手紙
毎日が暑い。
カレンダーはついに8月になった。
あたしはネコなので基本的には寒いよりは暑い方がまだいいのだが、それにしてもやはり夏のうだるような暑さはきつい。
夏と言えば……
カンナにもらったひまわりは今年も元気に咲いている。
シフトにもよるが、出勤前とお昼休み、そして帰り際には、必ずひまわりを見に行く。
『今日もがんばろうね』
そんなことをひまわりにつぶやいてみる。
カンナがそこにいるみたいな気持ちになる。
あたしが病棟に行くとデスクの上に手紙が置いてあった。
マサキからだった。
そういえば退院してから早くも2か月が経った。
外科病棟では患者の出入りが激しい。
2か月も経てば、そこに入院していた患者の記憶は日々の仕事に埋もれてしまう。
マサキも例外ではなかった。
彼は1か月ほどは通院していたのだが、リハビリも順調で通院の必要もなくなったとのこと。
手紙の中身をみてあたしがまず驚いたのはなかなかきれいな字だということ。
頭が良さそうな字だ。
彼はスポーツだけでなく勉強もできるのかもしれない。
手紙の内容は怪我を治してくれたことの感謝と、自分が今度の試合で投げることになったという報告だった。都合がよければ見に来てほしいとも書いてあった。
手紙を見てあたしは少し心がざわついた。
今まで忘れてたくせに勝手なものだが、彼が退院した時の何か説明のしようがない不自然な感じを思い出したのだ。
あんなに早く回復するなんてちょっと不自然すぎやしないだろうか。
いや……
本当に彼の努力と奇跡の回復力であるならばそれでいいのだ。彼が元気にマウンドに上がっているならそれにこしたことはない。
しかしそうでなく、無理をしているのなら怖い。
器用になんでもできるように見えるマサキのことだし、もし野球ができなくなったところで死ぬわけではないのだから他にやりたいことを見つければいいと思っていたあたしは軽薄だった。
彼の野球に対する思考と感情はそんなに軽いものではない。
これに命をかけるぐらいの情熱を傾けている。
彼にとって野球とは、なくてはならないものであり、生活そのものであり、生きる意味である。
野球ができなくなるというのはある意味、死に近いぐらいの絶望である。
緩和病棟にいたあたしとしては……簡単に死などという言葉を使ってはいけないと思っている。
それでもやはり生きる意味を失ってしまっては死んだも同然ではないか。
だからこそあたしはマサキが急激に回復したのが気になる。
あたしは試合を見に行くことにした。
幸い日程は休みの日だ。
どうか……
どうか……マサキの回復は彼自身の努力と回復力でありますように……。
どうか……無理をして仕上げているわけではありませんように……。
カンナの笑顔が脳裏にちらつく。
若い子が絶望する姿はもう見たくない……。