そして落ち着く。
「結構だ。さっさと持って帰れジルベール」
むすっ。と、ソファーに頬杖を立てて声を低めるステイルは鋭い眼差しでジルベールを睨んだ。
午後になり、ヴェストから休息時間を得ていつものようにプライドの部屋へ訪れたステイルだったが未だ機嫌は直っていなかった。
侍女が淹れてくれた紅茶を片手にプライドと向かい合えばそれなりに気持ちも落ち着き始めていたが、まるで見計らったかのように訪れたジルベールとその手に抱えていた箱に一気に機嫌も底に落ちた。
ジルベールが持ってきたそれに、プライドも流石に顔が笑ったまま強張ってしまう。
「王配殿下からのお気遣いだったのですがねぇ」
ジルベールの手によりテーブルに置かれたその箱の中には、いくつもの高級な眼鏡がずらりと並んでいた。
王都の高級店でも見かけないような職人細工によるデザインはプライドや貴族であるカラムは勿論、アランの目にも一目で上等だとわかる品だった。
こんなことならやはり言うんじゃなかったと、そう思いながらステイルは不機嫌のあまり舌を打ちそうになる。ヴェストの補佐業務中、王配である父親への書類を提出に行ったところでジルベールに不機嫌を言い当てられてしまった。その場にいたティアラもステイルが言うまではと口を噤み様子をハラハラと見守っていたが、最終的にはステイルから「眼鏡を無くしまして所在が少し気になっているだけです」と棘の籠った声でジルベールに言い返した。
今つけている眼鏡は過去の物で、と説明すれば、王族が古い品を使い回すこと自体滅多にない為「ならば新しいものを用意させれば良いだろう」と父親にも言われてしまった。
その場で丁寧に断りティアラも味方についたが、ステイルが退室したタイミングで早速父親から念の為に新しい物も候補をと従者に指示が出された。すぐにでは完全に同じ物は用意できないが、それなりに代わりのもの程度なら新しいものを用意できる。古いものを使い回すくらいならば、見つかるまでの間ぐらいは代わりの新品をという父親であるアルバートからの気遣いだったが、今回ばかりはステイルも受け付けられない。
ジルベール自身、ステイルが父親の提案を頑なにこだわった時点で何らかの〝拘り〟は垣間見えたがそれでも用意させたアルバートから従者に代わり、自分が届けに行くと名乗り出た。
確実に断られるのは予想できた上で不機嫌を突きたくなった悪戯心も少なからずあるが、それ以上に拒むステイルと勧める父親との間を波風立てず済ますには自分が一番適任という自負もあった。何より、ステイルも自分相手ならば断わりやすい。
そしてジルベールの予想通り、箱を開けられた瞬間から眉間の皺を刻むステイルの答えは変わらなかった。
「こちらなどいかがでしょう?ステイル様のお好みにも合うかと」
「お前に勧められた品などを掛けるくらいならば、いっそ掛けない方がマシだ」
フン、といつもよりも棘の多いステイルとジルベールのやり取りにプライドも口が笑ってしまう。
本音を言えば〝ジルベールの勧めた〟ではなく〝アーサーがくれたもの以外は〟なのだろうなと思いながら、発言を控える。しかも何気なくジルベールが手で示した眼鏡のフレームを見れば、確かにステイルに似合うであろうこともプライドは流石だと思った。そして実際、ステイルの好みにも合っている。
しかしもともと御洒落目的でも目の補助目的でもない為、ある程度自分の好みでもステイルは掛けたいとは思えない。
そして今朝から数時間経っているにも関わらず未だに眼鏡の所在がわからないのも苛立たしかった。自室だけでは足りず、宮殿内もくまなく捜査が広げられているにも関わらず見つからない。
ジルベールにも八つ当たりだとわかりながらも、つい口調が強くなる。もともと眼鏡をかけることにした元凶を考えれば、眼鏡を勧めるジルベールへ余計に眼光が鋭くなってしまった。
ステイルの機嫌が直下レベルまで傾いているのを確かめながら「おやおや」と笑うジルベールは、肩を竦める。彼が昔から同じ品に執着していることは気付いていたが、ここまでとなるといくらか理由も推察したくなってしまう。
「どれも気に食わないのでしたら同じ店に発注をかけてみてはいかがでしょうか」
「断る」
発注も何も、ステイルはその店すら知らない。
それに同じ店の同じ品だったら良いというわけでもない。そしてもし仕方がなく別の品を掛けないといけなくなるくらいならばそれも視野に入れるべきだが、それはアーサーに謝ってからだと思う。少なくとも知らない振りをして買い直しなど絶対にしたくない。
取り付く島もない絶対拒絶のステイルに、ジルベールも笑いながら眉を垂らす。入手経路も知られたくないというならば、恐らくはと何人かの候補は想像できた。しかしそれ以上自分が踏み込んで良いとは思わず、そこで思考を止めて別案を提示する。
「宜しければ王配殿下には私から〝見つかったので不要になった〟とご報告致しましょうか。もともとステイル様は物の扱いも丁寧でいらしたようですし、そのまま古い物を掛けていても気付かれないかと……」
「お前が指摘してくれなければ父上にバラす必要もなかったがな⁇」
お・ま・え・の・所・為・だ、と。助け舟にも刃を向けるステイルに、これはなかなかのお怒りだと心の中でジルベールは微笑む。
彼が大事な私物を失ったことについては気になる部分もあるが、なかなかの容赦のなさはいっそジルベールには清々しいものだった。「申し訳ございませんでした」となだらかな声で返すジルベールに腕を組みながらステイルは顔を背ける。「だが父上にはそう報告してくれ」と、不機嫌な声のままそれでも打開策を渋々受け取れば、ジルベールもにこやかに笑んだ。
最後に開かれた箱の眼鏡を片付ける前にと自分からもいくつか助言を投げてみる。
「……こういう時は意外と習慣や癖で気付かないものもありますよ。ステイル様は昨夜、何かいつもと変わったことは致しませんでしたか?」
「大して変わらない。習慣程度で部屋から簡単に物が消えるものか」
「いえいえステイル様の場合は一概にそうとはいえません。もし、その品が本当にお大事ならば一度ステイル様が足を運ぶことの多い場所全てを捜索してみてはいかがでしょうか」
たとえばこのお部屋も、と。ステイルが最も落ち着く場所であろうプライドの部屋を両手の平で軽く示す。
ジルベールの言葉にまさかの容疑者扱いかとプライドが胸を反らす中、更には王配や摂政の執務室、稽古場に図書館に庭園に騎士団演習場と次々とステイルが訪れることが多い場所を上げ連ねていく。「私の執務室も確認が必要かもしれませんねぇ」と冗談めいて言ってみればステイルも「何が言いたい」と睨んだ。しかし、それでも聞こえなかったようにジルベールの言葉は止まらない。
「ああ、あと。ステイル様が定期的にプライド様への手紙を確認後〝直接〟処理なさっている焼却炉も確認した方が良いかもしれません。……本と調味料を同時に片付けようとして本棚に調味料を置き、調味料棚に読みかけの本を置き気付かなかったということも疲れていれば容易にあることですよ」
バッ‼︎とそこまで聞いてステイルはソファーから顔色を変えて立ち上がる。
おや覚えがありましたか、と楽しげに笑むジルベールに言い返す余裕もなく、慌てて時計に振り返った。ちょうどもう時間だと思えば、取りに行くよりも待つべきだと頭ではわかるが一気に落ち着かなく座ってもいられなくなる。にこやかに笑うジルベールにまさかコイツは最初から検討が付いていてわざと出し惜しみしていたんじゃないかとまで思ってしまう。
何かを思い出したらしいステイルにプライドが首を傾げた時、コンコンッとノックが鳴らされた。
「プライド様、近衛騎士の交代が到着致しました」
扉から確認を取った近衛兵のジャックが告げれば、プライドの返事の前にステイルが駈け出し……た途中で振り返り、眼鏡の箱を閉じるべく急ぎ戻る。
バタン‼︎と乱暴に第一王子の手で閉じられた箱を流れるようにジルベールが回収して手元に抱え、そのまま立ち上がった。「私はそろそろ失礼した方が良さそうですね」とプライドへ挨拶をすると扉へ走るステイルの後に続くようにのんびりと歩く。
プライドの許可により扉が開かれ、近衛騎士二人が並ぶ中ステイルが「アーサー!」と響く声を上げた。その反応に、もしかしてとプライドも予想しつつ近衛騎士を迎えるべくソファーから立ち上がり扉へ振り返れば
顔面蒼白のアーサーと、苦笑したエリックが立っていた。
「アーサーすまない‼︎言いたいことはわかってる‼︎」
「では失礼致しますステイル様。探し物は見つかった、と。王配殿下だけでなく〝彼らにも〟道すがらお伝えしておきますね」
フフフッ、と。思わずの笑い声を零しながら優雅にその横を通り過ぎていくジルベールに、今はステイルも言い返す余裕がない。
とにかく入ってくれ!とアーサーを引っ張りエリックも部屋にいれてから扉を閉めさせた。真っ青な顔をしたアーサーに、プライドだけでなくカラムとアランも心配の声を上げる中ステイルはその両肩を掴んで平謝りするばかりだった。
「本当に悪かった‼︎俺もたった今気付いたところで……‼︎」
必死に弁明するステイルは、あまりの間抜けさに謝りながら顔が熱くなる。
それに反して真っ青な顔のアーサーは、ステイルがわざとやったわけではないことを理解しながらもすぐには言葉が出なかった。言葉よりも先にと、懐から出した眼鏡をケースごとステイルの胸へと押し付ける。
どん、とぶたれたような強さはあったがステイルも文句を言わず両手で受け取り中身を確かめた。中身の無事を確認し、一度は息を吐いたがそれでも顔の火照りも焦燥も収まらない。「頼む、言い訳させてくれ」と早口になってしまいながら一度それを自身の懐に仕舞った。
この場の全員に聞かれても良い内容を選びながら必死にに説明を考えるステイルを横目に、そっとプライドはアーサーの隣に立つエリックへ話しかけた。その背後にアランとカラムも立つ。
「あのっ……アーサーはどうかしたんですか……?」
実は……と、苦笑気味に返すエリックは誤解がないように注意しながら口を開いた。
今朝、アーサーの部屋にステイルの眼鏡が置かれていたらしいこと。そして、それを届けに王居に来れば宮殿に入った途端
「第一王子の私物盗難騒ぎ」が起きていたことを。
ステイルの私物捜索が部屋だけでなく宮殿内にもわたっていた今、扉の向こうは軽い騒動だった。
第一王子の私物が盗まれた、犯人は、侍女がまさか盗んだのではと憶測が飛び交う最中アーサーも眼鏡を手持ちすることができなくなった。
今ここで自分が持っているのを知られたら一気に犯人にされてしまうのではないかと、宮殿の中を進めば進むほど血の手が引き、歩くのも億劫になった。本人に確認するまではこれが何かの事故なのかもステイルの最悪な悪戯なのかもわからない。
途中からはフラフラな足取りでエリックに腕を掴まれ、介助されながらの歩行だった。陥れられたとは思わないが、騎士が王子の私物を盗んだなど騎士団全体の責任すら問われる事態になる。
「お前っ……なんでよりにもよって俺ンとこに……」
「言っただろうあの時。その、……〝拾っておいたぞ〟と」
なんとか酸素を身体に取り込み始めたアーサーが初めて絞り出した言葉に、ステイルも選びながら答えた。
今の今まで気付かずに一人不機嫌になっていたことが恥ずかしく、自分で言いながらも赤面を禁じ得ない。じわじわと水蒸気が沸くのを感じながらも、今は謝罪を優先する。こうしている今も、廊下でジルベールが侍女や使用人達に眼鏡発見を報告しているだろうと考えるだけで逃げたくなる。
ステイルの言葉に、意識的に呼吸を繰り返しながら思考を動かしたアーサーも気付くのに時間はそこまで掛からなかった。「あー……」と一音を溢しながら、昨夜の飲み会を思い出す。
『叩き折った時にいけたと思ったンすけど、やっぱそこからステイルが全然怯まなくて』
『記念に破片も拾っておいてやったぞ。後で送ってやろうか?』
フフンとわざと皮肉まじりに言ったステイルに、アーサーも「なんの記念だよ」と笑いながら小突いたがすぐに「まぁ頼む」と小声で返した。
冗談に聞こえるが、ステイルからの気遣いに素直に助かったと思った。稽古後、自分は休息時間の終わりで急ぎ演習場に戻る為拾う暇もなかった。
アーサーが昔からそういう破片を集めるようにしているのを知っていたからこそのステイルの提供だった。
それから飲み会を終え、ほどよく酔っていたステイルは部屋に戻り着替え、眼鏡を外してケースに仕舞った。そして置いておいた剣の破片を集めた小袋をアーサーの部屋のテーブルへ瞬間移動させた、……と思って間違い眼鏡を瞬間移動させ満足していた。
ほどよく酔い、明かりもつけない暗闇で、眼鏡をベッドの傍に瞬間移動させて同時に破片を届けようと彼の思考が混ざった結果だった。
「間違えたんだ……。あっちの方はまだ俺の部屋にある」
そして小袋はまだ部屋に置いたまま。
眼鏡を無くしたことで忙しかったステイルに、昨日瞬間移動した筈の小袋がどうなっているか気付くほどの余裕はなかった。
真っ赤な顔を片手で鷲掴むように覆いながらも熱を吐き出すべくぐったり息を吐くステイルは、そのまま項垂れ「すまなかった……」とまた謝った。
「で、でも見つかったから良かったわよね。ステイル、本当に朝からずっと探していたもの」
ステイルには悪気がなかったことと、ちゃんとアーサーからの贈り物を大事にしていたとフォローをいれるプライドの鶴の一声に二人もぐったり頷いた。
「マジで犯人にされっかと思った……」
「そんなこと間違いでもさせるわけがないだろう……」
わりぃ、いや俺がと。
力なく息を吐きながらの言葉に互いもやっと深く呼吸した。
なんとか顔色が普段の血色に戻ってきた様子の二人に、エリックがアーサーの肩へ手を置き、アランとカラムもほっと息を吐いた。
ステイルからお騒がせ致しましたと、とうとう周囲へも謝罪が続けば首を横に振るカラムと共にアランもいやいやと手を振った。
「それより、ステイル様本当にそれ気に入っているんですね。なんか理由とかあるんですか?」
無事見つかったからこそ、そう尋ねて話を逸らす。
まじまじ見てもアーサーから返却されたものも今ステイルが掛けているものも変わらない。新しいものの方が良いというのはわかるが、そんなに拘るデザインというほど凝ってもいない。
アランからの言葉に、掛けていた方の眼鏡をケースの中身と取り替えたステイルは元にかけ直しながら「そうですね……」と相槌を打った。
かけた感覚も殆ど変わらない。しかし無くしたと思っていたものが手元に戻った事実にやっと苛立ちも収まった。眼鏡を取り替えた後と前で見かけの変化はないが、しかし心の落ち着きは全く違う。何故ならば
「この方が〝僕らしい〟と思えるので」
『でもまぁ、……やっぱりこういうのの方がステイル様らしいよな』
ステイルの答えに、エリックとアーサーは先程の会話を思い出す。
やっぱりそうだよなぁ、と一人笑ってしまうエリックに、アーサーも隣で目を逸らしながら擽ったさに口の中を黙って噛んだ。
休息時間後、再び補佐に戻った第一王子は本調子で業務に集中した。




