エピローグ
バードゥ商会長、フロムズ・バードゥが憲兵に捕まったと聞いたのは、ヴァイカスたちに襲撃された三日後のことだった。
「自供したの?」
レミが訊ねると、話を持ってきたハッシュが頷いた。
「あぁ、素直に自供した。俺達がダンジョンから出る時に出入口を監視しているバードゥ商会の下っ端を捕まえてな。そいつをもう憲兵に引き渡していると教えたらフロムズ・バードゥは大人しくなったよ」
「これで一件落着だね」
レミが言う通り、ターバラの商会のまとめ役だったフロムズ・バードゥの逮捕は商会の談合が解消されるきっかけの一つとなる。
談合が解消されればターバラで素材や魔石が買い叩かれることもなくなり、冒険者たちはまともに稼げるようになるだろう。
お湯を沸かしたジンがお茶を入れるのを横目に、ハッシュが呆れたように言う。
「一件どころか二件落着したぞ」
「え、二件?」
首を傾げるレミに、ジンが説明する。
「首謀者だったヴァイカスたちの始末をつけたのが一件。もう一件は単眼王の討伐でベレンディアとの物流が再開した事だ」
「あぁ、そっか。バードゥ商会長抜きで談合を続けたくても、ベレンディアの商会も巻き込まないといけないから難しいんだね」
「そう。第二のバードゥ商会長が出現する余地はもうない」
レミとハッシュの前に淹れたばかりのお茶が入ったコップを置いて、ジンは組み立て椅子に座った。
ジンが淹れたお茶を旨そうに啜ったハッシュが周囲を見回す。
「それにしても、運営開始からたった一日でこれか」
ここは元単眼王の根城だ。
ターバラとベレンディアを繋ぐ要衝であり、現在は倉庫部屋として生まれ変わっていた。
巨躯の単眼王が根城にしていただけあって非常に広く、今までの倉庫部屋の数倍の面積がある。広間と言っていい大きさだ。
今は魔石レンガに仮設テントを乗せただけの簡易的な倉庫が五つ存在するだけだが、ターバラとベレンディアの冒険者が屯していて人口密度が高い。
昨日から開始した倉庫業はターバラの冒険者たちが信用して利用してくれているのを見たベレンディアの冒険者が遠巻きに眺めている状態だ。あちこちでターバラの冒険者が利用方法を教えてくれており、興味本位で魔石を預けていくベレンディアの冒険者も出てきている。
ジンはハッシュに問いかける。
「ターバラの方は少し混乱してると噂に聞いたが」
「町最大の商会の長が殺人幇助で捕まったからな。しかも、ギルド長が殺人を目論んで返り討ちだ。さらには、単眼王討伐の吉報も加わってる」
ハッシュが頭を掻いた。
「話が混ざって、バードゥ商会の刺客に襲われた俺たちが逃げた末に単眼王の巣に足を踏み入れて、助けに来たギルド長が単眼王と相討ちで死んだなんて噂も流れてる」
「訂正しとけよ? 後で面倒になるぞ」
「今日フォーリが来てないのは噂の後始末に追われてるからだ。あいつ、新ギルド長になったから」
「ハッシュが押し付けたんだろ」
「ジンに押し付けられたから横に受け流したんだよ」
「はっはっは、こやつめ」
「はっはっは、いや、笑いごとでもないぜ?」
一瞬は付き合ったハッシュだったが、すぐに突っ込みに回った。
ダンジョン内倉庫業により息を吹き返したターバラの冒険者は、ギルド長をも返り討ちにして単眼王の討伐もしてのけたということで、次代のギルド長にジンを推していた。
だが、ターバラに来て日が浅いことを表向きの理由に、ジンはギルド長の座を固辞した。レミの正体に気付かれる恐れが高いため、公的な仕事もあるギルド長にはなりたくなかったのだ。
そうでなくとも、ジンはギルド長なんて面倒くさそうな立場はお断りである。
「ほら、俺はレミとダンジョンに引きこもって生活したいからさ」
「まぁ、年長者を理由にフォーリをギルド長に推した俺は何も言えないけどよ。フォーリにあったら何か奢ってやれよ」
「その時はハッシュと割り勘な」
「ちゃっかりしてるな」
ジンは定規とペンで台帳のテンプレートを作成しながら、口を開く。
「ベレンディアの冒険者に聞いたが、ターバラを出発した素材運搬組がベレンディアに到着したらしい。帰りはダンジョンを通って帰るそうだから、明日にはここを通るだろう」
「そうか。まぁ、グバラ同朋団はターバラに残って俺たちを襲ったわけだから、運搬組は無事だよな」
ハッシュがほっとしたように言う。やはり心配だったのだろう。
「売り上げの方もいい感じだったらしい。単眼王討伐でターバラとの行き来が短縮できるようになったから、ベレンディアの商会もターバラの冒険者の覚えをめでたくしておこうと考えたみたいだ」
「バードゥ商会も潰れる可能性があるし、今はターバラで素材や魔道具を商うのにいいタイミングだもんな」
ハッシュが納得する。
バードゥ商会の後釜を狙うベレンディアの商会は今のうちにターバラの冒険者に伝手を作ろうとしている。
ジンの元にもベレンディアの商会から担当者がやってきて、倉庫に預かっている素材を優先的に回すよう冒険者に声掛けをしてほしいなどの依頼が来ていた。現状、斡旋を行うつもりがないためすべて断っているが、近いうちに素材の納入依頼を張りつける掲示板を設置することになると予想していた。
「運搬組が帰ってきたら、打ち上げをやるって話だったよな。ハッシュが店を予約してるんだろう?」
「もう予約は済ませてある。ターバラの冒険者が苦境に陥っている間、安く料理を提供してくれていた料理屋だ。みんな感謝しているし、こういう時こそ恩返しってな」
「そうか。楽しみにしてるよ」
「打ち上げの時は倉庫をどうするんだ?」
「休業日にして、ベレンディアの冒険者を警備に雇うつもりだ。シャットさんから信用できる冒険者を紹介してもらってるし、抜かりはない」
ジンは休憩所兼待ち合わせ場所と化している広間の一部を指差す。
「ここで運搬組と合流していくか?」
「いや、中層で魔物を狩ってくる」
「そうか、気を付けていけよ」
「あぁ、そっちも気を付けろよ」
何に、とは言わずレミをちらりと見るハッシュに、ジンは笑みを浮かべた。
「お前らを相手に二十日以上も隠し通したんだぜ?」
こんな冗談を飛ばせる程度には、気安い仲となった。
ハッシュは忍び笑いながら片手を振り、ジンたちに背を向けて仲間とともに中層へと旅立って行った。
入れ替わりに、ダンジョン内ではめったにお目にかかれない格好の男性が歩いてくる。
「繁盛しているようですね」
「シャットさん。どうしてここに?」
歩いてきたのはしたてのいい服を着たエムレット商会長シャット・エムレットだった。
「ベレンディアに帰ってみたら、単眼王が討伐されたとかターバラの情報も聞こえてきましてね。ターバラからの移動中に事態が急変したようなので、確かな情報を得るために来た次第です」
シャット・エムレットは襟を正して席に座る。
ジンはシャットに状況を説明した。シャットは甥であるライト・エムレットの仇が取られたと聞くと、複雑な顔でため息をついた。
「そうですか。では、やはりライトは死んでいるんですね」
「残念ながら。詳しい話はバードゥ商会長から聞けるとは思いますが、まだ取調べが終わっていません」
「墓を立ててやらねばなりませんね」
シャットは首を振って思考を切り替え、手を組んでジンを真正面から見た。
「商談を始めましょうか」
「魔石レンガですね」
ベレンディアの冒険者も利用することになったため、倉庫の拡充が急がれる。いつまでも仮設テントでは格好がつかず防犯上の問題もあるため、建材も買わねばならない。
「我が商会の魔道具技師たちが魔石レンガの代替品を開発しました。これをご覧ください」
「金属板ですか?」
シャットが机の上においたのはサンプル用の小さな金属プレートだった。鉄のような鈍い光沢がある。手にとって爪で弾いてみると金属らしい硬度ながら若干の弾性があった。
「なるほど、金属と魔石を粉末冶金で合金にしたものですか」
「おや、分かりますか」
粉末状の金属と魔石を混ぜ合わせて、型に入れて焼成したらしい。原理は少々異なるが、過程としては魔石レンガを焼成するのに近い。
魔石独特の光沢は金属光沢にまぎれており、素材を見抜くのは難しいだろう。魔力を流してみれば、きちんと込められた。
「材料を知っているからこそ、この完成品から逆算できただけです。一から製法を見抜くのは難しいでしょうね」
「それはよかった。簡単に見抜かれるのでは意味がありませんから、別のものを作る必要があるかと思いましたよ」
ジンに一目で見抜かれて内心焦っていたらしく、シャットは安心したように笑った。
「まだ実験もしていないので、一度このサンプルで実験をお願いしたい」
「配合比率を変えたものは?」
「こちらに」
シャットがケースを取り出した。中には配合比率らしい数字が刻印された金属プレートが十枚入っている。
ジンはケースごとプレートを引き受けた。
「実験は十日ぐらいかかります」
「分かっています。次は代理の者を派遣しますので、この割符で確認してください」
シャットが割符を目の前で割って、片方をジンに渡す。
ダンジョン内倉庫は商人たちの間で静かに、しかし確実に話題になっており、スパイの類が現れないとも限らない。保険をかけておくのは正解だろう。
「それから、食料などの搬入日程はこちらにまとめておきました」
「ありがとうございます」
「今回は実験もお願いしているので色を付けています。他に入用なものはありませんか?」
シャットに渡された搬入予定の品を見て、ジンは口を開く。
「当面は必要ないでしょう。冒険者もほとんどは自前の食料を持ってきて、倉庫に預けていく形を取っていますから、ここでの販売は今のところ必要ありません」
「冒険者ギルドの出張所を開設する動きは?」
「ギルド長交代でターバラが慌ただしいので、しばらくはないでしょう。人員も足りていませんし、ベレンディアのギルドと調整も必要です」
「そうですか。何か進展がありましたら教えてください」
「そうします」
シャットが席を立ち、護衛の冒険者と共に帰っていく。
ジンは不意に肩に重みを感じて横を見た。ふわりと爽やかな花の香りが漂う。
レミがジンの肩に頭を預けていた。少し拗ねたように足をぶらぶらさせながら、ジンを睨んでいる。
「仕事の話ばっか」
「この話がうまくいけばテント暮らしから抜けられるんだぞ?」
「分かってるけどさぁ。倉庫業が軌道に乗ったらもっと甘い時間が来るんじゃないかなって想像してたんだよ」
「軌道に乗ったと言えば乗ったけど、安定しているわけでもないからな。もう少し我慢してくれ」
なだめるようにジンが言えば、レミの機嫌がさらに悪くなる。勢いが付いた足の動きが不意にぴたりと止まったかと思うと、レミは悪戯を思いついたように笑った。
「ねぇ、魔力ちょうだい」
「今か?」
「うん、今すぐ、ここで」
レミに言われて、ジンは周囲を見る。
倉庫利用の客はいないが、待ち合わせや休憩で様々な冒険者が屯している。いくらここが広いとはいえ、妙な動きは人目を引く状況だ。
レミの狙いが読めたジンはどうにか逃げられないかと知恵を絞るが、レミはいつの間にかがっちりとジンの腕を抱きしめて固定していた。
「ねぇ、早く」
甘えた声を出しながらも、レミの表情は悪戯を楽しむ嗜虐的なそれだ。
ジンは諦めて手を差し出す。
いつものように指を口に含もうと顔を向けたレミの下顎にそっと手を添えたジンは、反応が遅れたレミの唇を奪った。
以前、レミがキスでも魔力を貰えると言っていた事を思い出したのだ。
目を白黒させたレミが状況に気付いて顔を真っ赤にする。
ジンは一度口を離した。
「どうした、魔力を吸わないのか?」
「……もう一回」
読み負けて悔しそうにしながらもねだるレミに、ジンはもう一度キスをした。
これにて本作は完結となります。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。




