騎士も困惑し、
─ ンでこれが〝俺の部屋〟にあるんだよ?
今朝目が覚めて、テーブルの上を見たら当然のように置かれていた。
ご丁寧にケースに収まった状態で置かれたそれに、まさか返品されたのかと何度か考えた。だが、昨日喧嘩した覚えもなければ自分の部屋に訪れてもいないステイルが眼鏡をしかもケースごと置き忘れるわけがない。
せめて眼鏡がむき出しでアランの部屋にあるなら納得できた。
昨日はステイルも機嫌が良く、一本取られた自分もステイルが相変わらず強いのが先輩達の前で誇らしかった。軽く皮肉を言われて言い返しもしたがそれもいつもより軽く、殴り合いにもならなかった。最後はいつも通りに「それでは失礼致します」と返っていったステイルが一晩明けて眼鏡を返品してくるとも思えない。
ならば何かの間違いかとも思ったが、一体どんな間違いをすれば自分の部屋に眼鏡をケースごと置いていくことになるのかわからない。むしろステイルの性格を考えれば何かの悪戯か何かとも考えてしまう。
歩きながらケースの中身を眉を寄せてまじまじ観察する。毎年贈っている眼鏡をステイルが取っておいてくれていることは知っている。そして毎年同じ店で同じ注文をしているアーサーは、この眼鏡がいつの物か確信は持てない。去年のかもしれないし、一昨年のものかもしれない。サイズだってここ近年はずっと同じものだ。もし去年以降のものであれば、余計にステイルからの悪戯の可能性があるなと思いながらアーサーは息を吐く。どちらにせよ、これから近衛騎士として王居に入ってからどこかでステイルに会えれば良い。休息時間か、もしくは夕食の時には会えるのだからと
「眼鏡か?」
「ッどわ⁈え⁉︎‼︎」
突然、至近距離から放たれた声と短い風にアーサーは振り返ると同時にケースごと落としかけた。
手の中から空にケースが跳ねたところで何とか両手で掴まえ直すことができた。身体ごと背後に向いた先にはさっきまでは居なかったハリソンがすぐ目と鼻の先に立っていた。騎士隊長になってからは奇襲されることもなくなったが、それでも背後から呼びかけられると反射的に身構えてしまう。眼鏡をケースごと左手に握ったまま、振り返った時には右手に剣を握っていた。
しかしアーサーの背後で急停止したままの位置で立たずむハリソンは、剣も構えず首を捻っているだけだ。アーサーに構えられても距離を取られても構わず、パッツリと切られた前髪の下で黒目がじっとアーサーと眼鏡を見比べている。ハリソンさん⁈と呼ばれても、今は自身の疑問が先だった。
「即刻治せ」
「???????な、……何をっすか」
突然のなおせ発言に、アーサーは構えを解き剣から手を離した。
それが自分に話しかけた要件なのか、それともと。まさかさっきの衝撃で眼鏡が割れたのではないかと改めてケースの中を覗く。傷一つない眼鏡を確認し、胸を撫でおろしてから改めてハリソンに「何を直すンすか」と尋ねてみた。
取り敢えず剣を構えていないことを確認しながら、今度は自分からハリソンへ向き直る。変わらず佇み続けるハリソンは、アーサーの蒼い目と合わせた。
「視力程度鍛えれば治るだろう」
「…………いえ、無茶言わねぇで下さい」
予想外のハリソンの無茶ぶりに、顔が引き攣らせながらアーサーは彼の言いたいことを少しだけ気付いた。
どうやら自分が眼鏡を持っていた所為で、視力を落としたのだと勘違いされたらしいと。そう理解しながらも、なら眼鏡はかけるなと言いたいのだろうかと考える。
今自分は視力は良いが、騎士団や八番隊にもノーマン以外にも眼鏡を掛けた騎士はいる。なのに何故自分じゃ掛けちゃ駄目なのかと考えたところで、ハリソンから「治らないのか」と逆に質問を返された。何故それを自分に聞くのかと思いながらアーサーも口を開く。
「……ハリソンさん。視力って、治るとか治らないの話じゃないと思うンすけど……まさかハリソンさん、鍛えて目ぇ良くしたンすか」
「最初からだ」
ですよね……。と、一言で切り捨ててしまうハリソンにアーサーもすぐ折れる。
ハリソンが視力が良いことは知っているが、やはりもともとのものなんだなと考える。
実際、ハリソンは目も良ければ視力が下がったこともない。当然のように見えるそれを他の騎士が「見えない」と言うのが不思議なくらいだ。
アーサーが眼鏡をかけるか否か自体は心底どうでも良いが、もともと目が良い筈の彼が視力を落とせば戦闘に差し障ると思う。たかが視力程度で弾丸すら叩き落す剣術が衰えてしまうなど許さない。
アーサーから「騎士にも眼鏡の人いるじゃないですか」と言われても「それがどうした」と全くつかめない返事しかしない。騎士団長と副団長二人以外の騎士の視力などそれこそ眼鏡をかけようと目が良かろうとどうでも良い。問題はアーサーが視力を落とすことだ。
元来視力に恵まれた自分では、視力が悪い人間の不便さは想像もつかない。
これはステイルのです、と言いたかったがアーサーはすぐにやめた。自分とステイルが友人であることはハリソンも知っているが、第一王子の私物を自分が持っているなどそれこそ窃盗罪で斬りかかられかねないと思う。
「大体これ、度は入ってないですよ。ほら、覗いてみて下さい」
目で確認するぐらいは良いだろうと、アーサーはケースを開けると眼鏡を片方だけ傾けて見せた。
虫眼鏡のように覗けるよう翳してみせれば、ハリソンも眉を寄せて首を伸ばした。レンズの先もレンズの外も変わらず同じ視界の世界だ。
そこまで確認し、やっとアーサーが視力が衰えたわけではないらしいとまで理解したハリソンは無言で姿勢を戻した。顔を引くハリソンに「わかってもらえましたか?」とケースへ仕舞いながらアーサーが尋ねると、やはり短い肯定だけ返された。
ハリソンが納得してくれたことにはほっとしたが、ならば何故眼鏡を持っているのかと今度は尋ねられるかなと後から気付く。言われる前に話を変えようとアーサーは急ぎ、別の話題を投げかける。
「そッれでハリソンさん何の御用っすか?自分これから近衛に行くところで……」
「次の二番隊との合同演習での班組みを聞いていない」
ッすみません‼︎‼︎と。直後には、周囲の演習所にも響く声でアーサーが謝った。
次の演習に向けていつもは隊員か、もしくは副隊長であるハリソンに指示をしているアーサーだったが今日は眼鏡のことを考えて先を急ぐあまり指示をし損ねてしまった。
昨日の五番隊との騎馬演習を終えた時の班組でと指示を告げれば、ハリソンも「了解した」と一言で姿を消した。アーサーの目が悪くなっていないのならば、どうしてそれを持っているかも興味はない。
ふわりと短い風だけを残し、高速の足で姿を消したハリソンの去った方向に向かい「本当にすみませんでした‼︎」と声を上げたアーサーはそこで深々と肺の最後まで息を吐いた。
「アーサー!お前もこれから向かうところか?」
やっちまったと落ち込みかける横顔に、また別の声が投げかけられる。
今度は遠巻きからかけられた穏やかな声に顔を向ければ、駆け足気味に同じ近衛騎士であるエリックが自分へ手を挙げていた。
お疲れ様です、と挨拶をしながら答えれば「なら一緒に行くか」とエリックは門を指さしながら誘った。自分も今日は少し演習で出だしが遅れたところだったが丁度良いと、早めた足で促せばアーサーからもはい!と元気の良い返事が出た。並走し、二人で速足で王居へと向かう。
「?それ、眼鏡か。ステイル様のに似ているな」
そこでふと、蓋を開けたままにされた眼鏡にエリックも目が向いた。
誰の物かと疑問にすら思わなかったハリソンと違い、一目でステイルと当てられたことに口の中を飲み込むアーサーはエリックにも見えやすいように眼鏡をケースごと持ち直した。
「なんか、今朝起きたら部屋に置かれてて。俺のじゃねぇですし、多分仰るとおりだと思うんですけれど……」
「あの後ステイル様、お前の部屋にも来たのか?」
いいえ、と。声を潜めてくれたエリックにアーサーも首を横に振る。
ステイルがアーサーの部屋にもちょくちょく訪れていることは昔からエリックや他の騎士も勘付いている。しかし、そうでもないとなるとアーサー同様エリックにも理由は想像がつかない。仮にもアーサーの部屋とはいえ、城内にある騎士団演習場の騎士館の騎士隊長の自室に忍び込める人間などなかなかいないことから考えても、置き主はステイルが濃厚だとは思う。しかし「多分」をつけるアーサー以上に、エリックはステイルの私物かどうかの判別はつかない。
しかしこうしてケース上のそれを間近に眺め、仮にその眼鏡をステイルのものだと考えるとエリックにはまた別の疑問が浮かんできた。「これがステイル様の物だと仮定しての話だけど」と言いながら、腕を組む。
「こうやってみると王族にしては飾り気が抑えられた品だな」
「ッそ、そうっすね……?」
ぎくっっ‼︎と、肩を大きく上下させたアーサーは声が上ずりかけた。
まさか買ったのも選んだのも自分とは言えない。仮にも第一王子相手に、本隊騎士の初任給で買えた程度の眼鏡を贈ったなど言えるわけもない。
精一杯しらばっくれながらアーサーは突然うるさくなる心臓に黙れと言い聞かせた。幸いにも今はアーサーの顔色よりもステイルのらしき眼鏡を凝視しているエリックは気付かない。ケースに収められた状態では度があるか無いかまではわからないが、王族の所有物にしてはと、見かけだけでも充分に拾える情報量が多い。
「宝石や細工も無いようだし、フリージア王国の紋章もない。あとは金具が特別なのか……?」
王族であれば、人に見える見えない関係なく装飾や金や銀細工が施されていたりフリージア王国であれば〝転写〟の特殊能力もある。もしくは金具やフレーム自体が特別誂えの場合もあるが、それは黒縁であること以外はただただシンプルな構造だ。
それを誰よりもよく知っているアーサーは、首筋にひんやりと汗が染みてくるのがわかった。眼鏡など掛けないアーサーにとって、当時買いに行った専門店を王都のものを選ぶ以外何が上等かもわからなかった。
眼鏡屋の店主には相談したが、あきらかに挙動不審だった自分に金を持っているかすら怪しまれてたんじゃないかと今は思う。確かにあの店にも宝石細工が施されたものもあったし、〝転写〟も予約と日を数日改めれば可能だという説明も一応された。
しかし王族にとってどういうのが常識で、どういうのが下品で流行で正しいのかもわからない自分は無駄に細工する度胸もなかった。まさか店主に「王族はどんなのが良いですか」とも聞けず、ただただ友人への贈り物としか言えなかった。
それに何より自分が一番ステイル宛てにしっくりきたのがこのデザインだったのだから仕方がない。あの時はステイルへの贈り物といっても祝いの品でもなければただただ単純に─
「でもまぁ、……やっぱり」
まじまじ見ていた姿勢を直し、眺め終えたエリックが笑う。
バレるんじゃないかということにいっぱいいっぱいだったアーサーは、息を止めてエリックへ顔を向けた。もう眼鏡にではなく進行方向に顔を向けるエリックは、少し可笑しそうな顔で笑っていた。そして
「───────────────────よな」
そう言うエリックの言葉に、アーサーも強張った顔から力が抜けた。
ほっ、と一つ分の域が零れた後、そのまま口角が緩むのを感じる。自分が褒められた時と同じような感覚にむず痒さを感じながらゆっくりと余裕をもってケースの蓋を閉めた。
「……そっすね」
エリックへ同意をしながらの顔は、さっきまでのぎこちなさの欠片もない。
歯を見せ照れたように笑うアーサーに、エリックも「失くされたのなら早く届けて差し上げないとな」と笑いかけた。
きっと眼鏡がなくて困っているだろうと続ければ、今度は少し苦笑しながらアーサーは言葉を返した。どうせ故意にでも事故でも一つ失くしたところで予備はいくらでもあると思いながら、同意だけを言葉にした。
何も知らない持ち主がどれだけ困っているかも知らず。




