〈本日コミカライズ1巻発売‼︎・感謝話〉副隊長は変わる。
『我儘な姫様だとよ。噂では義弟のステイル様にも酷い扱いを……』
『いや実際酷かった。私が式典に招かれた時はあまりにも態度に出過ぎていた』
『ん?でも最近は幼くして聡明な王女とも聞くぞ』
噂は、広がる。
良い噂でも悪い噂でもそれは一緒だ。悪い噂は一度広がれば時間がいくら経っても煙が立つ。言い古された噂だって、暫くすれば懐かしい噂だ。
気分が悪い時でも暇な時でもなんの気なしに噂なんてまた上がってくるし、変わってもくる。酒が入っていれば余計にだ。
プライド第一王女。その王族の噂は耳を通せば同じような内容ばっかで、時が経てば今度は正反対の噂も入ってくるようになった。
酒飲みながら言い合う噂話なんて、聞く方もまともに信じたりしない。その場で話して思いついたことを何の気なしに言って、酒が冷めたらそこまでだ。飲み会を何度も開けば結構な確率で思い出される幼い第一王女の噂に、本当に興味がある奴でなければ大体がそのまま酒と一緒に受け流す。
〝プライド第一王女〟とその名前が話題に出れば、この後の鍛錬はどうしようかなと別のことを考える。そうなるくらい聞き慣れた頃にはもうその話題は酒飲み話の場繋ぎ程度のものだった。
だってそうだろ?少なくとも現女王と王配は立派な王族で、我儘姫様って言ってもたったの十一才。そんな子ども相手に噂を全部まに受ける気にもならなければ、無駄に期待しようとも思わない。
女王と王配が立派ならまともに育つだろうし、たかだか十一で我儘なんて、言っても人を殺したわけじゃない。正直、王族の問題なんてそれくらい俺には遠い話で、むしろ大して関係もないと思えるくらいで。……まぁつまりは。
『んー、でも取り敢えずは王位継承までに良い王女になってくれていれば良いんじゃねぇすか?』
カラムみたいに毛嫌うつもりもなければ、まだ十一才の子どもに期待しようとも思わない。
そういう意味では俺みたいな奴の方が、誰より無関心ってのに近かったんだろうなと思う。
「騎士団でこれを発見したものは至急こちらに通信を繋げろ‼︎」
今日、この時までは。
副団長が通信兵に向けて声を荒げながら、指示を回す。作戦会議室がまるで戦場だ。
カラムは一度外から戻ってきた後は三番隊隊長として新兵保護と帰国の迂回経路画策。崖地帯周辺の地形や安全確保だのに部下へ指示を回している。隣国に女王と王配が四番隊や半数の三番隊も連れて行ったことで、後衛部隊が足りないのを相変わらずの手腕で効率的に回していた。
俺も副隊長として今からでも崖現場へ隊を率いて救助に行くと進言したけど却下された。そりゃそうだ。ただでさえ隣国へ率いられた騎士隊で国内の騎士が減っていて、もう既に先行部隊に続いて十番隊と二番隊だって崖地帯に出動して人は足りている。
こんな中で一番隊まで出動したら国内が手薄になる。新兵や救助に向かった先行部隊まで被害にあったならまだしも、現状で行方不明なのはたったの二名。たった二名の為に国内をこれ以上手薄にできるわけがない。俺だってそれくらいはわかってる。……わかっている、のに歯を食い縛る顎の力が緩まない。
そのたった二人は騎士団長とプライド王女だ。
『私の国の民は誰一人、不幸にさせない』
拳を握り、顔中の筋肉に力を込めながら映像を睨みつける。
三番隊や、救護棟の医者達と連携を図る七番隊と違って先行する前衛部隊でもある俺ら一番隊にできることは少ない。
銃撃部隊の五、六番隊。半数残された九番隊もそうだ。三番隊の補助や、副団長の指示下で動くくらいで後は茫然と送られてくる映像を見ることしかできない。
騎士団長は当然だけど、今じゃこの場にいる騎士の誰もがあの第一王女の無事も願っている。
単に第一王女や騎士団の責任なんて話じゃない。今の俺達にはそれ以上の存在だ。どんな理由があろうと、騎士団長を助ける為に単身で飛び出した奴の身を案じない理由がない。
あんな身のこなしで、銃や剣捌きを駆使して本当に騎士団長を守っちまった。冗談でも口から出まかせでもなく本当に崖に降り立った。崩落さえなかったらあの場で英雄だ。
俺だって他の連中だってあの動きには目を奪われた。しかも自分で崖の崩落を予知した人間が飛び出すなんてありえない。一体どうして、なんでよりにもよって王女がそんな自殺行為をしたのかわかんねぇし、現に今も二人は死体どころか身体の一部すら見つかっていない。
「最後の通信の時に、ロデリックと一緒にいた男が特殊能力者の可能性があるという言葉を聞き取った。もしかして中にロデリック達がいるのかもしれない」
微かな希望だ。
現場と通信を繋げた副団長の言葉を聞きながら、誰もがきっとそう思っている。
もし何かしらプライド様に勝算があったとして、それが本気で上手くいったかなんてわからない。一番あり得るのは、失敗してもう二人とも死んでいるっていう最悪の結果だ。
見つかったという不自然な瓦礫の塊を前に語る副団長に、その場にいる誰もが映像の騎士と一緒に固唾を飲んだ。
さっきまで崖へ向かうと言いながらふらついていた第一王子も、今は映像を食い入るように睨んでいる。崩れそうに震わせた膝を無理やり立たせていた。
副団長へ視線を向ければ、同時にハリソンが視界に入った。騎士団長からの映像が届いた時から副団長に直訴したりその後も映像に噛り付いたままその場を一歩も動いていない。副団長と同じくらい尊敬している騎士団長の危機と死亡の可能性にずっと頭すら追いついていねぇみたいだった。
アイツが慕っていた相手なんてその二人くらいだ。除名処分されるアイツを助けてくれた騎士団長の生死はハリソンにとっても他人事じゃない。背中でもわかるくらいその姿からは覇気が抜けていた。今までの騎士団で死者が出たって聞いた時とは別物だ。顔を覗けばきっと今まで見たことがないくらい茫然としているんだろう。
騎士団長が生きてるかもっていう副団長の言葉すら、今は頭に届いていねぇんじゃねぇかと思う。横から突いただけで倒れそうな背中はまるで抜け殻だった。このまま二人分の死体が見つかれば、多分今度こそその場で崩れる。
パキッ…
映像から乾いた音が響く。
沈黙する空気を破るようなその音に、それだけで心臓が跳ね上がる。現場から送られる映像を前に、瓦礫の塊が崩れ出す瞬間に瞬きする余裕もない。
息を止め、緊張を押し殺すように拳を力の限り握って耐えた。内側から崩れるようなそれは、どう見ても自然物の動きじゃなかった。微かな、切れ端程度の希望が指先に引っ掛かったかのように心臓が煩くなる。死体じゃないものが、そこにあるかもしれないと声にしないまま希望に触れる。
食い入る副団長と第一王子の横顔と背筋の伸びていくハリソンの背中越しじゃ足りなくて、他の騎士達と一緒に俺もハリソンと同じくらい映像の近くへ前に出る。もしかして、まさか、本当に、と実際に目にするまでは誰もが言葉を抑え、そして
「あ…空ですよ、空‼︎」
戦場が、湧き上がった。
騒然と声が出なくなったのが一瞬、直後には雄叫びだ。全員が、俺自身が何を叫んだのかもわからないくらい衝動のままの声を上げる。
嘘だろ、騎士団長、と目の前の奇跡に意味がわからなくなる。誰もが立ち尽くしたまま映像に食い入る中で、カラムが珍しく慌てた足取りで飛び出した。
その間にも目の前の現実が段々と飲み込めてきて、俺らまで映像の向こうにいるみたいに言葉で叫び出す。歓声が上がって、震えを押さえていた拳を振り上げる。
現実なんだと笑い合って、それでも嬉しさが込み上げて涙も滲み出す。
すげぇ!本当に‼︎どうなってんだ!と叫んでいる間にも映像の向こうではどろっどろの泥塗れになったプライド様が一方的に騎士達に指示を回して、最後は騎士団長の溜息が続いた。
相手が第一王女だと知らなかった騎士達が一斉に絶叫して、こんな状況じゃなかったら腹を抱えて笑いたくなった。けど、今はもう笑うとか可笑しいとか全部通り越してただただ最悪を覚悟していた頭を上塗る奇跡に目を奪われる。
若干滲んだ視界のまま、興奮を抑える方が無理だった。開いたままだった口から一音が漏れたと思えば、振り上げていた拳をそのままに自然と喉を張り上げる。すげぇすげぇすげえ!!
「すげぇよあの人‼︎本当に十一歳の王女かよ⁈」
誰だよただの我儘姫様なんて噂してた奴。
興奮のままに口を動かしながら、頭でもそう思う。マジでありえねぇ、あんなことできる人が本当にいるのかよ。
一人で戦場に降り立って、一人で奇襲者全員倒しちまって一人で騎士団長を助けちまった。こんな格好良い王族なんて見たことねぇ。目から水が溢れるし喉はしゃがれるし、それでもどうでも良いくらい嬉しくて近くにいる騎士と肩を組む。
そのまま映像の向こうで慌ただしく右往左往しながら奇襲者に手錠を掛けて、騎士団長やプライド様を他の新兵も控えている安全な場所にと映像の視点から消えていく。
二人の姿がいなくなっても歓声は止まなかった。現場を確認する騎士や、副団長へ報告を告げる騎士と一緒に、一人だけ崩れ落ちたままの新兵も映る。騎士に肩を抱き寄せられ笑い掛けられながら、騎士団長達が居なくなった後も一人映像の向こうでボロボロ泣いていた。本隊騎士に肩を借りて、半ば運ばれるようにしてその新兵が映像から居なくなった後も俺の頭にはぐるぐるとプライド様の戦いぶりが蘇った。
波打つ真紅を揺らして戦う姿も、一撃も逃さない銃の腕も、軽やかな身のこなしも思い出せば出すほどに現実感がない。瓦礫の中から現れた姿なんて真紅もわからなくなるほどの泥塗れだ。鼻にも顔にもベタベタついて化粧もはげてドレスもボロボロで、……それで
綺麗だった。
どんな着飾った女より、ずっと。美しいとか可憐とか。今まで女相手にわざわざ思ったこともなかったけれど、今は腹の底からそう思う。
一度手合わせしてみてぇし話してみてぇし、もっとあの人のことを知りたいと思う。どうでもいい噂なんかじゃなくて、ちゃんと正しいあの人のことを一つでも。
どうすりゃあたった十一才の姫様が野盗相手に怖じけず戦い勝てて、崖の崩落現場なんかに飛び込めるのか、どうすりゃああんな格好良い戦士になれるのか。
見たい、知りたい、聞きたい、近づきたい。こんなに興味が湧いたのは、初めて騎士を見た時以来だった。
……
「……でさあ、そりゃあもうすっっげぇその時のプライド様が格好良くってもう……信じられるかよ?まだ十一歳だぜ⁈」
ジョッキを交わしながら、隣に座る騎士を肩を組む。
わかるわかる、すごかったですよね!あの時俺は新兵でしたと、周囲の騎士達が声を上擦らせながら俺のジョッキに酒を注ぐ。
いつものように部屋に騎士を招いての飲み会で、今日は八年前の崖崩落事件の全貌を知っている連中だけだから遠慮なく語れた。エリックみてぇに当時は新兵だった奴から俺と同じ一番隊から他の隊の連中まで誘ったけど、今回は当時の事件について箝口令を敷かれた者同士しかいないから他の奴に口を滑らす心配もない。後から入ってきた新兵や当時アネモネ王国にいた騎士達には言えねぇけど、たまにこうして知った奴同士の飲み会だと隠さず話せるからすげぇ楽しい。近衛騎士同士の飲み会もそうだけど、やっぱ数が多いのも楽しいと思う。
「あれからもう八年になりますか……私はまだ実感がありません。ですが、あの時のプライド様の大立ち回りはまだ目に焼き付いています」
「ッわかる!わかるぜぇ‼︎いや〜俺もさぁ、あの戦闘見てから一気にプライド様に惚れこんじまったし!」
「アラン隊長もそうなのですか?!自分は当時新兵だったので……。お恥ずかしながら、現場にいただけでプライド様の立ち回る姿はまだ一度も。防衛戦でも国に残っていましたし奪還戦でも……」
「あー、新兵だった奴は当時そうだよなあ。エリックも同じように言ってたし。いや本当にプライド様強ぇぞ?!」
「本当にな‼︎奪還戦で一撃受けた俺が言うんだから間違いない!」
わははははっと笑いながら話すプライド様の姿は、いつ思い出しても目に蘇る。
殲滅戦や防衛線、奪還戦でも運良くプライド様の戦闘を目にできた俺だけど、やっぱり感動だけで言ったら騎士団奇襲事件で初めて見た時の姿は一生ものだなと思う。たった十一才の少女が、奇襲者を軽々と倒したなんて口にしてみてもやっぱり嘘みてぇだと思う。こうして当時を覚えている騎士達と話す度にあの時の興奮が戻ってくる。
もうこんな風にプライド様の話で盛り上がって八年だ。
その時に集まって飲む騎士の顔並びで話す内容もそれぞれ変わるけど、どれも結局はプライド様の話題が出る。俺から言う時ももちろんあるし、そうじゃなくても自然と騎士からその話題は上がる。特に俺は近衛騎士だから余計にプライド様の様子とか聞かれることが多い。
今じゃステイル様やティアラ様のことも話題になるし、アネモネ王国やセドリック王弟のことも時々話題になるけど、やっぱり不動はプライド様だ。
「自分もまだ一度も目にしたことがありません!いつか、いつか直接当時のお礼とお詫びをプライド様にするのが自分の夢です」
「あー、そっか。ハンネスもそういえば当時は新兵か?」
「はい。スティーヴさんと同じく、自分も当時のプライド様のお姿は目に焼き付いています。美しくお優しく、……それに、とてもお可愛い御方でした」
またそれか‼︎と、次の瞬間には周囲の騎士達が声を合わす。
スティーヴもわかったようにハンネスと一緒に笑う中、他にも何人かの当時新兵だった騎士や現場に駆けつけていた奴も思い出すように顔を綻ばす。エリックもそうだけど、この掛け合いもわりといつものことだ。
あーあれな、わかる、愛らしかったなぁ、と知ってる奴らが具体的に何があったかは言わずに笑う中、他の騎士が声を荒げる。
「だから一体なんだその共通概念!!」
「この前の祝勝会ならわかるけどよ!!それ、八年も前だろ?!」
「いや可愛かった……とも思うけど、あの頃からプライド様はかなり大人びた顔立ちだったろ?目元からしてこう、キリッと……」
俺もちょっと前までは一緒に並んで問い詰めてたなぁと思う。
盛り上がる騎士達をよそにジョッキを半分に減らしながら、今までも何度か似たようなやりとりを繰り返した時を思う。
俺にとってはやっぱプライド様はあの時から憧れだったし、思い返してもエリック達の言う〝可愛い〟より〝美人〟って顔だったなと思う。
当時のその共通概念については未だ俺も知らねぇし、多分騎士団長かプライド様から箝口令でも出てるんだろう。それがわかってるから俺も、こいつらも無理に聞き出そうとは思わない。
それにこの前の祝勝会で、可愛らしい御召し物で現れたプライド様を目にしてからは納得する奴らも増えた。まぁそれでも可愛いよりはやっぱり美人の方が合ってる。極秘視察での十四歳の姿も、今と見比べたら幼くてめちゃくちゃ可愛い。けどまぁどっちにしろ俺はもう。
「美人だけど笑った顔はすっっっげぇ可愛いんだよなぁ、プライド様」
思ったことをそのまま言えば、馬鹿騒ぎしていた声が一度止まった。
グビグビと喉を鳴らしながら残りの半分も飲み干せば、直後には周りからまたいつもの「出たよ‼︎」と怒鳴り声にも近い叫びが飛び上がる。
「お前は本当に正直だな」と大声で口ぐちに言われれば、空のジョッキで俺からも満面の笑みで返した。隣にいた入団同期の騎士にコノヤロウと殴りかかられたから、こっちからも背中を反らしてから拳で受ける。
なんかもう今は、当時の新兵達が話す〝可愛い〟プライド様が普通にわかる。照れた顔とか、恥ずかしがった顔とか、笑った顔とか、自然と可愛いと思うことが増えた。
近衛騎士になってプライド様の顔を見ることが増えた特権か、それとも単純に防衛戦からの心境の変化のせいか。あの時の憧れだけとは違う感情でそう思う。今はもう、プライド様に興味しかない。……あっ。
興味、と恋か。




