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第五話

 彼女と話していると、いつもならどうしようもなくなってしまうようなときでも、なぜか自分はそうならずに済んでいて不思議だった。そのことに気付いたとき、少しだけ何かが変わるかもしれない。そんな前向きな兆しが見えたように思えた。


「それじゃあ、君は――レイはこれからどうしたい?行きたいところがあれば、場所は教えられると思う。どこから来たのか分からないけど、帰りたいなら何か出来ることを手伝うよ」


 その兆しに縋ることも出来るのかもしれない。でもそれは自分のわがままだ。彼女におしつける訳にはいかない。


「わたしのしたいこと……」


「そう。君の好きにしていいんだ、お気に召すまま」


「…………ここに居たい」


「――え?」


 彼女の言葉はちゃんと聞こえていた。ただ耳に届いていても頭ですぐに理解できなかった。


「ここに居させて……」


 今度は自分がしばらく彼女に何も返事を返すことができなかった。


 彼女の真意はなんなのか。自分に誰かをここに置けるほど気持ちの余裕があるとは思えない。変化についていけるか不安だった。どうしていけば良いのかもさっぱり分からなかった。恐怖すら感じていた。


 また頭が混乱しそうになった。けれど、さっき感じた兆しが形を帯びて目の前にあることに気付くと、答えは出た。


「……わかった」


「ありがとうーー」


 こちらへ顔を向けると、そう言って彼女は笑った。沈む夕陽が彼女の濡れた睫毛を輝かせ、彼女を包んでいた。見ている自分も思わず微笑んでしまうような、澄んだ笑顔だった。


「…………その内、テックンにこのこと話さないとな……」


「てっくん?」


「そう。幼馴染のあだ名。この家の持ち主。テクノロジー一筋のテックン。今は『科学を越える科学』なんて言って、海外でいろいろやってるんだ。それで留守の間、この家を空家にするのもなんだからってある日突然住むように頼まれたんだ」


 今のような状態になってから仕事を離れ、家族ともギクシャクし始めた頃だったからちょうど良かったということは言えなかった。


「君にも、その人――てっくんさんにもありがとう」


「はは――こちらこそ」


 それから洗濯が終わった服を取るために洗濯機のある洗面所へと向かう。


 洗濯機に放り込んだときは気になっていなかったが、いま洗ったのは彼女の服だ。勝手に触るのも忍びなく思えてきてしまった。


「レイ、ちょっとこっちに来て」


 彼女が洗面所へとやってくる。


「このボタンを押せば、君の服が出てくるから、あとは着替えるなり好きにして」


 彼女はコクリとうなずくと、ボタンを押した。洗濯機から全自動で綺麗にされ、畳まれた服が出てくる。突然大きく開いた洗濯機に驚いているようだった。


「次は夕飯か。何も残してなかったし、何か買いに行かないと」


「外に行くの?」


「……そう。外だよ。レイも行くかい?」


「ーーうん!」


 少し迷っていたようだが彼女がうんと言ってくれて安心した。外に出る気力すら湧かず、いつもは勇気すら必要だった自分は、彼女といるときの心地でいられるような気がしていた。ほんの束の間で今までとは大きく変わるわけはない。でもやっと小さな期待を抱いていた。


 行くと決まれば手短に着替えを済ませ、自分はつばの広い帽子を深く被る。彼女の服は派手ではないが少し目立つ作りだったので、上の服は部屋着にコートを羽織らせて家を出た。


 いつもなら誰もいない深夜に、家から距離のある無人営業店へ、すっかり時代遅れの自転車を漕ぎながら時間をかけて行くところだが今回は彼女もいる。選びたくはなかったし心配だったが、電車で行くことにした。


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