5 伯爵の正体は……
ざわっ
場にざわめきが走る。
その声の主はこの国の国王エルトン二世。その脇に従うは国王の右腕と言われる宰相フィンドレイ公爵、アイリスの父でもある。そして、この国きっての精鋭が護衛として付き従っていた。
「何ですかっ? 父上っ!」
ニコラスは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「外遊の予定はまだ一ヶ月先まで入っているでしょうっ! 何でこの場にいるんですかっ?」
「何で今わしがここにいるのか。知りたいのか。ニコラス。おいっ、例の箱をニコラスに見せろっ!」
護衛の一人は国王の指示に恭しく一礼してから、木箱の中にぎっしり入った手紙の束をニコラスに見せる。
「何だ? この手紙の束が何だってんだ?」
「この手紙の束が何か知りたいか? ニコラス。これはな全てわしあての早期帰国嘆願状だ」
「なっ」
ニコラスの顔は更に真っ赤になった。
「ニコラス。おまえはわしが外遊に出てからの五ヶ月間、一切閣僚や将軍たちからの報告や諮問を受け付けず、文官や兵士たちへの慰労もせず、毎週卑猥なダンスパーティーを開いていたそうだな」
「何を言われます。父上っ!」
ニコラスはなおも怒鳴る。
「我が国の文官や兵士が優秀だと自慢していたのは父上とそこにいる宰相ではありませんかっ! だから何もせずに任しておけばいい。それより我々王族貴族には『明るい社交』がなにより大事。それを実践したまでのこと」
「ニコラス。おまえの言う『明るい社交』というのは、この『卑猥なダンス』のことか? ある貴族令息の嘆願状に絵入りで描かれていたわ。こんなダンスが我が国で行われていると知れたら、他国から軽蔑の目で見られるわっ!」
ニコラスは周りを見回し怒鳴る。
「だ、誰だっ? そんな手紙を父上に出した奴はっ? 裏切り者は許さんぞっ! 父上っ! そんな性格が暗い奴は私の周りにはいないっ! 私の周りの令息令嬢はみんな私に賛同しておりますぞっ!」
◇◇◇
国王の目がギラリと光る。
「ほう、今、ニコラスの周りにいる者はみなニコラスと同じ考えだと申すか」
ざわっ
またも場がざわめく。ニコラスの周りに侍っていた貴族令息たちは我先にその場から逃走しようとした。
しかし、すぐ衛兵たちに止められ、その後ろから大将軍アレックスがのっそりとその巨体を現した。
「なっ、何だっ? アレックス。無礼だぞっ!」
アレックスはニコラスの怒鳴り声を笑って受け止める。
「これはこれは王太子殿下。お久しゅう。国王陛下が外遊に行かれてからというものの一度も訓練の視察にお見えになりませんでしたな。まあよろしい。それがし、国王陛下から毎週卑猥なダンスを踊られるほど精力の余ってらっしゃる貴族令息様たちを鍛え直すよう直々に命ぜられましてな」
「放せー」
「貴族子息の僕に何をするっ! 無礼だぞっ! 衛兵っ!」
ニコラスの周囲にいた貴族令息たちは抵抗するも、全員衛兵に捕捉され、連行された。
「なあにご心配めさるな。今後『卑猥なダンス』を踊る気が全くなくなるまで、一般の兵士と一緒に寝起きして、訓練していただくだけのこと。一切の特別扱いは抜きにせよと国王陛下から命じられていますがな。がっはっはっ!」
アレックスは高笑いと共に衛兵と捕捉された貴族令息たちを引き連れ、去って行った。
◇◇◇
呆然としてその様子を見ていたニコラスの周囲の貴族令嬢たち。その前に満面の笑顔で現れたのは修道院長のヘレンだった。
「ご令嬢の皆様方。まさかご自分は女性だから安泰と思ってらっしゃいませんよね。あなたたちはこの私が鍛え直すよう、国王陛下に命ぜられてますのよ」
ニコラスの周囲の貴族令嬢たちも逃走を図るが、屈強な修道女たちにあっという間に全員が捕捉された。
「ご安心を。あなたたちも今後『卑猥なダンス』を踊る気が全くなくなるまで鍛えて差し上げますわ。ふふふ。掃除、洗濯、食事の支度、孤児たちの世話、建物の修繕、畑仕事、やってもらうことはたくさんあります。ふふふ。『卑猥なダンス』を踊る気が全くなくなる頃にはこの修道女たちのように屈強になれますわ。ほほほほ」
ヘレンも高笑いと共に修道女と捕捉された貴族令嬢たちを引き連れ、去って行った。
◇◇◇
たった一人残され、茫然自失のニコラスを更に国王の言葉が追い打ちをかけた。
「そして、ニコラス。おまえは廃太子だ。西の塔に幽閉とする。だが、このような者でも我が息子だ。学問と武術の師を付け、寝る時間以外は鍛え直してやる」
「ふふふふ。はあっ、はっはっは」
ニコラスは狂ったように笑い始めた。
「父上、やはり乱心めされたのですね。あなたの子どもは私しかいない。廃太子になぞ出来ない」
国王はそのニコラスの言葉には答えず、後ろを振り返った。
「ナイジェル、入れ」
アイリスは驚愕した。国王に促され、入室したその男性こそが、こぎれいにはなっていたものの、ホールデン伯爵その人だったからだ。
国王はニコラスの方に向き直すと淡々と言った。
「ニコラス。紹介しよう。おまえの双子の弟ナイジェルだ」
「無礼なっ!」
茫然自失状態だったニコラスはまたも顔を真っ赤にして激高した。
「父上は私が『畜生腹』だったというのですかっ?」
◇◇◇
「ああ」
国王は静かに頷く。
「わしもかつては僧侶の言う『畜生腹』という言葉を信じ、ナイジェルを文官に養子に出した。だが、その後、科学者の言葉に考えを改めた。人もまた動物である以上、複数で生まれてくることは忌むことでも何でもない。しかし、ナイジェルは一度は養子に出した身。伯爵として遇そうと思っていたが……」
「!」
「ニコラス。あまりのおまえの愚行とナイジェルが多くの文官や国民に慕われていることを考え、ニコラスを廃太子とし、ナイジェルを立太子することとしたのだ。話はそこまでだ。衛兵。ニコラスを西の塔に連れていけっ!」
ニコラスは衛兵二人に両側から捕捉され、連行される。
「おのれっ、父上っ! ホールデン伯爵っ! 絶対に貴様らだけは許さんぞっ!」
ニコラスの呪いの言葉は王宮に轟いた。