11 りほ、この世界は。
落ち着いても、絶望しかなかった。
やっぱり、そもそも赤ずきんが人間界に行かなければ……くそぅ。
「主よ、何を世界の終わりのような顔をしておるんじゃ」
「だってそうでしょ!? あと2分とかで私たち死ぬんだよ!?」
「いやいや、初期設定を忘れられたら困るのじゃが。主のその黒ぶちメガネを使う時じゃよ」
——あ。
完っ全に忘れてた。
最初にアグーからもらったメガネには、変質を元に戻す機能が備わっているんだっけ? これを使えば、時限爆弾という「変質」を無かったことにできるわけか。
「赤ずきん……? なんとかなりそうなのか?」
と、ここで、話の流れが意味不明であろう子オオカミが口を挟んできた。
お母さんもそうだったけど、どういうわけか、この世界の生き物にはメガネは見えないみたい。そりゃあ何が何だか分からないよね。
「うん、実はそうなの。だから安心して」
「本当に赤ずきんはすごいな。感謝してもしきれない」
……この際の徳積みはもうしょうがない。やらないと私の命が危ないんだから。
子オオカミからの尊敬の眼差しを愛想笑いで受け止めながら、メガネのフレームに手を伸ばす。
視界に浮かんだプラスマークを、時限爆弾に合わせる。残り時間はいつの間にか1分20秒だ。
後はもう一回ボタンを押せばいいんだよね。ふぅ、間に合いそうで良かった。
カチッ
ズギュゥゥゥゥゥウウンン!!!!
「…………え?」
耳をつんざく、鋭く不快な轟音。
驚いて目を閉じたが、程なくして目を開けた後、そのまま口もぽかーん、と開けた。
完璧なまでのデジャヴ。
時限爆弾は近場の視界からは消えた。というか、吹っ飛んだ。
私のメガネから出たのは、赤ずきんの部屋の変質していない蝋燭へ向けたものと同じ破壊の力だった。草は焼け、木は倒れ、爆風で時限爆弾は数メートル先へ転がった。
そして、時限爆弾を挟んで私と向かい合う位置にいた子オオカミは、爆風をもろに受けた。火傷をした腕を押さえながら仰向けに倒れている。
一瞬呆けていたが、慌てて子オオカミの近くに駆け寄る。幸い致命傷は負っていないらしい。うめき声が漏れているので、意識もあるっぽい。
とりあえずの安全を確認して、次は吹っ飛んだ時限爆弾に走る。ところどころ傷ついているものの、中身は不幸なことに無事。残り時間は着々と減り、あと47秒……。
どうしよう!? 私、何か間違った!?
こうすれば、変質しているものは消滅するんじゃなかったの!?
時限爆弾を抱えて、本能的に辺りをぐるりと一周見やる。もちろん見えるのは私のせいで剥き出しになった地面と、遠くの方の森だけで……。
森だけ、で…………。
「あれ、アグー……?」
私が子オオカミと時限爆弾に気を取られているうちに、アグーの姿が見当たらなくなっていた。
そういえば、このメガネを私にくれたのも、使い方を教えてくれたのもアグーだ。変質が元に戻らなかった原因だって分かるかもしれないのに、肝心のアグーが、いない。
あれ?
そもそも、私をこの赤ずきん系にトラベルさせたのは? 身代わりになれと言ったのは?
もちろん、アグーだ。
「…………」
今更だけど、気づく。私は、願いを叶えるためとはいえ、なんの疑いもなく、アグーの話を鵜呑みにしてここまでやってきたのだ。
アグーの話が全て本当であるなんていう証拠は、どこにもないのに。
思えば、引っかかるようなことはいくつもあった。
金髪の私でも務まる赤ずきん。
誰にも見えない黒ぶちメガネ。
地獄の茎ワカメモーニング。
子供の姿の、本来物語には出てこない(多分)オオカミとの遭遇。
全てが、赤ずきんの本来の話とかけ離れている。仮にメガネでこれらの変質を直せるとしても、ある程度の時間はかかる。アグーの説明通りならば、私が行動するたびに、人間界での本の内容がどんどん書き換えられていくということだ。そんなの読んでいる子供が混乱するに決まっている。
もとより。赤ずきんが人間界へ行ってしまった時点で、物語は破綻している。赤ずきんの逃亡が発覚してから、私を赤ずきんの身代わりとしてこの世界にトラベルさせるまでの時間がどれほど空いたのかは知らないが、その間に内容が変わらないわけがない。
百歩譲って、その工程で内容が変わらなかったとしても、私が変質を戻すまでは絶対変わっている。今だって、時限爆弾の変質が本には残っているはずだ。人間界の赤ずきんの絵本に、
【オオカミはワナにかかってしまいました。
あかずきんは、それをたすけてあげました。
しかし、こんどはあかずきんがばくだんのワナにかかってしまいました。
あかずきんは、ばくだんをどうにかしようとしましたが——】
こんな感じで書かれていることになる。そうなってしまうのなら、私が今までやってきたことは全て無意味。ここに来る必要すらなかったことになる。
どうして、今までこんな単純なことに気づかなかったのだろう?
ここまで考えて。
突然、自分の中に湧いた仮説に背筋が凍る。
もしかして、この世界は。
「はっ! 爆弾が!!」
違う違う。仮説も大事だけど、今最優先するべきは爆弾の方だった。私は間違いなく命の危機に瀕していた。
時間は考え込んでいた間にも容赦なく減り、残りはあと、
6、5、4、3、2、
いち———
結論から言うと、私と、負傷していた子オオカミは、死ななかった。
御都合主義よろしく、ヒーローが現れたからだ。さすがは童話の世界だと皮肉りたいところだが、赤ずきんの世界にヒーロっておかしい。ヒーローというか、なんというか、多分あの人は。
「…………神様……?」
絶体絶命の私の前に輝いた光。そこから白いローブのようなものを着た男の人が現れた。
彼は右手の拳を一発、残り時間1秒の爆弾装置に叩き込み、粉々に粉砕した。
あっけに取られた私の視線と、焦ったような神様らしき人の視線がバッチリ合う。
途端、神様らしき人の顔色が変わった。
「やはり、やはりテメェは……!! グラーシス、アイツもグルだったのか!?」
!? 口調がヤンキー!?
そしてなんの話!?
「少々手荒なマネをさせてもらうぜ」
ますます意味が分からない。瞬きすらせずに固まることしかできない。
私は腕を引っ張られ、いつの間にできていた次元の渦に引き摺り込まれる。
そこで私の意識は途切れた。
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暗闇に飲まれた私、萌野りほ。
右も左も、今目を開けているのかどうかも分からない。
ただこの闇の中で、思考だけは許されている。いや、むしろ、ゆっくり思考できるのはこの闇の中だけなのかもしれない。
時限爆弾の危険から逃れたので、改めて仮説を立てる。
あの世界は、確かに赤ずきんの世界なんだろう。
人間界にある、数多の物語の世界である、「系」がたくさん詰まった「話界」。その一つが「赤ずきん系」。どこまでも非現実の世界。
でも。あくまで、物語は物語だ。創造するのは人間。人間があの世界を絶対的に管理している。
つまり、あの世界は永遠に「不変」なはずなのだ。本の内容なんて変わるわけがない。「変質」なんてするわけがないのだ。
「赤ずきん系」のように、人間界に登場人物が逃げ出すなど、不可能なはずなのだ。
私は気づいてしまう。
背筋の凍る、根底を覆す思いつき。
そこから導ける仮説。
『話界で起きることと、人間界の本に書かれている内容は、繋がっていない』
実は本日でこの連載は1周年を迎えます!
なかなか更新が進みませんでしたが、今回までのお話を第1章とさせていただきます。この後、2本ほどりほ以外の視点の短編を挟んで第2章に突入します。
どうか気長にお付き合いくださると幸いです。
璃月りよ