7(完結) ナイジェルとアイリス そしてこの国も幸せになる
その少年兵は見るからに緊張していた。
既に先に軍にいた兄の凜々しい姿に憧れ、十八歳の誕生日を迎えるのを待っていたかのように軍に志願入隊。それから何ヶ月も経っていないというのに、王太子とその婚約者アイリスの結婚式の警備という大役に抜擢されたのだ。
大将軍アーノルドはこう訓示した。
「ナイジェル様が王太子殿下になられてからというものの、軍への視察、激励、必要な予算の配分など以前より格段に手厚くなった。我々がこうして安心して訓練に打ち込めるのも、ひとえに殿下のおかげでもある。だが、残念なことだが、殿下を逆恨みする愚か者もいる。殿下のためにも、国民のためにも、そして、我々自身のためにも全力で職務を全うするのだ」
その少年兵は何度もその訓示を反芻しながら、笑顔で王宮に入る人々に目を光らせていた。
ナイジェルとアイリスの強い希望で、この結婚式は一般庶民も臨席できることになった。その報に一般庶民の臨席希望が殺到。危険を避けるため、抽選で当たったものにだけ臨席を許すこととした。但し、ナイジェルたちのはからいで城壁にも魔道士たちの手により結婚式の模様が映し出されることにもなった。
その時だった。八歳くらいの少女が彼女を連れてきた夫婦のもとを離れ、少年兵に駆け寄ると笑顔で「ありがとうございます」と言ったのは。
不意を突かれた少年兵は一瞬言葉を失ったが、すぐに少女に返事をした。
「あ、ありがとう」
そして、疑問を口にした。
「ねえ君はどうして僕に『ありがとうございます』と言ってくれたの?」
「うんそれはね」
少女は笑顔のままだ。
「アイリス様が畑で仕事をしていた私のお父さんに『ありがとうございます』と言ったの。だから、私も『どうして『ありがとうございます』と言われたのですか?』と聞いたの」
「うん」
「そうしたらアイリス様が一生懸命頑張って仕事をされている方には『ありがとうございます』と言うものなのですと言われたの」
「そうなんだ」
「だから私も一生懸命頑張って仕事をしているお兄ちゃんに『ありがとうございます』と言ったの」
「そうなのか」
少年も笑顔になる。
「ねえねえお兄ちゃん。アイリス様は今日の結婚式で凄く綺麗な服を着られるんだって。私、楽しみなんだ」
「そうか。僕は警備の仕事で見られないけど、僕の分まで見てきてね」
「うん。後でお兄ちゃんにもお話ししてあげるね」
少女は彼女を連れてきた夫婦と共に頭を下げると去って行った。
少年兵は警備を再開した。しかし、その顔からは先ほどまでの余分な緊張は抜けていたのである。
◇◇◇
国王は控え室で待機していた。その時一際大きな歓声が上がった。ナイジェルとアイリスが登壇したのだろう。
(そろそろわしも出るか)。
そう思った国王は腰をあげた。
まさにその時だった。宰相が沈痛な面持ちでその姿を現したのは。
「陛下。このような時ですが、火急にご判断仰ぎたいことが」
「申してみよ」
国王は再び腰を下ろした。
「隣国の国王から急使が参りました。我が国の元王太子ニコラスと三人の元貴族令息を確保しているがどのように取り扱ったものか陛下のご指示をいただきたいと」
「!」
「ニコラスたちは隣国の国王に自分たちを奉じ、隣国の軍勢をもって、我が国を攻め取るよう勧めたそうです。国土の割譲を条件に」
「……」
「隣国の国王は顔面蒼白になって急使を発したそうです。兵力にして十分の一しかない隣国が我が国と戦うつもりは全くない。ただニコラスたちの処置についてご指示をと」
国王は額を右手で押さえた。
(馬鹿者とは分かっていたが、こうまで馬鹿者とは)。
「その者たちはもはや我が国の王族でも貴族でもない。ただの反逆者だ。そちらで処刑されたしと伝えよ。今回の件では隣国に迷惑をかけた、いくらか迷惑料を包んでやってくれ」
「はっ」
宰相は頷く。
「さて」
国王は再度腰を上げる。
「栄えある王太子の結婚式に国王のわしが遅れては国民にも余分の心配をかける。すまんがわしはもう会場に行く」
「それがよろしいかと。私も隣国の使者に要件を伝えたら、すぐに参ります」
「うむ。そちも本日の花嫁の父だからな。急いでくれ」
「はっ」
廊下を抜け、国王は壇上に姿を現した。笑顔で国民たちに手を振る国王。またも大きな歓声があがる。
空には初夏の太陽が煌めいていた。
「おっ」
国王は唸った。その眼には笑顔のナイジェルとアイリスの周囲に強い陽光をも凌ぐオーラが見えたのだ。
(うん大丈夫だ。新しく夫婦になったこの二人も、この国の民もみんな幸せになる)。
国王はそう思った。