日本文学進化論。小説の未来を考える。
まず、わたくし、Toy,Kafkaは小説、文学が大好きだ、ということを言っておきます。
私は、決して、著者の価値観を押し付けるわけではありません。
今回の文章を通して、皆さんに今後の文学の役割や進化がどのように行われるべきか、
話題提起を促したいです。
まだまだ、青々しいところ等々ありますがどうか目をつむって読んでほしい。
読んでみて、もしなにか意見が生まれたら直ぐにでもコメントお願いいたします。
また、我はこう思うぞ、ということがあればぜひ、同じようなテーマで文学進化論をお書きください。
(その時はぜひ教えてください。)
繰り返しますが、この文章は、一種の問題提起に過ぎません。
皆さんの脳で考えて頂くことに重きが置かれています。
更新、連載スピードについてはご容赦のほどお願いします。
また、コメント返信についても同様であります。
1,小説を書くとひうことにつひて
はて、とうとう<小説家になろう>とやらに
進出することを決めた現代のカフカことToy.Kafka.である。
明治時代に近代日本文学が花開いてから、もう100年以上。
原稿に万年筆で、カリカリと音をたてながら執筆をしていたのは
もはや、時代の遺産と化してしまった。
今の時代、いわゆる令和の時代、<小説を書く>という行為は
簡略化され、まるでコンビニエンスストアで買い物をするように
容易くなっている。
現に、<小説家になろう>はその代表格だと思う。
皆さんは、小説が好きだろうか。
今、この<小説家になろう>には無数の文学の星たちが、
燦然と輝いている。
しかし、何だか今の文学は陳腐に感じてしまう。
私は思うのだ。今こそ文学の転換機にあるのではないか、と。
だからこそ、私は読者及び執筆家諸君に提示する。
新時代の小説の有るべき姿についてを。
2,小説の役割
活字を読む人が少ない、とか
出版不況だとか、世間は言うが、情報化社会においては
<活字に触れ、文学的センスを磨くこと>こそ求めらる。
語彙を高め、国語能力を高めなければ、情報伝達の利便性が損なわれかねない。
しかしながら、現代のインターネット世界、SNSなんかでは
特殊な方言とでも言うべき、言語の複雑化が進んでいる。
(いわゆる、ギャル語、若者語)
皆さんは、こういったネット方言が理解出来ないことはないだろうか。
これこそが、最大に危惧しなければならないことで、
現世とネットで使われる言葉が相違する、またネット方言が恒常化する、
といったことを防がなくてはならない。
そこで、出てくるのが<小説>である。
美しい日本語を、伝統的で退廃的な古語を復興させ
現世とネットの言語一致を促進する役割を果たす。
それが、小説に求められる役割だと思う。
執筆家一同、言葉にはこだわりがあるはず。
今こそ、それをもっと究極、極限に高め、
小説の言語守護価値を発揮しようではないか。
この出版不況、活字不足の打破には、
まず小説自体の価値を高めることが必要である。