。
深紅の髪が白髪まじりの栗色へと代わり、顔に皺が刻まれ鋭かった紫色の眼光が緩み柔らかな黄の瞳へと変わる。身長が極度に縮み、老人らしい体付きで姿勢だけがぴしりと伸びていた。最初の面影などない、全くの別人だ。
おおおおぉぉ……と声を漏らす上層部達と同じように私もこれには息が漏れた。てっきり彼こそが噂の王子だろうと考えていたその読みは見事に覆された。
ニコラス宰相、と呼ばれた老人は一度大きく息を吐いた。「単刀直入に言わせて頂けますと」と言うその声は、年季の入った声だった。彼が頑なに試験中離さなかった理由をいま理解する。
ニコラス宰相はゆっくりとした口調だが、言葉は歯にきぬ着せない断言に近い口ぶりだった。
試験会場で候補者の多くが潜り込んでいた〝アルバート王子〟の存在にすぐ気づき、行動を改めていた者が多かったと。その多くが、上層部か上層部の推薦した補佐官や従者であったことも。
情報流出と、その言葉はすぐに私の頭に浮かんだ。同時に、……そこにいるフードの男がアルバート王子でなかったのならばと。じわりと、寒気が背中を駆け抜けた。まさか宰相が姿を変える特殊能力者であったとは。たかが見目を若くすることができるだけで得意になっていた己が酷く惨めに思えた。現宰相は見目の若さどころか、姿すらをも変えることができるのだから。
「次期王配となる〝私が〟試験会場に潜り込むということは極秘という旨で伝えた筈でしたが。どうやら己が推薦者に甘過ぎた者もいたらしい」
そう言いながら堂々と語る厩番の男は静かにその手をニコラス宰相へと差し出した。
老人の皺だらけの手が、若い十六歳の手を取った瞬間に厩番の青年は姿を変えた。服装こそ変わらぬまま、背が大きく伸びた身体に合わせよれていた服もまた縮尺通りに皺が伸びた。
深紅の短髪と紫色の眼光は、意図して眉間に皺を寄せずとも鋭く写った。溢れ出す威厳はやはり王族そのものだ。
「虚偽は確かに許されない。しかし出生程度ならば些細な問題だ。特殊能力と実力は先の面接で保証されている」
少なくとも私は気にしない。と、そう告げながら自身で髪を流し整える彼は服装こそ厩番でも、そう思うものはどこにもいないだろう。粗末に見えた衣服すら、今は気高い衣装の一つに錯覚できた。整った顔立ちのせいか、それとも王族ならではの荘厳なる威厳のせいか。
全てを知っていたのであろう女王と摂政のみが顔色も変えず、黙して彼と宰相を見つめている。
「我が国へ加担するに相応しき才と力。そしてニコラス宰相の望む通りの未来ある若者。あと私から望むであれば、……特殊能力は愚かフリージアと血も通じぬこの私を全身全霊で支え、仕え補佐し続ける覚悟があるか、どうか」
そう言って初めて、彼の視線が私へ落とされた。
首すら動かさず視線だけ与えられたにも関わらず、一瞬心臓が止まったかと思った。口の中を飲み込み、顎に力が込もったまま全身が強張り身震いに指が強張った。乾ききった眼球が瞬きの必要もなく潤い出す。
両眼で捉えた先で、案内人が恭しく背後から彼へと上衣を羽織らせた。
「名乗るのが遅れたな。私はアルバート」
バサッ、と。
翻し旗めいたマントに、たったそれだけで王族の風格までもが彼から湧き上がる。目の前にいる女王と同じ、王の気品だ。
王族として城中の誰もが知る名を告げられながら、そういえば〝ジュード〟と呼んだ彼に名乗られるのは今が初めてだと気付く。
「次期にロイヤル・アイビーとなる」
アルバート・ロイヤル・アイビー。
近隣国の王子であり、女王が当時王女だった頃からの婚約者。私が城で雇われた頃に戴冠し最高権力を手にされた女王と、来月には大々的な婚姻も決まっている王子。
女王の片腕たる摂政と並び、国で二番目の権力を得ることを約束された我が国三大権力者となる男。
彼は私から目を離さず、女王の傍へと並びながら紫色の瞳に私を写した。
「ジルベール・バトラー、お前は王配となる私の補佐を望むか?」
奪われた後だった筈の更地に、間違いなく一つの道が差し出されていた。
息を飲み、自由の効かない全身へ神経を巡らせ声を出せと命じ肺を動かし喉を張る。
覚悟など初めから定まっている。その程度もなく、国の最大機関で下らぬ嘘など吐くものか。
他の全てを失ってでも隠したかった恥ずべき経歴がある。
不相応過ぎる役職だと知っていても、手を伸ばせずにはいられなかった理由がある。
使用人として安定した生活を捨ててでも、城の門を叩いた意味がある。
己の年も過去も捨て、それでも得たかった未来がある。
誰に利用されようと見下されようとも‼︎偽りも見栄も過去も己も全て捨て!この身全てを捧げるその覚悟が‼︎‼︎
『待ってる』
「ッ望みます……‼︎君を、ッいや、貴方を生涯にわたり全力で支え、お仕え致します!ですからどうか、どうか、私に宰相となる機会を……!」
彼女を幸せにする為に。
己が胸を手で示し前のめりになる上体から、揃う王族三人へ向け跪き最大限まで頭を床へと下げる。目の前にいる彼が、あの青年だったと記憶する脳が混乱のままに一瞬だけ口走るがすぐに取り直した。
単なる厩番だった青年がこの国の未来の王配であることを認め、宣誓する。
垂らされた光の糸に矜持も見栄も捨て、脇目もふらず全力でしがみつく。
もう私にはこれしか道はない。彼女を迎えに行く為にこれ以上もなければ以下も残されてはいない。
「…… 女王、ローザ・ロイヤル・アイビーの名の下にここで宣言します」
深々と傅くまま、もう上層部のどよめく声は脳へは響かない。
ただただ許しを待ち続ける私へ、降らされるそれはまるで天の声のように澄み渡っていた。
女王の正式なる宣誓に全員が口を閉ざし続きを待った。あれほど騒然としていた上層部どころか私へ冷ややかな視線を送った摂政すらも今は黙す。顔色の悪かったアリングハム伯爵も今は転がりそうな目玉と口を開くだけ。
神を信仰しない我々が、王族を崇拝する意味をこの身を持って思い知る。
我らにとって彼女らこそが神なのだ。
「ジルベール・バトラー、貴方を我が国の宰相として認めましょう」
〝フリージア王国宰相〟
最高権力者が直々授けたその称号に、異議を唱える者はいなかった。




