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第九話

 家に到着した。行きは駅まで行って遠回りだったけれど電車を少しだけつかったのに対して帰りはだいぶ時間がかかってしまった。それでも帰り道の方があっという間に思えた。


 もうすっかり夕飯時は過ぎていて、空腹感の谷も通り過ぎてしまっていた。それでも夕飯を用意して済ませるために準備を進める。準備とはいっても着替えて、食事を温めて、箸などを用意するだけだ。


「いただきます」


「――いただきます」


 夕方に彼女と自分の座っていた位置そのままの場所で食事にする。そこにはあのとき怯えながら小さくなっていた女の子の姿はもうなかった。そしてまた、淀んで暗いところしか見ることも出来ず固まっていた男も居ないのだと思った。


  夕食を食べ終え、片付けを終え、寝る支度を整えてから自分はソファに腰を下ろしていた。彼女は特に何をするわけでもなく、ただ夕食のときに座っていた椅子にそのまま座り続けていた。


 いつもなら自分はソファに座ることもなくベッドのある部屋に戻り、ベッドに腰を下ろしたまま、ただ時間が流れていくのを傍観するだけだ。そうやって他の誰かが懸命に過ごして、自分も頑張らなくてはいけないはずの時間を無為に過ごしていた。


 ここに居たいと言った彼女の不安に感じていたことは恐らくもう殆ど無い。外に出ていた間に知りたがっていたことも大体は伝えることが出来たと思う。きっと彼女もどう過ごすかは自分で考えるだろう。そう思った。


 自分は腰を下ろしていたソファから立ち上がり、寝室へ戻る。彼女はこちらを見ていたようだが声をかけてくることもなく、自分を見送った。自分のような状態の人間が誰かと関わり続けていけば、今この時はともかく、いずれ迷惑をかけてしまう。これからいつまで彼女がここに居続けることを選ぶにせよ、自分を知れば知るほど良い印象からは遠ざかるに違いないと思った。


 彼女は確かに自分にとっては何か変わる兆しにも思えた。でも自分を知られたら彼女からどう思われてしまうか考えるのが怖かった。


 寝室に戻ってからしばらくして、寝る場所の問題に思い至る。


 一人で過ごすにしては広めの家ではあったが、寝床になるのは今自分が腰を掛けているベッドただ一つ。来客用の布団なんてものは、人が来ること自体考えていなかったために用意していない。とりあえず、しばらくはこのベッドを彼女に使ってもらうことにした。


 そうと決まれば枕カバーを外し、シーツを外し予備のものと交換するために寝室のクローゼットを漁る。ついでにタオルケットも洗ってあったものに交換する。どれもいつ洗ったか記憶になかったけれど、そのままよりはましだろう。


 おおよそ整ったところでリビングに居る彼女に声をかけに行く。リビングに入ると、彼女はずっと同じ場所に居たようだった。


「今日寝るところなんだけど、その辺で寝てもらうわけにもいかないし、しばらくは寝室のベッドを使って」


「ボロはどうするの?」


「そこのソファで。結構癖になる寝心地なんだ」


 そのためにさっきまでベッドにかかっていたタオルケットや厚手のコートなど、掛けて暖かそうなものはとりあえず寝室から運び出して抱えている。


「うん、わかった。――もう寝たほうが良い?」


 眠くなったら寝れば良いと返そうとしたところで言葉を飲み込む、今日はもう横になろうと思った。


「――そうしようか。今日はもう。少し疲れた気がする」


 自分がそう言うと彼女は小さく頷き、立ち上がると寝室へと向かう。寝室のドアノブに手をかけたところで彼女に声を掛ける。


「おやすみなさい、また明日」


「――え?うん……ボロもおやすみなさい」


 寝室へと入っていく彼女の姿を見送り、リビングの照明を落としてまたソファに腰を下ろす。


 この時間に一人で考え事をしていても良いことを考えつくとは思えない。けれど、明日からどうするか考える。今の自分に出来ることはほとんど何もない。せめて食事と、何か彼女がしたいことに出来る範囲で協力することくらいだろうか。


 このまま彼女に不安を抱かせることなく、自分のことも変なやつだとは思われないように振る舞う。そして彼女がここを出るときは引き止めることなく送り出す。そうすることが正しいと結論が出た。


 そしてソファに横になる。目を閉じてもなかなか寝付けなかった。そのまま目を閉じ続けて考え事も悪い方向に行かないように凌ぎ続ける。


 やがて眠りにつくことはできた。しかしその眠りは浅く、途中で目が覚めてしまう。まだ部屋は暗いままで、外は薄明かりもなく夜のままだった。ソファで寝ているからというわけではなく、ベッドで寝る時も途中で目が覚めてしまう。一年以上こんな調子だ。


 頭がぼうっとしたまま何度かもう一度眠ろうと試みるが上手く出来なかった。身体を起こしてソファに座る。そのまま起きているかも定かではない状態でただ時間だけが過ぎていった。


 少しずつ部屋が明るくなりはじめた。身体にはどうしようもない倦怠感がつきまとっていて、何かする気も起きずに窓のカーテンを眺めていた。


 カーテンが明るくなり、生地に朝の色が混じり始めた頃、寝室から扉越しに物音が聞こえた。その後にガラガラと窓を開ける音も聞こえてきた。彼女が目を覚ましたようだ。


 彼女が窓を開けて少ししてからソファに張り付いたままだった腰を剥がして立ち上がる。掛けていたものをそれなりにまとめて床に下ろしてから、自分もリビングの窓へ近付く。ずっと眺めていたカーテンを開けてそのままゆっくりと窓を開き、そこから静かに外へ出る。思っていた以上に空気は冷たく、肺が驚いていた。


 彼女はベランダの腰壁に身体を預け白い息を吐きながら、静かな街を眺めていた。そして自分はリビングの窓に背中を預けたまま、静かに彼女を眺めた。


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