600.特殊話・宰相は贈った。
六百話達成記念。
プライドの誕生日、十三才編です。
「どうしたジルベール。お前がペンを止めるなど珍しい。」
……しまった。
宰相業務の最中、私は大変なことに気が付いてしまった。
今週分の裁判記録を纏め終えた私は、王配であるアルバートの補佐として彼の書類仕事を手伝う傍ら、次の式典準備についての進行状況を纏め上げている時だった。
式典の準備自体はそれぞれ半年以上前から上層部が各部下や国中の業者を動かしている。
そして今手を下ろしているのは、今年に入って最初の式典。それがもう来月に近付いている今、恙無く準備が進んでいるかの細かな確認が国内を任されるアルバートと私の仕事でもあった。
王配であるアルバートに指摘を受けた私は、ペンを握ったまま反対の手で頭を抱える。いつの間にか手を止めていた私に彼が気付くのは早かった。ただでさえ最近は、新しい法案や吊し上げ、裏稼業の取締りなどで手を止める間も惜しんでいたから余計に目に止まったのだろう。
「いや……」と私は一度、言葉を濁す。あまりにも自分の見落としが致命的で言うのも躊躇った。しかし、元々鋭い眼差しを更に研ぎ澄ませて私を睨むアルバートに逃言は不可能だった。ついこの前、彼と再び歩み寄れたというのにここでまた溝を作るわけにもいかない。
一度大きく息を吐いてから、私は言葉を選びながらも正直に打ち明けた。
「……来月のプライド様の誕生日。……まだ、私個人が手配を終えてないと気が付いてね。」
ハァ……と、言葉にしてまた息を吐く。
低く重怠くなった私の声にアルバートは「!ああ」と納得したように呟いた。驚いた様子もない。当然だ、彼は今までの私をよく知っている。
来月。プライド様は十四の誕生日を迎えられる。その為の誕生祭には準備も指示も毎年と変わりなく宰相の私も携わってきた。養子であるステイル様も含めて誕生祭を行う王族は六名。その誕生祭を毎年行っているのだから、慣れてもいる。当然、誕生祭準備や運営とは別に上層部である私も〝個人的に〟誕生日を迎えられる王族の方々には当日、贈物をさせて頂いている。それ自体は抜かりはない。ひと月前でも充分間に合う程度の人脈もコネとある。……しかし。
「毎年、何故かプライドに対してだけは妙に外した物ばかり送り付けていたアレのことか、ジルベール」
「…………ああ、その通りだ」
ごん、と抱えていた手から滑り落ちた頭から机にぶつかった。
やはり根に持っているアルバートの言葉に、私も肯定しか返せない。当然だ。つい一ヶ月前まで私は彼の愛娘であるプライド様に許されないことばかりを犯してきたのだから。
彼すら知らない悪事も含めれば、いくつ拳を落とされても足りはしない。それどころか極刑こそ正当であるほどの愚行だ。
「まぁ、ここ二年は比較的にまともな品だったが。」
王族への贈り物は基本的に中身の安全を確認された上で献上されている。誕生祭で他の来賓と同じように献上していた私の贈物も王配である彼は毎年リストから把握していた。
ここ二年はプライド様を取り込むべく、贈品もそれなりに上等な品を選んでいた。……プライド様を利用し、特殊能力申請義務令を頷かせる為の賄賂として。勿論、その前までもあくまで王族に対して無礼のない品を選んではいた。正直あの頃は、贈ることすら理由をつけて断りたいほどの心境だったが、それでも形式的に無礼にならない品は選んではいた。……そう、無礼にならないだけの……
「それともまたあの子に趣味の悪い装飾品や無駄に強い香水を送りつけるか?」
拳を落とされるより手痛い言葉に、私は再び浮上しかけていた額を机に落とす。
そう、つい二年前まではプライド様に私は敢えて〝貰っても保管の場所をとるだけ〟の品を贈り続けていた。それこそ、いっそなにかの折に処分でもしてくれれば、また上層部へプライド様の悪評を広げる良い種になるとさえ考えていた。趣味が悪いとはいえ、上層部から贈られた高級な宝石を含めた装飾を破棄したと噂を広げれば、上層部だけでなく民からの評価も上手く操作できると。今思えば忌々しいほどの愚行だ。過去に戻れるならば自分の首を捻り上げてやりたい。
「贈らないよ……もう私はあんな愚行を犯しはしない……」
よろけた声で彼に告げ、抱えた手で指先を己が頭皮に食い込ませる。
本当に、今の今までの愚行を思い出せば頭が割れるほど痛くなる。それも昔のことなどではない。私があの御方に非道なことを行ってきたのは、ほんの一ヶ月前まで五年もの間続けていたのだから。
ひと月前、あの御方により婚約者であるマリアを救われた私がこうして今も宰相としての仕事を続けられている。プライド様が与えて下さった償いと罰の為に、宰相として王族と民に尽くし続ける為に。
こんな、夢にまで見た穏やかな日々と宰相として国に尽くし続ける生き方を与えて下さったプライド様に、間違っても今までのような品を送れるわけがない。
今年もプライド様に取り入れる程度の角の立たない品を用意すれば良いと思っていた私は、まだあの御方への誕生日祝いの品を考えてすらいなかった。ただただ単純に絢爛豪華な高級品程度は一週間でも手に入る。しかし!今は!もう‼︎あの御方にそのような粗末品で済ませられるわけがない……‼︎‼︎
「アルバート。……すまないが、やはり明後日は休みを取ろうと思う……。」
「そうしろ。寧ろ私は取れとしか言っていない。来年度の新政策法案や裏稼業の摘発などを進めたいからと休日まで城に入り浸ると言い張っていたのはお前の方だ。」
マリアが城に居るのを良いことにと、そう告げるアルバートは溜息混じりに私の垂れた頭に軽く拳を落とした。
アーサー殿の奇跡により病が治ったマリアだが、長年の寝たきりだった生活から体調が整うまでは城の隠し部屋を借りている。日が経つごとに目に見えて体調が良くなるマリアは、もう最近では侍女達と他愛もない話で笑い合うことまで増えた。昔から人知れずマリアの面倒を見てくれた彼女ら侍女達とそして護衛をしてくれた衛兵にも感謝してもし足りない。このままマリアが屋敷に戻れるまで回復すれば、共に我が家で雇えれば何よりなのだが。
そして明後日も変わらずマリアの様子を伺いながらも城で仕事に没頭しようと考えていたが、……最優先事項ができてしまった。私とマリアの大恩人、プライド様の一年に一度の大事な日だ。必ずや喜んでいただける品を、あの御方に相応した品を用意しなければ。
身体を起こし、再び業務に戻るべくペンを走らせながら私は考える。どのような品であれば、あの御方に喜んで頂けるか。
贈物を選ぶこと自体は慣れている。王族への贈り物も、女性への贈り物もそれなりに心構えはある。だが、年頃の女性でもあるプライド様へ特別な品を贈るのであれば精査しなければならない。あとひと月しかない今、その伝手を手繰り選ぶべきか。一度マリアに相談してみるのも良いかも知れない。彼女も間違いなく、プライド様の誕生日を祝いたいと望んでくれるだろう。
恥ずかしいことだが、たったひと月前までプライド様を妬むか利用しようとしか考えていなかった私は、彼女のことを多くは知らない。必要な人物像としての情報は一通り把握しているが、彼女が産まれてからこの年になるまで深く関わったことなどなかった。まだその二年後に産まれたティアラ様の方がその趣味趣向を理解できている。実際、今まで贈ってきた本や装飾品、香油、ドレスなども喜んで頂き、お会いした時にはお礼まで言って頂いている。……それに比べて、プライド様には。
思い起こせば、また地の底に届くような低い溜息が溢れた。正確にはずっとではない。マリアが倒れ、アルバート達との関係が崩れる前までは幼いあの御方にそれなりに心の篭った品を献上していた。
二年前から取り入る為に送った品も、あくまで王族貴族内で一般的に喜ばれるか羨ましがられるような薄っぺらな品だ。その前に関していえば、ティアラ様とは雲泥の差としか言えない。
今までの償いになるわけがないが、今度こそあの御方へだからこその品をお贈りしたい。相談するならば、残るはティアラ様だろうか。
ステイル様……は、確実に私に協力をしてはくれないだろう。相談したところで「もっと困れ。姉君にあんな品を贈っていた報いだ」と腕を組まれ睨まられるのが容易に想像できる。プライド様の誕生祭の翌日には必ずといって良いほど、城内ですれ違う私へ向ける眼差しが鋭くなっていた。
アーサー殿もプライド様と親しいとは思えるが、失礼ながら彼は女性への贈り物には慣れていないだろう。私よりはプライド様の趣味趣向をご存知ではあるだろうが。
瞬間移動を可能とするステイル様と御友人であることも鑑みれば、何らかの品をプライド様に贈っているであろうことも想像できる。例えばそう、プライド様のお部屋にお邪魔した時に本棚の一番上に並べられていた本。それだけは他の書籍と違い、何やら飾りのようなものがぶら下がっていた。王女の部屋にしてはあれだけは遠目から見ても手製の……、……いやここで思考は止めておこう。私如きがあの御方々のやり取りを暴くなど許されない。
母親であるローザ様はプライド様と距離を取られたままだ。以前と比べれば交流を取られてはいるが、それでも私と大差ない関わりだろう。ヴェスト摂政殿はプライド様とは親しい方だが、やはり趣味思考を把握するほどかどうか。確か、毎年の贈物も王族としての学問関連の品を贈っておられる御方だ。残すはプライド様の侍女達に探りをいれるか、または……
「……因みにですが、王配殿下。最近のプライド様は何か」
「人前以外でその呼び方は改めたのではなかったか、ジルベール。」
言い終える前に彼から叱咤が入る。……またやってしまった。
私から関係を崩してからの彼への話し方が、改まった途端に口に出た。己が愚かさを思い知ってから再び彼との関係をやり直すべく話し方を以前のように直したのだが、緊張するとつい慣れた話し方に戻ってしまう。この前まで彼を裏切っていた私は、昔のように名で呼ぶことも砕けた話し方も止めていた。
あの奇跡の日から二人でいる時は少しずつ以前の話し方を試みた私だが、次第に意図を察した彼の方から敬語と殿下呼びをすると逆に指摘が入るようになった。以前の話し方を試みた時は何も言わなかったというのに、逆に敬語で話してしまう度に指摘されることになるとは思わなかった。一刻も早くこの癖も改めて昔のように意識せずとも話せる日がくればいいのだが。
すまない、といつものように言葉を改めて詫びれば、眉間に皺を寄せた彼は書類に落としていた視線を一度私の方へあげた。
「プライドが欲しがっている物か?昔から本や王族としての勉学に取り組んでいるが、最近では図書館ではなく庭園で読書することも多い。その影響か、最近は植物や花関連の本を読むのも好きらしい。」
流石は良き父。
昔からローザ様の代わりに父親として足繁くプライド様の元へ通っているだけある。こうしてプライド様のこともしっかり把握している。
続けて「花言葉にも詳しいから贈るときは気を付けろ」と助言まで添えられた。以前の私であれば確実に意味深な花言葉の束でも送り付けただろうと自覚する。
しかし花、……か。
貴重な情報を与えてくれた彼に礼を返し、考える。花束、とも考えたがそれでは単調だ。王族であるあの御方は花など大概が見慣れている。ならばまだあの御方が目にしたことがないような物でも取り寄せるか。例えば隣国……アネモネ王国で噂になっている〝希少な薔薇〟はどうだろうか。まだ私も話にしか聞いた事がないが、数が少なく大量栽培に取り掛かっている最中という薔薇があると聞く。今はまだあまりにも希少な為、他国の王族でもなかなか手に入らないらしいが。噂が錯綜し過ぎて〝媚薬になる〟〝魔力を秘めている〟〝色が変わる〟〝清らかな者以外が触れれば枯れる〟〝運命の相手がわかる〟など確かな情報が掴み切れていない薔薇だ。
我が国の王都から最も近い位置に属しているアネモネ王国は、式典や社交界ですらどうにも未だ掴めない情報が多い。貿易国にも関わらず、国王はなかなか外交の為にすら外に出ることが少なく、三人も王子がいるにも関わらず、どの王子の誕生祭でも国外の者を招こうとしない。国王と王妃の誕生祭すら、極限られた者しか招かれない。根も葉もない噂であれば、先月に十五の誕生日を迎えた第一王子が女好きだと軽く耳にした程度だが。
…………やめておこう。アネモネ王国は我が国とは古き仲でもあり今や同盟国でもあるが、そのような怪しい国の謎の薔薇などプライド様には贈れない。もっと確かに確実に喜んで頂ける品でなければ。
確実にお役に立てる物ならば筆記用具の類いや身嗜み関連の品だろうか。花にご興味を持たれているならば、それをモチーフにした物なども良いかもしれない。ティアラ様にお伺いを立ててプライド様がお気に召している花々などを尋ねてみるとしよう。
「ジルベール。……お前がプライドに対して改めてくれたことは嬉しく思う。だが、深くは負うな。ティアラと同じようにお前があの子に良いと思った品で充分喜ぶ。」
私を嗜める彼の言葉が今度は柔らかかった。
私はそれに一言返すと、一人で肩を竦めてしまう。私が今までのプライド様への態度を気にしていることを察してくれる彼は、数少ない理解者だ。
しかし彼は、プライド様と私との間で具体的に何があったかは知らない。今も単にマリアの病が治ったことで私が今までの態度を改めたとしか思っていないだろう。だが、実際はそれだけではない。プライド様は私とマリアの大恩人だ。
態度を改める程度で足りはしない感謝と償いを、少しでも形にしたい。こればかりは彼にも言えない私とマリアだけの問題なのだから。
「ありがとうアルバート。マリアとも話してみるよ。」
「ならば今は仕事だ。二度と本業を疎かにするな。」
勿論だ、と。
今でも変わらず友として接してくれる彼に感謝を込め、私はそれを最後に再び机の上の仕事へ集中した。
……
「……それで、ティアラ様はどう仰っていた?」
アルバートから与えられた休息時間。
勉学の時間を終えられるティアラ様を部屋の前で待ち構え、早速少々だけお時間を頂き相談した私は、その足で愛しいマリアの元へ訪ねた。
顔色も良いマリアは、最近は食欲も通常程度に戻っている。痩せ細っていた身体も今は大分肌の張りを取り戻していた。柔らかな手を傍に座る私の頬に添え、マリアは絹のような美しい笑みを私に向けてくれる。
プライド様への贈り物の相談から、ティアラ様の元へも足を運んだことを告げれば、彼女は前のめりに続きを望んだ。彼女もやはり、プライド様に喜んで頂きたいと私の相談に乗ってくれる。
彼女に応えるべく、私はティアラ様とのやりとりを頬の手に重ねながら語った。
『ジルベール宰相が心を込めて下さったものなら、きっと何でもお姉様は喜びます!』
私の相談に前のめりに受けて下さったティアラ様は目を輝かせ、わざわざ廊下で立ち話よりはと部屋に招き入れて下さった。
恐らくはプライド様に聞かれることと、ステイル様に見つかることを鑑みて下さったのだろう。「プライド様の誕生日について」の一言ですぐ時間をその場で作って下さったのだから。
『お姉様は庭園の草花は全てお気に召しておられます。どんなお花も、どんな香りも、どんな色も、全て愛でています。ですから、今のところは特定の……というのはありません』
アルバートに続き、流石はプライド様の妹君。
単に「全部好き」ではなく、本当にしっかりとプライド様を見ておられる上での判断だった。お気に入りを言えなくてごめんなさい、と眉を垂らして謝られてしまったが、寧ろ嫌いな花はないということだけでも知れて良かった。それに
『あと!筆記用具の類はっ……避けた方が、良いかと思います。お姉様は絶対喜んで下さると思うのですけれど、……』
そこから口を噤まれたティアラ様の助言には、心から感謝した。その一言だけで全て察することは実に容易い。
アーサー殿からの贈り物同様に私が知る権利のない情報を与えて下さったのだから。筆記用具の類は案として考えてもいた為、お陰でステイル様のお怒りを買う心配もなくなった。具体的に何を贈っているかはある程度想像はつくが、被ってしまえばステイル様のご機嫌を損ねるだけでは済まないだろう。あの方から皮肉やお怒りを買う程度は寧ろ喜んで受けるが、傷つけるような結果だけは招きたくない。プライド様の為にそれこそ心を込めて用意した品が私などと少しでも似れば、プライド様が喜ばれようとステイル様自身が傷付くことは目に見えている。……ただでさえ、彼は私と似た部分があるから系統が似る恐れは充分ある。現に筆記用具の類いという点で既に重なったのだから。
『あとは、……難しいと思いますけれどお姉様はきっと〝ジルベール宰相だからこそ〟の品だとすごく嬉しいと思います。高価な物でなくて手製でも、お姉様の御趣味でなくても、きっと。』
本当にティアラ様はプライド様を理解しておられる。
あの言葉こそまさに真理とも言えるだろう。確かに、私達がお慕いするプライド様はそういう御方だ。高価な物や希少な物でなければ喜ばないような御方ではない。
「そうね。……なら、貴方らしいものを考えないと。」
「ああ、とても難しいけれどね。」
話し終えた私の髪を横から撫でながら笑むマリアに私も返す。
ティアラ様も最後には両拳を握って「頑張って下さいっ‼︎」と力いっぱいに私を鼓舞して下さった。わざわざ私の為に時間を空けて下さったティアラ様の優しさにも応えなければ。
アルバートから与えられた休息時間の最後まで、私はマリアと相談を続けた。どのようなものなら喜ばれるか、と二人で案を出し合い語り合う時間は実に楽しいものだった。
そして最後、マリアからの助言もあり贈物の目処が立った私は早速明後日の休息日に王都まで足を運ぶことを決めた。まだ身体が万全ではないマリアが共に行けないことは残念だったが、来年こそは共にその店にも行こうと約束をする。
肩の荷が降りた私は、その後の宰相業務は恙なく進ませることができた。
……
「えっ……⁈わ、私に……⁈」
誕生祭の二日前。
私達はマリアのお見舞いに来ていた。城内で今も身体を休めているマリアだけれど、流石に私の誕生祭には体調的にも出席が難しいからその前に宜しければとジルベール宰相からお誘いして貰った。私達もマリアには会いたかったし、明日からは忙しくなるから是非ともとアーサーの休息時間に合わせてくれたジルベール宰相と一緒に尋ねた。
……まさか、この場で誕生日プレゼントを貰えるなんて夢にも思わずに。
「二日早いお祝いですが、私とマリアからです。彼女も是非直接プライド様にお渡ししたいとのことでしたので」
そう言ってジルベール宰相が手渡してくれたのは、見るからに高級感の漂う鮮やかな装飾の箱だった。四人分のホールケーキくらいなら入りそうな大きさの箱は、両手で受け取ってもずしりと重くて確実に中身はケーキじゃない。
あまりに突然のサプライズに瞼が開ききったまま動かない。ぽかんと口を開けたまま受け取る中でティアラは横で嬉しそうな悲鳴を上げるし、アーサーも箱の時点で豪華さを察して感嘆の声を漏らした。ステイルだけが眉間に皺を寄せてまじまじと箱を腰を曲げて覗き込んでいる。
「マリアが関わっているならきっと良い品でしょうが。……ジルベールの悪趣味と姉君の趣味は異なるので」
ジロ、と低めた声のステイルがジルベール宰相を睨んだ。
ス、ステイル⁈と慌てて私が振り返れば、ティアラも「兄様!」と叱るように頬を膨らませてステイルの手の甲を細い指で抓った。アーサーはわからないように首を捻るし、ジルベール宰相本人は苦笑で済ませてくれているけれど、私の方は一気に冷や汗まで伝った。マリアは困ったような眼差しでジルベールを見てるから、もしかするとある程度話を聞くか、察しているのかもしれない。
今まで、ジルベール宰相は宰相として毎年他の貴族同様に誕生祭当日私に贈物をしてくれていた。ただ、……それが少なくとも私の記憶がある頃からはずっと何とも言えない品が多かった。凄く宝石自体は素敵なんだけれど、ゴテゴテし過ぎてお子様の私には着こなしにくいネックレスとかあまりに奇抜なデザインのアクセサリーとか、凄く手に入りにくい珍しい香水だけど、なかなか香りが独特だったり、私の髪量の多さ的に身に付けるにはなかなか工夫が必要な髪飾りとか。……養子になったステイルが「因みにジルベール宰相からの品は」と積極的に見たがってからは、わりと意識して確認するようになったけど毎回そんな感じのものだった。最初にそれを見た時のステイルが幼いながらに黒い気配を醸し出していたのは未だに忘れられない。いやでもここ一、二年は劇的にセンスの良い調度品とか贈ってくれてるし‼︎
といっても、マリアの件で自白してくれたのを思い返せば多分あの贈り物も色々敵対していた私への嫌味とか皮肉とか、……あとは取り入る為の諸々だったのだろうなと今ならわかるけれども。
でもそれなら、今こうして渡してくれたこれはジルベール宰相からの何も含みもない記念すべき品かもしれない。そう思うと今さらながら手の中の箱を前にわくわくと期待で胸が膨らんだ。
「ありがとうございます……!早速開けても良いかしら……⁈」
勿論です、とジルベール宰相とマリアが声を合わせて笑ってくれる。
箱を開ける為に一度置こうとすれば、マリアの為のミニテーブルしかなかったので、そこに一度置かせてもらった。ギリギリ乗せられるサイズだった箱を落とさないように丁重に置く。
リボンを解いて包装を一つひとつ取り払っていく。ティアラも解いた後のリボンを受け取ったり手伝ってくれて、両脇からはステイルとアーサーも興味深そうに覗き込みながらも箱が落ちないように手を添えてくれた。
とうとう綺麗な包装が全て取れ、箱の蓋をそっと持ち上げる。全く想像もつかない箱の中身は
「香水……?」
キラキラと日差しを浴びて反射した、可愛らしい小瓶が四つ。ひとつだけ、お試しサイズかのように凄く小さい瓶だけど、残りの三つは通常の香水サイズの小瓶だ。
「ええ」と機嫌の良さそうなジルベール宰相の声に押され、最初に私は一番小さな香水を手に取る。ルビーのような深い色合いの瓶はそれだけでも可愛い。ぷしゅっ、と吹かす部分を数回摘むと途中からとても上品な香りが広がった。ふわり、と何種類もの花の香りが一度に綺麗に合わさって、音楽だったらトリオやカルテットどころがオーケストラレベルだ。荘厳とも感じられる香りは、花畑を凝縮したかのようだった。以前に貰った香りの独特な香水とは大違いの素敵過ぎる香りだ。是非とも愛用したいくらい。これだけ極小瓶なのが惜しいけれど。
「こちらは香りを先にお試し頂くために添えさせて頂きました。もし問題ないようでしたら、他の三つと同様の大きさのものを誕生祭で例年どおりお渡しさせて頂こうと思うのですが。」
えっ!?あるの?!
ジルベール宰相からの穏やかな声に思い切り反応して首を向けてしまう。
まさか誕生祭用にも用意してくれていたなんて!確かに誕生祭で公式にもジルベール宰相は私に渡さないといけないけれど、まさか一度の誕生日で二回もプレゼントを貰えるだなんて思わなかった。
まさに欲しいと思っていたところだったので、私は言葉を整えるのも忘れて「是非っ!」と声を弾ませてしまった。その途端、ジルベール宰相がにっこりとした笑顔の後に恭しく優雅な動きで礼をしてくれた。「仰せのままに」と言われてしまい、なんだか年甲斐もなくはしゃいでしまったことが恥ずかしくなる。
「お姉様っ!他の小瓶も開けてみてくださいっ!」
ティアラの弾む声に押され、そうねと私は他の小瓶も手に取ってみる。それぞれ色分けされた小瓶だからわかりやすい。まずは金色の装飾の小瓶を手にまた蓋を開けて同じようにぷしゅりと香ってみる。今度も甘い花の香りだ。
けれどさっきのとは違う、なんというか甘さが強い。ねちっこい甘さではなくて蜂蜜のようなフェミニンな香りだ。さっきのがすごいエレガントだったから、余計に甘さが際立って感じるのかもしれない。うん、これはこれで凄く好き。女の子らしさが詰め込まれてうきうきする香りだ。
女の子らしさの化身であるティアラも気に入ったらしく、香った途端にうっとりと声を漏らしていた。
「すっごく可愛い香りですねっ!私とても好きです!」
くんくん、と鼻を揺らすティアラは子ウサギみたいで可愛い。二回続けての甘い香りにアーサーは少し鼻を擦っていたけれど、それでも「こっちもいい匂いですね」と言ってくれた。
また続けて次の小瓶を手に取る。黒色の小瓶は同じデザインなのにちょっと魔女っぽい。持った途端、ステイルが「毒でも入っていそうですね」と文字通りジルベール宰相へ毒を吐いた。マリアが怒らないか心配だったけれど、むしろクスリと笑っていた。
御心配なく、とやはり笑顔で返すジルベール宰相に何だか私の方が申し訳なくなりながら、またぷしゅりと押した。
今度はまたさっきと違うシトラス系の香りだった。柑橘系の爽やかな香りが広がって、ミントも混ざっているのか、香った後の感覚がスッとして心地良い。アーサーがさっきよりも大きく息を吸ってる音が聞こえた。うん、男性にはこちらの方が親しみもあるだろう。
「……良いですね。…………ジルベールのくせに」
素直な呟きの後、少し忌々しげそうな声が聞こえた。
ステイルがそう言うということは、結構気に入ったのだろう。ジルベール宰相からの贈物じゃなかったら同じものが欲しいと思ったのかもしれない。欲しいのに言えないのが残念なのか、単に文句のつけどころがなくて悔しいのか。どちらにしても可愛らしいと思ってしまい、悪戯にぷしゅっとステイルに軽くかけてしまう。
ちょっと驚いたように目を丸くしたステイルだけど、私がふふっと笑ってしまうとぱちくりと瞬きで返してくれた。既に私もティアラもステイルも香水は嗜みとしてつけているけれど、今日のステイルの香水ならちょっとくらい香りが混ざっても変な匂いにはならないだろう。
「良い香りですっ」とステイルにくんくんっと鼻を近づけるティアラと少し照れたように唇を結ぶステイルは凄く微笑ましい。二人ともゲームくらいに大きくなったら完全に奥様と旦那様の図に見えるくらいの仲睦まじさだ。やっぱりこうやって見るとステイルルート捨て難い。
そして最後に銀色の小瓶を手に取る。
早速ぷしゅっとしたかったのだけれど、既に三種類の香りを放ったせいでちょっと鼻が麻痺しかけている。私が思わず手を止めて場所を変えようか考えると、ジルベール宰相が流れるような動きで小さな窓を全開にしてくれた。ちょうど風の強い日だったお陰もあり、風が勢い良く洪水のように耳を掠めて香りを連れて行った。
また残って入るけれど、だいぶ部屋全体の芳香濃度が薄れたところで改めて私は最後の香水を使う。数回押した後にシュッと吹いた香りは、森林のような香りだった。グリーン系というか、ハーブも混じっている気がする。落ち着いた深みもある爽やかな香りだ。私やティアラ、というよりもステイルがつけているような紳士用の香水に多い系統だけど、上手く上品さを際立たけるように仕上げているお陰か、大人の女性としても調和のとれた香りだ。柑橘系も含まれているけどさっきのがライム系に対してこっちはオレンジ系だ。良いアクセントにもなっている。
「俺はこの匂いが一番っすね。」
アーサーも気に入ったらしい。
あまり香水とかに興味を持たないであろうアーサーが気に入ったのから考えても、癖が強過ぎない香りで素敵だ。こんな素敵な香水セットを一度に貰ってしまって本当に良いのだろうか。どれも凄く素敵な香りだし、使うのが勿体無い。
「すっごく素敵です……ありがとうございますジルベール宰相、マリア。大事に使いますね。」
最後の香りを楽しんだら、今度は最初の香りが恋しくなる。このままだと香りに酔うまで楽しんでしまいそうだと思うくらいどれも気に入ってしまった。弾む胸を両手で押さえながら改めて二人にお礼を伝えると、マリアもジルベール宰相も木漏れ日のような温かな笑顔を返してくれた。本当に本当に嬉しい。間違いなく今まで貰ったジルベール宰相からの贈物で一番だ。
どれも今まで扱ったことのない香水だし、それを四種類も一体どうやって手に入れたのだろう。裏稼業関連から手を引いた後もジルベール宰相の情報網と手腕は底が知れない。手品の正体を教えて欲しいくらいの興味で、うずうずとどこで購入したのか聞きたくなる。いっそ御用達にしたいくらいだ。
すると私の心を見透かしたようにジルベール宰相は「気に入って頂けて何よりです」と一歩前に出た。
「王都で腕の良い調香師を訪ねた甲斐がありました。こちらの品は全て、私が依頼したものでして。」
配合した成分も私で選ばせて頂きました、と続けるジルベール宰相に言葉が出ない。
えっ、依頼⁈!しかも今の言い方だと香りもブレンドもジルベール宰相が選んでくれたってことじゃ⁈流石に量の微調整や配合調合自体は調香師さんの腕の見せ所だっただろうけれどつまりはジルベール宰相オリジナルブレンドってことじゃない‼︎
恐るべし、ジルベール宰相。
宰相兼天才謀略家だけでなく、そんなセンスもあったなんて流石だ。香水の香りなんて混ぜようとすれば多種多様だし、それでこんな素敵な香水を作っちゃうなんて。
開いた口が塞がらず固まってしまう間、私だけでなく誰も言葉が出ていなかった。皆もおそらく私と同じ感想なのだろう。私達の総意を読んだようにジルベール宰相が「いえ、香りを選んだだけで調合や香りの配分は人任せですが」と謙遜したけれど、充分凄すぎることには変わりない。
「マリアの案でして。こちらの四種類はそれぞれ、〝皆様の〟イメージで調合させて頂きました。御本人様にもお気に召して頂けたようで嬉しい限りです。」
……へ⁈
今度はひっくり返った声が出た。
……いま、皆様のイメージって言った?
ジルベール宰相と目の前の香水四種類セットを見比べる私の横でティアラが息を飲む。更にステイルが怖々した声で「まさか……っ」と呟き、抑えた。何も音を発しないアーサーの方を向けば目が転がしそうなほど丸い。最後にゆっくりジルベール宰相の方を見直せば、にっこりと優雅な笑顔が広がりきった私の視界に映った。
「ええ。最初の試供がプライド様、次がティアラ様、次がステイル様、最後がアーサー殿を主題で構想させて頂きました。」
イメージ香水⁈‼︎‼︎
featuringキミヒカの香水とか前世でもグッズ展開されなかったのに‼︎‼︎
顎が外れそうなほど開いて両手で覆ってしまう。もうジルベール宰相のセンスには脱帽としか言えない。確かにティアラもステイルもアーサーもイメージぴったりだし、凄く似合う‼︎もういっそ私なんかじゃなくて三人にそれぞれ愛用して貰った方が良いんじゃないかと思ってしまう。……いや、でも……うんやっぱり手放せない。こんな素敵な香水は一生宝物にしないと。
「すっっっごく素敵だと思います……。ジルベール宰相、マリア、こんな素敵なものを本当にありがとうございます……」
一生大事にします、と付け加えつつ小瓶を箱の中からまた手に取る。うん、言われてみると本当に三人そのものに思えてきてしまう。つまり私の誕生祭では私をイメージした香水を贈ってくれるんだなと理解すると、今から余計に誕生祭が楽しみになった。試供でもすごく私好みだった香りだけど、ジルベール宰相が私をイメージしてくれたと思うと余計好きになる。……ラスボスの香り、というとあまりいい感じもしないのが申し訳ない。ラスボス女王イメージの香水がこんな素敵で美しい香りでいいのだろうか。いやでも残る三つはまさにだし!ティアラもステイルもアーサーも本当にイメージ通りで素敵もの‼︎
小瓶を眺めれば眺めるほど、もうなんだか顔がふにゃりとふやけてしまう。もう本当に嬉しくて堪らない。絶対に大切に使わないと。
「プライド様達のはすげぇぴったりでしたけど、……俺の、イメージすか……⁇」
ふいにアーサーの声に顔を向ければ、アーサーも自分の香水だけはピンと来ないらしく一人目を未だにぱちくりさせていた。アーサーは騎士だし香水は使わないし、馴染みがないから自分のと言われても釈然としないのだろう。でも、さっき自分のテーマの香水は一番気に入った香りだと言っていたし、不満ではない筈だ。
ティアラは「とてもぴったりです!」と言ってくれたけど、ステイルは唇を一文字に結んだまま黙してしまっている。多分ジルベール宰相の品を褒めるのを躊躇っているのだろうなと思う。私は銀色の小瓶をまた手に取ると、ステイルの時と同じようにシュッと軽くアーサーへ吹きかけた。
なかなかの不意打ちだったらしく「⁈な、ンすか!」と声を上げながら肩を上下させたアーサーは、森林の香りに一歩たじろいだ。大き過ぎる反応に、悪戯成功気分で笑ってしまう。
「ティアラも、ステイルも、それにアーサーもぴったりよ。どの香りも大好きだもの。三人の香水だと思うと余計に好きになっちゃったわ」
思った気持ちをそのままに言葉にすれば、ステイルとアーサーの顔がぽわりと湯だるように火照った。
ティアラも、と三人一括りの香水で言われたのが嬉しかったのかもしれない。香水とはいえ、可愛いティアラとセット扱いなんてなんだか特別な気分だろう。
三人セットで照れてしまったことをごまかすように、直後にはステイルとアーサーが拳を握りながら前のめりに私に声を上げた。
「プライドの香水も!……と、てもお似合いで、素敵……だと思います……っ!」
「俺も!思います……。その、プライド様にぴったりの、綺麗で……可愛い香りだと……」
私のこともセットに忘れてないよ、と言わんばかりの優しいフォローに胸が擽ったくなる。本当に二人とも優しい。その為にステイルはジルベール宰相の前で香水を褒めてくれるし、アーサーなんて「可愛い」なんて私に合わない言葉までわざわざ気を使って使ってくれている。でも、本当に二人も私の香水も気に入ってくれたなら嬉しい。私も一番気に入った香りだったもの。
「ありがとう。そう言ってくれると嬉しいわ。素敵な贈物をしてくれたジルベール宰相とマリアのお陰だわ。早速どれか一つ私も使わせて貰おうかしら」
ふふふっ、と笑いながら手の中の銀色の小瓶と残りの二つを照らし合わせる。私のは香りを確かめるようにちょびっとしか今はないけれど、残りの三つなら
「!ッいや俺ンは‼︎」
「!ティアラのが良いと思います‼︎!」
……なんか食い気味に押された。
さっきの倍以上の声を荒げる二人にびっくりして息が止まる。まだ二人とも火照りが引いていないのか顔が……というかさっきよりも赤い気がする。必死ともとれる形相で私に待ったをかける二人を訳もわからず見返してしまう。そんなに二人ともティアラの香水が忘れられないのだろうか。
なら、今だけでもお裾分けしてあげようかと金色の香水を二人に向けると今度は揃って「駄目です‼︎」と叫ばれた。
「俺も!アーサーも‼︎先ほどので香水がついてしまっているので‼︎‼︎流石に男女で揃いの香水をつけては、そのっ……」
まるで犯人に銃を下させようとする勢いで早口に叫ぶステイルが、途中からは唇をきゅっと結んでしまう。
アーサーもステイルに同意するようにコクコクと凄まじい勢いで頷いている。アーサーも同じ理由らしい。そういえばもう既に二人には私が悪戯心でそれぞれの香水を掛けてしまった後だった。
言われてみれば確かに。男女でお揃いの香水なんて意味深過ぎる。唯一無二の香水だし、鼻の良い人にはすぐ気づかれるかもしれない。アーサーなんて騎士団で香水とか珍しがられるか浮くかもしれないし、ステイルに至っては姉とお揃いとかこの年頃になると嫌だったかもしれない。そう思うと悪気はなかったとはいえ、悪いことをしてしまったと反省する。香水の香りは一日はなかなか取れないもの。
ごめんなさい、と私から二人に謝ると、二人とも首をブンブンと横に振って許してくれた。「わかって頂ければ……‼︎」と何故か二人の方が必死過ぎて、相当嫌だったのだなと理解する。しかもたった今私はティアラの女子力最強の香水まで二人にふっかけようとしたのだから。あまりにもジルベール宰相からの香水が嬉しかったとはいえ、ちょっとはしゃぎ過ぎた。……二人とお揃いの香水は駄目と言われたのはちょっぴり残念だけど、仕方ない。
結局、ティアラの香水を今日は付けさせて貰うことにした。ふわりと甘い香りが身体を包んで、ティアラの恩恵で少し女子力も上がった気分になる。
「お姉様!私も宜しいですか……?」
小瓶を再び箱に戻そうとした時。ティアラがそっと私に細い手を添えて上目で覗いてきた。
え?とどういう意味が分からず聞き返すと、どうやらティアラも金色の香水をワンプッシュ欲しいらしい。勿論よ、とこの香水が確実に私より似合うティアラにシュッと振り掛けると、嬉しそうに頬を緩めて「ありがとうございます!」と笑ってくれた。
「お姉様とお揃いなんて、すっごく嬉しいですっ!」
まるで私の憂いを察してくれたように天使な発言をするティアラは、声を跳ねさせたまま小瓶を箱に戻した私の胸に飛び込んできた。
両手で受け止めると、ふわりと自分にもかけた筈の甘い香りが鼻を擽った。うん、やっぱりティアラにすごく似合う。
ステイルやアーサーとは叶わなかったけど、可愛い妹のお揃いの香水なんて夢のようだ。
そうね、と言葉を返しながらまた嬉しくて堪らずティアラをぎゅっと抱きしめ返してしまう。女姉妹って良いなと改めて思う。
その間にもジルベール宰相がまた丁寧に箱の中に香水をしまい直すと、鮮やかなお手並でシュルシュルとまたもとの包装状況にまで戻してくれた。
「この先も。……毎年、プライド様の香水は誕生祭の度にお送りさせて頂ければと思います。」
この先、という言葉に僅かな重みを含めて言ったジルベール宰相は静かに微笑んだ。
嬉しい。私をイメージしてくれた香水を誕生祭で毎年貰えるなら、これからずっと愛用できる。ジルベール宰相が作ってくれる世界でたった一つの私の為の香水なんて特別過ぎる。
是非、と弾みそうな声を抑え、言葉を箱を改めて両手で受け取る。するとジルベール宰相は「そして」と切れ長な目を緩めながら更に、驚くべき提案を続けた。
「もし、プライド様のご希望であればー……」
……
「おや、ステイル様。折角の休息時間だというのにプライド様の元へ向かわれなくて宜しいのですか?」
むっ、と私の言葉に眉間の間を狭められたステイル様は今、私の部屋で寛いで居られた。
正確には宰相である私の執務室でソファーの上で足を組み、法律書を片手に熟読しておられた。ちょうど私から王配業務の手解きが終わり、ヴェスト摂政から許された休息時間を時計の針が五分過ぎ去った時だ。
いつもならば針の動きと同時に部屋を出ていくステイル様が、今日はそのまま動かない。最初はてっきり私の部屋から借りていく法律書を選別しているのかと思ったが、立ち見からすぐにソファーで足を崩された。
まさか諍いや喧嘩ではないだろうが、と思いながら尋ねればステイル様から返されたのは地の底に響くように低めた声だった。
「……お前の香水の所為だ。」
不機嫌この上ない声で一言そう断言された後、またステイル様は法律書に目を落とされた。
あぁ……と私もその言葉で察し、声を落とす。既に暗記が済んでいる筈だというのに何故無意味に眺めておられているのかと思えば、成る程。
わかってしまえば、笑いがこみ上げて来たがここ肩でも揺らそうものならばステイル様の導火線に火が尽きかねない。何とか苦笑で納め、肩を竦めてステイル様へ投げ掛ける。
「今日はステイル様の香水でしたか。年に一、ニ回にも関わらず記憶に留めてて頂き光栄です。」
「ッ忘れるものか……!」
感謝を込めた言葉も破裂前の熱源に焼かれる。
ギラリ、と黒縁眼鏡の奥を鋭くされたステイル様は、先ほどよりも顔色にまで火照りの色が濃くされた。破裂音かのように勢い良く分厚い本を閉じられた後、今度は怒りに顔を更に赤く染められる。
プライド様に例の贈物をするようになって早四年が過ぎた。あれからというものの、変わらずプライド様は私からの香水を頻繁に愛用して下さっている。
プライド様をイメージした香水は週に数回。一年に一回新しいものをお贈りする為、遠慮なく使って下さる。そして、それ以外の香水はそれぞれ年に一、ニ回程度。勿体無いから大切に使いたいと、プライド様は他の香水は惜しみながら使って下さっている。ただ、その日が文字通りプライド様の気分次第な為、彼らにはどうしても心臓に悪いらしい。
「いっそのこと私から提案致しましょうか。例えば、その香水をつけるのはそれぞれの誕生日にされてみてはなど」
「ッ俺の誕生祭を大失敗させるつもりか‼︎‼︎平静を保てるわけがないだろう‼︎既に一度姉君に未遂されたのを断っているくらいだ‼︎」
良案と思ったが、逆に牙を剥かれてしまった。
既に未遂というところが流石プライド様らしい。呑気にそう思っていると、ステイル様は羞恥を隠すかのように勢いに乗って私へ言葉を続けられた。完全に本を手放し、身体ごと私の方へ向き直られる。「毎年毎年毎年……」と呪詛のように紡がれた後、思いついたままか声を荒げられる。
「三ヶ月前の姉君への誕生日祝いなど今や完全に危険物だ。お前の香水の所為で姉君の護衛に不備が生まれて第一王女が怪我でもしたらどうしてくれる。」
「おや、それは困りましたねぇ。プライド様にはそれはそれは喜んで頂けたのですが。」
「現にひと月前はアラン隊長が、三日前はカラム隊長が明らかに調子を崩した。あの香りを漂わす姉君の傍を離れられない彼らの身にもなれ。アーサーだって未だ慣れていない。」
「それでは、残念ですが香水は今年で最後にすべきでしょうかね。」
「ふざけるな。姉君が毎年どれだけお前からの品を楽しみにしていると思っている?」
言っている事が矛盾しているようにも聞こえるステイル様は、最後にフンっ!と鼻を鳴らすと、本を再び開かれた。
結局は異議はあるが香水の贈物自体は続けて良いということだろう。片腕たるステイル様に「楽しみにしている」と教えて頂けると、余計に毎年用意のし甲斐がある。
プライド様の希望人物に因んだ香水は。
『もし、プライド様のご希望であれば毎年プライド様のご希望に添った人物でまたお作り致しましょう』
四年前、プライド様にそう御提案した時に目を輝かせて下さったのは今でも忘れられない。
それからというもの、毎年プライド様から希望を受けては翌年の誕生日にその希望通りの人物の香水を直接私の手からお贈りさせて頂けている。
今年の十八の誕生日には、一年前の十七の誕生日にプライド様自身がご希望された〝レオン王子〟〝アラン隊長〟〝カラム隊長〟〝エリック副隊長〟の香水を。
去年の十七の誕生日には、十六の誕生日に希望された通りに〝ヴァル〟〝セフェク〟〝ケメト〟の香水を。
十六の誕生日には、十五の誕生日に希望された〝ロッテ〟〝マリー〟〝ジャック〟
そして、十五の誕生日にはー……、……。
『なら、来年はジルベール宰相とマリアの香水を是非っ!だって二人も私にとって大事な人達ですから!』
四年前。そう言って、花のような笑みを向けて下さった。
まだ、私があの御方に大罪を明らかにしてからふた月程度した経っていないにも関わらずだ。
そして今年も、……ご希望通りの香水を献上すればプライド様はあの時と変わらぬ笑みで喜びを露わにしてくださった。そして弾む声でまた来年の香水の希望を語って下さった。あの御方が嬉々としてご自身の望みを語ってくださるひと時は、私にとっても幸福な時間だ。あの御方が望んで下さる限りは、変わらずその期待にお応えしたい。たとえ何年、何十年、……いくら年月が経とうとも。
その度に、どのような香水よりも華華しいあの御方の笑みを受けられるのならば。