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第三話

 薄っすらと積もった埃を払い、ソファーに腰を掛ける。しばらくうなだれていると寝室の扉の方からガタガタと物音が聞こえた。軽く扉が押されたり引かれたりしているようだ。そのまま様子を窺っていると何度か扉に阻まれたところで音が止んだ。彼女は何がしたいか分からなかった。


「開けたいなら、取っ手を回して押すんだ」


 扉の向こうへ聞こえるように少し大きめの声で伝える。これくらいの大きさの声をだすのも随分と久しぶりだ。


 すると扉が開いた。中から彼女が出てきた。


「あの……これ……ありがとう」


 だぼだぼの部屋着のズボンを履いてぶかぶかのセーターを着た彼女が、俯いたまま呟いた。


「どういたしまいて」


 自分の言葉が聞こえたあと、彼女は寝室の扉のそばから動かずにリビングの中をおどおどしながら見渡していた。目が覚めたら見知らぬ自分のような男が側にいるし、ましてそんな男の家まで連れてこられてしまっているのだ。彼女の様子は当然だった。


 着替えた服は寝室から持ってきていないようだったので、ソファーから立ち上がり彼女に出来る限り柔和に声をかけた。怖がらせないように笑顔を貼り付けつつ。


「服洗って乾かすから、そこら辺に座って待ってて」


 そう言って台所近くのテーブルの方を指差す。彼女が頷き、テーブルの椅子に腰掛けるのを見てから寝室へもどる。ベッドの上に畳まれた状態で置かれ、濡れたままの彼女の服を回収する。洗濯機が置いてある脱衣所兼洗面所へと向かう。自分のは後にして彼女の服を適当に放り込んでから洗濯機を動かし、リビングへと戻る。


 何から話せば良いものか。どうしなくてはならないのか。さっきと同じようなことを考えてみても、全く答えはでなかった。


 テーブルの椅子に腰を掛けている彼女の近くへ向かう。彼女の向かいにあった椅子を動かして、彼女からみて斜め前になる位置へ自分も座る。


 彼女は俯いたままで、彼女から何かを話そうとする様子は感じられなかった。自分も何から話さなくてはならないのか、どう思われてしまうか急に不安が押し寄せてきてしまい何かを言おうとしても口を開くことすらできなかった。お互いに沈黙は続き、洗濯機が動く音だけが響いていた。


「――な、名前は?」


 やっと言葉を絞り出せた。一度不安に襲われてしまえば、簡単な一言を掛けるだけにも関わらずこんなにも気力を使ってしまうような自分へ苛立ちが募る。


 彼女がこちらの方へ視線を向けた。自分の顔を見上げたわけではなく、声が聞こえた方向へ意識を向けただけのようだった。ほんの束の間でまた俯くと、すぐに返事は帰ってこなかった。


 すでに話の始まりは投げたのだ。不味いことはないはずだ。焦って進める必要もないし、無視されていない限りはそのまま投げ返してもらえるのを待つだけだ。何もおかしいことはないはずだ。そう考えていた。


 彼女は投げ返してくれた。予想とは違う言葉だったけれど。


「……わからない」


「分からない?それじゃあ、どこから来たの?」


「……思い出せないの…………」


 あっという間に話を広げる糸口を失ってしまった。失敗だっただろうか。


 ここで途切れてしまったら彼女に不安を抱かせたままになってしまう。そう思って慌てて言葉を探し出す。


「そっか。えぇと――そうだ、広い所じゃないけど家の中を案内するよ。付いて来てもらえる?」


 そう言って自分が立ち上がると、また彼女は少しの間だけこちらへ視線を動かした後にゆっくりと立ち上がった。ぶかぶかのセーターの裾を握ったまま。


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