第六話
家を出てすぐの間は、浮きながら走るホバーサイクルや配送用のドローン、自律制御され淀みなく流れていく自動車といった、ここみたいな田舎街でも当たり前の光景に彼女は目を輝かせながらたくさんのことを聞いてきた。都会に出ればきっと彼女は知恵熱を出して倒れてしまうかもしれない。そう思えた。彼女の純粋さに触れて、少しだけ外に居る緊張も解れ、笑みが浮かんだ。
しかしやがて駅に近付き、人の姿が増えるにつれて会話は少なくなった。彼女が飽きたのではなく、自分に余裕がなくなってきたのだ。
他人がいる場に来ると、誰も追い込んで来ていないのに追い込まれていくような感覚が訪れ、少しでも視線を感じれば息が詰まり、口が渇き、頭が働かなくなる。今は会話をすることすらままならなくなってきていた。深夜に無人営業店へ行くのもこれが理由だ。
そして本当に久しぶりに電車に乗る。なんのことはない普通のことだけれど、自分にとっては違った。時間帯もあり人も多く、限られた狭い空間に居続けなくてはならないからこそ、どんどん不安が広がり恐怖心とともに吹き荒れるのだ。視線を遮るためのつば広帽子はここでは気休めにもならなかった。
彼女と居る自分なら、大丈夫かもしれないと思った。思えたからこそ、外に出る気力も勇気も芽生えたのだと思う。小さな期待を持てたのだと思う。
でも、駄目だった。
目的の駅は3駅目。1駅目ですでに嫌な汗が滲み、吐き気すら催していた。彼女に心配かけまいと気張ろうとしても無理だった。
「――大丈夫?」
「大丈夫。なんでもない」
大丈夫だ。まともだ。正常だ。おかしくなんかない。普通だ。何も起きてない。
考えれば考えるほど、どんどん体調は悪化していき、いよいよ限界だった。2駅目に着くと同時に電車を降りると、ホームで吐いてしまった。
突然のことで彼女を動揺させてしまったことに申し訳なさがこみ上げ、鼻に登る吐瀉物の臭いも相まって最悪な気分だった。
自分のもとへ近寄ると心配そうな表情を浮かべおろおろとしている彼女は、掃除するためにやってきた自動清掃ロボットとぶつかりロボットに謝っていた。ロボットが清掃を進めていく傍ら、しばらく自分も彼女も何も言葉がでなかった。
「はは、ちょっと乗り物酔いしたかな。ごめん」
少しだけ気を取り直して、彼女に声をかける。
「ううん、大丈夫?」
「大丈夫。……大丈夫だよ。行こうか」
ホームに並び直すために移動する。自分のあとをついてくる彼女と掃除を終えたロボットがまたぶつかり、またロボットに謝る彼女の姿に最悪な気分も少しやわらいだ。普通の人にはぶつからない様に作られているロボットに二度ぶつかるとは、彼女も余程動揺していたのだろう。そしてロボットはホームにいる人の間を縫い、消えていった。
彼女もついて来てくれているんだ、また同じことになるかもしれないけれど、目的の駅まで頑張らないと、自分を奮い立たせないといけない。それが普通で正しいはずのことなんだと自分に言い聞かせる。
そう思い彼女に声をかけようとしたときだった。
「ねぇ――ここはどうやったら出られるの?」
突然、彼女が駅の出口を聞いてきた。
「改札のこと?それは……あっちだけど」
「ありがとう」
改札の方を指差して示すと、彼女はそちらの方を向き、歩みだした。そして少し離れたところで自分の方を振り返った。
「わたし、もっと外をみたい!ここから歩こうよ」
そう言ってまた前を向くと彼女は改札に向かって歩みだした。
言葉が出なかった。
視界は滲んでゆらぎ、自分はしばらくその場から動けなかった。彼女の言葉に触れ、涙が溢れていく。溢れて止まらなかった。暗く固まる淀みが洗い流されていくようだった。彼女がどんな意図なのかは分からない。けれどその言葉は優しく、暖かかった。
濡れた目を拭い、遠くからこちらに手を振る彼女。大げさに言えばずっとどうしようもなかった自分にとっての微かな希望に向かって、一歩ずつ歩みを進めた。




