Ⅱ100.特殊話・貿易王子は贈った。
二部百話達成記念。
プライドの誕生日、17.18才編です。
「……緊張するなぁ」
はぁぁ……と息を吐き出しながら片手で胸を押さえる。
こんなに緊張するのも久しぶりかもしれないと思いながら深く呼吸を繰り返した。こうして緊張を表に出せるのも馬車に揺られる今が最後だ。
目の前で父上に苦笑される中、僕からも眉が垂れたままの笑みを返す。父も僕が緊張する理由はわかってくれている。寧ろ父も僕と同じくらいの緊張はしているのかもしれない。
馬車がゆっくりと速度を落とし、とうとう定位置で止まれば御者によって扉が開かれる。僕から先に馬車から降り、そして父が降りた。衛兵が一礼で迎えてくれてすぐ、僕らを案内してくれる。
プライドの誕生祭会場である、大広間へと。
「プライド第一王女殿下、お誕生日おめでとうございます」
心よりお祝い申し上げます、と。最初に挨拶をしたのは父だった。
父の背中を少し離れた位置で見つめながら、僕からもプライドへ挨拶へ行く機会を見る。一年前と一緒だ。ただしあの時とプライドと僕との関係は全く違う。少し寂しくて、それを遥かに上回るほどに誇らしくて幸福なことだ。
僕は第一王位継承者で、プライドとは婚約者ではなく盟友。この一年間、その事実はフリージア王国にもアネモネ王国にも綺麗に伝わった。
お互いに定期訪問を繰り返す中で我が国の民もプライドを慕ってくれたし、フリージア王国の民も僕を彼女の〝盟友〟として受け入れてくれた。本当に驚くほど全てが順調に回っている。たった一年前の今頃は、こんな風に心穏やかにアネモネ王国の第一王子として立っていられることなんて諦めていたのに。
父上と挨拶を終えたプライドが、次の来賓と話すのを眺めながらまだ目が離せない。今まで式典でも何度か会ったプライドだけれど、会う度に本当に綺麗だと思う。
今も、彼女と話すベロニカ王国の第二王子が一生懸命彼女へ何かを紡いでいる。きっと、彼女との仲を深めようとしているのだろうなと思えば自然と頬が緩んだ。僕との婚約解消の所為で彼女の女性としての名声に傷がついていないことを確認する度に安堵する。きっと次の婚約者を見つけるのも時間の問題だろう。彼女に相応しい人間さえ見つかればきっと。
彼女へ素直に愛を求められる彼らが羨ましくはあるけれど、そこに熱さや冷たさは湧いてこない。僕はもっと愛しい国と民と生きられるのだから。〝嫉妬〟という感情を学んでみたいとは思うけれど、まだ残念ながら僕には縁遠い。ただただ満たされている。
数人の男性から挨拶を交わしながら愛を求められるプライドに、途中でステイル王子がそっと歩み寄る。
彼も彼で令嬢達に人気なのに、あの若さで補佐としての役割にも余念がない。プライドから一言と笑みを返されたらしい彼は、近くの侍女に何かを指示してからまた何事もなかったかのように令嬢達への挨拶へ戻っていった。きっとプライドのグラスを交換するようにの指示だろう。
けれど、侍女が持ってくるよりも先にジルベール宰相が流れるような動きで彼女に新しいグラスを渡して去って行った。無言のままグラスだけが入れ替わったことに目を丸くしてジルベール宰相の背中を見つめるプライドに、気付いたステイル王子が一瞬だけ彼へ目を鋭くさせた。まるで給仕役すらも手慣れているようなジルベール宰相に、本当にフリージア王国の上層部は皆優秀な人材ばかりだなと思う。我が国も負けては居られない。
ふと次第に令嬢達が僕の方に歩み寄ってきているのに気付き、そろそろ良いかなと僕もまたプライドへの列に並んだ。彼女達との話に時間を掛ける前にちゃんとプライドに挨拶をしておきたい。
国外の式典にこうしてアネモネ王国の名で出られるようになったのも嬉しいし、国外の人達と関係を深めるのも好きだ。貿易国であるアネモネにとって、各国の取引先が増えることは今後の貿易でも有益になる。ただそこにまた昔みたいに〝愛〟を求められるとなると、まだ踏み込みたいとは思えない。
プライドより先に婚約者を作る気がないこともそうだし、一度本当の愛を知ってしまったから。けれど、同時にこの感情を今は恐いとも思わなくなった。ただただ愛おしい。
アネモネ王国やプライドへ僕が宿すのと同じ感情を、僕へ向けてくれている彼女達の気持ちが今は純粋に嬉しいと思う。……同時に、過去の女性達には本当にすまないことをしてしまったとも思う。僕の悪噂を撒いたのは弟達だけれど、彼女達もきっと傷ついただろう。僕だって今アネモネ王国の民やプライドに、この感情を拒まれたら胸が張り裂けてしまう。
この一年、我が国の式典や社交界で彼女達にも改めて謝罪と挨拶はできた。皆最後は笑みで応えてくれたけれど、ちゃんと改めて謝れて良かったと思う。過去の僕と今の僕とじゃ同じ謝罪でもきっと意味が違う。それに……
『なんだか……今のレオン様の方が、あの頃よりもずっと近く感じられますわ』
そう、目を細めながら言ってくれた令嬢の言葉を思い出す。
数年前には婚約を自ら望んできた彼女だけれど、今はもう別の男性と縁談も決まったらしい。許してくれたことも嬉しいけれど、それ以上に恋人ではない今の関係の僕の方が近いと言って貰えたのが嬉しかった。
迷惑でなければ結婚式でもお祝いをさせて欲しいと望んだら、目を輝かせて喜んでくれた。我が国の公爵家である彼女に、第一王子の僕からできることは何でもしたい。出席だけでも第一王子の立場として彼女の結婚式をそれなりに彩ることはできるだろう。どうか幸せになって欲しい。
「レオン、来てくれてありがとう。すごく嬉しいわ」
「君の為なら当然さ。お誕生日おめでとう、プライド」
やっと順番が回ってきた僕は、彼女の花のような笑みへと返す。
本当はこのままじっくり話したいけれど、なるべく手短で済ませるようにと心がける。他の式典なら良いけれど、この誕生祭で僕らが長話するのはまだ意味深に捉えられかねない。先にあった僕の誕生祭でも、プライドは敢えて長くならないように切り上げてくれた。来年の誕生祭こそはゆっくりとお互いの誕生日を祝えればなと今から思う。
「先ほど、国王陛下からお聞きしたのだけれど……本当にありがとう。一度にあんなに頂いてしまうなんて、申し訳ないくらい」
「そんなことないよ。君が僕らに与えてくれたものは比べものにならないのだから」
父も母も、そして僕からの総意だ。
プライドの誕生日祝いに我が国で贈らせて貰った祝い品は、今回はいつもよりも質も量も上げさせてもらった。フリージア王国王族の誕生祭では毎回それなりに尽くさせてもらっているけれど、今回はちょうど一年目だから念入りだった。一年前の謝罪と感謝も含まれているのだから当然だ。
本当は僕個人からも贈りたいけれど、……まだそれもお互い許されない。関係こそ盟友として良好な僕らだけれど、婚約解消して一年経たずで個人的な贈り物なんてしたら周囲に意味深に捉えられてしまう。盟友であると同時に国の代表として軽はずみな行為も許されない。また復縁、だなんて誤解が生じたらそれこそお互いの関係に距離を作らないといけなくなる。
来年になれば、時期としても個人的な贈り物をしても波風が立たない頃だろうと思うけれど……それはそれでどうしようかなとも少し悩む。勿論、僕にとって大事な存在である彼女に贈り物をしたいとは思う。けれど、元婚約者だった僕からの贈り物なんて、プライドを困らせてしまうのではないかとも思う。
「本当にありがとう。けれど私はこうして貴方がアネモネ王国の王子として笑ってくれることが一番の贈り物だわ」
首を振った直後に放たれた言葉に、思わずぽわりと頬が熱くなった。
花のように笑う彼女に、胸まで熱くなる。本当にどんな贈り物をしても、彼女のこの笑顔には叶わないんじゃないかと思う。それくらいに、彼女の笑顔は眩しいほどの価値がある。
「……うん」と、愛しさのままに笑みで応えれば今度はプライドの顔も紅潮していった。丸く開かれた紫色の瞳もまた愛おしい。
少しで終わる筈が、予定より話し込んでしまったことに気付いた僕はそこで改めて挨拶と一緒に話を切り上げた。じゃあね、と小さく手を振る中で紅潮した彼女にステイル王子が再び声をかけに行ってくれた。
……やっぱり、個人的な贈り物は必要ないかな。
それよりもきっと、僕が間違わず彼女に恥ずかしくない盟友として居ることの方がきっと望まれる。うっかり距離を詰めすぎて周囲に誤解される危険を侵すより、その方がずっと良い。
ステイル王子の後、また次の来賓へ笑みを向けるプライドを眺めながら僕はそう思い直した。
……
「……そう、思ったのになぁ……」
はぁぁ~~、と。ついワイングラスを片手にテーブルに項垂れる。
酔っているわけじゃない。酔ってみたいと試みたことはあるけれど、今まで一度も酔えたことはない。勿論今もそうだ。
あれからあと二ヶ月で一年が経つと思うと感慨深くもなる。けれど今の僕はただただテーブルに潰れてしまう。すると宛のない溜息にとうとう向かいの席から彼が口を開いた。
「うぜぇ。それ以上ぼやくならこっちはもう帰るぜ」
「まだ来たばかりじゃないか……」
突き放す言い方も慣れたけど、なんだかんだ思ったよりは長く耐えてくれたなと頭の隅で思う。
今夜、僕の部屋へ飲みに来ていたヴァルはさっきまでずっと酒瓶を片手に舌を打つばかりだった。今も椅子の上で足を組みながら身体ごと僕から逸らして横目だけがこちらを睨んでいる。セフェクとケメトもお菓子をそれぞれ頬張りながら珍しそうに眉の上がった目で僕を眺めていた。
彼らを前に自然と溜息を吐くことが増えてきていた僕は、今も腕ごと突っ伏したテーブルから顔だけ上げる。最初に彼らが来てくれた時にもついぼやいてしまったことをそのまま繰り返す。
「まさかプライドから誕生日祝いを貰えるなんて思わなかったんだよ……」
はぁぁぁ……と、同じ息を吐いてしまう。
その途端、二回で聞き飽きたのだろう話題にヴァルの舌打ちが更に大きく響いた。
不思議なもので、彼女がこの場にもいないにも関わらず言葉にしただけでぼわりと酔ったかのように顔が熱くなる。こんな話されても彼が面倒がることはわかっていたし慰めて欲しかったわけではないのだけれど、ついつい零してみたくなってしまった。僕の十九の誕生日祝いにまさかのプライドから〝個人的な〟贈り物を貰えたことに。
『だってレオンは私の盟友じゃない?』
そう言って花のように笑う彼女に、僕も最後は感謝しか言えなかった。
勿論、嬉しい。フリージア王国からは毎年それなりの品を贈られているけれど、プライドから個人的なんて初めてだ。流石に世間体を考えて受け取った日は誕生日より二日ずらされたそれは、胸が高鳴るほどに嬉しかった。彼女が僕のことを想って選んで用意してくれただけでも嬉しかったけれど、贈ってくれた理由はそれ以上の贈物だ。
ただ、去年あった彼女の誕生日に個人的な贈物は何も用意していなかった僕にとって少し戸惑いはあった。僕らは勿論盟友だけれど、世間的には元婚約者の印象も強い。なのに贈り合ったりしたらまるで別の意図のようだ。だから僕だって去年も贈らなかったのに、まるで彼女は当然のように僕に贈ってくれた。
僕から「良いのかい?」と正直に尋ねた。なのに、彼女はステイル王子とティアラと連名のそれは僕が盟友だからとその理由だけで贈ってくれたものだった。本当に本当に嬉しくて、今まで贈られてきたどんなものよりも素晴らしく思えて心まで温かくてそれで
ちょっとだけ、ずるいと思った。
「僕だって贈りたかったのに………」
零しながら、とうとう小さくだけ呻いてしまう。
これが話に聞くヤケ酒というものなのかなと頭の隅で思う。
その途端、さっきまで不機嫌に舌打ちをしていたヴァルが「あー?」と声を投げてきた。皿のお菓子を食べ終えたセフェクがテーブルの中央から更に菓子を取る中、ケメトが気になるように僕へ視線を向けるのが見えた。ヴァルだけでなくケメトも僕の話を聞いてくれていたらしい。
「?主への……お返しで困っているんじゃないんですか?」
更には彼から話しかけてくれた。
昔と比べると受け答え以外もしてくれることが増えたなと思う。視線を上げればヴァルも同じことを考えていたのか片眉が怪訝に歪んでいた。
「そんなことじゃないよ……」と口を動かしながら、彼らに誤解をさせていたことを反省する。身体をテーブルから起こし、頬杖だけを突きながらグラスを手に取りくるりと回す。ふぅ、と息をまた吐いてしまってから改めて僕はこの胸のわだかまりの正体を言葉にする。
「勿論、今年の誕生日こそはプライドにも贈り物をしたいと思っているよ。ただ、今は……先手を取られちゃったから」
「先手だぁ?」
ハァ?とヴァルが酒を傾ける手を止める。
何言っているんだと言いたいのがその表情だけでわかる。
贈り物に、勝ち負けなんて無い。それは僕だってわかっている。ただ、僕の場合は前回プライドに敢えて贈らなかった。それは僕と彼女の関係が少しだけ複雑に思われたからだ。
僕にとってもプライドにとっても間違いなく〝盟友〟でも、他者から見たら元婚約者と見られかねない。だから僕は我慢した。一年前にしたあの時の判断は今でも間違っていないと思う。
現にプライドだって流石に去年の僕の誕生日には個人的な贈り物はなにもなかった。それが僕らの正解だと信じて疑わなかった。なのに一年以上開けた途端にこれだ。確かに礼儀としては一年空けば無礼や嫌味ではなくなる。でも、僕らの立場があるからこそ僕からの個人的な贈り物なんて噂を立てるだけで迷惑だと思ったし、彼女も僕に対して同じように思っているだろうと思ったのに。
『喜んでくれて嬉しいわ』
「~~っ……僕だってプライドに贈物をしたかったんだ……」
ぎゅっ、と。気付けばグラスを摘まむ指に力が入ってしまう。
自分でもなかなか情けない声になっているだろうと思う。顔の筋肉にも力が入っている。きっと鏡を見たら城下で見た子どものような表情だ。
そう思うと、二人揃って目が丸くなっていくヴァルとケメトから自然と視線を逸らしてしまう。いっそお酒で酔えれば今の自分をこんなに恥ずかしいとも思わずに済んだのだろうか。自分でもこんなことで落ち込むのは恥ずべきことだとわかっている。国の舵を取る王族が、うじうじするのは間違っている。なのにやっぱりどうしても考えてしまう。
一年間で良しとされるなら、僕の方が先手を取れたのにと。
プライドとの婚約解消は、彼女の誕生日からたった十日後だ。
なら、去年の十日後に贈れば良かった。僕らが盟友となれた記念すべき一年後のあの日に贈れば、彼女の誕生日ともずれていた。そうすれば僕は去年には彼女に贈り物ができた。
一年の自粛だけで彼女の内でも良しとされるのなら贈りたかった。彼女が僕の誕生日に与えてくれた喜びと同じくらいの気持ちを彼女に贈りたかった。彼女が喜んでくれる為にどんなものを贈れば良いか頭を悩ませたかった。君が生まれてきてくれて良かった、君に会えて良かったとアネモネとしてだけでなく〝僕〟として最大限で祝いたかった。
せっかくの盟友としての最初の誕生日に、まるで手を抜いてしまったかのような罪悪感が今更になってひっかき傷を胸に作る。あの時は彼女に誠意を尽くせていたと思ったけれど、実際は全然だったと自分の誕生日で思い知ることになるなんて思わなかった。
「つまり何かァ?テメェは主に贈られっぱなしっていうのが気にくわねぇわけか?」
さっきまでとは違う楽しげな声がかけられる。
見れば、ニヤニヤと意地の悪い笑みが僕に向けられている。酒を片手にうんざりしていたのが嘘みたいに、今はテーブル越しに前のめりだった。
しかもかなり手痛い言葉に、僕も正直に眉が垂れてしまう。次の瞬間にはヒャッハハハハハハハ!!と高笑いまで浴びせられた。「てっきりいつもの惚気かと思ったが」と言いながらヴァルが引き上がった口にそのまま酒を注ぎ出す。酒瓶を仰ぐように喉を鳴らした後、トントンとテーブルを指で叩いた。
「国中の女を虜にする色男が、世話になった元婚約者に先行されっぱなしなんざとんだ笑い話だなぁ?レオン」
「……今は盟友だよ、ヴァル」
「そういやぁ、公には婚約解消もフリージア王国からってことは主に〝フラれた〟ってことになるか?なんでもかんでも主に引っ張り回されちゃあ世話ねぇな」
「そう……だね」
いつもの彼の悪口が今は重くのしかかる。
気付けば首まで重く垂れてきた。言われれば本当に僕はプライドに手を引かれてばかりだなと思う。ハナズオの防衛戦ではステイル王子の協力もあって彼女の力になることもできたけれど、僕らの関係を一歩進ませてくれるのはいつだって彼女だ。今は婚約者ではなく盟友とはいえ、男性として少し矜恃が痛いと今は思う。……昔は、こんなことで落ち込むなんて先ずなかったのに。
落ち込む僕に、一通りせせら笑ったヴァルは更に新しい酒瓶の栓を抜く。最後には締めくくるように傷口を抉ってくるのが彼は上手いなとこっそり思う。こういう容赦ないところが、友人となりたいと思った要素でもあるけれど。
「でぇ?どうするんだ王子サマ。今年も主には甘ったるい言葉だけで満足するか?」
「いや贈るよ……次こそ絶対」
「言っておくが、現時点でテメェはケメトとセフェク以下だ」
ケラケラと笑いながら話す彼の言葉に、思わず息を引く。
バッと視線をテーブルから顔ごとセフェクとケメトに向ければ、菓子を食べ終わった彼らはいつものソファーへと移動し始めたところだった。
にやにやとした笑いをそのままに僕の視線と合わせて二人の背中を見るヴァルは、また一口酒瓶を仰ぐ。
彼の含めた意味はわかる。僕より遥か前からプライドと親しくしている彼らだ。きっと彼女の誕生日にも何らかの贈り物をしているのだろう。
勿論、僕と彼らじゃ立場も状況も違う。それでも今は女の子のセフェクは未だしも、まだ小さな身体のケメトにも遅れを取ったという事実が真っ直ぐ頭に加重されていった。時期国王となる僕がまだ九歳のケメトよりも未熟なのだと思うと背中まで丸くなる。
落ち込む僕の表情の変化を楽しむようにヴァルがニヤニヤと凝視してくる中、ふと目を合わせれば別のことが気になった。僕の視線にご機嫌だったヴァルの顔が僅かに怪訝に変わる。
「なら、君ももしかしてプライドに何か贈っていたりするのかい?」
「アァ?なんで俺まで主に贈らなけりゃあならねぇ?」
一気に不機嫌色にまで顔を歪ませるヴァルは、牙のような歯を剥いて僕を睨む。ケメト達と連名かなとも思ったけれど、この言い方だとどうやらそれも違うらしい。
まぁ彼らしいかなとも思いながら、心のどこかで少しだけほっとしてしまう自分にまた落ち込む。勝ち負けじゃないとわかっているのに、今は僕だけが置いてけぼりになっているような感覚が胸に残ってしまった。
ケッ、と酒を口に含む前に吐き捨てるヴァルは「それで」と低い声で僕へと話題を戻す。
「主の誕生日まであとふた月ってところか。貿易最大手国の王子サマが惚れた女に何を贈るか見物だな」
「僕は君がプライドに何を贈るかの方が興味深いけどね……」
しつけぇ、と直後に今度こそヴァルの顔がはっきりと顰められた。
僕も意地悪を返してしまったかなと自覚しながらも、今だけは肩を竦めて笑みだけで返す。彼のことだからプライドに贈らないと言われても納得はするけれど、贈っていても不思議じゃないのにとも思う。ケメトとセフェクと連名にしないのも彼らしい。
ちょっとだけ意趣返しできたことに少しだけ気持ちを取り戻した僕は、改めて椅子の上から姿勢を正した。
「プライドに贈る品なら、もう見当はついているんだ。ちょうど近々、特別な薔薇が開花する予定でね」
そこまで言ってからグラスを一度飲みきる。
再び自分の手でワインを満たしながら、グラス越しに覗いてみればヴァルが顰めた顔のまま頬杖をついてこっちを睨んでいた。まだ怒って帰らないのを見ると、ちょっとは気になってくれているのかもしれない。
セフェクとケメトにも楽しんで貰える話かなとも思ったけれど、覗けば既に二人とも寝入った後だった。会話を膨らませられる機会だったのにと思うと、もう少し早くこの話をすれば良かったと思う。
青い薔薇。
とても貴重なその薔薇は、もともとはアネモネ王国でも極僅かにしか栽培できなかった。
国外への流出も厳しく制限されていたけれど、その特性や逸話の効果もあって国外にも求める声は多い。最近やっと大量栽培に成功して順調に育っているとのことだった。ゆくゆくは国外にも積極的に売り出す記念すべき薔薇をプライドに贈りたい。
青から赤に変わる特性と、そこからなぞられた逸話。そして市場での価値についても話せば、ヴァルは途中でうんざりと息を吐いた。なかなか情緒溢れる恋物語だと思ったけれど、彼には気にくわなかったらしい。
「たかが温度で色が変わる花なんざに大仰な話つけやがって。そんな作り話で、ンな額でも売れるってんならボロい商売だぜ」
「人は見てくれだけでなく、その歴史や中身に価値を見いだす良い例じゃないか」
「ハッ、懐に余裕があるからこそ言える金持ちらしい考えだな」
吐き捨てるように言う彼は、また酒瓶に直接口をつけて仰ぎ出す。
そうかな、と返してみるけれどこればかりはやっぱり生まれついて王族だった僕にはわからない。貴族でも王族でもなかった彼だからこその発想はいつも本当に勉強になる。
……つまりは贈り物には不相応という意味かなとも思ったけれど、プライドも僕と同じ生まれながらの王族だ。なら、僕と同じ感性で良いはずだとも思う。それに美しい女性を彩る花束は、王侯貴族でも贈り物としても王道だ。……それとも、その王道というのが一般的には味気ないということになるのだろうか。今まで女性に個人的な贈り物をしたことがない僕にはいまいちわからない。
「駄目、かな?女性なら喜んでくれると思ったんだけれど。プライドは花にも詳しかったから好きだと思うし……、それとも女性に花じゃありきたりということかい?」
「知るか。そういう話は俺より腹黒王子か騎士のガキにするんだな」
不安が波打ち出す僕に、ヴァルはきっぱりと切り捨てる。
酒の邪魔だと言わんばかりに半分以上残っていた酒を一気に空にした彼は、「甘ったるい話は口に合わねぇ」と言いながらまた新しい酒瓶を手に取った。……確かに、ステイル王子やアーサーの方がプライドの趣味にも詳しいだろう。ステイル王子はプライドの義弟だし、アーサーも僕が彼女に出逢う前からの近衛騎士だ。
良い人選を助言してくれた彼に一言感謝を返しつつ、僕は考えを改める。先ずは薔薇の準備だけ進ませておいて、並行して他の用意もいくつか目星をつけておこう。プライドに気付かれずアーサーやステイルと話す機会といえばやっぱり次の式典……プライドの誕生祭だろうか。ギリギリになってしまうけれど仕方がない。忙しさで考えると王族のステイル王子よりもアーサーの方が話しもしやすいかなと考える。
「もし薔薇の場合は、渡す時どんな感じが良いと思う?」
「アァ?興味ねぇな。片膝付いてテメェの〝女神〟に逸話と同じ台詞でも吐いてやれ」
片眉を上げながら手で払う仕草をする彼に、僕からも「ああ良いね」と笑みで返す。
確かに女性ならそういう演技がかった演出の方が喜んでくれるだろう。逸話や花の生態についてもちゃんと詳細を書いて残しておこう。「それ以上俺に聞くんじゃねぇ」と話を投げるようなヴァルに僕からも心からの笑みで返す。
「じゃあ、プライドに薔薇を届ける時はそれで頼むよヴァル」
「ア゛ァ゛ッ?!」
ガチャンッ!!と次の瞬間には酒瓶が倒れ転がるほどの衝撃が拳になってテーブルに叩き落とされた。
自分のグラスだけ掲げて安全を確保したお陰で、酒が零れることはなかった。代わりにあまりの音でソファーで寝ていたセフェクとケメトがビクリと起き上がってしまう。
「なんで俺がやらなきゃならねぇ⁈テメェが勝手にしやがれ!!」
「だって誕生祭の後、そんな逸話の薔薇を僕自ら届けたらあまりに意味深じゃないか。あくまで僕は盟友として贈りたいんだから」
「知るか‼︎テメェんところの使者だの騎士だのに贈らせりゃあいいだろうが‼︎」
「量が多い上に時間をあまり掛けられない植物だから君に届けて貰うのが一番安心なんだ。他でもないプライド宛だからね、綺麗な状態で贈りたいじゃないか」
ふざけんな‼︎‼︎と直後には部屋中に響く声で怒号を上げられた。
届けてくれればお礼にちゃんと報酬も弾むし渡し方は君に任せるからと条件を提示すれば、開けたばかりの酒瓶を鷲掴んだままとうとう彼は席を立つ。
起きたばかりの二人に声をかけ、荷袋を背負って歯を剥き出しに僕を上から見下ろし睨む。座ったままだと余計に彼は大きく見えるなと思う。
グラスを頭の位置に掲げ、これから帰ろうとする彼に僕から笑い掛けた。
「誕生祭の夜、一緒に飲もうよ。良い酒と食事に美味しいお菓子も取り寄せておくから」
君と祝えたら嬉しいな、と本心から言えばヴァルは大股で床を踏み鳴らしながら扉へと去って行った。
怒ってはいるようだけれど否定もなければ、贈物を薔薇から変えろとも言わなかったことを考えると一応検討はしてくれるといったところだろうか。また飲みに来てくれた時に何回か頼んでみよう。
せっかくならまた青の薔薇について細かく話して覚えておいて貰おうか。手紙に詳細を記載するだけじゃ説明が遅いかもしれないし、何より彼の口からそんな話が説明をされたらプライドはもっとびっくりするかもしれない。
もし彼が来てくれなかった時の輸送手段と薔薇の輸送量も考えつつ、僕はグラスに残った中身ごと窓の向こうへと掲げた。
『テメェの女神に逸話と同じ台詞でも吐いてやれ』
「……それは無理かなぁ」
つい先ほどヴァルが残していった言葉を思い出しながら、どこへでもなく一人零す。
彼がプライドにそんなことをするのは想像もつかないけれど、僕にも到底それは無理な話だ。
本当なら彼の言うようにしてみたいとも思う。彼女に片膝をついて全てを差し出し愛を乞う。物語や逸話で語られるような愛を彼女に謡えたらどれだけこの胸は高鳴るだろう。けれど
「…………僕の人生は愛しい愛しいアネモネと共にあるのだからね」
〝私の人生をどうか貴方と共に〟
雲一つない月とグラスを重ね、最後に一度で飲み干した。愛しきアネモネ王国の空と乾杯し、満ち足りた胸でその夜は最後にする。
ふた月後の誕生祭が今から待ち遠しく思いながら、僕は眠りについた。