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フリージア王国備忘録<特別話>   作者: 天壱
書籍化記念

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26/144

〈書籍5巻本日発売‼︎・感謝話〉一番隊騎士隊長の夢見は。

本日、無事書籍5巻発売致しました。

感謝を込めて書き下ろしさせて頂きました。

時間軸は「私欲少女とさぼり魔」あたりです。


『……どう……て……なん………‼︎』


……どこだ、ここ。


すげぇ、暗い。真っ暗だ。

気付けば目の前が全部塗りつぶされたみたいで、死んだかなって一瞬マジで思う。さっきまで何をしてたか考えても上手く思い出せない。確か演習終わって、いつもの鍛錬所で軽く走り込んで鍛錬してて……まさかそこでぶっ倒れたとか思いたくねぇけど。

でも騎士団演習場内だし、奇襲受けたとも考えにくい。まさかあのティペットとかいう奴かなとも思うけど、いくら透過の特殊能力でも城内の騎士団演習場内まで忍び込むのはきついだろ。

ていうかその場合俺を狙う意味がわからない。いやプライド様が狙われるよりはずっと良いけどやっぱ無い。

何も見えないまま頭をガシガシ掻いて周囲を見回す。どこを見ても暗いし狭いか広いかもわからない。今俺が目を開けているのか閉じているのかも確かめようが─……、…あった。

ふと手を降ろせば、自分の手がはっきり見えた。てっきり何も見えねぇ暗闇だと思ったのに、自分の身体はちゃんと見える。足元もみれば、靴の先まではっきりだった。

試しにその場で思い切り撥ねてみれば、天井にはぶつからず床には土とは違う固い感触が返って来た。質感からどっかの建物の中かなと思う。だっだらどこかしら真っすぐいけば突き当たりでもあるか。


「おーい‼︎誰かいるかー⁉︎おーい‼︎」


よく響くように口の横に手を添えながら腹の底から声を張り呼びかける。

同時に軽く駆けて進めば、思ったよりも先は長い。声の響き方にも全く広さに当てが付かない。カンカンとした床の質感を確かめながら真っすぐ進む。

何度声を張ってもどこにも誰からも返ってこない。やっぱ死んだかどっかに捕まってんのかなぁと思う。特殊能力者でも、今がどういう能力者なら説明がつくのかも検討もつかない。幻とか夢でも見せられてるなら一番わかりやすいけど。


いくら先まで駆けてみても、全く壁にすらぶつからない。

あり得ないだだ広さに、少し気味悪くも面白くも思う。これが現実だったらかなりのもんだ。地下ならあり得るかなとも思うけど、それじゃ自分の身体だけ見えるのが説明つかない。

壁があれば壊せば済むのにそれができないし、試しに一度立ち止まって足元を思い切り蹴りつける。

ガンッ‼︎と結構手ごたえのある音も響いたけど、どこかしら砕けた感触はない。

やっぱ夢かな。足も別に折れても痛んでもいねぇし。よく考えれば気が付いた時も立ち放しだったのも変だったと思う。特殊能力による攻撃じゃなくてただの気味悪い夢なら、いっそここでもうひと眠りでもすれば戻るかもしれ



『何故……‼︎……こんっ………』



「ん?」

今、聞こえた。

微かな、こんな静かな場所じゃねぇと聞こえねぇような小さな声。はっきり聞き取れないけど、苦しそうな声だったのはわかった。

振り返し、聞こえた方に耳を凝らす。目を閉じ、できるだけ声の正体を先に探る。一人ずつ喋っているのか、混ざっては聞こえない。

似たような声色にも聞こえるけど、たぶん違う。どこか聞いたことがある声もある気がするけどここからじゃ判断できない。どれも苦し気で、絞り出すような声だったから死にかけているか負傷か。取り敢えず寝てみるのは後回しにする。

もし他に捕まってる奴でもいるなら、そいつらに話を聞いてからだ。切迫してるなら余計に放っとけない。こんなわけわかんねぇところに閉じ込められたら、俺だってその内どうにかなっちまう。


さっきまでは全然聞こえなかった筈の人の声が妙に聞こえてくるのに警戒の糸が頭にピンと張る。

それでも、目的方向を決め直し駈け出した。どこを行っても何もない、黒だけで壁も天井も隔たりもない筈の空間で声のした先からチラッと何かが光ったように見えた。


火が灯ったのとは違う、反射の光に似てる。光もなにもないのに反射だけが目に入って、真っ暗なはずなのに自分の姿は見える。いよいよ現実離れした空間になってきた。

やっぱさっさと幻ということにして放り出したいけど、苦し気な声に引き寄せられるように足が動く。「いるか⁈」「返事しろ!」と呼びかけながら、その声が近づけば近づくほど悲痛な色が濃くなってきた。

まさか話せる方の奴らより今も声がでないような奴らもいるのかと過った瞬間、肝が冷えた。こんなところじゃ救助の仕方も限られている。


おい‼︎と、もう一回喉を張って呼びかけた。それでもやっぱり俺の言葉に反応するような声は聞こえない。本気で足に力を込め、一気に距離を詰める。思ったよりは結構な距離だったけど、辿り着けば一瞬だ。ぴかりと反射して光る先が目で捉えられれば、……そこに、人はいなかった。


窓だ。そう最初に思った。長高い枠組みがついたそれが、最初は鏡にも見えたけどその向こうは俺を映さない。真っ黒な世界で、そこだけは一色に塗りつぶされていなかった。太陽の光も零れてて、上がり方から朝かなと思う。

やっと目に入った光に目を絞ったけど、いまは外に繋がるそこよりもその先の光景だ。どうやらさっきの声も、こっちじゃなく窓の向こうからの声だったらしい。今も苦し気な声が硝子一枚の向こうから聞こえてる。


取り敢えず外に出てから考えようと拳を叩きつけたら、ガンッ‼︎と床と同じような固い音が響くだけだった。

薄いように見えたけどけっこう厚いのか硝子じゃないのか、びくともしない。ヒビすら入らないのは意外だった。

声は聞こえるのに、そんなに分厚い硝子なんて余計に妙だと思いながら今度は鼻がくっつくくらい窓に顔を近づける。取り敢えず窓の傍には人もいない。けどその結構向こう、叫べば声が届く距離には人だかりもある。

試しにもう一度呼びかけてみたけど、やっぱり反応はなかった。景色を見ても、すげぇ見覚えのある場所だ。……けど、こんなところに窓なんかあったかな。配置図を思い浮かべても、全然思い当たらない。

知ってる景色、そして人だかりも全員知ってる団服を袖に通してる。場所は俺が思い浮べてるところで間違いない。でも、なんで誰もこっちに気付かねぇのか。一人くらい気付いてもおかしくねぇのに。


逆光で、表情もよく拾えない。ただ全員こっちは向かず、一方向ばかりを注目していた。奴らの視線の先を俺も目を向けてみれば、…………夢だなと。すぐ腑に落ちた。

『なんでっ…………』

苦し気な声が、まるで俺がそれを見つけるのを待ってたみたいにまた紡がれる。

呼びかける俺の方には一瞥もなく、あいつらが見るのは一方向。今、声を上げた奴を俺は知っている。声を上げた奴だけじゃない、全員が俺の知ってる─…………いや?



『どうしてっ……これが、騎士に相応しい扱いだとでもいうのか……‼︎』



ぼたりと大粒の雫が落ちるのと、今までそいつから聞いたことないような苦し気な声がまた響いた。…………そう、こいつは俺も知っている。

全員が一方向に顔を上げて苦痛に顔を歪め、中には見てられねぇように顔を伏せていた。全員が、騎士だ。

当然だ、ここはどうみても騎士団演習場なんだから騎士がいて当然だ。なのに、気持ち悪い。知ってる奴らと、全く知らねぇ奴らが混ざってる。カラムほどじゃなくたって、俺だって騎士の連中を顔見知る程度はわかる。なのに、顔も見たことねぇ若い騎士が妙に多い。新兵でもない、本隊騎士なのに誰なのか全くわからない。それだけで俺の頭がおかしくなっちまったんじゃないかと疑いたくなる。

全体的に若い騎士が多い。逆に俺らと同期かそれ以上の先輩騎士も妙に少ないし、俺が知ってる若い騎士は殆どいない。ここにいないだけなのか、それでも知らない騎士がいる理由にならない。新兵なんか一人もいない。しかもここは朝礼もする場所だ。朝礼前後なら余計に新兵が誰もいねぇのはおかしい。

遠目で小さくしかみえないあいつらの顔全員見ても、俺がわかる奴らなんか一握りしかいない。なんだこの騎士団。

やっぱり夢だ。こんな知らねぇ奴らしかない騎士団なんか夢以外あるわけない。大体、なんで俺が、よりにもよって騎士達の前で




首を晒されてねぇといけねぇんだ。




「…………やな悪夢だなー…………」

確かめるように、口が細い声で呟く。

首を晒すなんて、罪人相手でも滅多にない。しかもただ転がされてるわけでも、布にくるまれて掲げられているわけでもない。胴体から斬り離されたそれが、切断面から肉を通って頭の先まで一直線に槍で串刺しだ。そうやって、誰の目にも見えやすいように晒されていた。しかも俺だけじゃない、別の奴の頭もあるのが影でわかる。


罪人一纏めかと、他人事のように思う。それだけでも結構な悪夢だ。

いくら騎士団で馬鹿やらかしてもここまでされるような覚えはない。しかも、なんで広場でもなく騎士団演習場の中で晒されてるんだ。どんな大罪人だったとしても、騎士団演習場にわざわざ晒すなんかあり得ない。まるで見せしめだ。

敵の首なら何度も見たことあるから慣れてるけど、自分の生首なんか見て気分が良いわけがない。この場で吐き捨てたい気分になりながら首を自分で摩る。勝手に眉の間が狭まるのを感じる。取り敢えず俺の方にはちゃんと首も頭もついている。


意味のわからねぇ光景をみせる硝子に、今度は思いつくまま前蹴りを二度打つけどやっぱりびくともしない。

俺が何かの罪人で、騎士団に晒された。それだけでもかなりの悪夢だし最悪だ。しかも知らねぇ騎士ばっか多い騎士団が、俺の首に泣いてくれている。その様子もこうやって見ると結構な悪夢だと思う。罵倒されて騎士団の恥さらしとか言われてたらそれはそれで死ぬほどきついけど。

知らねぇ騎士だけじゃない、昔馴染みの同期から、先輩騎士に一番隊の連中も苦し気に顔を歪めて、歯を食い縛っている。膝を付いている奴も多い。

俺の方が顔を顰めちまうくらい、苦しそうに顔を俯けて地面を濡らしてくれる奴もいる。「あ゛あ゛あ゛‼︎‼︎」と雄叫びみたいな声がする。目を見開いて、俺の首を凝視してる奴もいる。たぶんあれはすげぇ怒ってると、付き合いでわかる。けど、なんで、どれに誰に怒っているかは俺にはわからない。

騎士として、どいつも多からず少なからず仲間の死には慣れてる筈だ。最近なんか特に()()()()()()()()()()()()んだから。それなのに俺の死でこんなに泣いて取り乱してくれてるのは、やっぱこの晒され方かなと思う。騎士として、いや人間としてこれ以上ない死後の辱めだ。

死んで血の気も泥の色で、乾いた血の固まりがこびりつき、皮膚は乾ききって、本人である俺の目から見ても直視できたもんじゃない。良く目を凝らせば、槍で貫いた時にでも失敗したのか目玉が一つくり抜けている。

ガタン、とまた騎士の、顔も知らない若い奴が膝をついた。次々と両膝をつく奴らがぽつりぽつりと、まるで互いの間を縫うように「何故」「どうして」「なんで」と同じ意味の言葉が零れて聞こえる。この世界の俺が何かやらかしたのか、いくら耳を立ててもそこまで語る奴らは



『騎士じゃないわァ、〝罪人〟よ?』



ぞっと、全身の毛が逆立った。

二重音のような女の声が、急激に頭から降ってくるようだった。その声を聞いただけでまるで心臓を掴み潰されるような悪寒が走る。

気付けば自分で自分の胸を押さえてた。なんだこの声。人間か?

言葉だけで、声が聞き取れない。声の高さが女とわかるだけで、老婆かガキかもわからない。ただただ不快で虫唾の走る声を、どこかで知ってる気がして歯を食い縛る。舐めるようなその声に、耳を塞ぎたくなる。

窓からはよく見えない。硝子の向こうからどの角度でも見上げられない、もっと上の、斜め向こうからの声だと騎士達の視線でわかる。たぶん、高台の上だ。

女の姿も見えない中、騎士隊の誰もの目が鋭くなっていく。殺意に食われるように目が血走らせている奴もいる。同期の連中なんか、今まで見たことねぇような顔だ。剣を握ろうと構える直前で手を震わせている奴もいる。


『王族に忠誠を誓う騎士でありながら、騎士団を巻き込む大規模な反逆を企てた。これ以上の罪があるのかしら?』


二重の音が耳鳴りみたいに頭に入ってこねぇ。

聞き取れる筈なのに、よく聞こえない。雑音をそのまま耳の穴に注がれているような不快さだった。なんだ?俺が、何をしたって⁇

ギリッと歯を食い縛る音がいくつも聞こえた。俺の顎の音か、それとも硝子の向こうの音かも判別できない。

瞬きを最後にしたのがいつかもわからねぇほど、ただ目の前の光景に見入る。今、二重音の女がなんて話したかもう一度繰り返してくれと思う。硝子をもう一度叩きたくなったけど、その音に紛れてまた聞き取れねぇと困ると拳を握って堪えた。

騎士団、反逆、罪と。その言葉だけをなんとか後から頭が拾う。なんだ、なんなんだ俺は一体なにしでかした?!


まさか啓示だったらと、一番まずい可能性が浮かんで首を振って打ち消す。

この女の正体が知りたくて、知りたくない。ただ、俺がどうしようもないことをしたことは理解する。まさかこれが前にもあったティアラ様の啓示と同じやつだったらと、そう思えば一気に心臓が慌て出した。

内側から耳まで響く音で叩かれながら、俺は必死に硝子の向こうにもう一度目を凝らす。どいつも二重音の女に何も言えてない。泣いてる奴も首を垂らしたまま膝をついたままだ。ギリギリと目を剥いて噛み締める奴ほど、顔ごと視線を落としてる。直視しねぇ為か、それとも自分の顔を見られないようにする為か。

信じられねぇ、あの騎士団が。最強を誇るフリージア王国騎士団が、誰一人その女に歯向かえない。女の一方的な責めるような言葉に、この責任はと脂ののった舌でベタベタ話す言葉に誰も声すら上げようとしない。

騎士団長は、副団長は、その二人もどこにもいない。仮にも部下がこんなことされるほどの大罪ならいねぇ方がおかしい。大体あの二人が騎士団内でこんな刑罰を許すわけがない。そうだ、たとえ相手がと。そう頭に何かが続きそうになった瞬間だった。



「…………カラム……?」



嘘だよな?

目に、さっきまでは気にしなかった晒された首のもう一つ。俺と同じ扱いをされた〝罪人の誰か〟としか思わなかった影に焦点が止まる。瞼がなくなっていく感覚が指の先まで震わせた。

息が浅くなる。このまま呼吸すらわかんなくなっちまうんじゃないかと過りながら、身体がどうにもならなくなる。頭に血が登って弾ける感覚と一緒に、食い入る。

槍に串刺された首。俺と、その隣に同じように刺された頭。切断面から、顔まで血の跡がべったりついたまま拭き取られることなく乾いた血の跡を残し晒されている。一瞬痣かと思うほどに、俺の頭とは比べ物にならないほど頭からびっしり汚れていた。……だからわかんなかったんだと、まるで自分に言い訳でもするように思う。


なんで、俺はさておきカラムはそういうのじゃねぇだろ。あいつがなんで俺と並べてこんな晒され方してる?

ありえねぇ、と思うと同時に騎士の連中があんだけ泣いてる理由も納得する。カラムを慕ってる奴らは多かった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()けどそれでもあいつに頼って騎士を続けてこれた奴らは本隊にも新兵にも多い。騎士団長を()()()()()()騎士達にとって最後の憧れの騎士だった。あいつが俺らの盾になろうとしてたことも、非道な命令に誰より苦しんでくれてたことも皆わかっ…………、……?


「…………は…………えっ、…………⁈」


ガタン、と。

気付けば膝が落ちた。まるで関節を撃ち抜かれたように両膝とも力が入らずべたりとついて、前のめりに硝子に額が微かにぶつかった。拳を硝子について、なんとか顔を上げるけど目の中が黒と白に光り出す。いま、俺なんて思った?

自分で考えていたことが、わからない。今、まるで変な妄想を思い浮かべたように自分で自分が理解できない。何でだよ、こんなこと今まで一度もなかったろ⁈


何か、何かしゃべらねぇとまずいと全身で形もなく確信する。

口を無理矢理に開いて息を吸い上げるのはできたけど、そこから舌が痺れたように動かない。ハ、ハ、ハ、と短い呼吸でせいぜいだった。血が回ってないような頭で、なんであんなことを考えちまったんだと思う。いや、何を考えたのかもほとんど思い出せない。思い出そうとする瞬間、頭が酷く痛む。駄目だ、思い出しちゃまずいもんだ。

うぷっ、と一瞬本気で喉まで競り上がった。口を片手で無理矢理押さえながら、必死に胃の方へ送り返す。なんで、なんで今俺、この光景ほんの一瞬でも()()()()ことができた?!

何を考えたか思い出せない。それでも、ほんの数秒だけ本気でこの訳のわからねぇ光景を〝知ってる〟ような気分になった自分が気持ちわりぃ。ありえねぇだろこんな狂った世界。

俺が、カラムがこんな風に殺され晒されて、しかも騎士団のどいつも逆らえず黙ってる。知らねぇ若い騎士が増えて、俺らが知っている騎士が何人も()()()()いる。ああくそ、だめだまた何か考えた。考えたら考えるほど深みに足を引きずり込まれる感触に思わず床を踏み付ける。淡泊な音が響くだけで、どこにも響かず鳴らず壊れない。頼むから夢であってくれればと………まるで、夢じゃねぇかのようにそう思う。ああやべぇ、飲まれる。

沼にでも半分食われたようで、身体が重い。目が回って、もう硝子の向こうを直視できない。さっきまで疑問がいくつもあった筈なのに、今はほんのたった一つしか浮かばない。疑問でもなんでもない。ただ、なんでかわかんねぇのにものすごくこの状況が










〝俺のせいだ〟












『ねぇ~?なんでそんな顔するの?まるで私が悪いみたいじゃない』

うるせえ、黙ってろ。

べったりとしたせせら笑う声に、痺れる舌で無理矢理声を荒げた。

自分の中で浮かべた言葉と、舌が発した声は言葉というには馬鹿みたいに鈍った発音だった。

それでも今は構わず必死に抗う。女の声よりも、その声を現実みてぇに受け入れようとする頭に死に物狂いで抗う。顎が砕けるほど食い縛って息を止めて無駄でも良いから拳を硝子に叩きつける。ああクソ、頭が割れる。

硝子を叩いてる筈なのに、まるで自分の頭を叩き潰しているみてぇだ。まずい、まずいとわかっているのに、抗えない。叫んだ直後に今度こそまずいもんが競り上がって口から撒ち散らせば全部赤だった。…………ああ、そうだよな。と思う。本当はそうなるべきだったのは俺一人だった筈なのに。

拳じゃ足りなくて、とにかくこの思考を潰す痛みが欲しくて、喉が疼いて掻き毟る。直後には、まるでナイフで裂いたのかと思うほど爪の跡以上に喉から血が滲み出た。血なんか見慣れた筈なのに、手のひらべったりに濡らしたそれに一瞬心臓が止まった。

あの時よりずっと、死ぬことに後悔が引っ掻く。あいつらは、と過った瞬間に首がまた硝子の向こうへと上がった。向こうで、誰もが女一人に言い返すこともできず憎しみに歯を食い縛ってる光景を見る。ああそうだ、俺が、俺達が本当に守るべき奴らだったのに‼︎‼︎


置いてきた、見捨てた、守れなかった。あいつらの盾に、騎士の誇りを俺が前に立って守ってやんねぇといけなかったんだとあそこで気付けなかった。

騎士が、あいつらが泣いている。たった一夜で支えを二人も失った。自分達が信じてきた二人がこんな形で殺されて晒されて、平気でいられるわけがない。俺らだってロデリック騎士団長が死んだ時もクラーク騎士団長が死んだ時もそうだった。ッなんで俺があの時の最悪を他の奴らに押し付けてんだ‼︎


『寧ろ感謝と謝罪を示すべきじゃなくて?貴方達の代わりに罪人の処理までこうしてやってあげたのに』

ふざけんなふざけんなふざけんな!

歯が砕けそうなほど食い縛る。血の染みついた床を睨みながら拳を落とす。誰も、もう今騎士達の壁になれるやつがいない。俺が、俺の所為で、俺が余計なことを言った所為で、俺だけ死ぬはずがカラムまで道連れにしたせいだ。

微かな、騎士の声が漏れ聞こえた。噛み締めるような、苦しそうな声が震えてる。「罪人なものか」「昨晩のうちに弔うことができれば」「部屋に入るなと命じた分際で」「騎士団長と副団長にあんな辱めを」と、ぽつぼつと歯の隙間から憎しみが漏れ出てる。涙の粒が地面にいくつも落ちてる。

あいつらのその言葉だけで、……少し救われる。俺らの為に泣いてくれてた奴らが、死んだ後も弔おうとしてくれたらしい。せめてあの女に逆らおうとしないでくれてよかった。俺らの所為で、もう一人も騎士に死んで欲しくもない。

俺だったら、歴代騎士団長副団長の誰かがこんなことされたら多分黙っていられなかった。それこそカラムに革命を持ち掛けるまでもなくあの女に飛び掛かっていた。今だって、この身体が届くなら殺したい。

せめて、こんな晒し方されるのが俺で良かったと思う。本当ならカラムもこんな死に顔になるべきじゃなかった。俺だけで充分だった。


『それともぉ、貴方達も全員叛逆者の味方なのかしら。アハッ⁈いやだわぁ、誇り高き騎士団が全員反逆者集団なんて』

どこが困ってやがる。

ああそうだ、そうやって死んだそうやって殺された。カラムが、前に出て庇ってくれた。なのに、結局俺も死んで無駄にした。……あれ、じゃあ






ここにいる俺は、なんだ?






「─っ⁈」

喉から込み上げ、手で押さえても無駄のまま指の隙間から鮮血が溢れ出た。やばい量だと見る前からわかる。

血が足りないからか、頭の中で鐘が鳴るように一際でかい激痛が走った。ビリビリと振動が脳まで響いて痺れるように指先までガタガタ震え出す。息ができねぇ。

硝子の向こうまで目だけがなんと向きながら、もう少しで沈むとわかる。

なんだ?どうした?いま、俺がこうして首がついてる理由がわからねぇ。首が切れてるはずだと、……切れてるべきだと思う。まだ、爪の跡があるだけだ。

騎士を、ちゃんとあいつらを見るべきだった。残された側に自分がいることばっか考えて、俺が残す側になることを考えてなかった。

カラムが正しかった。俺が余計なこと言わなけりゃ、今も言葉で嬲られるあいつらをカラムが守れた。副団長にもなって、カラムを支えてやることも部下達を守ることもできず逆に奪った俺と違って、あいつなら。


『ほらほらぁ?貴方達の立場を殺めた騎士団の恥よ?石の一つくらい投げてご覧なさいな。国に盾突いた罪人を庇うなら貴方達も同罪かしら?』

騎士達の手が震えるのが、遠目の霞む視界でもわかった。ああクソこんな死に方したくなかった。

誰も、石を拾おうとすらしない。地面を睨む奴らもいても、そんなこと出来る奴らじゃないと俺もよく知っている。いくら非道な命令に従ってもそこまで腐った奴はいない。

拳を握る奴らの中に、腰の剣に指が近づく奴らもいた。……駄目だ、それだけは。

食い縛ったまま固まった口で、声すら出せず頭の中だけでそう叫ぶ。

ッああああああそうだよわかってただろ‼︎なんで見てる時じゃねぇと気付けなかった⁈あの女に逆らった時点で俺だけの問題じゃねぇんだって‼︎‼︎

カラムが言ってた通りだった。俺一人が動いただけで、騎士団長のカラムまで巻き添えに殺された。それだけで終わらず、死体まで晒されて、騎士団にまでこうやって結局責任が押し付けられる。本当に、俺とカラムの死はなんの意味もなかった。守りたかった全部、踏み躙られてる。

言葉で責めて、騎士の誇りをこれ以上なく汚し遊んで誘ってる。あいつらが石を投げれないことも知っていて、その上で今後こそ騎士団を潰せる理由が斬りかかってくるのを待ってる。騎士達が、こういうことになんねぇようにどんだけカラムが歯を食い縛って耐えて来た⁈それを俺がぶち壊して‼︎誰より耐えてたカラムまで死なせてまた騎士がああして俺と同じ馬鹿をしようとしている。

騎士が斬りかかってきても石が投げられてもどっちも楽しいとあの女は




カンッ、と。




突然、固い音が短く響いた。

それに俺だけじゃない、騎士達の息を引く音まで重なって聞こえた。眩んだ視界が少し開ける。間違いない、霞む視界でも確かに見えた。

石が、飛んだ。

手のひらに収まる程度の石が、晒された俺らの首に真っすぐに飛んできた。狙った証拠に、その石は外れることなく俺の方の額に命中した。もう血も出し切って、石で切れた額から何も出ない。今〝この〟俺の首から滲んだ血の方が量もずっとある。

騎士達も、誰もがそれを見逃さなかった。顔を上げてたやつは目を見張って、顔を伏してた奴は顔を上げてすぐ俺の傷が増えたことに気付く。昔と違って騎士の数が少ない所為で後方の列じゃなけりゃ誰でも見える。後方へも「副団長の顔に」「誰が」と声を漏らすのが広がっていく。信じられないものを見る目で、石が飛んできた方向へ誰もが振り返る。



『新兵達を周辺警護に配備し遅くなりました』



この、声は。

硝子の向こうに見えるより先に、その声でわかる。どいつも振り返っては、密集した中で道を空ける。真ん中を真っすぐ歩いてくるそいつは、…………血に染まった団服を羽織っていた。

カラムのもんだ。乾いた血がべっとりとほとんどに沁みついて赤錆色になった団服は、殺られる時にカラムが着ていたもんだ。新しい支給でも、カラムの代えでもなく敢えてそれを着ている男は、硝子越しでも血の匂いが届いてきそうだった。

女のいる方向を見上げる紫色の眼差しは、他の騎士の誰よりも惑いがない。

ハリソン、と。他の騎士達の何人かがそう呼んだ。カラムの血まみれの団服だけ羽織って、石を片手に歩み寄る。風に揺れる黒の短髪に、なんでか違和感を覚える。あいつあんな髪、今…………あれ、なんで変に思うんだ?なんで、ハリソンの髪が長い気がした?

わからない。もう自分の頭がおかしくなっちまったんだと思う。あいつは昔も今も髪なんてざっぱに短いままだっただろ。

拳のまま硝子に手を付き、ハリソンを眺める。全員の注目を浴びたまま、まるで見せつけるみてぇに手の中の石を一回空に放り、掴む。さっき投げたのが自分だと示す。…………ああ、こいつが投げて〝くれた〟のか。


『御命令通り騎士団長の任仰せつかりました。我が意思こそ騎士団の意思』

おもむろに、ハリソンがまた石を投げる。

まっすぐに今度はカラムの頭にそれがぶつかった。血に濡れた頭頂部にぶつかり、固い音が鳴った。その途端、何人かの騎士が「なんてことを」と殴りかかろうとしたけど、他の騎士が押さえつける。そうだ、今はハリソンが正しい。

躊躇いなく投げられた石二つで、いま騎士団全部が投げずに済んだ。俺らの所為で潰しかけた騎士団が、騎士全員が投げられなかった石をハリソン一人が担ってくれた。本当は、こいつら全員が石を投げねぇときっとこの時間も終わらなかった。

俺は、投げられて良い。カラムは置いても、俺の所為でカラムも騎士団も潰しかけたんだから、騎士団全員に責められても良かった。責められるべきだった。俺が一人トチ狂った計画なんか喚いたせいだ。

「良いわ」と、また女の声が降って来た。顔も見えねぇ筈なのに、吐くような笑顔を浮かべているのが頭に浮かぶ。…………顔?誰だ。誰の顔だ。思い出したくもねぇその顔を頭が浮かべるのも拒絶する。でも、…………ああ、クソ本当に



良かった。



助かった、と。そう思った瞬間にすげぇ肺の底まで息を絞り出す。

硝子に付いた拳がそのまま身体ごとゆっくりと下へと滑り落ちていく。膝を立てることすらできなくて、べったりと床に尻をつく。もう、硝子の表面すら直視できない。

マジでいま騎士団が潰されかかるところだったんだと改めて思い知る。あのまま誰も石を投げれないままだったら、本当にあの女は遊びで騎士団を潰すか全員も反逆者に仕立ててた。もし、全員が無理矢理にでも石を投げさせられてたら、…………多分、騎士の誇りとしての最後の支柱が折られた奴もきっといる。いや、もうカラムの死でそういう奴も多いだろう。

騎士が、カラムを最後の最後まで慕ってた奴らに晒された首へ石を投げるなんでできるわけがない。

俺の所為で、騎士団が潰されるなんて耐えられない。ガキの頃からずっと憧れて、ずっと夢に見続けてた騎士団が俺の馬鹿の所為で潰れるなんてそれこそ悪夢だ。


新兵がいないのも、ハリソンが全員離れさせてくれてたんだなと今知る。

そうだ、良かった。俺もカラムも何もできずに死んじまって、クラーク騎士団長に託されたあいつにまでこんな光景見せれるわけがない。あいつだけは、……あいつだけはちゃんと騎士としての希望を捨てずにここまで来て欲しい。

父親を騎士団に見捨てられて死なれて、それでも騎士を選んでくれた奴だ。父親譲りの才能の固まりのあいつが、いつか俺らの代わりに騎士団を立て直してくれと勝手に願う。それが、あの時クラーク騎士団長を看取った騎士全員の願いなのはきっと今も変わらない。


カラムだって俺の為に死ぬ必要はなかった。カラムが生きてればこんなに悲しむ奴の数もなかった。俺があの時、…………カラムを誘ったから。

俺一人じゃ、立つ勇気もなかったのか。そんなことない、俺一人でも殺してやりたかった。それでも、あいつなら一緒に騎士達と立ち上がってくれると思った。勝手な押し付けだ。


騎士が、新兵が、毎日毎日任務の度に目が死んでいくのがわかった。

国を守った筈なのに、人を殺したことに頭を抱える奴らが増えて、なんのための戦だったんだと泣いてる奴がいて、これが国の誇る騎士団なのかと新兵が絶望してた。

それでも、民を守りたいと民の為にと仲間を死なさない為にと一緒に戦って、命かけて、……死んでいった。

仲間が死ぬのにも慣れて来た。毎回任務の度に、今日は何人生き延びるかなと思うことまで当然になっていた。入隊した頃の輝きが全部都合の良い夢だったように思えて来た。今じゃあの頃の騎士団を語って聞かせても、信じてくれねぇ奴までいる。

騎士が誇りを胸に毎日演習に費やして、任務を終えたら達成感いっぱいで笑い合って、任務一つ一つが間違いなく民の為になったと胸を張り続けられた日があった。騎士が死なねぇ日もあって、この団服を着て歩くだけで城下の皆が尊敬や期待の目を向けてくれた日があったそんな時代を。騎士団演習場でだって毎晩みてぇに騎士同士が飲み明かしていた。


今じゃ誰もが鍛錬にも身が入らねぇ奴もいる。

夜になる度に笑うどころか悪夢に苛まれねぇように酒に溺れる奴も多かった。カラムも騎士団長の仕事で忙しくて新兵どころか騎士達にも回れなくて、俺もどんだけ声をかけても駄目だった。いくら囲んで酒飲んでも、他でもない俺がもう今の騎士団も騎士の自分も誇れないのが苦しくて苦しくてたまらなかった。民の為に騎士をしてるのか、自分の為に騎士をしているのかもわからなくなった。

こんな未来を望んで騎士になったわけじゃないのは、俺も同じだ。


ボタボタと。零れて落ちるのが、胸の苦しさで涙かなと思ったら赤かった。

溢れる先を押さえればさっき爪で引っ掻いた場所からかドバドバと血があふれ出ている。さっきも口から吐いてるし、もう死んでておかしくねぇよなと思う。むしろもう死んでねぇといけねぇのになんで。

ああ駄目だ、俺が何で、何を考えていたのかわかんなくなる。こんなに苦しくて、息をするのも許されねぇみたいで、騎士達にカラムに、ハリソンにすまねぇって気持ちばっかなのに溢れるのは血ぃばっかだ。


両拳を床に叩き落して、額も落とす。ちょうどハリソンに石を投げられたところを打ち付けた。きっと投げさせられかけた騎士の奴らはこの百倍痛かった。………もう、辛過ぎて。自分の感情もどこに置けばいいかもわかんなくなる。

手が、気付けば勝手に腰の剣を抜いた。刃を首に当てて、このままどうすべきなのか頭が同じことを叫んでる。そうだ、それが〝正しい〟と知っている。もう、俺を憎めばいいのか、あの女を憎めばいいのか、カラムに悔めばいいのか、騎士団に悔めばいいのか、騎士になっちまった俺を悔めばいいのかもわから











『…カラム隊長を置いていくなんて、…っ。…身を斬られるより辛かった筈なのにっ…‼︎』










─ 嗚呼。……辛かったな。


「っ…………?」

とくん、と。心臓が急激に大きく脈打った。

脳が揺れ、首に皮一枚まで触れていた剣が音を立てて床に落ちた。

あんだけ苦しかった胸が、急激に声を上げていく。塗りつぶされてたような頭が、一気に晴れていく。………あれ、俺いま何やろうとしてた?

心臓と一緒に、目の奥まで燃えるように熱くなって何となく顎から手で拭えば、べったりと濡れた。自分でも笑えるくらいの涙の量がどっと溢れ出していて、どうしてこんなに悲しいのかなと思う。

蓋された感情が込み上げてる感覚に、頭がぼうっとする。今はこの涙を止めたくない。信じられないくらい、いろんなものが洗い流されいく感覚が妙に心地良い。


─ この傷に触れてくれたのが、嬉しかった。


形のない何かがしっくり重なって、腑に落ちる。

ずっと水に潜ってたみたいに、呼吸が深く通って吐き出した。顔をべったり濡らす感覚にぼんやりと手で拭えば、血の痕がべったり伸びていた。まさか目から血が出てんのかなと思ったけど、鮮血っていうよりも血が水で薄められている跡にその前が血まみれだったんだと気付く。

特に胸元が気持ち悪くて手探りで確かめれば、首からべったりと血が溢れてた。そんな深く引っ掻いたっけと首に爪を立ててみたけれど、大して傷は深くないし触れても痛くない。

床にも散らばった血の量に、一瞬うわっと声が出た。

この量、なんだ?もうこの量吐いたら死んでるよな。

なんか血を吐いたような、首を自分で掻き毟ったような気はするけどそれ以外は思い出せない。頭の中がぐちゃぐちゃで、結構混乱してたと思う。

今は、すっきりしてて、さっきの自分がやってたことがもう思い返せばわけがわからない。しかも床に落ちた剥き出しの剣を見れば、一瞬本気でぞっとした。いま、俺この剣自分で首に当ててたよな?


「やっべ………特殊能力か…?」

答えが返ってくるかも期待せず、それでも声に出す。

じわじわとさっきまで考えてたことの片鱗が頭に引っ掛かる度に、全身の血が引いていくのがわかる。あとちょっと、本当にあとちょっとでまずかったと顔を上げ、硝子の向こうを眺めながら思う。


なんで俺、さっきまでこの光景が現実だと思ってた………?


いやねぇだろ。と、また声が出た。自分で自分の抜けた声にほっとする。

さっきまで知ってたつもりだった知らねぇ騎士達と、大昔みてぇに髪の短いハリソンがしかも騎士団長。唯一現実的なのはハリソンなら騎士団の為にマジで俺らにも石ぐらい投げるってくらいだ。

気持ち悪いほど硝子の向こうに全部納得して、思い込んでた。こっちが正しいと、条件なく思い込んで沈んだ感覚に首までどっぷり浸かってた。


ゴンゴン、と伸ばした手の甲で軽くまた硝子を叩く。通信兵の特殊能力にも似てる気がするけどやっぱり違う。

やばかったなぁ、と思いながら「あー……」と声を出す。膝に力をいれればすんなり立ち上がれた。両膝付いて潰れてたのも今気が付いた。

硝子の向こうでは変わらず騎士達が揃って、今はハリソンを倣うように全員が跪いている。アハハハハッと笑い声まで聞こえる。

ハリソンが騎士団長ってのも面白い未来かもとは思うけど、やっぱ何より首を串刺しに晒されたカラムと俺。それを見て泣いてくれて腹立ててそれでも堪えてくれてる騎士達の光景はやっぱ何度見直しても─




「胸糞わりぃ」




ドガッッ‼︎‼︎

さっきまでの鬱憤晴らすように、硝子へ向けて拳を叩き込む。

ヘッと笑ったままの自分の目が、確実に笑ってないとわかる。口の中の血溜まりを床に吐き捨てた。

最初は何度叩いてもびくともしなかった硝子に、ビシリと一つだけど亀裂が入る。意外な手答えに、すかさず二発目も回し蹴るけど今度は響かない。やっぱそんなに都合良くはいかねぇかと思うけど。


「割れろよ。こんな先」


要らねぇ砕けろと、頭の中で繰り返す。

自分でもわかるほど声が平らで冷たくなった。腹ん中がぐつぐつ煮えて、足りずにもう一発蹴飛ばせば今度はバキンと鳴った。俺の足じゃなく硝子の方がでかい蜘蛛の巣みてぇな亀裂を走らせる。

さっきはビクともしなかったくせにと頭の隅で思うけど、もうどうでも良い。取り敢えずこのふざけた硝子を壊さねぇと気が済まねぇ。

目の前のこれが夢でも現実でも特殊能力でも、絶対に俺が認めねぇ。そんな簡単に死んで、……置いて行ってたまるかよ。

ドカッドカッと、もう亀裂の有無も構わずとにかく打ち続ける。拳で、肘で、足で、膝で、何度も何度も打ち込みながら頭を整理する。

ぽわりと、あんだけしんどかった痛みが引いていた。今ははっきりと、この硝子向こうが現実じゃないと確信できる。寧ろ俺が絶対現実にはしないと決める。だってそうだろ。


「俺もカラムも死んだら、泣かせちまうじゃねぇか」

バキン‼︎と、今までで一番強い音が硝子から響いた。

俺の蹴りよりも、むしろ声に反応してるみてぇだと思う。最後の前蹴りから足を引き、手のひらで軽く硝子を撫でた。いくつも蜘蛛の巣が張って、ガビガビになった硝子面と白い亀裂で不透明になった部分を確かめる。

手のひらをついたまま試しに、わっ!と声を上げてみたけど変わらない。両手のひらを押し付け、普通の硝子なら充分押し割れるだけの力を込める。

額をつけ、蹴りでも拳でも穴すら空かない硝子の先を睨めばハリソンだけが居なかった。代わりに騎士達が糸でも切れたように膝をついてさっきの倍以上が崩れ打ち拉がれている。

俺らの死体の前で何か梅いて泣いている。さっきはどこか救われた気分にもなった気がするそれに、今はただ苛立つ。どっちにしろこんなの俺の知ってる騎士団じゃねぇ。何より俺も、首なんかになってる場合じゃねぇだろ。


「あの人が待ってんだぞ」


俺をカラムを騎士団を。


硝子が、悲鳴をあげる。ビシンッと響き、硝子の内側から亀裂が連鎖する。俺の手のひら中心に全体まで広がっていく。

その様子が今は不思議じゃなくて、あと少し、あと少しで硝子の向こうに声も手も届くと思う。幻だったらさっさと消したいし、それ以外なら向こうの奴らに言ってやりたいこともある。どっちにしろこれを現実にはしねぇと俺が決めた。


こんな弱体化した、誇りまでボロみてぇにされた騎士団をあの人が頼れるわけがない。一人でどこまでも地獄の底までも平気で行っちまうようなあの人がやっと俺達に頼ってくれるようにもなったのに。

俺がカラムが死んだらきっとまた、失うことを怖がっちまう。今はただ、当たり前みてぇにあの人の傍にいたい。

そう考えれば考えるほど、また息が苦しくなる。さっきみてぇが気味の悪いもんじゃない。歯痒い、疼く、鼓動がうるさい。奥歯まで食い縛り、勢いで口の中まで噛み切った。今こうしてる間にもあの人に何かあったんじゃねぇかと思えば堪らない。

付いた両手のひらで拳を作り、振り上げた。




「プライド様に会わせろ」




衝動のまま振り下ろし、叩きつける。瞬間、硝子が破裂した。

バリィィィィィィィィィンッッ‼︎‼︎と、内側から広がるように硝子全体がこっちに飛び散った。目の前で、硝子の塊が俺の顔に向かって飛んできたけど、不思議と避けようとは思わなかった。避ける必要はねぇんだってわかった。

硝子の先にはもう何もない。ハリソンどころか騎士達も、俺らの首もない。周りと同じ黒だけだった。破裂した硝子もどれも反射みたいに光りながら何も姿は映さず砂になって消えていく。……多分、あの景色も同じだと。何でかわかる。


もう無い。消えた、選んだと。その確信と一緒に、眠るみたいに意識が遠くなった。どっか満たされた感覚は死ぬにも近かったけど、もっと光があると黒の真ん中でただ思う。



薄れて遠くなって溶ける意識の中で、胸が締め付けられるくらいあの人に会いたくて堪らなかった。





……









「アラン。近衛任務中に堂々と欠伸をするな」


わりっ、と。全開にした口を片手で蓋をしてから返す。

うっかり気持ちが良いほどの欠伸が出たからそのまま溢しちまった。横目で見ればカラムが叱るように眉を寄せていた。

プライド様に「寝不足ですか」と聞かれて首を捻る。寝不足っつってもわりと毎日睡眠は少なめだし、今更どれくらいが寝不足かはしっくりこない。取り敢えず徹夜はしてねぇから足りてるとは思うけど。

そう考えていたらカラムに「お前はもっと睡眠を取れ」と怒られた。いやだって飲み会とか鍛錬とかやってたら時間がいくらあっても足りねぇし。


特に最近は学校でセドリック王弟の護衛で演習にもあんま出れてない。

だから余計にカラム達との手合わせもしてぇし走り込みも鍛錬も夜通しでも足りねぇくらいだ。それなのにこんな眠い理由って考えると、やっぱあの夢見の所為だよなぁと思う。

少し気になるように振り返ってくれたプライド様に「すみません」と軽く謝ってから、ちらりとカラムを見る。一緒に近衛で朝から王居に向かった時から「寝不足か」と言われたけど、「夢見が悪かったかも」ぐらいであの内容は流石に言えない。


俺とカラムが処刑されて首を晒されてる夢。

目覚めた時には先ずでかい溜息が出た。すげぇ嫌な夢だったせいか、ベッドで目を開けた時は逆にほっとした感覚をよく覚えてる。

もうあの時ほどよく覚えてないけど、なんか俺らが死んで騎士団もすげぇ泣いてたような。

それが自惚れなのかそんだけ現実に近い感覚の夢だったのかはわからない。まぁあいつらなら泣いてくれる気もするし、俺の死ぐらいじゃ折れねぇような気もする。でもカラムは死んだら泣く奴絶対いるしなぁと思えばやっぱ現実味がある方か。


騎士だし、仲間が死ぬのは初めてじゃねぇし覚悟の上だ。それでも、………あんな死に方だけはしたくねぇなぁと思う。どうせ死ぬならプライド様か民か仲間の為に死にたい。絶対あんな晒され方するとかろくなことしてねぇだろ俺。

そう考えると、あの時の生首のカラムも、俺のやらかしに巻き込まれたとかかなぁと思う。ま、夢に事情とか理屈があるわけねぇけど。

もうぼんやりとしか残らない夢を思い返しながら苦笑気味に首を撫で摩る。今朝も思い出す為にこれやったから、部下達にまで首を痛めたのかとか心配された。取り敢えず首がくっついてる確認とか絶対言えねぇ。


「あの、もしかして首を痛められたとか……。アラン隊長、もし不調でしたら遠慮なく仰ってくださいね」

………やっべ、思ったそばから心配かけた。

プライド様がソファーから俺に振り返ったまま心配そうに眉を垂らしてる。慌てて首を撫でる手を降ろしてから「いえ全然」と早口で否定する。部下にも言えねぇけどプライド様にはもっと言えねぇ。

笑いながら「ちょっと眠りが浅かっただけです」と返す。騎士として不眠は慣れてるし問題ないと言ってもプライド様は少し首を傾けるだけだった。まだ少し心配そうな表情の名残が残ってる。………そういや、夢にプライド様も出て来たか??


うーん、と思考を回すけどやっぱ思い出せない。

夢の内容も薄れてるし、プライド様の顔なんて毎日思い浮べてるからこうやってみても夢の記憶が現実の記憶かもわからない。敢えていうなら夢じゃないけど、目覚めた後からずっと今日はプライド様に早く会いたかったなぁとだけ覚えてる。まぁ嫌な夢見たから口直しにプライド様の顔見たかったとか考えれば普通か。

今日は午前の近衛任務で本気で良かった。お陰でプライド様に今日最初に会った時、うっかりいつもより顔がにやけかけた。


「もうそろそろ近衛も交代ですし、休息時間を得たらゆっくり休んでください」

「!ああ、ありがとうございます。でも平気ですよ。身体動かしてりゃあ目も覚めるんで」

「そこは大人しく寝ろ」

プライド様の気遣ってくれる言葉に頭を掻きながら返せば、カラムに怒られる。

確かにこの後今日は休息時間が前倒しに入ってるけど、それを寝るだけに使うのも勿体ねぇなと思う。プライド様の学校視察がない日くらい、もっと身体を動かしたい。昼過ぎならどいつも有り余ってるし、一番隊で同じ休息の奴ら誘って手合わせでもしようかな。一人の鍛錬なら今夜にもできるし。


言われた側からそんなことを考えてたら、コンコンと扉が鳴った。振り返れば近衛兵のジャックさんが開ける前に「近衛騎士交代に伺いました」とアーサーの声がする。

プライド様の返事の後、アーサー達自ら扉を開けて部屋に入ってくる。俺らにお疲れ様です、と声を頭を下げてくるアーサーとその隣にも軽く手を上げて返す。プライド様も「いらっしゃい」と椅子から身体ごと振り返ったまま二人に笑いかけた。


「午後からよろしくね。アーサー、ハリソン副隊長」

宜しくお願いします。と、今度は頭を下げる動きも二人揃った。

今日はエリックが非番で休息日だから、ハリソンが代わりに近衛に入ってる。プライド様相手にも相変わらず愛想がないハリソンと、ハリソン相手にいつもより肩に力が入ってる様子のアーサーに何度も見ても笑っちまう。

ハリソンを近衛に推薦したのはアーサーだけど、未だにアーサーもエリックも慣れてねぇなと思う。これでも昔と比べりゃあハリソンも副団長のお陰で丸くなった方なんだけど。

では俺達はこれでと。カラムと並んでプライド様に挨拶する。「ごゆっくり休んでくださいね」とまた念を押すように同じ言葉を言われて上目に見つめられる。心配させちまったのは悪いけど、言ってくれるのは擽っくて頬を掻く。

明日も聞かれるかもしれねぇし、取り合えず十五分くらいは仮眠取ろうかなと考え直す。わかりましたと言葉を返しながら最後にアーサーとハリソンとも引継ぎを簡単に済ました。今日は大して共通事項も少ないし手短で済んだ。

「んじゃアーサーあと頼むな。ハリソンも」




『我が意思こそ騎士団の意思』




「ありがとな」

チカッと。急に額が痛んで顔を顰めるのと殆ど同時に、なんとなくハリソンの肩も叩いた。

やった直後、あれ?と思う。アーサーも目が丸いしハリソンも少し眉が上がってた。いつもはハリソン相手にこんな肩叩くとかしねぇのに。しかも今、なんか言い間違えた。

二人の視線に、俺も正直に一人首を捻る。「いや違った、おつかれさん」と言い直しながら、手を振ってそれから額を押さえた。

なんだ?頭痛かなとも思ったけど、ちょっと違う。ハリソンに何かやられたような。

眉まで寄せれば今度はアーサーにまで「どうしました?」「頭でも痛みます?」と心配された。


「……なあ、いまハリソン何かやったか⁇」

「知らん」

一言で否定するハリソンに、取り合えず疑ったことを「わりっ」と謝る。

よく考えればハリソンじゃこれぐらいで済まねぇか。ていうかなんでハリソンだと思ったのかもわからない。気安く肩触ったから反撃されたと思ったのか。

地味にじわじわ残る額の感覚に、石でも落ちてねぇかなと床を軽く見回すけど当然ない。王女の部屋にそんなもんあったほうがまずい。

首を二回また捻り、これ以上変なこと口走る前にプライド様に笑って誤魔化して今度こそ退室した。


「三十分は寝るように」

「そんな眠いわけでもねぇんだけどな」

二十分は仮眠するか。と、仕方なく決めながら、廊下を歩く。

額の違和感が残ったまま指の腹でぐりぐり押し弄る。むしろこの所為で額が赤くなりそうなくらい力を込める。さっきまではちょっと夢見で頭がぼうっとするくらいだったのに、ハリソンの顔見たら急だった。まさか夢にハリソンまで出たとか。

思い出そうとしても、夢なんかもう殆ど思い出せない。俺とカラムが首晒されていて、場所が騎士団演習場だったような気がするけど。………まさか、俺らの首晒したのはハリソンとかじゃねぇよな?とこっそり思う。あいつなら夢でも現実でも最悪あり得る。


薄れてぼやてる夢の記憶を、なんとか絞り出そうとしてもあとは思い出せない。

俺とカラムがなんで首晒されたかもわからない。マジで何やらかしたんだ俺。絶対カラムは巻き込まれただろ。

アラン、アラン、と。考えてたら隣からカラムに呼びかけられる。ずっと額を指で押さえている俺に「王居でそんな顔して歩くな」と怒られる。確かに近衛騎士が眉間近く押さえて歩いたら変に思われるか。

仕方なく、手を降ろして歩く。額のじんわりとした痛みがまだ消えないけど取り合えず今は我慢する。

「アラン。……夢見でも悩みでも、あるなら聞くが」





『あの人が待ってんだぞ』





「…………んー…、いやマジで大丈夫だって。もう殆ど覚えてねぇしさ」

今朝はわりと覚えてた気がするけど。と、少し真面目な顔で俺と目を合わせてくれるカラムに返す。

今、一瞬夢で誰かに言われた言葉が過ったけど、もう誰の声だったかも思い出せない。あの人が、ってそれが誰なのかもせめて思い出せりゃあ当たりもつけられるけど。

大体その〝あの人〟が待ってるのが誰かもわからない。

けど、何となく声の色が静かだったのに怒りが混じっているのだけはわかる。まるでずっと待ちぼうけをさせていることを叱るみてぇな言い方だ。………本当に、どんな夢だったんだか。ハリソン見て引っ掛かったんなら、俺が遅刻して殴られたとか。

「ならば良いのだが」とカラムが息を吐く。

まだ俺から目を離さずに、照準をよく見ると俺の目じゃなく赤くなってるだろう額を見てる。本当にこいつは面倒見良い。後輩や部下だけじゃなく俺にもこういう気を回すところとか。………でも、なんでだろうな。



今は、聞いてくれるのがすげぇ嬉しいよ。



「……ま、今夜また手合わせ付き合ってくれよ。またアーサーから誘いあるかもだしさ」

「良いだろう。ただし、三十分お前が仮眠を取ったらだ。今夜は日付けが回る前にも寝るように」

わかったわかったと。いつもの返しをしながら、宮殿を出る。

帰ったら寝るか―と思うと、またでかい欠伸が零れた。頭の後ろに手を回して、広がった空に向けて口を開け「まだ王居だぞ」ってカラムに怒られながら進む。

もう夢の輪郭も殆ど思い出せねぇし、何に魘されたかもわからねぇけどそれでも今思うと、そこまで悪い夢でもなかったような気がしてきた。敢えて言うなら、さっき思い出した誰かの言葉の「あの人」はプライド様だったら良いなと勝手に思う。



勿論、待ってもらっているのは俺で。


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