第十九話
慌てて彼女に駆け寄り声をかける。しかし返事は返ってこなかった。脈も呼吸もあった。
あの日この土手を沿って流れる川で彼女と出会ったときと同じだった。
倒れたままの彼女を抱えて急いで自宅へ戻った。どうか出来るだけ早く、そして無事に意識が戻ってくれることを必死に祈っていた。
彼女はすぐには目を覚まさなかった。ベッドに横たえられた彼女の姿はただ普通に寝ている人にも見える。しかしそれは寝返りだって、息のムラだって一つない静かすぎる眠りだった。
日はとっくのとうに沈み、いつもの夕飯の時間をゆうに超え、部屋にはいつものように色々なことを尋ねる彼女の声は無かった。いつになく静かなままだった。
ベッドに腰を下ろし、彼女の側に座ったまま項垂れてからずいぶん時間が経ち、ふとため息をついたときだった。
「…………ボロ?わたし……どれくらいこうしてた?」
反射的に顔を上げて彼女を見る。こちらを見る彼女の表情はやわらかかった。一気に気持ちが楽になり、気が付かないうちにボロボロと涙を流していた。
「ふふっ、ボロがボロだ」
そう言って笑う彼女を見ることができて安心できた。
「よかった……よかった本当に……。晩ごはん用意しておいたから、後でまた温めるよ」
「――わたし、思い出したよ……それとね、言わなきゃいけないことがあるの」
少し前の自分ならきっと、話をそらしたり笑って誤魔化してしまっていただろう。でも今はそうしなかった。流れた自分の涙を拭き取り。真剣に彼女に応えた。
「……わかった。聞かせて欲しい」
彼女が身体を起こしたあと、しばらく沈黙が続いた。彼女の様子を見れば、これから聞く話がどういうものなのか察することができた。
「わたしね……元いた場所に戻らなくちゃいけないみたい」
「……そうか…………寂しくなるな」
胸が苦しくなった。いずれこういう日がくると覚悟はしていたけれど、それでどうにかできることではなかった。
「何か出来ることはある?レイが元いた場所に戻るなら、何か力になりたい。無事に帰れるように」
彼女は首を横に振った。それから目線を落としたあと、こちらに手を伸ばした。彼女の手と自分の手が重なり、そのまま手を繋いだ。
「急だけど、きっと明日……。明日の夕方……」
少しずつ言葉を話す彼女はとても辛そうだった。彼女の手を強く握った。
「分かった。…………レイ、話してくれてありがとう。もし何も知らないで明日になるより楽になる。覚悟はしてるつもりだったけど、そうか……」
いきなりで混乱はしていたけれど、明日の夕方まではまだ時間がある。それまでは今まで通りに過ごせたら良いと思った。
「――お腹空かない?ずいんぶん遅くなっちゃったけど、晩ごはんにしよう。座ってまってて」
「――うん」
それから二人で寝室を出てリビングへ向かった。彼女はいつもの場所に座る。そして自分は台所で夕飯を準備し始めた。
「手伝おうか?」
そう言ってこちらを気遣う彼女の姿と、あの日同じ場所に座ったまま怯えて小さくなっていた女の子の姿は同じ人には思えなかった。
しばらくして夕飯の準備が終わった。
「……よし。実は今日はいつもと少し違うんだ。今持っていく」
今日の夕飯は添え物をいくつかと、メインはシチューだった。初めての手作りだ。彼女が気に入ってよく買っていたのはクラムチャウダースープだったけれど。
「さぁ、レイが無事に目を覚ましたことだし、食べよう。いただきます!」
「いただきます」
いつも通りで。なんて考えていたけれど、実際には全然違っていた。今日は自分のほうが口数が多かった。つまらない冗談も交えながら。空元気だった。黙っていると彼女が元いた場所に帰ることを考えてしまうことが嫌で、少しでも彼女がここに居たことが良い記憶になってほしいと願っていた。
彼女は笑っていた。




