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フリージア王国備忘録<特別話>   作者: 天壱
重版感謝

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そして満足する。


「バレンタイン……ですか?」


虚を突かれたように言葉をそのまま返す騎士団長のロデリックにプライドは思わず肩に力が入った。

レオンとヴァルとの茶会を終え、近衛騎士が交代する時間になる前にとプライドは騎士団演習場に訪れていた。馬車で突然訪れたプライドを急ぎ迎えたロデリックと副団長のクラーク、そしてそろそろ王居に向かおうと思っていたアーサーとエリックも彼女達に合流できた。


「今年のバレンタインはその、……ちょっと逃してしまったので。今更とは思いますが、受け取って頂ければ幸いです」

まずはロデリックとクラークに一つずつ手渡す。

騎士団奇襲事件後からプライドにチョコを送られている二人である。ありがとうございます、と深々礼をして受け取った二人に続き、今度はエリックとアーサーにも一つずつ手渡した。

まさか今日バレンタインチョコなどを渡されるなど思ってもいなかった二人は、受け取る前から手が強張った。プライドからのサプライズということもそうだが、それ以上に周囲の視線が熱くて痛い。

例年は近衛騎士の任が終わる際に、帰りがけに渡されていた。ロデリックとクラークも、従者伝てか近衛騎士伝てで届けられることが殆どである。しかし、今回はバレンタインが遅れてしまったお詫びとリベンジも兼ね、プライドは自分の手から渡せる相手はなるべく直接渡したかった。

結果、隠しようもないチョコの存在にアーサーもエリックも今から守るように包みごと箱を懐の位置に近付けた。プライドが去るか、もしくはこのまま交代するのならその前に部屋へ置きに行かなければと考え



「今回のお菓子は私とティアラの手製で。母上達には内密でお願いします」



「ッッッす!みません‼︎自分、今すぐ部屋に置いてきます!!」

「じ、自分も。申し訳ありません、交代前にすぐに戻りますので……‼︎」

失礼致します!と、容赦のないプライドの爆弾発言に今度こそ背筋がビリリと伸びたアーサーとエリックは一目散に駆け出した。

まだ演習中ということもありそこまで大勢の騎士が集まってはいないが、それでも複数人に目撃されてしまっている。

幸いにも今は目撃者の殆どが新兵である。これ以上騎士が集まってきた後では、逃げるのも品を守り抜くのも危険だと確信した二人は早々に撤退を決めた。これ以上の騎士達に見つかれば、本丸の安全は厳しい。

二人の慌てる様子と、それに照準を合わせるように視線で彼らを追う部下達にロデリックは長く深い溜息を吐いた。隣ではクラークがくっくと喉を鳴らして笑っている。

バレンタイン翌日には毎年のこととはいえ、彼らの早期撤退は正しいと思う。間もなく次の演習に移る時間になる。そうすれば、今の倍以上の本隊騎士が集まってくるのだから。

突然いなくなってしまったアーサーとエリックにプライドが瞬きを繰り返す間にも、騒ぎを聞き付けた騎士達の数は刻々と増していた。


「ところで、あとハリソン副隊長にもお持ちしたのですが……今日は演習にいらっしゃいますでしょうか?」

「!ああ、少々お待ち下さい」

二人が往復している間に手渡して置こうと考えるプライドに、クラークは視線を一方向に向けてから手を叩く。

近衛任務の為に演習を抜けたアーサー達と違い、ハリソンは八番隊の演習監督中である。

八番隊のいる演習所の方向に上体だけで振り返ったまま軽い調子で手を叩いても、そこまで響く音にはならない。しかし同時にクラーク自ら「ハリソンに伝令だ!プライド様がお呼びだぞ!」と声を上げれば後はすぐだった。

クラークの声が本当に届いたのか、それともクラークの命を聞いた新兵達の伝令が届いたのか。アーサー達が往復するよりも先に演習所から高速の足でハリソンが駆けつける。

ふわり、と短く風が吹いたと思えば、人混みをかき分けたハリソンが当然のように高速の足でクラークの横に直立している。

お待たせ致しました。そう言葉も淡々としたハリソンに、プライドも少し顎を反らしたがすぐ持ち直す。平静を装い笑みを作りながら、改めて最後の包みを彼へと差しだした。

エリック達と違い、最近近衛騎士になった彼にバレンタインチョコを贈るのは今年が初めてである。


「ハリソン副隊長、こちら遅くなりましたが私とティアラからバレンタインのチョコ菓子です。宜しければお暇な時にでも召し上がって下さい」

続けて、本来渡すべきだった時期に渡せなかったリベンジであることと、手製であることを説明する。

プライドの話に目を見開きながら両手で包みを受け取るハリソンだが、終始無言だった。全て聞き終えてから「ありがとうございます」とだけ返すが、奇妙なものでも見るように包みへ何度も首を傾ける。

あまりにも反応の薄いハリソンに、もしかして甘い物は苦手だったかしらとプライドも後からじわじわと汗が沁みてきた。視線の先では包みの中身を確認しようとまではせず、ただ頭を深々下げるだけだ。

相も変わらず言葉数の少ないハリソンへ苦戦するプライドに、そこでとうとうクラークが「申し訳ありません」と笑いながら補足に手を上げた。発言の許可を求めるクラークにプライドが頷けば、ハリソンも口を閉ざしたまま姿勢だけが再びピンと伸びた。何を言われるかと心して待つハリソンの肩へクラークは手を置き、落ち着けた声で彼へと尋ね出す。


「ハリソン、バレンタインは知っているか?」

「存じません」

「二月十四日に女性から親しい男性にチョコを贈る伝統だ。…………チョコは知っているか?」

「存じません」

ええええええええええええええええええええ⁈と心の中で絶叫するプライドの笑顔が今日一番に引き攣っていく。

プライドだけではない、背後に控えるカラムとアラン。そして周囲の騎士達もこれには驚いて声も漏らす者もいた。

バレンタインを知らないことなら未だ納得できる。いかにも式典や祭りごとにも興味のないハリソンらしいと思う。しかしチョコレートぐらいは誰でも知っている。

あくまで酒と同じ嗜好品ではあるが、同時に酒と同じくらい市場に知れ渡った菓子である。

口にしたことが無いはまだあっても、知らない人間などいるのかと本気で疑った騎士もいた。長く溜息を吐くロデリックに並び、クラークだけが笑うだけで留めた。ハリソンの教育係を担った彼にとっては、そういえばまだチョコレートは食べさせたことがなかったなと思い起こす程度のことである。


「簡単に言うと甘くて苦い菓子の一つだ、美味いぞ。申し訳ありませんプライド様、騎士団の食事には滅多に出ないもので……」

ぺこりと笑顔で頭を下げてくるクラークに倣い、ハリソンも無表情のままそれ以上に深々下げた。

しかしプライドはまだ衝撃のままだ。「いえ……」と枯れた声しかでてこない。まさかチョコの存在自体を知らない人間がいるとは彼女も思わなかった。一生に初めて食べるチョコ菓子が素人の自分によるケーキで良いのだろうかと妙な責任感まで抱いてしまう。

ハリソンにとって式典すら大して興味がない中、バレンタインなど耳にすら入らない。毎年一回アランやアーサー達が騎士達に追いかけ回されているのは知っていたが、騎士団でバレンタインやチョコの話になっても全くハリソンに興味は湧かなかった。しかも下級層育ちの彼にとって嗜好品=縁がない。騎士団の食事に出なければ基本的に自分から食事すらしようとしないハリソンにとって、食べ物自体身近な存在ではない。


「あの、お口に合わなかったら無理しなくて結構なので……」

「いえ、ありがたく頂きます」

逆に畏れ多さから謙虚に出てしまうプライドに、ハリソンが断った。

チョコがどんなものかは全く想像がつかないが、甘くて苦い。そしてクラークが「美味い」と言い、他でもないプライドが手製した品であれば泥の固まりでも食べきる自信があった。

食事に関心はなくても、好き嫌いもないハリソンなら問題なく美味しく食べるだろうとクラークも思う。

良かったです……と返しながらも、自然と自分の胸を両手で抑えてしまうプライドにそこで「プライド様‼︎」と聞き慣れた声が飛び込んだ。

アーサー達である。騎士館からチョコだけ置いて再び疾走して来たアーサーとエリックの前には、既にひと目でプライドの姿が確認できないほどの数まで騎士達が集まっていた。

「すみません」と人混みをかき分け、最前列に並ぶアーサーとエリックがそこでやっと息を整えプライドに頭を下げる。お待たせ致しました、と声を合わせながら改めてチョコの礼を彼女に伝える。


「あ、りがとうございました……。すげぇ、嬉しいです。あとでちゃんと味わって頂きます」

「毎年お気遣いありがとうございます。本当に光栄です」

全力で走ってきた所為か、それとも騎士達の注目を浴びている所為か、手製の菓子という事実に向き合った所為か。呼吸が整っても顔の火照りが消えない二人だが、礼だけはぴっしりと背も伸びていた。

良かったわ、とプライドも二人がお礼を言ってくれたことにほっと胸を撫で下ろしてから笑顔を返す。砂糖菓子のようなティアラの手製だと聞いた途端に、丁重な保管をと慌て出した二人はきっと食べる時も丁重に食べてくれるのだろうと思う。


「……隊長。エリック・ギルクリスト。第一王女殿下を置いて何所に行っていた?」

ぎくっっ‼︎と、何の前置きもなく三人の会話に入って来た声にアーサーとエリックは同時に肩が上下する。

淡々とした声の主に、彼もいたのかと二人は同時に気が付いた。声のした方へ視線を移せば、去る間際にはいなかった人物がそこに佇んでいた。プライドから受け取ったのであろう包みを手に横目で睨んでくる彼に、アーサーとエリックは揃って半歩たじろいだ。

アーサーが絞り出す声で「頂いた菓子を……一度置いてきていました」と言えば、ハリソンも自分の包みとアーサー、そしてプライドを見比べてから納得した。

もしこれが単なる遅刻で待たせていたのなら斬り掛かるべきかとも考えたが、これから近衛任務の彼らがプライドから受け取った品を置きに戻っていたならば仕方が無い。

「そうか」とその一言が返されただけでアーサーもエリックもほっと息を吐き出した。いつの間にか揃って右手が剣を身構える準備に伸びていた。


「騎士団で滅多にチョコは出ないと聞いて……もしかしてアーサーとエリック副隊長もあまり食べないかしら?」

ハリソンとの一番波に立たない話題から、自然とプライドが疑問をかける。

チョコの存在自体を知らなかったハリソンはレアケースだが、同じ騎士館に住んでいる二人も同じように食べる機会はないのかしらと考える。前世では当然のように手軽な菓子の代名詞の一つとされていたチョコだが、今世では色々事情も違う。

プライドの言葉に一瞬どうしてそんな話題になったのかと過ぎったエリックとアーサーだが、すぐに今は返答をと思考を傾けた。


「自分は好んで時々食します。ですがプライド様達からの、……菓子、は特別なので大事に食べさせて頂きます」

頬を指先で掻きながら、やはり騎士達の目が気になり「手製」の言葉を閉じてしまうエリックは照れ笑いを浮かべた。

もともと庶民の生まれで菓子も弟達と食べることもあったエリックは、甘味全般も好んでいる。一年間のイベント全て人並みに経験した彼は、当然バレンタインも知り楽しんだ経験もある。本隊騎士になってからはそこまで気にかけることもなくなったイベントだが、プライドから貰うようになってからは一年に一度の楽しみである。傷まないうちに、しかし時間を掛けて惜しみながら食べることがバレンタイン後の暫くの癒やしでもあった。

最初にプライドから貰った時など、今までで一番バレンタインという日があることを感謝した。しかも今回は手製となれば本当に食べるのが惜しくなる。それどころか包装を開くのにも時間が必要となりそうだと自分で思う。

少なくともあの包みは大事に畳んで取っておくつもりである。


「俺!……自分、もプライド様から頂けるようになってから本ッ当に特別で‼︎チョコは普段食わねぇすけど、プライド様達からのはずっっっっっげぇ美味いです……‼︎」

アーサーも自身で買うことは無いが、エリック同様にチョコを貰ったことはある。

しかし彼の主観では全て義理である。母親の小料理屋の関係もあり、客や近所の友人関係や両親の知り合いなどから貰うことは多かった。しかしどのチョコもプライドから貰った物には変えられないと思う。

毎年騎士の先輩に一口とせがまれても、これだけは一度も許したことがない。雑用や頼まれ事は大概即答で引き受けるアーサーだが、それだけは断固である。実力行使で逃げるか、頑なに「絶ッ対駄目です‼︎」と断るかのどちらかだった。

騎士団に所属する前からステイルと手合わせの際にプライドからチョコを貰っていたアーサーだが、食べるのに毎回躊躇してはどんな時に食べれば良いかまで考えてしまう。

その日のうちに食べるべきだと思う自分と、何かしら鍛錬か父親との手合わせが上手くいった時の自分へのご褒美にするかと悩みに悩みまくったこともある。一度、ティアラからの提案でステイル共々プライドから直接口へ運んで貰った時は本気で死にかけた。口の周りについたチョコをまさかのプライドに拭って貰ってしまったのだから。

しかも普通の食べこぼしと違い、簡単には取れないせいで何度も何度もプライドの指が上等なハンカチ越しに自分の口元をなぞった。今でも思い出せば頭が沸騰しそうになる。


「ありがとう、喜んでくれたなら良かったわ」

口元を隠しながら笑むプライドは、二人が好んで毎年チョコを受け取ってくれているらしいことに自然と胸が温まった。

特に今回は素人の手製菓子。チョコを好きでも無い人に嫌々食べさせるのは申し訳ない。できることなら渡した相手には美味しく食べて欲しいと思う。今回はリベンジも兼ねての拘った手作りだから余計にである。

昨晩協力してくれた料理の逆チート呪いを解いてくれる天使ティアラと、専属侍女のロッテとマリー、食材と調理場をこっそり用意してくれた従者と料理人達。そして







「アラン隊長に何度も味見をお願いしたから。きっと男性にも好みの味になっていると思うの」







……満面の笑顔で胸を張るプライドに、騎士達の時間が数秒止まった。

背後に控えるアラン一人だけが頭を掻いて笑っている。隣に並ぶカラムも流石にこれには「聞いていないぞ」と瞬きも忘れた視線を刺しつけた。いまこの瞬間だけ、プライド以上に注目をあびてしまった存在へ。

エリックもアーサーもぽかりと顎が外れたまま治らない。どうしてそこでアラン隊長がと疑問符ばかりが浮かぶが、確かに昨晩は演習場のどこにもアランの姿を見なかったし飲みにも誘われなかったと思う。いつもなら演習所のどこかで鍛錬しているか、騎士達と飲んでいる彼がである。

アランがですか、とロデリックが少し意外そうに視線を向ければ、プライドも明るい声でそれに返した。


「以前からアラン隊長は料理に関して積極的に協力すると仰って下さっていて……なので、昨晩こっそり私達からお願いして協力して頂いたんです。満足のいく味に辿り突くまで何度も何個も味見に付き合わせてしまって」

お陰で上手くできましたと満開の花のように笑うプライドに、今はクラーク以外だれも笑えない。

今回チョコレート菓子を作るとティアラと決めたプライドだが、絶対にリベンジに相応しい菓子にしたいという欲から味見役も欲しかった。ただでさえ今までの前世風創作料理と違い、アドリブで誤魔化せないチョコブラウニーである。更には、できれば贈る相手と同じ男性に味見を頼みたいと考えたプライドとティアラがそこで思い浮かんだのがアランである。

アーサーの隊長、副隊長昇進祝いの一件からずっと料理の話題が出るたび協力を名乗り出てくれている彼ならと考え打診すれば、当然ながらの快諾だった。

深夜に甘い物をいくつも食べさせるなんてダイエット的には拷問に近いと騎士相手に申し訳なさもあったプライドだが、アランからすれば大酒を飲むか菓子を食べるかの違いである。しかもプライドの手製を何度でも食べられるというのなら、飛びつかない理由がない。


結果、男性の舌にも好ましい見事な配分のブラウニーが完成した。


本当に感謝していますと言葉を続けながらアランを見上げるプライドは、手製菓子以上の爆弾を落としたことに気付いていない。


「いやー本当に役得でした。また何か機会あったら何度でも見張りも味見役でも御協力するんで!!」

「本当ですか?是非宜しくお願いします」

騎士達の熱視線にチリチリと身体が焼ける感覚を覚えながら、それでも堂々とアランは譲らない。

プライドからの嬉しそうな笑みを正面から受けて堪能したところで、とうとう肩へ手が重く置かれた。カラムである。

まさか自分達も知らないところで、本当にプライドの味見役で王居まで乗り込んだのかと呆れるべきか説教すべきか考える。「アラン……お前という男は」と僅かに低い声が出れば、アランも周囲からそろそろ危険を感じ取る。

冷たい汗を気取られないようにプライドへ返しながら、そっと後ろ足に騎士達から距離を取った。


「あー……そ、そろそろ交代の時間ですよね⁈では俺は次の演習に行くんで!じゃあエリックアーサー後は頼むな‼︎」

裏返りそうな声を抑え、首を後ろまで掻いてから「失礼します!」とプライドとロデリック達に礼をしたアランは一目散に逃げ出した。

アラン‼︎とカラムが怒鳴るが、それも他の騎士達の声に塗り潰された。待てコラ、アランお前はいつも、止まれこの抜け駆け野郎と叫びながら後続に並んで居た騎士達が団体で彼を追いかける。交代を任されてしまったアーサー達を含め、容易に第一王女の前から走り去れない最前列の騎士達だけが置いて行かれた。

カラムもあまりのことに頭を抱えて走る気力も出ない。どうせアランのことだから、なんだかんだと逃げ切るのだろうと確信が既に在る。

騎士達からの怒号は単純に抜け駆けと羨みの意味合いもあるが、それ以上が「チョコ寄越せ」である。そんなに何度もプライドのチョコ菓子を昨晩堪能したのなら一個くらい自分達にも分けろと意思を持ってアランを追いかける。ハリソンが首を捻りクラークが喉を鳴らして笑う中、アーサーとエリックは顎が外れて動かなかった。

本隊騎士も大勢集まった中、特殊能力でアランの足に追いつける騎士がいればそのまま戦闘もあり得るなと、ロデリックは静かに思う。あくまで決闘にならない程度で済んでくれと深い溜息を吐きながら、一人自覚していないプライドに改まった。


「プライド様。……畏れ多くも、今後は味見役を任せる際は本人以外には極秘でお願い致します」


第一王女の味見役を巡って血を流すなど御免被ると。そう思うロデリックに、プライドも素直に頷いた。

来年はアラン以外にはバレないように気をつけようと、今更な反省を思いながら。



















……


















「あっジャック、さん。少し宜しいですか?」


騎士団演習場から戻ってきたプライドの勉学終了間際、近衛騎士に守られる彼女の傍から、一時的な休息時間で中座する近衛兵が廊下で呼び止められた。

近衛兵として城内ではプライドに付き切りのジャックだが、当然休息時間はある。他の衛兵達に引き継ぎを済ませ、衛兵用の棟へ向かおうとしていたジャックは聴き慣れた細い声にくるりと身体ごと振り返った。

プライドの為に紅茶の用意で給仕室から戻ったばかりのロッテは、廊下の人目をちらちらと確認しつつ歩み寄った。専属侍女としてジャックと同じ主に使えている彼女だが、あくまで使用人という立場の彼らがプライドを置いて私語をする時はない。同じ専属侍女のマリーと違い、ジャックとは仕事も全く異なるのだから。

今も紅茶を冷まさない内にと足早にジャックの眼前に立つ彼女は、声を潜ませながら彼に聞き取れる程度の早口を意識する。


「今朝、プライド様とティアラ様から贈られた菓子についてなのですが……」

自分を見上げず目を伏しながら語るロッテに、思わずジャックは肩を揺らす。

近衛兵となる前。近衛騎士の誰よりも、……十年も前から身近な男性の一人としてプライドとティアラから彼は菓子を贈られている。今では二人を身内のように想っているジャックだが、仮にも国民にとって憧れであり妙齢の女性である二人から受け取っている事実に全く何も思わないこともなかった。毎年専属侍女のマリーにもロッテにも仲間の衛兵にも微笑ましく許されているジャックだが、寡黙な彼は口にしないだけで嬉しさの反面、僅かな引け目も



「私も、良いですか?」



ぴょこん、と早口で尋ねられた予想外の言葉に今度は胸が飛び跳ねた。

やっと伏目をあげてくれたと思ったロッテの上目に、ジャックは口の中を噛む。背中に槍でも差しているかのようにピンと伸びた背筋で、彼女を見返した。


「正直に申しますと、昨晩ティアラ様から余った材料のお裾分けも含めて食糧庫と調理場の使用許可を少々頂けて……」

昨晩、プライド達と共にバレンタインチョコ作りに協力した面々の一人であるロッテは、彼女達が全て終えて部屋へと戻る際にこっそりティアラから「宜しければ使ってくださいっ」と許可を得ていた。

簡単な調理場であれば侍女達の住む棟にもある。しかし、この上なく設備が整っている調理場は侍女達にとって贅沢この上ない場所だった。


「お陰で今年はとても良い材料で作ることができました」

プライド達と同様に、今年は奪還戦前後でそれどころではなかった彼女もまたバレンタインに乗り遅れた一人である。

主人達がベッドに入ってから、更に夜なべした彼女はいつもより少し寝不足だった。こればかりは同じ専属侍女であるマリーにも手伝わせられなかった。


「こちらは私以外味見はしていませんけど、きっとジャックさんのお口には合うと思います」

甘さはそのまま、お酒は控えめにしたチョコチーズケーキですと。そう早口で続けるロッテにジャックは次第に脈まで速くなる。

既にジャックの好みを誰よりも知り尽くしているロッテだからこその手製菓子である。ジャックからすれば、貰える事実が何にも増して胸を熱くする。

口が開かず代わりに頷きで相槌を返し続けるジャックに、ロッテはそこまで言ってクスリと笑う。


「美味しいと、思います。ただ、いまこの場にはありませんので」

言葉を切り、きょろりと廊下を見回す。

王居の、更には王女の自室がある廊下には衛兵も侍女も行き交い佇んでいる。声を潜めても長話は許されない。本来であれば隙がある時にこっそり渡せれば良かったが、侍女の仕事は菓子を無事のまま持ち歩いていられるほど優雅でもない。今は先に菓子の存在有無を告げるだけで精一杯だった。

爪先を立てて踵を浮かしたロッテは、最後に一番の早口で彼の耳へ両手を添えて囁いた。



「今夜、お茶だけ用意して待っててね」



ン、と。口を固く閉ざしたまま一音しか返せないジャックは今日一番深く頷いた。

言葉で返さない彼に、ロッテはふふっと笑うとまた何事もなかったようにジャックへ背中を向けた。紅茶が冷めていないことを予熱で確認し、ウインクひとつなくプライドの部屋へと消えていく。

給仕も担う侍女であるロッテにとって、自分の為に淹れて貰える紅茶が一番の好物であることをジャックも知っている。


砂糖は二つ。揃いのカップで。


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