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フリージア王国備忘録<特別話>   作者: 天壱
書籍化記念

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20/144

〈書籍二巻発売決定‼︎・感謝話〉宰相の夢見は。

この度、ラス為二巻の書籍発売と発売日が決定致しました。

感謝を込めて、書き下ろさせて頂きます。

時間軸は「無関心王女と知らない話」と「絶縁王女と幸福な結末」の間です。


『……あっ……、……ぃあ……、……っりあ……‼︎』


……ここ、は……?

気が付けば、視界が白い。霧の中かと思うほど深く、視界が塗り潰されていた。

途方もなく白だけの世界は、先も遮蔽物もなにもない。ただそれだけの無に等しい空間に私は一人佇んでいた。


『……りあ、…すま、……い‼︎……マリ………っ。』


……いや、一人ではないらしい。

擦れる嘆き声が耳に引っ掛かる。軽く見回せば、小さく蹲る陰が白の中に埋まっていた。声がしなければ見落としていたところだろう。

どこか聞き覚えのある声だと思いながら足音を消して歩み寄る。ここが何処かもそうだが、特殊能力のものであればあそこにいるのがその能力者の可能性もある。

そう考え、足音だけでなく気配も消して近付けば次第に影ははっきりと輪郭を表した。

小さくなった影は、大人だ。地に膝を折って屈み、顔を両手で覆い隠し伏す見窄らしい姿に、……ここが現実ではないと理解する。



『マリアッ……‼︎』



特殊能力者の幻影ですらない。そう、形もなく確信できた。

私が眼前まで歩み寄っても彼は全くこちらに気付かない。顔を覆った指の隙間から雫が溢れ、地に吸い込まれる。パタリ、ポタポタと涙の音すら力ない。

薄水色の髪を垂らし、宰相としての衣服すら地に汚し、ただただ嘆くしかない姿にこれは何年前だろうかと思い巡らす。

顔を覆い隠されているせいで、正確な年齢も測れない。五年前か、六年前か、七年前か、……十二年前か。

小さくなった肩を、全身を震わせ、ひたすら泣き伏し嘆くしかできないその男の姿に、あまりにも覚えがあり過ぎる。マリアが病に侵されてから彼女のいないところでこうして泣いた日など数えきれない。日に日に衰弱し、病状を悪化させていく彼女に私ができることなど何もなかった。ただただ醜く足掻き、汚れ、のたうち回り、……そしてまた嘆くしかできなかった。


『マリア……すまない…………見つから、ないっ……‼︎』


既に嘆き過ぎて喉が嗄れている。

それでも彼の言葉を聞き取れたのは、私自身が何度も一人吐露し続けた言葉だからだろう。喉を何度も嗚咽を漏らし、愛する彼女の名を呼び続ける。すまない、すまないとただ彼女へ懺悔することしかできない。本人の前では語れぬ分際で、一人でいる時ばかり嘆きを重ね泣き続け懺悔を続けた。彼女に不安な姿を見せたくなかった。そして、……私自身がなによりも己が無力を彼女に許して欲しくなかった。


『っ……必、ずっ……見つける、見つけ出してみせる……‼︎君を、君を必ずっ……』


諦められなかった。

駄目だったと、その言葉を最後まで口にしたくはなかった。彼女をどんな形であれ救いたかった。私を唯一愛し、救ってくれた。……この世で唯一愛した彼女を諦めたくはなかった。彼女との愛しい日々をもう一度取り戻したかった。

嘆き、老人のように腰を曲げ、嗚咽に喉を痙攣させることしかできない彼に目を瞑りたくなる。こんなに弱く、情けなく、見窄らしい私はきっと彼女にも見通されていたに違いない。

今思えば、気丈に振る舞っていたつもりでずっと彼女に気付かない振りをさせ、気を遣わせていたのは私の方だろう。彼女は昔から私のことをよく見通していた。

いくら平然を取り繕うとも、嘯き笑んでみせようとも、涙の痕を消そうとも、その耳元で愛を囁こうとも、誰よりも私の弱さを知ってくれていたのは彼女だ。


『マリアッ……まりあっ、まりあ、……マリア……‼︎』


……我が友も、よくこんな私を見捨てずに補佐に置き続けてくれていたものだと思う。

私がアルバートであれば、こんな男はいくら仕事をこなそうとも早々に切り捨てるだろう。私情に塗れ、何年も何年も利己的な法案ばかりを謳い、たった一つの目的に溺れていくような男など。

マリアも会話が困難となり、事情を知る侍女や衛兵も口を噤む中、私を常に咎め続けてくれたのは彼だけだった。

彼一人が私を諦めず、そして愚行を犯す私を嗜め、止め、共にマリアのことに頭を悩ませてくれた。私には勿体無いほどに良き友だ。

それに比べ、私の眼下で今も一つ覚えのように同じ言葉しか発せられない彼は、まさに愚者だった。

顔を覆う手の指の隙間から溢れる涙の量だけが増していく。私の存在に気付いていない彼に掛ける言葉など見つからない。どう言えば良いのかわからないのではない。……言葉を掛ける価値が見つからないのだ。


ただ醜く、愚かなだけの矮小なこの男に。


『マリアッ……、私は君を、まだっ…….…のに……‼︎』

お前は、何年前だ?

それだけでも、掛ける言葉はなくとも浴びせてやりたい言葉は山ほどある。

泣き、嘆き、彼女のことしか見えず、先に無数の間違いと罪を犯す目の前の男をいっそこの場で縊り殺してしまえばどうなるかと真面目に思う。

これが夢か幻覚か過去なのかはわからない。ただ、今私が彼に思うのはただひたすらに侮蔑のみだった。彼が、せめて幼いあの御方に愚行を犯すより前に始末してしまえればどんなにか。

我が友を裏切り、民を裏切り、マリアの望む手段かも考えず己がエゴばかりを押し付けるこの男は、今のうちに始末してしまう方が国の為だ。そして同時に、……この男には触れたくもないと思う。穢わらしいと、憎悪にも似た感情まで湧いてくる。


『マリアっ……すまない、すまない、…………どうか、どうかもう少し、もう少しだけ堪えてくれっ……』

彼女の生に、縋るしかできない。

彼女を、マリアを失うことを恐れるあまり全てを犠牲にしようとした彼はただの愚者か、それとも既に罪人か。問おうと言葉のままに口が動いたが、声が出ない。……出す気になれない。

一歩後ろに下がり、とうとう私は彼から距離を離つ。今、彼に相応しいのはここで一人嘆き泣き伏すことだけだ。いくら嘆こうとも、眠れぬ夜を過ごそうとも、誰にも手を差し伸べられるべきではない。

もし彼が仮に過去であろうと、ここで先に犯す罪を止めることができようとも、私自身の大罪も償いも消えはしないのだから。


『何故っ……見つからないんだ……⁈』

更に数歩、下がる。

彼の吐露に、嘆きに、既に探し始めて数年は経っているようだと他人事のように思う。最初こそマリアの為に様々な治療法を探した。その全ては外れ、最後に残された方法こそが罪の始まりだった。

恐れ、嘆き、溺れ、諦められず、そうして私は沈んでいった。


『誰かっ、……頼む……‼︎誰でも良い…!どうか現れてくれっ……‼︎彼女を、彼女を助けてくれるならば私はっ….』

手を汚し、罪に塗れ、転がり、堕ち、また嘆いた。

彼の嘆きの声が強まる。嗚咽を交えた声で水の中から叫ぶように喉をガラつかせる。この場にいる訳もない救世主へ呼びかけ、神へ唾を吐きながら奇跡を願う。

二メートルほど離れきったところで背中を向ける。このまま気付かずにいてくれば良い。彼を救うのも裁くべきなのも決して私では

『その為ならば私はっ……どんな、どのような代償でも決して躊躇いは』

















「ッッッ大人しくそこで沈み続けていろ大罪人が‼︎‼︎‼︎」















飛び込み、衝動のままに男の手首を掴み上げる。

激情に負けて掴んだ手首を吊り上げれば、切れ長な目を丸くした男は無抵抗なまま信じられないものを見るように私へ視線を上げた。触れるのも拒んだ男の手首を爪が食い込むまで掴み、食いしばった歯の隙間からは荒く息が吐き出された。

自分でも凄まじい形相をしているだろうと思いながら、目の前の男を睨み下ろす。


『っ……⁈……?』

男は、言葉も出ないかのようだった。

私自身をまるで幻のように穴が開くほど見つめ、先ほどまで両手で覆い隠していた顔を正面から向けてきた。その姿を改めて見下ろせば、…………見る影もなかった。

掴み上げた腕が、骨と皮だけのように細い。もう少し力を制御し損ねていれば捻り上げるまでもなく折れていただろう。

手の平で肉の感触を全く感じない。顔も輪郭から変わり、涙でぬれた頬も痩けていた。私を見上げる為に服の下から露わになった喉まで肉がこそげ落ちているかのようだった。今の私よりも若いどころか、老け込んでいるようにすら見える。直視することすら耐えがたい、視界と共に胃が焼ける。


「ッ後悔しろ……‼︎悔め、己を憎め、恥を知れ、己が罪に潰されろ……‼︎」


放心する男の手を掴み上げたまま、彼に声を荒げる。

誰よりもこの私が彼に侮蔑と憎しみを込めて言葉で刺す。彼と、彼の薄水色の瞳に映された激情に飲まれた男二人に言い放つ。


「苦しめ……‼︎‼︎マリア一人の為に犠牲にしようとした全てに贖い続けろ……‼︎二度と、もう二度と過ちを繰り返すな…‼︎」

まるで体内に溶岩でも煮立たせているかのようだ。

私の言葉に殆ど反応を示さない男は瞬きすら忘れている。見開かれた瞳だけが揺れ、息も止まっていた。

この姿で反応すら見せなければ、死体も同然だ。このような醜い私を、アルバートもそしてプライド様も触れて、手を取って下さったという事実が信じられない。爪弾きにされて同然な、下級層こそ相応しいこの男を。

彼を掴んだとは逆の手が拳を作り震え出す。胸を上下し呼吸を何度繰り返そうとも己が熱も憎しみも恥も冷めはしない。何よりも目の前の男がここまで言っても己が恥も間違いにも気が付いていないことに五臓六腑が煮え繰り返る。愚者、とその言葉が何度も頭の中で繰り返される。

何か言ってみろ、と放心する男から力付くで反応させるべく彼を釣り上げる気で更に高く持ち上げる。すると、膝をついていた男は丸まりきっていた背中をその分伸ばした。やっと言葉が見つかったのか、僅かにその唇が震え出す。


『お前は……⁈……、……っ、マリアは……⁈マリアは、彼女は、私達の愛した彼女は、どうしている……⁈』

嗚呼、忌まわしい。

ここまで言っても届きはしない。私の人相に行く先だけを感じ取った彼の瞳に期待が光る。察しは良いだけの愚者は、私が黙し続ければあろうことか掴む私の手を反対に握り返してきた。

垂らされた糸に全力で縋る姿に、確信を持って彼が何年前の存在か理解する。「頼む」「教えてくれ」と己に対し乞い願う。

ここは地獄かと半ば本気で思う。地獄であればこの男を決してここから逃しはしないというのに。

『マリアをっ……彼女を、救えたのか……⁈どうやって⁈治療法は⁈特殊能力……病を、癒す特殊能力は見つかるのか⁈存在するのだろう⁈私は、あと何年待てばあの法案を』




「彼女は救えない。」




そう告げた瞬間、男の顔から生気が消えた。

口を開ききったまま、もともと土色に近かった血色が蒼白へと変わっていく。見開いた目が一瞬で光を失い、濁っていく。

私を掴み返した手だけが「嘘だ」と訴えるかのように指の力が強められていく。このまま振り払っても良かったが、敢えて何も感じないように侮蔑の目で彼を見下ろせば、あまりの絶望に彼の目からは涙すら一度止まった。


「マリアは手の中で冷たくなり、私達は彼女を幸福にすることは叶わず、愛した人も、友も、誇りも、築き上げてきた全てを失い、地獄に落ちる」


まるで自身が神にでもなったかのような口ぶりで彼へ更なる絶望を注ぐ。

もっと苦しめ、沈め、上がってくるなと呪いを込める。貴様が味わうべき苦痛は本来ならばこの程度のものではないのだから。

淡々と告げる私に彼は暫くの沈黙の後に首を振った。「嘘だ」と突きつけられた全てを拒絶する彼に敢えて答えは与えない。沈黙のみで彼の微かに残る灯火を掻き消す。

確かに、嘘だ。しかし、真実でもある。

プライド様の慈悲さえなければ、それは全て本当に起こりうる現実だったのだから。ただ、その未来を変えられただけで私の功績などではない。私は彼女を救うことも、アーサー殿に辿り着くことすら叶わなかった。そして……、それで良かったと今は思う。

〝この〟私が、アーサー殿の秘密を知ればどれほどの愚行を行ったか、それこそ考えたくも無い。


『頼むっ……嘘だと言ってくれ……!マリアが、そんなっ……ッならば何故お前は生きている⁈何の為に生きている⁇何故そうもっ……平然としていられる⁈彼女がっ、マリアが私達にとってその程度の存在だったとでも』

「ッそんなわけがないだろう‼︎」


愚者の妄言に、頭が灼熱で割れる。

掴んだ腕を引き込み、私の方へ上がってくるその男の首を反対の手で今度は捻り上げる。今の私よりも遥かに細く、軽く、弱り切った男を征するのはあまりにも容易だった。片手で喉を締め上げ、地面へ頭を叩きつける。

まるで大理石にでも当てたかのような手応えと同時に罪人は「グ、カァッ!!」と声を漏らし、そしてそれ以上は出なかった。

呼吸すら微かにしか許さないように締め上げれば、両手で私の手を掴み返し、降ろさせようと藻掻き出す。生死の狭間を彷徨う瞳が左右に揺れながら、鋭い切れ長な眼差しが私を真っ直ぐに突き刺した。ここにきて、一番の生きた眼差しは殺意に深く色付いていた。片手で私に軽々と征される罪人に、意識を手放せないように細心の注意を払いながら私は告げる。


「悔え、苦しめ、恥じろ、貴様は一生その罪を背負って生き続けることしか許されない」


私の腕に爪を立て、自由な足をばたつかせる姿は滑稽を通り越して醜悪そのものだった。

これでは私の器だけを模した獣だ。「ガッ、ァアア、アア!!」と潰れかけた喉で声を上げるのは生への執着ではない。マリアが助からないという、その一言を今すぐ撤回しろをその眼光が私に告げている。いっそこのまま捻り殺してやろうかと薄く考える。


「無駄だ。叶わない。貴様が彼女以外の全てを軽んじたように、次は貴様がその全てに指を指されて嘲笑われる番だ」

声を低め、罪人の訴えなどは聞こえぬふりをする。

無駄な抵抗を止めない彼の喉から一瞬だけ力を緩め、そして直後には再び頭を地面に叩きつけ、締め上げ直す。それでも彼の熱は全く冷めない。……分かっている。他でもない私自身が。彼は私が撤回するまでのたうち回る。マリアを救うという方法を得られない限りは永遠に。


「断言する。貴様にはマリアは救えない」


唸る彼の耳にも響くようにはっきりと喉を張り、そう告げれば。……また見開かれたままの彼の目から涙が滲んでいった。

己の未来も恥も外聞も全てがどうでも良いと思っていた私にとって、彼女を救えない以上の絶望などなかった。……嗚呼、よく知っている。


「裁きが下るその日まで、そうして貴様は沈み続けていろ。無駄なことはするな。全てが、無駄だ。どのような方法や手段に頼ろうとも、貴様程度の手がいくら汚れようとも彼女は救えない。」

罪人の目が次第に濁りきり、薄水色の瞳が深淵しか映さなくなる。

砕かんばかりに食い縛っていた歯も、力を込め続けていた表情筋も全て弛緩していく。意識を失ったのでも、酸素不足で呆けているのでもない。ただ私の言葉一つで生きる気力すら失いつつあるだけだ。試しに緩めてみたが、やはり反撃のそぶりすら見せない。

放心した目から止めどなく涙を溢す姿に、このまま放っておけばそれだけで容易に彼を殺せると思う。


「何もするな、何も動くな、最後まで彼女と共にいろ、彼女から離れるな、彼女の一言ひとことを愛し、受け止め、従え。貴様が彼女にできることなどその程度だ。そして必ず……」

マリアがまだ病床でも生きているのにも関わらず、生きる気力を失うなど愚かしい。

彼女の存在を掲げれば、それだけで彼に一筋の生気が吹き込んだ。「マリア」と声には出ずとも唇がまたそう呟く。

何故、何故そうも大事な彼女を、彼女の望む形で助けようと思わなかったのか。何故、何故彼女があの時に私に与えてくれようとした言葉を最後まで聞き届けようとしなかったのか。何故彼女が、彼女に、彼女を、…………嗚呼ッッ思い出しただけでも目の前の大罪人が狂おしいほどに









「ッ必ずあの御方に辿り着け……!!!!」









哀れで、惨めだ。

喉をひねり上げたまま、私は鼻同士が触れ合うほどに彼へ顔を近づける。

憎しみに染まった彼と同じように目を剥き、歯を向き、殺す寸前まで手の中で彼を支配する。見開いた眼差し同士が重なり合わさり、彼が息を引いたと同時に私は唾が飛ぶほどの大声で吐きつける。


「あの御方に従え…!!決して疑うな!そして傷つけるなもう二度と!!……っ、…………あの御方無しに、私〝達〟の幸福などあり得はしない」

涙で滲ませた彼の視界には、怒り狂う私の顔も正しくは映っていないだろう。

それでも私の声が否が応でも頭に轟いた彼は、唇を震わせて垂らした腕を持ち上げた。私へ問おうと喉を締め上げる手をまた掴み、声を派生させようと口が動き出す。もう胸にこびり付いていた想い全て目の前の男に吐きつけ終えた私はもう用はないと意思を込め、彼を突き飛ばすようにして手放した。

勢いのままゴン、と後頭部をまた地面に叩きつけた男は痛む暇も惜しんで身体を起こす。「待ってくれ!!」としゃがれて潰れた喉を無理に働かせて私に前のめる。


『ッあの御方とは……、っ⁈』

言葉の途中で彼が口を噤む。

背を向けて今度こそこの場を去ろうとしていた私も途中で止まる。あまりに中途半端な訴えに目を向けてみれば、男の身体がみるみるうちに白の世界に溶け込むように消えだした。

自身の身体を見て、消えることよりもその問いの答えを聞き出そうと消えていく腕を私に伸ばす。言い直そうとした口が白に消え、言葉も発せなくなる彼が消えるその寸前に、私は最後の最後の言葉を告げる。



「……()()、恩人だっ…」



私の言葉に一瞬だけ細く光を宿らせた男は、それを最後に跡形もなく消え去った。

あまりにもすんなりと消えた男に、何も感情が湧かない。存在が消えたのか、単なる夢だったのかと考えながら不意の違和感に私は目元を指でなぞり、視線を落とした。


彼のものではない、もう一人の大罪人の雫が指の腹を照らしていた。




……


  






「ジルベール宰相。……大丈夫ですか……?」


……恐る恐るといった様子で掛けられる言葉に、しまったと心の中だけで私は唱える。

欠伸を堪えたつもりが、つい顔が強ばったのが気付かれてしまったらしい。折角来週に控えているティアラ様の誕生祭での発表の打ち合わせに時間を空けて頂いていたというのに私の方が気を遣われてしまうなど不甲斐ない。打ち合わせを無事終えたと思った瞬間、気が抜けてしまったらしい。

目の前のソファーに腰を下ろされたプライド様は、眉を垂らして首を傾げられた。その様子に私は肩を竦めて見せる。


「失礼致しました。……今朝は少々夢見のせいで眠りが浅くなってしまいまして。それだけですので、どうぞご安心下さい」

ご心配をおかけして申しわけありません、とにこやかに笑んで見せれば、プライド様はきょとんと少し意外そうな顔で私を見返された。

プライド様だけではない、その背後に近衛騎士として控えられたアーサー殿とエリック副隊長まで目を僅かに丸くされていた。何か、失言でもしてしまっただろうかと、睡眠不足の頭で考えれば意外な言葉が返ってくる。


「夢……というと、魘されたとかですか??まさか何か悩みでも…?」

「ジルベール宰相が夢見が悪いなんて珍しいですねっ」

今度はプライド様に続いて、隣に座するティアラ様まで私の顔を覗かれた。

そう姉妹で興味深そうに並ばれると苦笑をしてしまう。「そうですかね」と曖昧に答えながら私は顔を軽く傾けた。


「大した夢ではありませんよ。……本当に、ただ…ひたすら疲れるばかりの夢でした。若輩者に説教を続けるだけのどうしようもない夢です」

「それは……。確かに疲れちゃうわね」

私の言葉に今度はプライド様の方が少し察されたかのように苦笑いを浮かべられた。

その察して下さった考えに即すように「私ももう歳ですかね」と言ってみれば、今度はティアラ様と揃って明るい笑い声を零された。

……嘘ではない。

もう今は記憶も薄いが、あれは間違いなく若き頃の私だった。あの時の私自身の憤りを思い返せば、恐らくは愚かだった頃の私に説教を重ねていたのだろう。夢の中だからとはいえ、これぞ機会と言わんばかりに自分の首を締め上げてしまっていたことはなかなか印象的だった。

我ながら夢の中ではなかなか手荒かったことを思い出せば、年を取って気が短くなってしまったのだろうかとまで考えてしまう。私より年上のアルバートはあの落ち着きだというのに。

しかし目が覚めた直後ははっきりと感覚があったが、今想起すればあの時の私がどちらかだったかすら曖昧だ。一体何を説教していたかは、記憶が無くとも大体は察せるが。


「マリアも心配したんじゃないかしら?今日はこの後ゆっくり休んで下さいね」

「そうですっ!ステラちゃんだってお父さんが元気ないと悲しみますよっ!」

プライド様とティアラ様から、まさかの愛する妻と娘を引き合いに出されればもう何も言えなくなる。

実際、今朝はマリアにもステラにも調子が芳しくないと指摘されてしまった。目が覚めた直後、怒りすぎたせいで朝から疲弊を感じてしまったからそのせいだろう。……本当に、ここまで私を怒らせるなど一体どこの若輩者か。

夢、しかも私が感情移入してしまうということは過去の知り合いの誰かか。生憎、仕事上で人との交流が多い為全く絞れない。過去にも苛立つ相手に相まみえたことは多々ある。最近ならば、一年前のハナズオ連合王国防衛戦で私を脅してきた輩のどれかか。まぁどちらにせよ、記憶に止めるほどの価値などない人間だろう。


「お気遣いありがとうございます。ですが、この程度は少し休めば済むので。体調不良というほどでもありません」

プライド様の背後で、どうにか理由を付けて私に触れようとして下さっているのか、落ちつきなく手を握り解くを繰り返すアーサー殿へ伝わるようにそう断言する。

もし体調不良だとしても、この程度にアーサー殿の特殊能力をお借りするなど許されない。この程度ならば休むか、もしくは栄養剤を飲む程度でこと足りる。

それにやっとプライド様との打ち合わせも一区切りついたところだ。ここから王配であるアルバートの執務室へ戻り、報告と業務補佐の再開を


コンコンッ


ちょうど私がテーブルの書類を纏め終えた直後だった。

扉の方向から聞こえたノックの音にプライド様が返事を返せば、その主は一言の後にプライド様の許可を得て部屋に足を踏み入れられた。

タンッと少し強めに革靴の底を鳴らした彼は、眼鏡の黒縁を押さえつけながら私を見やる。プライド様とティアラ様に笑顔で挨拶を返された後、私からの挨拶には絶対零度の眼差しで返された。


「ジルべール。父上からの伝言だ。姉君との打ち合わせが済んだら少し早いが休息を取るようにとのことだ。父上の執務室にも戻らなくて良い。俺が書類を引き取るようにと任された」

寄越せ、と。書類を纏めた手のまま固まる私からステイル様は無造作に資料を回収された。

「いえ、せめて書類程度は私から」とアルバートの元へ報告まではやらせて欲しいと進言するが、やはりステイル様の言葉に直後上塗られることになる。

ステイル様のお話によると、ヴェスト摂政がちょうど急用でローザ様の意向をアルバートに伝えるべく彼の元へ訪れているらしい。その為、ヴェスト摂政に付いていたステイル様もアルバートの補佐を担える為、今のうちに休むようにと。……アルバートのことだ。恐らく実際は彼自らちょうど足を運んだヴェスト摂政とステイル様に相談してくれたのだろう。以前のことがあったからか、時々彼は私に対し心配性というか……労いが完璧過ぎるところがある。もう少しこき使ってくれても罰は当たらないというのに。


「どうした、動けないか?ならば俺が即刻でマリア達の待つ屋敷まで送ってやろう」

「いえ、速やかに私室の仮眠室で休ませて頂きます。」

遠回しに休まないならば強制送還させると仰るステイル様に大人しく私が折れる。

アルバートだけでも難敵だが、そこにヴェスト摂政やステイル様が入ると勝利を得ることは極めて難しい。更には私の返答にプライド様が「良かった」と心から安心したようにティアラ様と共に顔を綻ばされればもう抗えるわけがない。

仕方なく書類をステイル様に託し、届ける筈だった王配の執務室のすぐ傍にある私の部屋に手ぶらで向かうことになる。ステイル様もこのまま戻ると仰られれば、まるで第一王子相手に荷物持ちをさせているような形に気が酷く咎める。……が。


「ジルベール宰相」


去ろうとするべく向けた背中に、凜とした声が掛けられる。

失礼致します、の言葉により前に掛けられたその声にすぐ振り返れば深紅の髪を揺らす女性が私に向け、柔らかく笑まれておられた。


「今日もありがとう。ゆっくり休んで下さいね。もう、ジルベール宰相一人の身体じゃないのだから」


この上ない優しいお言葉と、その笑みに。

気がつけば先ほどまでの疲労すら身のうちから薄れていくのを感じた。胸に柔らかな陽が差し込み、霧が晴れるかのようだ。


「……ええ、勿論わかっておりますとも」

言葉を返し、笑んでみせればそれだけでプライド様も安堵して下さる。

ティアラ様が手を振り、アーサー殿とエリック副隊長が見送るように頭を下げて下さった。そして最後にステイル様が「行くぞ」とプライド様に挨拶を終えた後に私の背をバシリと叩かれた。

その途端、まるでその手にはじき出されたかのように今朝見た夢の言葉が頭を過ぎ去った。


『ッならば何故お前は生きている⁈何の為に生きている⁇』


……本当に、私の睡眠の邪魔をした若輩者は何者だったのか。

よくもなかなか偉そうに宣ってくれたものだと改めて思う。そんなわかりきった問いを私に投げるなど一体何処の愚者か。

折角の晴れやかな気分を台無しにされた私はもう一度だけあの御方の方へと振り返る。一度は背中を向けたにもかかわらず、変わらず私を見送るべくこちらに笑みを向けて下さっていた。その花のような笑みを受けながら、私は最後に当たり前の宣言を口にする。



「この命も道行も、全ては私一人のものではありませんから。」

あの日の奇跡と救い。

そして償いの為に、……国と民と王族の為に在る。



私の生きる意味は、それだけ充分過ぎるほど満たされているのだから。


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