6 両片思いは結ばれる
茫然自失なのはアイリスも同じだった。ホールデン伯爵改め王太子ナイジェルはそんな彼女にゆっくり近づくとささやくように言った。
「すみません。驚かせちゃいましたね。でもこうなって一番驚いているのは私自身なんですよ」
アイリスはそんなナイジェルの言葉に一挙に緊張がほぐれた。そして、何だかおかしくなり微笑んだ。
「ふふふふ。それはそうですよね。一番驚かれたのはあなたですよね」
「アイリス嬢。あなたはやはり笑顔の方がいいですね。そして……」
ナイジェルはここで居住まいを正す。
「ここで一つ大事なお願いがあります」
「? 何でしょう?」
「私は父である国王陛下からこの国をより豊かにするよう命じられました。大役ですが誇りをもって受けることにしました。だが、この仕事はあまりにも大きい。私一人で出来るものではない。優秀な文官も兵士もたくさん必要です」
「はい。おっしゃる通りかと思います」
「そして何より必要なのは私と志を同じくし、この国を豊かにしてくれるパートナーです」
「!」
「頑張って行こうという人をしっかり見られる優しい人。そして、自分も頑張ろうと思える人。そんな人に自分のパートナーになってほしいのです。アイリス嬢。どうか私と結婚してください。一生一緒に私とこの国を豊かにしてください。この国と共にあなたを一生かけて守らせてください」
場は静まりかえった。しかし、前王太子ニコラスに強要され、わざと下手くそなダンスを踊らされ、深い失望と共にあった貴族令息令嬢たちの中の一人が拍手を始めた。それは一人また一人と広がり、やがて万雷の拍手になった。
一方アイリスの頭の中は大混乱だった。自分が望んでいたことではある。しかし、とても叶わないと思っていた夢でもある。いまさっきまで庶民落ちして、どうやって暮らしていこうかと考えていた。それが……
だけど前を向いた。ナイジェルの目をしっかり見据え、ゆっくりとこう答えた。
「謹んでお受けいたします。私にもこの国と王太子殿下、あなたを一生お守りさせてください」
「ありがとうございます。アイリス嬢。良かった。初めて出会った時から惹かれていた女性と結婚出来るだなんて夢のようだ」
拍手は更に盛大になった。
「初めて出会った時から惹かれていた。それは私も同じ」
そんなアイリスの呟きは拍手にかき消され、誰にも聞かれることはなかった。
◇◇◇
長く長く続いた万雷の拍手が止んだ時、ナイジェルは再びその口を開いた。
「アイリス嬢。早速で恐縮ですが、一つお願いがあるのです」
アイリスは微笑を浮かべ、答える。
「何なりと」
「王太子たるもの執務ももちろん大事ですが、ダンスも出来なければならないことも承知しています。しかし、私は成人してから貴族になった上、最初のダンスパーティーで極端な苦手意識を持ってしまい、全く自信が持てないでいるのです。どうか私にダンスを教えていただけませんか?」
アイリスは微笑しつつ頷く。
「大丈夫。私が教えて差し上げますわ。正しいダンスを。きっと正しいダンスなら王太子殿下の苦手意識などなくなります」
アイリスは後ろを振り向くと楽団の指揮者に声をかける。
「これから『正しい』ダンスパーティーを始めます。どうか演奏をお願いします」
「はいっ!」
指揮者は元気に返事をする。彼もまた「卑猥な」ダンスパーティーに辟易していたのだ。
更にアイリスは会場に残った貴族令息令嬢たちにも声をかける。
「さあっ、皆さんも踊りましょう。もうわざと『下手に』踊る必要はないのですっ!」
歓声が上がる。すぐさま演奏が始まり、「正しい」ダンスパーティーが開始された。
「驚いたな」
国王は宰相であり、アイリスの父であるフィンドレイ公爵に語りかける。
「そなたの娘。もう既に王太子妃としての風格を備えておるぞ」
フィンドレイ公爵は頭を下げる。
「もったいなきお言葉にございます」
「ナイジェルといい、アイリスといい、実に頼もしい。これはわしらも早くに楽隠居できそうかな?」
「そうなるといいですなあ」
「そうなったら、わしとそなたでまた釣り勝負がしたいのお」
「望むところですぞ」
笑い合う国王と宰相。
実際、ナイジェルが不得手にしていたのは「卑猥な」ダンスだったので、生来の熱心さとアイリスの教え上手から「正しい」ダンスのスキルはみるみるうちに上達した。
ダンスパーティーは週一回から月一回に変わったが、むしろ貴族令息令嬢たちには好評で、ニコラスが王太子の頃には病気を理由に欠席していた貴族令息令嬢も出席するようになった。
兵士の訓練への激励は週一回が復活。ナイジェルの得意技である文官と一緒になっての執務、現場への積極的な乗り込みはむしろ回数が増えた。
全てが上手く回り始めた頃、その凶報は入った。
「ニコラスとその腹心の貴族令息三名が王宮から逃げ出した?」
さすがに表情が曇る国王。
「はっ」
真剣な顔で返す宰相。
「既に捜索の指示は出しております。そして、貴族令息三名の家からは全て廃嫡届が出されました」
「うむ」
国王は頷くと続けた。
「四人とも庶民落ちにした上、逮捕状を出せ。ただ、通常の業務の範囲でいい。特別扱いする必要はない。もはやニコラスを奉じ、わしやナイジェルに対抗しようという者など我が国にはいない。そして、隣国にもな」
国王の眼光はギラリと光った。
「はっ」
宰相は淡々と頷いた。