母の出戻りについていった転生令嬢
シエロノーラ・プルム・エバンスは幼いころに前世の記憶を思い出していた。
女の子はおませな3歳で突然大人ぶってもかわいいだけで、環境が変わる時だったこともありなじむことはできた。
異世界転生だとわくわくしたものの、早々に始められた淑女教育と、領地経営に関しての勉強に現実は悲しいものだと思い知った。
家族は寝込むことの多い父と、私の出産で体調を崩しがちの母、めったに会えない王族を教育されている兄そして、私だ。
広い家に、広い、広すぎる庭。大勢の使用人に乳母。こんな幼い子供にも雇われる家庭教師。
貴族ではないと残念ながら、使用人が父に使う敬称でわかってしまう。
だって、殿下、って王族に使う敬称って習った。それが私の父に使われる敬称であることも。
食事は基本的に服を整えてから臨むもの。日々の糧を感謝し祈るのはいいけれど、どうも上からの目線だ。
父はこの国の第3王子らしい。祭祀を担う仕事をしていて、領地を賜ることはなくて王族として最後まで全うすることになる。
母は隣国の侯爵家の令嬢だったが、類まれな魔力量と技術を見込まれて、嫁いできたという。
兄も母の魔力量を継いだために、王家では目をかけられている。
のんきな3歳児生活は、父の死亡とともに終わった。
どういう経緯かは不明だが、母と一緒に隣国に送り返されたのだ。
兄は、魔力を見込まれ王太子の養子となった。
胸にもやもやしたものを抱えていても、子供では手を出せない。王族であれば、検閲もあって、手紙に秘匿権などないのだろう。
生き別れで、二度と会えないと覚悟をして、兄と別れた。
兄の隣国で大事にされると疑っていない顔になんとも言えなかった。
母の生国では、なぜか侯爵家でなく王宮の離宮に仮住まいを与えられた。大きくなって、そこは辺境の王都に程遠いところだったと知った。
石造りの多い前の家から、木造の重厚さを前面に出したこの国の建築に違う国なんだとひしひしと感じた。
子供連れであり、魔力漏出症という魔力を貯めることのできない母の2人のために、旅程は非常にゆっくりとしたもので、3日進んでは1日休むというものだった。
2週間かけて出国してたどり着いた辺境の離宮。
ついて早々に母は寝込み、周囲はあわただしく、勉強もないために、毎日何をして過ごそうかと探検しては過ごしていた。
人手が足りないらしく、危ないところに近づかないとわかれば、放置されることも多くなる。
この世界で紙は普及しているらしく、小さいながらも書庫があった。半分以上が娯楽の恋愛小説であったため、ここの以前の住人の偏った思考に慄きながらも、この世界の文化に慣れるためにもいろいろと読んだ。
それで、余計におませな女の子だと思われたらしい。
母が起き上がれるようになって、しばらくすると仰々しい一行がやってきた。
王宮からの使者らしい。
その日、母は夕食に顔を出さなかった。
翌日には覚悟を決めた顔で、引っ越すことを教えてくれた。
こことは違う辺境で、母は再度、嫁ぐのだと。
そこで、思った、母はいったいいくつなのかと。7歳の息子をもっている母は22歳だという。
若い。
確かに、参考図書(恋愛小説)では女性は10代で嫁ぐのが普通で、20歳を超えて結婚するのはまれであると書かれてあった。それにしても、早くないだろうか。
凍り付く私に気遣う人はなく、あわただしく、出立の準備がされた。
また、例ののんびり行程で引っ越す。
相手先にはすでにご令嬢がいるという。先妻との子で、同じ年だという。
それは、なかなかややこしい。
何となく、嫌なものを感じつつ、従うしかない。実家からのご機嫌伺もなかったほどの母の後ろ盾なのだ。
あからさまに、そのあたりが誤魔化されるのは、都合が悪いからだろう。
南の辺境は雨量の多い、木の多いところだった。
恵みも多いと思われるので、食料が確保されていることに安堵する。
移動中に4歳になったけれど、大人たちに言えるわけもなく、静かに成長した私。
移動している馬車の窓から外をうかがうのははしたないらしく、カーテンが引かれてやや薄暗いくらいだった。母を休ませる意味もあったかもしれない。あるとき馬車の揺れ方が変わった。道がが石畳に変わったのだ。
人の話し声が聞こえるし、馬車の速度もゆったりしたものになる。
それからしばらく石畳が続いて、止まった。母と、離宮のメイドが話をして、しばらく待機だ。
到着したのだろうか。
離宮についたときには、すぐに降りたと思う。
関所か何かなのか。
子供には説明など必要ないと、何も言われないし、母も聞ける様子ではない。
今朝、宿を出るときに着せられたのはきちんとした服だった。馬車でいるから楽な服装が続いていたが、しっかりした生地の装飾のあるドレスで、ごく淡い桃色だ。子供でなかったら着るには勇気がいるような可憐さ満点のものだ。
だから、今日は引っ越し先に着くことは予想ができた。
ノックの後に馬車のドアが開けられる。
制服らしきものを着た10代の青年が手袋をつけた手で母をエスコートする。しずしずと優雅な所作で降りていく。メイドもそれに続き、降りていく。使用人たちが玄関前に出揃っての出迎えだ。母の姿にざわつくのは教育が行き届いていないのかもしれない。
最後に残され、ほんのちょっとだけ、このまま気づかれずに馬車に残って、どこかに連れて行ってもらえないかと思ってしまう。
「ようこそ、ラインバルト領へ。この領地を任されているアシュリー・コール・ラインバルトだ」
「歓迎を感謝いたします」
母の再婚相手は、意外に若い。そんなに若く、領地を任されているとは非常に優秀なのだろう。それか、側近たちが優秀か。
いや、出戻りの母を押し付けられたのなら、立場が弱いんだろうな。
貴族の定例句、婚姻版を聞きながら、自分もいつかはこんな白々しい茶番をするのかしらと辟易する。
「娘のアイシャだ」
ものすっごく不本意そうで、小さな声で挨拶していさつしているため、内容までは馬車で待機している私には聞こえない。
母は、余裕そうな態度で、受け入れている。
「ミライ様のご令嬢はどちらに」
ああ、いないのがばれちゃった。
ややこしい家庭の仲間入りに気が重い。
馬車の中は外に比べてやや暗い。そのせいか、視線だけではわからなかったらしい。ご当主様自ら近づいてこられる。
初めて見た義父は貴族として完璧な笑顔で馬車を覗き込んできた。見事な赤毛に逞しい筋肉。
「初めまして、みんなに紹介しよう」
さっと抱き上げられる。本当なら自分で降りて行ってもよかったのだけれど、きれいなドレスを汚さずに馬車の段差を降りれる気がしなかった。義父の左腕に座る形で馬車の外に出される。集まる視線が痛いと感じながらも、見回す。
「ご挨拶をしたいのですが」
「ああ」
そういっても、おろしてもらえない。仕方なく、そのまま、挨拶する。そして、ひときわ睨みつけてくる子供。銀の髪に紫の瞳の美少女。
テンプレ乙。
彼女が主人公で悪役令嬢に転生したけど、回避しました系の小説が駆け抜ける。
「そんな恰好で失礼ではなくて」
子供特有のきゃんきゃんした声で顔を真っ赤にして睨んでいる。それって、父親に抱っこされるのが羨ましいだけではなのか。
「あなた、いくつですの」
子供にありがちなわずかな年の差でマウントを取る行動。
困った。
ここで正直に答えても、気まずい。
誤魔化そうとしているのに、問い詰められる。
「ご自分の年も言えないの」
どや顔に腹が立つが、言い返せない。
「確か、3歳ではなかったか」
義父が助け舟を出してくれる。ここまでくれば、仕方ない。
「いえ、4歳になりました」
母は、振り返りはしたものの、表情を変えることはなかった。気遣われるのも、無視されるのも嫌なのだ。
ご挨拶を済ませて、メイドに先導されて部屋に連れていかれる。
部屋に案内されて、着替えをされ、軽食を出される。
そのころには、昼寝の時間で、部屋着のまま、ベッドにもぐりこんだ。
子供は寝て育つのだ。
起きたら、夕方になる前だった。夕食までにも時間はあるし、部屋を探検する。
やたらと甘い趣味の部屋だ。子供は天真爛漫でこうあるべきと主張してくるような。まあ、来たばかりの身で注文も付けられない。
それにしても、令嬢二人で家はどうするのか。まだ、義父も若いしと思うが、母はかなり消耗している。貴族として気を張っているときは大丈夫だが、寝込みやすいのだ。
将来に不安を感じつつも、なるようにしかならないし、できることはすればいい。
歓迎の晩餐は豪華だが、つんけんした義姉のために、微妙な空気だった。まあ、母親が亡くなって数か月で新しい母親が来て、それも、同じ年の娘がいたら複雑だろう。
こっちだって、複雑だ。
表情の乏しい義姉よりも、笑顔で接する私の方が義父も話しやすいようだった。もともと子供の相手が苦手なのかもしれない。母とはしっかり貴族らしい会話ができているのに。
私に久しぶりに専属上級メイドができた。本来なら乳母なのだろうが、今更なところがあるので、乳母はつかないらしい。この屋敷に勤める家臣団の子供で、15歳でも結構ベテランらしい。
専属メイドがついたが、私の生活は大体決まっているらしい。
午前中に一つ勉強、昼過ぎに礼儀作法。詳しく聞いてもそれ以上はないらしい。
「なら、朝食後に散歩をしたいわ。それから、昼食後には昼寝の時間も必要よね。それから、夕食前までは読書がしたいわ。まあ、絶対ってわけじゃないけれど」
離宮に留めどめ置かれていた時も、隣国にいた時と同じようなスケジュールを自分で組んでいたのだ。
「できるだけご希望に沿うようにいたしますね」
義姉と一緒にするのは無理だろうと義父に判断されたらしく、教師は一人で午前と午後を入れ替えて実施するらしい。
比べられてパターンだわ。
後継ぎは義姉だろうから、顔を立てた方がいいのだろう。
適当にやっておけばいい。
いつでも路線変更できるようにしておいた方がいい。そのための選択肢を広げておく方がいいだろう。
妙な派閥ができていることはわかっている。
どうやら私の容姿は天使といわれる淡い金髪碧眼で、髪はごく緩やかに波打っている。普通にしていても微笑んでいるように見える得をする顔だ。いろんなものに興味を示すが、特に食に関しては興味を持ちやすく、趣味としてお菓子作りがある。
反して、将来家を継ぐ義姉はまっすぐな銀髪に紫の瞳という先妻にそっくりな容貌で表情が乏しい。ややきつめの顔立ちであるが、美形であることは確かだ。勉強がよくできて、刺繍やレース編みなど淑女の嗜みが素晴らしい。
好みとしてはそれぞれあるが、初対面であれば、圧倒的に私の方が好まれる。だって、無表情で正論の少女より、微笑みの天使の無邪気な方が気が楽だと思う。
義父は家を空けていることが多く、母が家のことを切り盛りしている。辺境の貴族をまとめて、屋敷の中のことと領地も切り盛りはさすがに体の弱い母には無理だろう。
なんとなく、母は何をしているのかと執事に聞いたら、その後ろにいた家令が嫌みも交えて教えてくれた。
大人げない人、きらい。
遊んでいるだけの子供といわれているが。仕事は増やしていないし、令嬢としての価値を高めることがこちらの仕事だ。
こっちは、淑女気取りでお茶会など開きたがらないぞ。微妙な空気になるからと招待されているご令嬢からお手紙が届くのだ。必死に呼ばれてもいない義姉の茶会に乱入して、空気を温めたりする苦労をわかっているのか。
早いうちから婿候補を探している義姉には悪いが、まだ子供なんだからそんな難しいことを聞かれてもわからないし親の足を引っ張ることが怖くて返事もできないのだよ。
出しゃばりたくない。いずれ、この屋敷を出ていく人間だ。わかっている。だが、もともと我慢強い人間ではないのだ。周囲がうるさいのであれば、自分が動くことで黙るなら多少の労働はいとわない。
母に将来の女主人の予行練習といって仕事を手伝うことを認めさせた。領地は機密があるし、下位貴族のとりまとめは、社交が得意と思っている義姉に睨まれたくない。まあ、子供だから無理ってのもあるけれど。ご機嫌伺いの礼状なんかは練習といって手伝っている。
ただし、いろんなしがらみを考えて、このことは義姉には内緒にしてもらう。それに伴い、義姉の側近候補たちにも。
最近は義父にお茶を入れるのだと言いながら、将来のことを探る。
手作りの菓子を持参すると殊の外、喜んでくれる。最近は義父は脳筋ではないかと疑っている。
「将来はここで暮らせばいい。結婚したいなら、いいのを紹介しよう」
そうではないのですが、おとうさま。
10歳の時に辺境に視察にいらした王太子殿下が義姉に一目ぼれして、無理に婚約を結ぶことになった。私に継承権はないので、養子をとるのだろうか。
婚約披露パーティーに参加するため、義父と義姉が出発した。王妃教育もあるため、義姉はタウンハウスで過ごすらしい。
残された私たちは、ひたすら仕事に没頭した。こっそり、領地の仕事にも手を出した。数字の監査だから許してほしい。別に流出するほどの社交での交流はないのだ。
貴族は12歳で学院に通い、16歳で卒業してデビュタントになる。14歳で嫁いだ母は特殊なのだ。
貴族らしい貴族の母は、私が12歳になる前に他界した。風邪をこじらせたのだ。もともと弱っていたのだろう。魔力を貯めることができないので、それが原因だと考えられた。
前世の想像する母とは違うが、それでも、母の死は空虚を胸に抱えさせた。
学院に通う前に義父に身の振り方を聞いた。
「学院には通う必要はない気もするが、将来は領地に帰るのだし」
「私は、どちらかに嫁ぐのではありませんか」
「いや。シェリーは辺境など嫌かい?」
「そういうわけではありませんが。家のために、何かできることがあれば」
「それなら我が家の繁栄のために、卒業後は家に戻ってきてほしい」
このややかみ合わない会話の真意は、入学式にわかった。国王陛下の挨拶でだ。
陛下は、母によく似ていた。
王家から降嫁した歴史のある侯爵家の令嬢のはずの母。侯爵家の令嬢として規格外の魔力量を誇った母。現在の王弟の醜聞である、学院時代の婚約破棄。破棄された令嬢が祖母だ。祖母は、王族の誰かを婿に迎えた。領地に引き籠り、2度と社交界に出てこない。
ふ、複雑。
だが、はっきり言われなければ、ないものも同じだ。
そう言い聞かせて、大人しく学院生活をすることに専念する。
それでなくても、義父が領地を離れ、王都にいる。王都にいれば武勇で鳴らした彼に協力依頼が殺到する。書類仕事が苦手な彼に仕事を斡旋する。その間に書類仕事を終わらせておくのだ。
いや、こういうのは悪役令嬢回避で義姉がやるんじゃ。
そうはいっても義姉も王妃教育が大変なようだ。
社交をしに学院に通っているはずが、ろくに人脈を築けていない。
たまの休みは義父が拗ねるので、一緒に出掛ける。年々遠慮がなくなってきた。彼としては心を許せる家族のくくりなのだろう。だが、自分はいずれ出ていく身だが、いや、飼い殺されるのか。嫁に行くこともなく、仕事をして生涯を終えるのか。
クラスメートたちの、華やかな社交に、婚約の話に、おいていかれている気がして身の置き所がない。
そして、美貌の武人として、以前は代変わりして間もなく厄介ごとを押し付けられた義父も、非常に人気がある。早々に後妻が決まるかもしれない。後継がいないのだ。早急に解決しなくてはいけないだろう。
義姉の空回り騒動に巻き込まれつつ、学院を卒業し、悲しいかな義父に送られたドレスでデビュタントとなった。そして、この夜会が終われば、また、辺境に戻るのだ。
「ご挨拶申し上げます」
婚約者とキャッキャと楽しそうな周囲の中で、美貌ではあるが、義父にエスコートされて前に進む。玉座には陛下がおり、興味津々の体でこちらを見ている。少しは隠せと思う。
「この度、婚姻の儀を終え、妻とご挨拶に伺いました。このまま領地に戻ることになりますのでそのご報告に上がりました」
「そうか、そうか。領地もよい噂を聞く、励め」
深く礼をしてエスコートされるままに、ついていく。ざわつく周囲。
私だって、意味が分からない。
さっきのは、何?何の茶番?
頭が意味を拒否する。
脳筋の義父のくせ。
あの義父の策略だと。
もともと、養子にはなっていなかったのか。政治的に有用な駒であったのだ。だが、辺境から出さないと誓約をすることで、王家に忠誠を誓った。
母を娶るときには既に看取りを目的とされ、もっと有用な相手がなければ、こうなることが予定調和だったという。
教えておいてくれれば、もっと早くから楽になることをしたのにっっ。
End