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フリージア王国備忘録<特別話>   作者: 天壱
書籍化記念

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28/144

〈書籍7巻本日発売‼︎・感謝話〉八番隊副騎士隊長の夢見は。

本日、無事書籍7巻発売致しました。

感謝を込めて書き下ろしさせて頂きました。

時間軸はちょうどⅡ494〜あたりです。


『……とに…………だ…………の人は……っ……』


……暗い。


いつの間にか、目を開いていた。何もない、月のない夜よりも遙かに暗い、黒い闇の中に立っている。……どこだ。ここは。

見回しても何もない。目を閉じ、また開いても見えるものは変わらない。色あせも光もない暗闇は心地が悪くないが、それ以上何も感じない。暗闇だけの夢など珍しくないが、それにしては時間が長く、そして私の思考も続いている。

佇む手足の干渉も本物のように鮮明だ。今までの夢よりも現実に近い気がする。


死んだか。なら地獄かと。

結論に至ったが、それにしては死んだ記憶がない。直前の記憶を思い出そうとすれば、今は戦時中でもなんでもない。敵に不意を突かれた覚えもなければ、いつもの騎士館で自室にいただけだ。

急病、もしくは毒でも盛られたか。死因ならいくらか想像できるが全く苦しんだ覚えもなく死んだ実感が湧かない。どうせ殺すならわかりやすく殺せと何者かに当てもなく思う。


いや、本当に死んだのかも懐疑的だ。私は殺された覚えも死んだ覚えもなく、ただこの暗闇に閉じ込められている。ならば特殊能力者の奇襲ということも充分あり得る。

まさか騎士団の中で私にそのようなものを仕掛けた者がいるならば、度胸は買うがただでは済まさない。敵であれば被害を広げる前に始末する以外ない。


試しに足下を靴底で叩けば、カンカンと無機物の手応えがある。剣を抜き、足下を壊せるかと突き刺せばやはり固い感触でしかし弾かれる。そこまでやってから、……己の手足は視認できることにふと気付く。


抜いた剣を周囲へ向けて振り続けてみれば、その間己の剣も握る手もしっかりと確認できた。

何故か、この闇は私自身だけは視認可能らしい。ならばただ光のないだけの暗闇とは違うのか、やはりいつもの夢とは勝手が違う。

しかも最後の記憶で脱いだ筈だった団服を今は着ていた。ならば寝ている間に連れてこられたとも考えにくい。


握り直した剣で、左腕を捲り軽く斬る。

きちんと血が出るだけでなく、細い線から血が溢れるのも確認できた。やはり現実に近い。特殊能力者の可能性が更に強まった。…………面倒な。



『ぃ……か…………お……の………!』



「誰だ」

ふと、微かにだが声がした。覚えのない、恐らく男の声だ。

遠い闇の先でする声に、呼びかけた返事はない。声が小さいのか、それともただ遠いのか。

さっき剣を振り回しても壁や囲まれた手応えはなかった。それならば思ったよりは広いのかもしれない。

さっさと距離を詰めたかったが、目先のものも見えずに高速の特殊能力を使えばいつ罠や激突するかもわからない。そう考えればこの暗闇も私の特殊能力を封じる為の何かかとも考える。

私の特殊能力を知っているのならば余計内部の人間の可能性が強いが、裏切り者ならば即刻粛正しなければ。騎士団の中に裏切り者など、考えるだけで臓腑が煮えくり返る。早々に首を刎ねるか、それとも情報を絞り出すべく死ねない程度に痛めつけるか。手足の二本程度は落としても構わないだろう。騎士団を裏切る時点で生きる価値はない。


暗闇の中、ただ歩く。距離を測るにも対比物がない所為で読み辛い。

仕方なく歩数を数えながら声の方向へと進む。ぽつぽつと移動中も誘うように声は聞こえたが、いくら呼び返しても返事らしいものはない。三度返事がなかった時点でもう応答をするつもりはないのだと結論付けた。

どうせ声の大元に辿り付けばいくらでも至近距離で話は聞ける。ここがどこかわからない以上、同じように捕らわれている人間である可能性も、主犯本人の可能性もある。


いくら歩いても距離はひたすら遠く、千まで数えたところで続きが面倒になってきた。

変わらず数え続けるが、まさか私を消耗させる為の罠ではないかと考える。永遠に歩かされ体力を消耗され疲労したところを狙うのも一つの手段だ。

ここまで広いならばやはり特殊能力を使っても良いかと考え、やはり止める。苛立たしいが、進めば進むほどこの先がもう残されていない可能性もある。


歩くことよりも二千を超えた歩数を数えることの方が不快になってきた時、……やっと変化が目に見えた。

暗闇しかなかった世界の中、ぷかりと浮いたようにも見える窓。外に繋がっているのか、ぽつりと小さな光が漏れ出していた。

駆け寄れば、想定よりも幅がある。宮殿にあるような縦長の姿鏡のように見えた。暗闇の中でぽつりとまだ窓の向こうだけに小さな明かりが揺れている。

話し声もここから聞こえたと考えるならば、やはり外部と繋がっているのか。剣を構えながら一歩一歩警戒し窓の横に立つ。

妙なことに、たった一つの窓の左右には壁がない。どうやって設置されているのかもわからない一枚硝子を、正面からではなく横から覗き見る。

窓の向こうは、この場と対して変わらぬ闇夜のままだった。朝日が昇っていないということならば、ここに来てから大して時間は経っていないのか。


暗闇の中、高い位置から小さな明かりが二つ揺れていた。

騎士団でも見回りに使用するランプだ。蝋燭の揺らめきに照らされて、四名の成人男性の影も見える。

明かりが小さく、周囲の建物どころか男達の顔も見えない。高低差もあるのか、ランプの明かりもかなり高い位置にあり男達の足下もまた窓の上部からちらつくように見えるだけだった。

そのせいで明かりに映し出されるのは男達の足下ばかり。この場の関係者であるならば捕らえるのが早いかと、奴らが背中を向けた間を狙い剣の鞘で窓を叩き割


ガキィンッ。


─れ、なかった。

充分な威力で振るった筈が、窓に傷一つついていない。特別製か、一度音を立ててしまった以上と向こうに気付かれても同じだと今度は剣そのもので振るってみたが結果は変わらない。亀裂どころか傷一つできず、これも特殊能力製の何かかと考える。


更に妙なことに、窓の向こうもまた変わらない。これだけ音を立てれば、男達が騒ぎ立てるなり逃げるか寄ってくるに違いないというのに全くというほど変化がない。窓の横で身を潜めても、こちらを覗いてくることもなければ気付いたらしい気配もなかった。

こそこそと何かを話しているのは聞こえるが、それも一定に変わったことはない。まさかこの窓の向こうに見える景色も偽物か。通信兵の特殊能力のように、別の場所の光景なのかとも考える。


相変わらずこちらに気付く気配もない男達に、横ではなく今度は正面に立ってみる。

窓の中央に立ったが、やはり向こうの景色は変わりない。暗闇の中、ランプの明かりだけを頼りに男達が四人募っているだけだ。

しかし正面から窓の向こうをよく見てみれば、男達が気付かないのも無理がないとは理解する。窓の上部から見えないとは思ったが、どうやらこの窓自体……私が今いる場所自体がかなり低い場所にあるらしい。地下室かそれともと、男達の足下を見上げながら思考したその時。


『!来たな。早くしろ、急げ』

『夜明けになる前に済ませるんだ』

さっきまでぼそぼそとしか聞こえなかった男達から、はっきりと通る声が耳に届いた。

今までの殆ど変わらぬ光景から、男達に明らかな動きが見える。「わかっている」「手伝ってくれ」と会話の内容も今は間違いなく聞き取れる。

四人並んでいた男達の足が一人二人と窓から消えた。上階で何が起きているのか、この角度からはよく見えない。


どうせ時間はある。手がかりもこれしかないのならば変わらないと、うだうだと手こずっているらしい男達を見上げ待つ。

暫く待ち、先ほどの男達が足並みを揃えてまた窓の範囲に入った。ランプの光が男達の影で遮られまた暗闇に飲まれる中、男達の掛け声と直後の鈍い音に彼らが手こずっていた理由を理解した。

ドスン、と。男二人がかりで唐突にそれは落とされた。

私のいる位置が最下層だったのか、窓の下部に着地する。振動がここまで届かないのが不思議なほどの音と大きさからそれなりの重量だったのだろうと推測する。

これを運ぶ為に手こずっていたのかと窓硝子に鼻先が触れる程度に顔を近づけ姿勢を伸ばし覗き込めば、妙なものが転がっていた。




私だ。




『本当に良いのかこんなっ……あの人は、昨日まで騎』

『言うな!……──に気付かれたらどうする。取り潰しになんかなったら本当にこの国は終わるんだぞ』

『そうだきっと本人も望んでいない』

正確には私の骸か。この状態で生きてはいない。男達のいる高さから無抵抗に頭から落ち、頭蓋も割れた後だろう。致命傷となる位置に血が溢れきった痕跡も見える。薄明かりの中ではどちらにせよ赤ではなく黒にしかみえないが、もう流れきった後だろう。

死体でなければ有り得ない方向に首が曲がり、力なく薄目が開きそこに意思はない。額には銃弾だとわかる風穴が空いていた。

少なくとも額の穴が空くまではそれなりに藻掻き抗った後ならば良いがと、一度見た傷跡を二度三度と繰り返し確認する。簡単に殺られたわけでないならば、そこまでの悪夢には入らない。

しかし、銃弾を真正面にこの私が避けられなかったことは少し引っかかる。それなりの腕か、先に動きを奪われたか人質でも取られたか。まさか隙を突かれたなどということであれば許されない。


そこまで思考したところでふと、……自分の顔に違和感がある。

銃痕も薄開きの目もよく見えると思えば、髪がばっさりと切られていた。まるで昔のようだ。

しかし顔付きをみれば、別段若くは見えない。こういう妙なところはやはり夢か。己が死ぬ夢は何度も見たが、ここまでおかしな夢は始めて見







『あの御方はもう、騎士ではない』







「────⁈」

呼吸が、止まる。

一瞬のことで訳もわからぬ内に、不思議と血が凍る。己の骸よりも何よりも、突然落とされた言葉そのものに心臓が掴まれる。

信じられぬほど内側がざわめき、視界が白くもやがかる。まるで血を抜かれているような寒さに襲われる。……今、何と言った?


急激に生々しくも通る声に、言葉に、耳を疑う。視線を上げても声の主の足しか見えぬままだ。

薄汚れた靴を貫くほど睨み上げる中、その靴も足も見た覚えがあると今気付く。我が国の衛兵だ。たかが夢だとわかっている筈なのに急き立てられる。

待て、何故私の骸がよりにもよって衛兵に葬られている。いや葬るなど丁寧なものではない。これは〝捨て〟られているだけだと、それは断言できる。


棺に入れるでも、儀式を通すわけでもない。その他大勢と共に纏めて地の底へと放り捨てられた。……少なくとも、騎士であればこのような捨てられ方などしない。たとえ騎士ではない、騎士見習いの新兵であろうとも死したからには手厚く葬られる。

引き取る先があれば届けられ、遠方であっても報せと共に一部や証が送られる。引き取り手も還る場所もない私のような人間であろうとも、遺体を確保できたのであれば騎士として葬られることは変わらない。このように、まるで罪人の処理場のように捨てられるなどあり得はしない。


『埋め立てをするのは来週なのに俺達で勝手に埋めたと知られたら……』

『気にするわけない。人を駒や道具としてしか見てない女だ』

誰の事だ何を言っている。

男達の話し声が嫌でも耳に通りながら、呼吸ができず視線を上げられない。

息を吸い上げ肺に通し、それでも足りず目が痙攣したように開いたまま動かない。何故己がこんなにもたかが衛兵の言葉に掻き乱されるのかもわからない。

開いた目の先には、硝子がある。硝子の先には、私がいる。反射ではない、骸となった短髪の私を疑い凝視する。嘘だ偽りだあり得ないと脳で叫び、ゴロつく眼球を瞼の隙間から回し見る。

何度、何度見ても見当たらない。今まで何故気に掛からなかったのかもわからない。髪など、顔など、傷など死んでるなどその理由全てどうでも良い‼︎私の、私、私の




団服は、どこにある?




『未だただの侵入者としか思っていない。今のうちに確認できないようにするんだ』

私の団服は、剣は、どこにある?放り捨てるなら何故共に葬らない?

男達の声が雑音のように曇り、聞こえるが聞こえない。そんなことよりも遥かに骸が身に纏ってる服の方が重要だ。死者に着せられる服でもない。いや私はその前に騎士だ。何故騎士の団服で葬られない?あんな上着どこから掘り出した?わざわざ着せる必要がどこにある?

血の染みから判断しても息絶えるまであの衣を着ていたということになる。何故だ?何故私はあんなものに身を包んでいた?この私が、団服以外を選ぶ理由などある訳がない‼︎


「何、故ッ……」

気付けば勝手に枯れた喉から溢れた。

硝子へ手をそれぞれ付き、爪を立て拳を握る。肘から肩まで微弱に震え、感情に任せ振り下ろしたがビクともしない。

死んでることなどどうでも良い。抜け殻の処理など掃き溜めでも構わない。戦場で遺体が回収できなかった騎士もいる。しかし何故、何故〝私は今〟騎士の証を携えていないのかばかりが気にかかる。これでは何者かもわからない、下級層に転がる名もなき骸と同じだ。


違う、私は断じて違う。誰に知られずとも理解されずとも私は騎士として生き、死んだ。その事実は変わらぬ筈だ。なのに、全てをやり遂げた筈の私に騎士の証がどこにもない。王国騎士団の門を叩いた、あの日と同じ姿かたちでその他大勢と共に捨てられた。

これは悪夢だ、悪夢に、夢に決まっている。この私が騎士としての他に葬られるなどあるものか。


『遠慮はいらない。こっちだって何人殺された?誰も──を本気で守りたくて立ちはだかったわけじゃなかった』

『今夜のことは全部忘れよう』

『いま俺達は王族に刃を向けた罪人の死体を処分した。……それで良いんだ』

やめろ。

枯れた喉から考えるよりも先に、溢された。たったひと言しか出ず、顎から力が抜けたまま舌が浮く。

この男達は何を言っている?この私が王族に刃を向けた罪人だと?あり得ない。私は騎士だ、騎士が自国の王族に刃を向けるなどあり得はしない。たとえ誰を斬ろうと何千の骸を積もうとも、騎士の名を穢す真似などするものか。

眩暈が酷い。ぐらりと視界が回り立っていられなくなる。

悪夢だ。悪夢に決まっている。なのに何故こうも認められない?いつもの夢ならば何故急き立てられる?たかが幻程度に何を焦る必要がある何故心臓が無駄に動悸し脈が弾けんばかりに打たれて痛む??こんな、たかがつまらぬ夢に私が何故こうもっ……


カチャンカチャン、と音が鳴る。ランプの音ではない、剣に近い金属音だ。

奴らが何をする気がわかると同時に、私が捨てられている場所も理解する。衛兵の手により行われていることからも間違いない。罪人の死体処理場だ。今はそれが、断頭台の音より恐ろしい。

城内で処刑もしくは勝手に息絶えた罪人を埋める為に掘られた穴。一つの穴に複数大勢葬るために広く、そして底が深い。骸を捨てては土をかけ、また新たな骸を捨ててはまた土をかけ埋め立てる。だが〝ここ近年は〟死者が多い分死体が溜まるまで待ってから定期的に土をかけていると聞いたが……、……近年?


『早く済まそう。今夜は一人分で良いんだ』

「ッやめろ……‼︎」


なんだ今のか細い声は。私のものか?嘘だ知らん頭が痛む。

土が、降らされる。制止も待たず届かず、硝子の向こうでとうとうその時がきた。あああなんだ今私はさっき何を考えた?わからない、なのに土が落とされる。

穴の上から、奴らが土を掘っては私に降らす。やめろ埋めるなまだ私は何者でもないままだというのに。


バサリ、バサリとひと塊になった土が骸の、私の上へと落とされる。

黒の上着に、血の染みに、首に、頬に、薄開いた目に直接かかる。なんでもない光景がまるで絶望そのもののように心臓を引っ掻き抉る。

機能をやめた筈の胸が、激しく動悸し内側を叩き暴れる。駄目だ私が、私が埋められる。名もない、立場も、騎士の証もない〝何者でもない私が〟埋められる。

へばりついた両手で硝子を叩き、叩き、そして引っ掻く。土が落とされる度に硝子へ爪を立てれば、私の爪が先に折れた。

痛みが本物なのが今は気持ち悪い。今はこの痛みがあってはならない、私はこのような終わり方をするわけがない。



「……めろ……やめろ……やめろまだ、ッまだ埋めるなっ……!」



騎士として。

騎士として私は死ぬと決まっている。団服を寄越せ剣を返せこの場に投げ入れろ。私の、私が騎士として生きた証を返せ。

生き死になどどうでも良い、この私から死の誉れを取り上げるな。こんな名もなきまま終わるなど最大の侮辱だ。

己の声が自分のものではないように震え、溺れている。爪がまたパキリと割れた。それでも構わない、私の、私の身体は今窓の向こうに埋められている。もう腹から膝までが土に隠され闇に溶けている。

騎士として生きた証も、騎士として死んだ証もない私を誰が騎士と認める?意義ある生は、死は、騎士ではないまま屠られ埋められる私に、……………………何が、残る……?


「やめろ……やめろやめろ……やめろっ…。……こんな、何者でもないまま……私、はっ……」

ドン、と血に染まる拳でまた殴る。

土で顔が埋もれた己を見届けてから視界が落ちた。暗闇そのものの床を瞼のない目で見つめていれば、いつの間にか膝も落ちていた。硝子に指の数血の線を描き、底に近づく。

息が、まともに吸い上げられない。肺が平たく、握り潰されてるかのように通らない。金属の音が響く度、地の底に沈められる私の姿がまた消える。私という存在が土塊に還される。

いずれ虫に喰われ肉塊になり骨になり消えていく身などとうでも良い。そんなものより騎士の己はどこだ?あんな何者でもない私に価値はない。


思考すればするほどに身が重く、泥でも掛けられたかのように沈んでいく。無そのものの床に視線が固まり、眼球まで落ちたのかもしれない。硝子から手を床に付けば、そこでやっと眼球がまだ付いていると理解する。


パサリと断続的だった筈の音が止むまで、息をするのがやっとだった。

ハッ…ハッ…と生き埋めになっているかのように、いくら吸っても呼吸にならない。耳鳴りに混ざり雑音に覆われる。

「行くぞ」と男達の声もくぐもって聞こえる。カチャリカチャリと金属音が遠くなるのも、足音が共に離れるのも、全てが耳鳴りの幻聴だと言い聞かす。……開いた目が、ランプの灯りまで遠のき闇がまた私を覆う瞬間を知らせた。


「……っ……っっ…………」

カタリ、カタカタと手が、足が、首が顎が震える。何故敵でもない、たかが硝子向こうに全身が拒絶する。

見上げることができない。この、私が。顔を上げることすらをもできぬなど。

屈辱だ。現実を直視できないなどあるものか。ただ、首の角度を変えれば良いだけだ。別に何も写るわけでもない。たかが硝子の向こうがどうかなどわかりきっている。どうせ何もない。…………何も、ない。

騎士を証する白も、騎士の任命を賜った刃も、私が騎士として生きた証も、意義ある死も何もない。下級層の頃と変わらない、蛆の餌になり消えていく。騎士の誇りも、使命も、在り方も、そのどれも最期まで携えることはできなかっ……



─違う、奪われた。



空の胃が内側から込み上げ、喉まで熱が競り上がる。

呆然と気付いたそれに、首が勝手に引き上げられる。あれほど自由だった足が、右も、左も腱を斬られたかのように動かない。不自由に引き摺られるかのように全身が血を浴びた後より遥かに重い。

膝も折れたまま震え、それ以外だらりと力も入らない。邪魔な髪が垂れ、視界を隠し唯一目に入る手さえ見えなくなる。窓へと見上げれば黒と黒と黒が重なった。


先ほどまで外を写していた筈の一枚硝子が、今は〝無〟そのものだった。

土を被せられ、埋もれ、硝子一枚分全てが隠されている。私の骸も、それどころか地上の明かりも奴らの足下も何も映らない。

地の断面図だけが写され、暗闇の中この目で断面だと確認できるのが不思議なくらいだった。己が死よりも遙かに絶望そのものの無だけが写されたことに全身の毛が逆立ち息が止まる。

何もない、これこそが私の生そのものだと突きつけられる。……そうだ。誇りも、望んだ生も死もとっくに私は奪われた後だった。証など、そんなものあるわけがない。私自らそれを放棄したのだから。


騎士として生きる証を羽織る資格も、死ぬ資格もとうに私は、…………我々は失ったままだった。あんなもの、いくら身につけていようとも資格がなければ何の意味もない。私は何も残せず死んだのだ。

思考に一瞬眩い銀が走る。そこに光を見出しかけ、そして潰える。違う、彼は私が〝遺した〟のではない、あの方々かが遺した存在をただ紡いだだけだ。

私程度にできることなどその程度だった。彼は私の証などではない、ただの希望だ。


「ッ…………私、はっ……」

ギシリと顎まで軋むほど歯を食い縛り、床に拳を叩きつける。右手に激痛が走り指の先にまで攣り出した。

舌を噛んだわけでもないというのに喉の奥から血の味が込み上げ溢れたまま、食い縛る牙の隙間からボタボタと漏れ出た。口から顎首までベタつくのが涎か汗か血かもわからない。額を叩きつける前に頭が沸騰したからか赤があふれ出る。そうだ当然だ私は最期まであの女へ一太刀も浴びせることが叶わなかった。


騎士の団服を燃やしたその前に。

返還し、残りを灰にした。剣もなにもかも私という存在に、騎士団へ繋がる全てを返し捨てたその前に、騎士の誇りはその在処ごと全て奪われた。魂も意義もなき抜け殻など不要だと私自身が望んで全て捨てた。

喪失感もなかった。もとよりそこに何もないとわかっていた。もう屈辱に耐えあの女に傅く必要も刃を向けぬ意味もないのだと開放感の方が強かった。

誰も嘆かず誰も喜ばず、誰にも褒められず誰にも気に留められない。生きようと死のうとそうだから私は捨てたのだ。

もう彼に紡ぎ終えた時、私の存在に意味はなくなった。


「……っ……騎、……団……っ。……ふッ……ァ長ッ……!!!」

ドロドロと熱した鉄でも注がれているかのように身が焼け、抉れるように熱い。背から腸を貫かれる。

銃弾程度の痛みではない、もっと内側の全神経が乱れ痛みを伴いながら溶かされる。一つだけではない、二つ、三つと熱いのか痛みなのかも判別がつかないまま私を溶かしていく。

血で泡ぶき、額からも目にかかる鮮血を拭う気力もない。腹の痛みを際立たせるように、それ以外の四肢が痺れ出す。

何を吐き、何を求めようとしているのかもわからず囀る口を塞ぐように喉が締め付けられる。


ロデリック・ベレスフォード騎士団長を失った時に、半分死んだ。

クラーク・ダーウィン騎士団長を失った時、意義在る生は完全に失われ死を遂げた。

私としての生はあの日に終わっていた。騎士として意義ある生を諦めた日に、もう騎士である私は死んだのだ。………………そういうことか。


この闇と、そして硝子張りの先の〝無〟の意味をやっと知る。

埋められ、この世界のどこにもなかったことにする、そして存在全ても抹消された。墓も標も何もない、塵と同じように土へ飲まれていく。今この場の全てが、私の生と死そのものだ。……そうだ、私はもとよりそれを望んだのだ。

誰にも気付かれず、想われず、思い出されずただの繋ぎ手として死ぬことを。

本来であれば私という存在と共に、もう一つの騎士団にとっても汚泥であるあの女王も道連れにしたかった。この身に私だけではなくあの女王の首も共に掃き溜めへ葬られていればどんなに幸いだったか。この国に不要な存在全て消してしまいたかった。

女王も、与する兵も、家臣も侍従も、いっそあの一族の血全て絶やし終わらせてやりたかった。

しかしそれも叶わなかった。……嗚呼、ならば。




結局この最期が何より私に相応しい。




とっくに、騎士ではなかったのだから。

騎士団長を失い、騎士団長を失い、あの日を境に失うことに何も思えなくなった。民の死も同胞の死も慣れるどころかどうでもよくなった。民を救えずとも、この手にかけようとも、同胞がどう死のうともどのような死を選ぼうとも、既に涙は枯れ果てた後だった。喪失感など言えぬほど、もう私は空虚なままだった。


カラム・ボルドーとアラン・バーナーズにも、奴らが死んだという実感すら湧かなかった。

血溜まりの騎士団長室を見ようとも、骸が散らばされようとも晒されようとも、騎士の誇りに従い死ねた奴らにただただ離席されたような感覚しかなかった。

騎士の誇りが元に女王から廃すべきとまで判断された、奴らは最後まで騎士だった。

カラム・ボルドーから血塗れた団服を剥ぎ取った。「行くぞ」と言ったが返事はなかった。しかし騎士団を死ぬまで守り抜いた、奴は最期まで騎士だった。

命令の元アラン・バーナーズに石を投げつけた。今まで剣を振ろうと拳を振おうと防がれたが、首から下を無くしたまま奴には無様にそのままぶつかった。文句も何も返されなかった。騎士団長となったカラム・ボルドーを死ぬまで支え骸の道に付き合った、奴もまた最期まで騎士だった。


奴らの首が晒されようとも、騎士のまま死ねたのだという事実は変わらない。

あの女王に牙を剥こうとした…騎士の誇りを貫いたことを首と共に認められ、引き換えに騎士団存続の危機を招いた。たかが小石程度投げられて当然だ。私一人投げて騎士団存続が済むのならば尚安い。騎士団長お二人に託された存在を置いて行った苛立ちの方が遥かに勝った。


騎士団長という名の冠は入団した輝かしき時代よりも遥かに軽く安く、袖を通すには息苦しい。

クラーク・ダーウィン騎士団長を失ってからの記憶は特に薄く、まばらだ。ただ紡ぐことしか考えられず、捨てると言えるほど何も持ってはおらず誇りと呼べるほど何者でもなかった。……なれるわけがなかったのだ。


臓腑が、溶ける。貫かれた風穴から侵され、激痛に喰われる。

競り上がったまま吐き出せば、鮮血が手にかかった。手までが染まり、さらに視界が黒に飲まれていく。ドクリ、ドクリと心臓が鈍く遅い。収縮すればするほどに外へと血を逃がす。

何故私は生きている?いや死んだのかと。拍動を耳が拾う度に考える。世界がぼやけ、血に染まった己の手の輪郭すらも掴めない。背が重く、床に額から沈み潰される。嗚呼そうだ土の中ならば潰されて当然か。呼吸ができる筈もない。もとより骸に必要ない。

己が血溜まりに髪を浸し頬を浸し、目を閉じる。そう在るべきなのだと、……そうなるのを、この心臓を止めるのを許される日を待っていたのではないかと思い出す。


生暖かい血が心地良く、黒と赤に明滅した視界も閉じればもう何もない。

一度息を深く吐き出せば、心なしか鼓動の数も減っていく。ゆっくり、ゆっくりと水を打つかのようにあれほどうるさかった音が無へと浸る。眠気のように脳まで溶けていく。嗚呼もう良い、それで良い。私は元より初めから最期まで何者でもなかったのだか









『ハリソン・ディルクを我が騎士に任命す』









「────ッ⁈」

目が、覚める。

まるで耳元で叫ばれたかのように急激に目が開き、気味が悪いほど呼吸が通り出した。心臓が、まるで思い出したかのように酷く動機し私を叩く。

つぷりと血が目に入り、全顔からも滴が血溜まりへと滴った。息が肺の奥まで通った。……私は、何を。


頭が風穴でも吹き抜けているのかのように涼しく軽い。頭から額までペタペタと触れ押さえ、どこに触れても湿り濡れていた。

状況がわからず、手も顔も視界全て塗れ染まっていることに骸の上かと思ったが、何の変哲もない冷たい床のままだった。ならばこれは誰の血だ。

感触も、匂いも、味も血であることは間違いない。どこか斬られたかと触れてみたが、どこから噴き出たのかもわからない。

確かめようにも髪の先まで水浴びでもしたかのように重く、滴っている。視認できる範囲で血で濡れてない箇所などどこもなく、しかし圧迫してみたところで痛みもない。剣を構え、見回したが敵どころかがらりとした黒のままだ。何の気配もみられない。

ここに辿り着いた時と同じ、変わったのは私だけだ。

ぴちゃりぴちゃりと首を回しただけでも前髪から視界に血が滴り落ちる。硝子窓を見れば、血の擦れた痕以外今は土の断面だけで埋められていた。

そういえばと、手の先を見れば爪が内側まで黒く区っていた。爪を何枚が剥がした気がしたが、染まっているだけだ。まぁ戦闘に支障なければどうでも良い。



「どうなっている……?」



濡れた髪を背中へ掻き上げ、膝を立てる。血に塗れること自体は珍しくもない。そんなことよりも、先ほどまで何故私はこのような場所で打ちひしがれていたのか。

思い出せない。記憶がない。私は何を考えていた⁇何故、このような場所で時間を無駄にしていたのか。思考を巡らせても答えがない。

べちゃりと、血に濡れた手のまま頭を押さえる。余韻のように鈍く痛む頭に、意味がわからない。ギジリギジリとまるで古びた椅子のように頭が軋む。


顔を顰め、周囲を警戒しつつ立ち上がる。血溜まりが重い。このまま圧死させられるほど重かった気がしたが、今は普段と変わらない。浴びた血の分だけ増しただけの重量で簡単に二本の足で視界も上げられた。そうなれば余計に、私が床に同化していたことが納得できない。


視界が開けたところで、やはり同じ物に目がいった。

届く位置に佇んだままの硝子へと手をつく。私の手の形にくっきりと血の跡を増やした窓は、今は不変なままだ。最初に確認できたランプの光も衛兵の足元も、私の骸も見当たらない。ただ土の塊に埋め尽くされただけの断面のままだ。……あれは、なんだったのか。


「……おい。もう一度やれ。私に見せてみろ」

ゴンゴン、と握った剣の柄で窓を叩く。

今のが何者かの特殊能力ならば、幻の類か精神操作の類だろう。私の死体があったのだから現実のわけがない。

それなのに、今それを現実かのように想い馳せていた。この硝子向こうに全て囚われていた。私の骸を見て何故そのようなことを思ったのか理解できない。衛兵達の吐いていた言葉に何の証明があるというのか。

おい、と。もう一度硝子へ叩きつける。物言わぬ土塊も、硝子も、この空間も操っている物がいるならばと呼びかけるが反応はない。ただ見せられただけで私が取り乱すなどあり得ない。しかもたかがランプと足と骸だ。

一体、何を想うことがあったのか。私が死に、騎士の証である団服も剣も全て剥がされ入団前の姿で捨て埋められるという




たかが、その程度のことで。




「クッ……ハハッ…………ハッハハハハッ……」

馬鹿馬鹿しい。

怒りが回り巡り、急激に笑いが込み上げる。

一度手で口を覆ったがそれでも堪らず、笑わずにはいられない。嗚呼なんて他愛もないくだらない。やはり何らかの特殊能力を喰らったか、そうでなければ説明がつかない。あの映像のどこに私が潰れ伏す理由があったのか。


笑いで肩が揺れるだけでまたパタパタと血を吸った髪や団服か滴り、血溜まりに跳ねる。頭の痛みが引いていく。

笑いに紛れたのか、それともこれも特殊能力が解けたのか。代わりに急激に頭に血が回り、笑いが止まらなくなる。くだらないと。その言葉を百は繰り返し思う。

土塊しか見せぬ硝子に手を付き、私の爪痕を手のひらでなぞる。何故こうも私は拒絶した?己が死などどうでも良かったのではないのか。

ガン、ガン、ガン、と。また剣の柄で叩く。相変わらずビクともしない硝子を眺めながら、鼻先が触れるほど近づける。口の端が裂けたままなのを自覚しながら呼びかける。


「どうした?見せないのか。もう終わりか?まだ私はちゃんと見てないぞ」

もう一度見せてみろと、覚めた頭で要求する。今度は瞬きせずに見届けてやる。

今見たどれを何度見せられたところでもう私の何も揺るがない。いや、揺らいだことの方が異常なのだ。

たとえアレが私の行きつく成れの果てであろうとも構わない。……いや、王族に刃を向けたという点だけは許せないが。

ガン‼︎と、腹立ちが沸いた瞬間に硝子を前蹴れば途端にピシリと亀裂が薄く走った。この程度の衝撃で割れるなら、とうに最初の一撃で割れたものを。

この私が、騎士である私が王族に刃を向けるなどあり得ない。ならばやはり全て幻か。


「くだらん」

そう結論付けば、興味が失せた。

第一王女殿下のように予知ならばまだ見る価値があったが、そうでなければもう見る意味がない。硝子に側部を向け、横切り先へと進む。

歩く度、ぴちゃりぴたゃりとまだ血が滴る。たかが死体が詰まった土塊かそれを写すだけの硝子に用はない。そんなことよりも早くここから抜ける場所を探さなければ。

今の硝子の先が現実でないのならば、実際は時間が経過しているかもしれない。遅くとも早朝演習には間に合わなければ。

タン、タン、タンとまた硬い足音が後を引く。くだらんものを見せられたが、あのまま存在するなら良い目印になる。空間全て確かめても何も当たらなければ、その時にまたここに戻りそして割れば良い。あの見せられた全てが偽物であることは理解した。


「刃を向ける先など間違うものか」

そんなもの、とうに副団長から教えられた。護るべきものへは決して向けはしない。

第一王女殿下の一族へ剣を向ける者など、構えた時点で私が腕ごと斬り落とす。たとえ天地が翻ろうともこの私が王族に刃を向けるなどありはしない。

第一王女殿下が望まぬ限り、副団長の御命令無き限り、騎士団長の意思なき限り。たとえ私が狂い間違おうとも刃が届くはずもない。第一王女殿下の刃であるアーサー・ベレスフォードが許しはしない。

我が隊長の意にこの私が反するわけもない。


「私は騎士だ」

この世で最も尊ぶ方々が、そう決めそして認めている。

たとえ丸裸で掃き溜めに埋められようと変わりはしない。

団服も剣も、証であろうと資格ではない。私を騎士にしたのは、私が尽くすと決めた方々だ。

副団長が私を見つけ、騎士団長が認め、第一王女殿下に任命された。

たとえ千の骸を積み上げようと骸になった私をいくら辱めようとも、私が騎士であることは変わらない。死体の数など今更構うものか。

あの方々からの命令がない限り、誰が否定しようとも私は騎士だ。

あの方々が騎士としての私の力を求めて下さる限り、騎士と名乗り騎士として生き騎士として死ぬと決めている。


墓標などいらない。その他大勢の賞賛など初めから欲しいと思わない。死んだ後の抜け殻など掃き溜めにでも塵溜めにでも犬の餌にでもすれば良い。私が生きたことも死んだことも変わらない。


私から騎士を剥ぎ取りたければ、あの方々全員の口から命じさせてみろ。それ以外で私が騎士でなくなることなどありはしない認めはしない。

たとえ団服がなくとも剣を奪われようとも、この四肢が動く限り騎士であり続けると決まっている。どこで骸になろうとも騎士として死んでいればその誉れは永久に変わらない。

我が国の最高権力者もそうなる御方も、騎士団長も副団長も聖騎士も私に騎士であれと望んでいる。嗚呼やはり早くここから出なければ。私の役目がまだ先にある。仕掛けた特殊能力者を捕え、もしくは始末する。騎士団に、民に、王族に害を為す前に全てを無へ還す。副団長に、騎士団長に、第一王女殿下に、アーサー・ベルズフォードに





「私はとうに認められたのだから……!」





バリィィンッ……

唐突に、背後から亀裂音が鳴り響いた。

あまりの音に身構え振り返れば、大分先へ進んだ後だと目で知る。暗闇の中、先ほどの一枚硝子が割れたのを遠目に捉えた。

何が原因か。蓄積にしては間がおかしい。億が一にも土まみれの私の骸が零れ落ちてこないかと目を凝らしてみたが、ただ破片が粉微塵に煌めいているだけだった。

もう興味がない。目印代わりに硝子の枠だけでも残っていればそれで良いと、再び背中を向け進む。

視界を埋め尽くす闇に向け、身に纏わりつく血を滴らせながら共に行く。

不思議と進む度に軽くなっていく身体で、振り返らず歩み続ける。視界が闇に溶け、四肢の感覚がなくなり、意識までもが闇に溶けてもなお最期まで歩み続ける。


血よりも濃く見に纏う高揚感に、この口は笑んだままだった。





……



















「……マジで、何があったンすか」


何故だ、と。向かいの席で私の顔をまじまじと覗くアーサー・ベレスフォードへ逆に問いかける。

早朝演習を終え、いつものように食堂で朝食を共にするだけだというのに今朝は妙に私の顔を凝視してくる。演習中も肩を掴まれ、先ほども席に着く前に背中へ手を添え覗かれた後だ。何をそこまで気にするのかわからない。


「いつもより目付きがっつーか……」

今日は午前に近衛任務でないからか、彼は無駄なところにまで気が散っているらしい。

彼に目つきを指摘されるのは珍しいが、睨んでいると思われたか。そろとも目の下にクマでもあるか。どちらにせよ今更だ。

さっさと食せば良いものをフォークが止まっているアーサー・ベレスフォードに、はっきり言えと言葉で促す。私が皿の上を口へ運んでいる間にも、じろじろとこっちの目を覗いてくるばかりだ。

早朝演習前には「体調でも」としつこく聞かれた。何がどう違うのか全くわからない。今朝はただでさえ妙な夢で理解に苦しんだからか、頭が早くも疲弊している気がする。

思い出そうにも、回数と時間を追うごとに記憶も薄れている。目覚めた時は悪い気分ではなかったが、結局どちらが私だったのかは謎のままだ。どうせ王族の特殊能力である予知能力を持っていない私に、夢の内容などどうでも良いことだが……


「ッですから!殺気まで飛ばすンなら言ってくださいよ‼︎自分ッすか⁈」

「何を言っている」

やはり引っかかる。そう思考すると同時にまたアーサー・ベレスフォードに尋ねられる。彼の方こそ一体何が言いたいのか。

朝食の手も完全に止まったまま早口で話し出す彼によると、どうにも今朝から私が不機嫌に見えて仕方ないということらしい。

体調不良じゃないなら他に何がと言われたが、別段何があったわけでもない。第一王女殿下の潜入視察も無事終わり、再び演習に集中できる日常に戻ったのだからむしろ良い方とも言える。


「最近ちゃんと寝れてますか……⁈」

「問題ない」

「昨晩は寝ました?」

「寝た。……こうして生きているのだから間違いない」

「は……⁇」

パンを齧りスープで流し込む。その間、ピタリと勢いが止まったアーサー・ベレスフォードから言葉はなかった。

飲み込んでから再び視線を向ければ、目が点になりぽかりと口が空いていた。何かおかしなことでも言っただろうかと思うが、それ以上結論には至らない。


昨晩は、寝た。それは間違いない。目覚めに覚えていた夢がそれを証明している。あれが現実だったならば私は今も土の中にいる筈だ。

夢だったということは眠っていたということになる。目が覚めた時には朝だったのだから、時間としてもいつもと変わりない。

私が骸となり、王族に刃を向けた罪により衛兵に放り捨てられた夢。今思い返しても、それを見ていた方が私なのか、それとも埋められた骸が私だったのかはわからない。

どちらも私で、いくらか差異があった気はするがもうあまり思い出せない。ただこれだけならば別段変わった夢でもないように思える。……むしろ。


「なんか、変な夢でもみました?悪いのとか……」

「いや良い夢だった。……気がする」

「どんな夢っすか?」

「死体処理場に埋められた」

悪夢じゃないっすか‼︎‼︎と、直後にアーサー・ベレスフォードの叫び声が食堂内に響き渡った。

勢いに任せ、テーブルに手をつき立ち上がった彼だが、すぐに周囲の注目に気付き小さくなった。「すみません」と四方に頭を下げながら再び元の席に着く彼は、まだ半分も食事に手をつけていない。私より食すのが早いとはいえ、このままでは私が食べ終わる方が先だろう。


悪夢と言われても、寝覚めが良かったのならば良い夢ということではないのだろうか。

己が骸になる夢など珍しくもない。アーサー・ベレスフォードに「生き埋めじゃないすか」と抑えた声で言われ、正しく「死体だった」と埋められるのに問題ないことを告げれば頭を抱えられた。何故彼がそこまで悩むのか。

私が食べ終えても食事の手が止まったままの彼を待てば、「すみません先行っててください……」と俯いたまま声を絞り出された。先にトレイを持ち、立ち上がる。


「あの、なんか悩みとか。心配ごととか、自分で聞けることがあれば聞き…ます……」

「必要ない」

急に頭を上げたと思えば、また妙なことを言う。

ですよね、と何故かさらに重そうに頭をテーブルへ沈ませた彼を見ると、体調が悪いのはこちらではないのかと思う。悩みも何も任務を終えたというのにあるものなのか。


俯く直前に顔の筋肉を中央へ寄せた彼を思うと、何か適当に悩みか心配ごとを作るべきだったかと考える。

しかし何もない。敢えていうならば第一王女殿下の予知したというラジヤ皇太子生存が未確認というところか。しかしそんなこと言わずとも近衛騎士全員が知っていることだ。

あとは、今朝見たあの夢を全て思い出せれば引っかからずに済むのだが、……私しか見ていないものを彼に思い出せるわけもない。

代わりにふと、小さな疑問が頭に浮かんだ。馬鹿馬鹿しい、くだらんこととは分かりつつも「隊長」と呼び、問いかけた。


「へ……?そりゃぁそうじゃないすか?」

「そうか」

私の問いに蒼の目を丸く上げた彼から、答えはすぐだった。ぽかりと口を開けたままの彼を置き、気が済んだ私はトレイを片付けひと足先に食堂を後にする。

まだ演習まで時間がある。いつも通り演習所に到着してから考えようとしたその時。


「!副団長、お疲れ様です」

「ああハリソン。ちょうど良かった。今朝はどうかしたか?」

ちょうど食堂へ向かうところだったらしい副団長に挨拶をすれば、またアーサー・ベレスフォードと似たような問いをかけられた。

別段変わったつもりはなかったが、そんなに頻繁だったのか。「問題ありません」と首を傾けながら、今日は騎士団長はご一緒ではないのか。

私の答えに「そうか」と笑われた副団長は、食事の時間が取られるというのに立ち話を続けられる。私も食堂へ同行させて頂くべきか。副団長がそう仰るのならば、やはりいつもより何か違うのか。

そう考える間にも副団長に「少し付き合ってくれるか?」と肩に手を置かれ、従う。


「何か夢でもみたか?」

「埋められる夢を見ました」

「夢見が悪かったか。今回はそんなに気になる夢だったのか?」

いえ、と。苦笑される副団長に首を振りながら再び食堂に戻る。

むしろ寝覚めは良かったと伝えたが、副団長は苦笑されたままだ。今までも妙な夢見を話したことは何度かあるが、最近なかった分久しぶりだと思われているのかもしれない。


詳細にご説明するべきとも考えたが、思い返してももうあまり記憶に残っていない。

アーサー・ベレスフォードに伝えた通り「死体でした」と報告すれば、ハハッと笑い声を漏らされた。

どんな状況だった?と尋ねられ、死体処理場で何者かに埋められたと思い出せる分だけ言葉にする。食事を取られようとする副団長に代わり持とうとすれば、それは手の動きだけで断られた。


「死体処理場か。それは不満だな」

「いえ、死体の処理にこだわりはありません。野晒しでも結構です」

「ああそうか。なら、何か変なところでもあったのか?」

「変……」

そう言われると、確かに気になる部分はあった気がする。しかし今はそれがどこだったかも思い出せない。

副団長の傍に続きながら、頭を捻る。今朝からそれを思い出そうとしていたのかとはわかるが、引っかかったままだ。


口を閉ざしてしまう私に、副団長もそれ以上は尋ねられない。手近な席を選び、腰を下ろされるその隣に私も並ぶ。「もうアーサーも食べたのか」と確認を取られ、肯定しつつまた思い返す。

夢の中でもう薄れ、何故あんなにも不満に思ったのかもわからない。目覚めは良かったのならば不満に思う必要がどこにある。死体の処理などどうでも良いも本心だ。首を傾けたままの私に副団長は食事の合間に、思いついたように私へ目を向けられた。

「夢の中で冤罪でもかけられたか?騎士のお前がそんな扱いなど普通はあり得ないからな」






『もう、騎士ではない』






「…………………………………………」

「ん?なんだ思い出したか」

イラリと。不意に頭に過った声が、誰のものかもわからない。

ただそんな発言何者にも言われた覚えはないぞと思えば同時に顔に砂でもかかったような不快感に手で擦り、払い叩く。

食堂でそんなことあるわけもなければ、己の髪でもかかったのかと思うが触れた先には何もなかった。それでも苛立ちでバシリバシリと、無駄に力がこもる。


腹の底がそのまま顔に出たのか、今度は先ほどよりも柔らかく笑う副団長に「そんな嫌だったか」と言われれば否定しようがない。

確かに、あの言葉を浴びたならばどんな理由であろうとも腹立たしくなるのは間違いない。一体誰が言ったのか、夢の中であろうともそのような発言を吐くのは粛清対象以外思いつかない。私に向けての言葉かまで確証はないが、この胸の内が物語っているようにも思える。


今まで騎士として言動に疑われたことも指摘されたことも数知れないが、騎士であること自体を否定されるなど任命以来一度もない。

そこまで思考すれば、先ほどアーサー・ベレスフォードに投げかけたくなった問いの正体も垣間見る。だからか。

気付けばそのまま視線が食事中の副団長へと刺さっていた。私の視線に気付かれたのであろう副団長が「ん?」と目だけをこちらに配られる。食事を終えるまで待つつもりだったが、すぐにフォークを置きこちらに向いてくださった。

なんだ、と笑いながら促してくださる副団長へ、私はアーサー・ベレスフォードへと同じ問いを投げかける。




「副団長。私は騎士でしょうか」

「……よほど嫌な夢を見たらしいな」




副団長にしては珍しく、数秒の間を置いてからくっくっと喉を鳴らして笑われた。

「そんなことを言われるのは初めてだ」と顔のみならず身体ごと私の方へ向け座り直された。私も姿勢を伸ばし、向き合えば次の瞬間には肩を二度叩かれ手を置かれる。


「ハリソン・ディルク。間違いない、お前は騎士だよ。私とロデリックが認めたんだ。アーサーもプライド様もそう答えるだろう」

銀色の眼差しにしかと映され断言された途端、胸の内の蟠りだったであろう部分が嘘のように消失していく。

ここまで重く引っかかっていたのかと、軽くなる感覚で知る。寝覚めが良かったと思ったが、今のもたれのない軽さを知ればやはり良くない夢だったのか。

副団長が「調子が戻ったな」とまた喉を鳴らしつつ楽しそうに仰られた。ポンと肩を叩かれ、もう演習所に向かって良いぞとご許可を頂く。


「今日も気を抜かず取り組むように。いつも通りにな」

「はい」


ありがとうございました。席を立ってすぐ低頭し、感謝を示す。

思い出し、そこで見回せば入れ違いかアーサー・ベレスフォードは見られなかった。ならば余計、私が遅れるわけにもいかない。

特殊能力を使い、高速の足で食堂を出た。もう夢見などどうでも良くなる。

八番隊の演習所へと最短距離で向かう。到着したらアーサー・ベレスフォードにも良い夢だったことは否定すべきかと思うが、どうせ気にしないだろうと完結する。他愛もない話で、解決もした。

任務も一つ終えた今、騎士として演習に務めることを考える。早朝演習でも手を抜いた覚えはないが、副団長に御言葉を頂いた通り不調の結果だったならばここで取り返さなければならない。




『私は騎士だ』




「…………」

急激に蘇った言葉は、誰のものか。

どうでもよくなった途端に、もう殆ど記憶から排除されている。夢でそういうものを言われたのか、言ったのか。

何者かもわからないその声に、今は少し同調してやる。私と同じ覚悟を持つ騎士ならば構わない。

騎士として任命を受けたその瞬間から死するまで、……いや。



死しても尚騎士である覚悟があるならば。


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