第一話 初めてのチュー
「これが魔法か」
ジンは目の前で身体をくゆらせる、水で作った蛇を様々な角度から眺めて呟く。
レミに教えられながら魔法を発動するまで、さほど時間はかからなかった。この世界では広く一般に使われる技術とのことだから、基礎を習得するのは難しくないのだろう。
体内で生成、循環している魔力を外部に放出し、疑似的な物質に変質させるのがこの世界の魔法らしい。
「魔法を維持するには魔力を込め続け、込めた魔力が尽きたら霧散する。しかしまぁ、ファンタジーだなぁ」
呟いたジンに抱き着いていたレミが水の蛇に手を伸ばした。
「それで、全ての生き物は生まれつき魔力を持っていて、その性質はそれぞれ少しずつ違うから打ち消し合うの」
レミが触れた瞬間、水の蛇の表面が消失した。
「これが抗魔力。魔力の保有量が多いとこの抗魔力がより強くなるから、魔法に対して強くなるんだよ。でも、魔力の性質によっては弱点になったりもする。例えば、私たちアルラウネは火の魔法に対して抗魔力が働きにくくて、水の魔法は大部分を打ち消せる抗魔力を持ってるの」
「なるほど。ゲームで言うところの弱点属性的な話か。それで、水魔法とか火魔法なんてものがあるわけだな」
また、疑似的な物質である以上、目の前の水魔法は飲んでも喉を潤すことができない。魔法を覚えても食糧や水を直接得ることはできないようだ。
「けど、魔法って面白いな」
ジンの思考に合わせてうねうねと水の蛇がダンジョンの床を這いまわる。
単純に水の玉を飛ばす魔法をレミから教わっていたが、ジンとしては相手を追いかけられる水の蛇の方が想像しやすく、使い勝手も良かった。
レミは水の蛇の動きを目で追いながら助言する。
「牙を生やした方がいいよ」
「牙? あぁ、貫通力を上げれば抗魔力の影響を受けにくいのか」
納得して、水の蛇に鋭い牙を生やす。
鎌首をもたげてから飛びかかるなどの一連の動作を練習していると、鋭い爪が岩を削る音がした。
反射的にレミがジンの前に出る。
「綾茨」
精緻に組まれた茨のツタが洞窟に壁を作りだし、その向こうに巨大な狼が姿を見せた。
紫色の涎を垂らし、狂犬病にでもかかったような目でレミを睨みつけている。だが、茨の壁を破る術は持っていないらしい。
ちょうどいい、とジンは水の蛇を動かした。
「ちょっとお邪魔しますよっと」
編み上げた茨の壁の隙間をするりと抜けた水の蛇を見て、レミが身をよじった。
「ジンの蛇が私に入ってくるー」
「その表現はやめてほしいかなぁ」
レミの冗談にツッコミを入れている間にも、水の蛇は巨大な狼へとゆっくり迫っていた。
警戒したように後ずさる巨大な狼に対して、水の蛇は胴体の半分ほどをS字に折ると、全身のばねを使うように飛びかかった。
当然、身構えていた巨大な狼は横っ飛びに躱す。
獲物に躱されて無様に壁に叩きつけられたかに見えた水の蛇。しかし、魔力で作られた水の身体が壁にぶつかった直後、壁を足場に巨大な狼へと再度飛びかかった。
追撃は予想外だったのか、巨大な狼は対処が遅れ、水の蛇に噛み付かれる。
「……やっぱり、水だと牙が食い込んでもあまり意味がないな」
水の蛇を振り払おうと暴れている巨大な狼を安全圏から眺めつつ、ジンは淡々と分析する。
ならば、とジンは水の蛇を巨大な狼の身体に巻き付かせる。巨大狼の頭部がその背にくっつくほど締め上げれば、ボキッと耳障りな音がして巨大狼が倒れ伏した。
「水の密度を上げられるんだし、こっちの方が早いな」
「冷静だね」
「そりゃあ、自分はレミの綾茨のおかげで安全だから」
一方的に攻撃を加えられるのだから冷静に対処もできる。いまだ非現実的な状況だけあって、目の前の事に集中するのは一種の現実逃避でもあった。
とはいえ、脅威を排除した以上は現実と向き合わねばならない。
「それで、レミは魔力が欲しいとか言ってたよな。その割には魔法を使ってるみたいだが」
綾茨というらしい目の前の茨の壁は明らかに魔法の産物だ。込められた魔力が消費されて徐々に霧散しつつあった。
これだけのことができるのに魔力が欲しい理由が分からなかった。
「アルラウネは精霊種だから、魔力が無いと生けていけないんだよ。本来は森で植物から少しずつもらっているからあまり知られてないけど」
「そう言うもんか。それで、どうやって渡せばいい?」
「まずは目を閉じて――なんで両手で口塞ぐのさ!」
「もがもがももが」
「何を言ってるか分かんないよ!?」
このままでは会話にならないと、ジンは仕方なく口を防御していた手をどける。
「どうせキスするつもりだろうと――」
「せい!」
「甘い!」
飛びついてきたレミをひらりと避ける。しかし、レミは右足を軸に反転し、ジンを捕まえようと片手を伸ばす。
ジンは左足を引いて半身になりつつ、伸ばされたレミの片手を掴む。焦ったレミがもう片方の手を出す前にその肩を抑え込んだジンはレミの動きを完全に封じ込めた。
「それで、どうすればいい?」
「平和な世界出身って絶対嘘だ」
「そこは本当だって」
へそを曲げてむすっとしているレミに、ジンは苦笑する。
「そんなに怖がらなくても、レミを見捨てたりしないし裏切ったりもしない。だから、籠絡して繋ぎとめようとするのはやめろ。信用されてないのかと寂しくなるだろう」
図星を刺されたレミが驚いたように若葉色の目を見開く。
「……気付いてたんだ」
「まぁな」
ジンとて二十年近くを生きてきた経験がある。自分が初対面の少女から剥きだしの好意を向けられるほどの魅力が無いと知っている。
レミの身の上話を聞けば彼女の過剰な身体的な接触がどういう種類の物か想像がついた。
「悪い気はしないけど、それで流されるような奴を信用できるはずもない。今のうちに健全な関係にするべきだと思うんだが、どうだ?」
「なんかすごく大人な論理で悔しい」
「それは諦めろ。で、どうやって魔力を受け渡せばいい?」
再度訊ねると、レミはジンの手を取った。
「指先に魔力を集めて」
「こうか?」
言われた通りに指先に魔力を集めると、レミは魔力ごとジンの指を咥えた。
魔力を吸い出される感触があるものの、それ以上にビジュアル面が酷い。もしかすると、キスよりも対外的には不味い光景ではないかと、ジンは慌てて周囲を見回した。
ここはダンジョンの中であり、いるとしても言葉を持たない魔物ばかり。当然、通行人は見当たらない。
ほっとしたジンは指先に鋭い痛みを一瞬だけ感じて慌てて顔を向ける。
してやったりとばかりににやりと笑うレミが上目づかいにジンを見上げていた。どうやら、指先を甘噛みしたらしい。
「キスより背徳的だよね?」
「どっちがマシなのか、割りと本気で悩んでるよ」
ばつが悪そうなジンを見上げてくすくす笑ったレミはジンの指から口を離した。
「よっし、魔力も十分。後は水だね」
「どこかに水場があればいいんだけどな。ところで、あの魔物は食える――あれ?」
いざとなれば魔物を捌いて食事にしてしまおうと、先ほど倒した巨大な狼を振り返ったジンは死骸が見つからない事に気付いて警戒しつつ洞窟の奥の暗がりを睨んだ。
レミがジンの服を軽く引っ張る。
「ダンジョンで死んだ生き物は吸収されるんだよ。地上に近い表層の魔物は消えるのも早いの。ほら、そこに魔石があるでしょ?」
レミが指差したのは巨大狼の死骸が横たわっていたあたりだ。死骸はないが、ジンの握りこぶしより一回り小さい程度の石が転がっていた。
「魔石?」
「そう。魔力が込められる石で、色々と需要があるから換金もできるよ。多分、冒険者ギルドに持って行けば魔石は換金、アルラウネの私は監禁かな?」
「あぁ、うん」
「笑うところだよ?」
「笑えないっての」
今さらながら言葉が通じている事に気が付いたものの、召喚魔法なんてものがある世界だけに考えても仕方がない気がした。
ジンは魔石を拾い上げる。歪なガラス片のようにも見える。
「とりあえずは持っておくか。食料や水と交換できる可能性があるし」
ポケットに魔石を入れて、ジンはレミを見る。
「それで、今後はどうする?」
「私は何も考えてないよ。でも、このまま人里に出たら捕まるか、殺されちゃうと思う」
「一目でアルラウネだってわかるもんな」
レミの横髪にある紫色の花はアルラウネそれぞれで色や形が異なるらしい。髪の一部が植物のツタのようになっており、そこに花が付いているとの事だった。
「その髪の花を切ると痛いのか?」
「指を噛み切られるくらいに痛いよ? ほら、指出して」
「そこまでしなくていい。しかし、切れないとなると隠すしかないが、そうなると服も問題か」
ダンジョンまで逃げる途中で木の枝にでもひっかけたのか、レミの服はボロボロだ。
「なら、俺だけ人里に出て食料を調達して来るって方法もあるが、レミは俺が裏切らないか不安だろう?」
「言いにくいけど、かなり」
「気にするな。逆の立場なら俺だって不安になる。となると、レミの目の届く範囲で俺が別の誰かと接触し、食料や水を手に入れるのが最適解か。このダンジョンに人は入るのか?」
ポケットに入れた魔石が換金できるのなら、魔石を目当てにダンジョンへ入る人間もいるはずだ。
レミはジンの予想を肯定するように頷いた。
「冒険者が入るよ。魔物を倒して素材や魔石を手に入れたり、宝箱から珍しい魔道具を手にいれたりするのが仕事の人達だから」
「冒険者か。何日もダンジョンに籠るのか?」
「人によると思うけど、遭難した時に備えて水や食料は余裕をもって携帯していると思う」
「分かった。それなら、冒険者を探そう。ついでに、交渉材料になりそうな魔石と素材とやらも。可能なら宝箱を発見したいな」
歩き出してしばらくすると、レミの香りに誘われたらしい魔物がぞろぞろやってくる。
ほとんどは後方からの襲撃だった。残り香を辿ってきたのだろう。
しかし、ジンにとってはありがたいくらいだった。
後ろからやってくるのなら罠を仕掛けて待ち伏せすればいい。
「楽でいいな」
通路の死角に潜ませていた水の蛇を本日四頭目の巨大な狼に飛びかからせて絞め殺しつつ、ジンはレミとハイタッチを交わす。
「さっきの顔見た? 『えっ! そっちから!?』みたいな」
レミは楽しそうに巨大狼の反応に声までつけているが、この待ち伏せ作戦は確かに効果を発揮していた。
しかし、群に襲われると困るため、長居は無用だ。
ジンは巨大狼の頭部にある赤銅色の角を魔石で叩き折る。この巨大狼の中で唯一素材として取引されるのがこの角で、砕いて油に溶くと安価な赤色染料となるらしい。
早くも消えかけている狼の身体から魔石を取り出したジンはスーツの上着を脱いでポケットに入れていた角や魔石ごとひとまとめに包んだ。
「これでよしと。行くぞ」
レミに声を掛けて歩き出す。
この世界に召喚されてすでに数時間が経過している。一食や二食抜いてもすぐに身動きが取れなくなるわけではないが、そろそろ喉の渇きが心配だった。
「これからはあまり話さない方がいいかもしれないな」
「私はもっとおしゃべりしたい」
「なら、水を探してくれ」
「お水かぁ」
途端にレミも困り顔になる。彼女も水場の当てがないからだ。
代わり映えのしない洞穴のようなダンジョンの中を突き進む。
鍾乳洞であれば水に濡れる鍾乳石が点在していただろうが、ここはダンジョンだ。水の浸食を受けて形成されたわけではないため水場が見当たらず、足元の地面も湿ってはいない。ぬかるんでいないことを喜ぶポジティブさは持てなかった。
「ジン、ちょっと待って」
レミに引き止められて、ジンは咄嗟に戦闘態勢を取る。また魔物の襲撃かと思ったのだ。
しかし、現れたのは血だらけの棍棒を持った三つ目の小鬼だった。棍棒のみならずその体も血塗れだったが、返り血ではなく大けがを負っているようだった。
身長はジンの胸の高さに頭頂部が来る程度だ。
「なんだ?」
「あれも魔物だよ。でも、多分冒険者と戦った後なんだと思う」
「つまり、あいつが来た方に急げば冒険者がいる可能性が高いのか」
冒険者を見つければ交渉できる。
「魔物って事は殺しても?」
「大丈夫だよ。人型だからって人じゃないんだよ。猿とおんなじ」
「分かった。ちょっと悪い気もするが――水蛇」
ジンたちの姿を見つけて果敢にも棍棒を振り上げた三つ目の小鬼へ、水の蛇が飛びかかる。大けがを負った身体では避けることはおろか水蛇の重量を支えることすらできずに小鬼は倒れ伏し、首の骨を締め折られて絶命した。
魔石を回収する時間も惜しい。
「急ぐぞ。レミは後ろから来てくれ」
アルラウネのレミは冒険者に姿を見られると厄介になる。
駆けだしたジンたちだったが、通路の奥には先ほどの魔物と戦ったらしい冒険者たちの持ち物が散乱していた。
「かさばる荷物を置いて逃げたのか?」
「防具を一々脱いだとは思えないし、武器を捨てるとも思えないよ」
「……亡くなったか」
三つ目の小鬼の持つ棍棒に血が付いていたくらいだ。負傷者がいるくらいは考えていたが、まさか亡くなっているとは思っていなかった。
冒険者の荷物以外にも魔石が転がっているところから察するに、三つ目の小鬼の群れと戦闘し、相打ちに近い形で負けてしまったのだろう。
「黙祷は後だ。使える物を回収しよう」
墓荒らしの真似事をするのは気が引けたが、命がかかっているとあっては是非もない。
幸いというべきかは悩むところだが、冒険者の荷物は充実していた。三人組の冒険者だったらしく、背負い鞄には人数分の食料と水、道中に手に入れたらしい魔石や素材が入っていた。替えの服や使える防具も含めて回収し、ジンは立ち上がる。
「ありがたく使わせてもらいます」
この世界での使者の弔い方は知らないため、ジンは手を合わせた。
「ジン、冒険者のタグがあるよ」
「持ち物を使わせてもらうんだし、それも回収しておこう。せめてものお礼にさ」
「冒険者ギルドに持って行けば遺族に届けられるらしいけど、私たちは届けに行けないよ?」
「どこかで生きている冒険者にあったら渡せばいいさ」
回収した革のベルトに短剣を差したジンは、同じく回収した地図を開いた。
このダンジョンについて描かれている地図だったが、現在地が分からないため参考にしかならない。
回収できた食料や水は持って六日というところ。さほど余裕があるとは言えない。
猶予が伸びた、程度に考えてジンとレミは地図上に描かれている水場を探すべく歩き出した。