第十六話 告白
「終わったぁ!」
最後の木箱を荷車に乗せて出発する冒険者を見送って、ジンはレミとハイタッチを交わした。
「後はベレンディアにあの荷物が届けば、俺達の完全勝利だ」
「護衛しなくてよかったの? ジンは最後まで見届けるつもりだと思ってたけど」
レミが荷車の向かった先を振り返って訊ねる。
「前回の移動で懲りたんだよ。あの距離を荷の護衛で神経を張り詰めながら行くのは無理だ」
街道を行くとはいえ、距離は山や森を迂回する分長くなる。体力的な問題を抱えるジンは足手まといになる。
加えて、レミの問題もある。二十人もの護衛冒険者との旅は当然、一緒に過ごす時間が長く正体が露呈する危険も多い。
「……それに、教会兵が探し回っている可能性もあるしな」
声を落として呟くと、レミも頷いた。
故に、このダンジョン倉庫の保守と警備に残った方がいいというのがジンの判断だった。
仲間たちと何事かを話していたハッシュとフォーリが歩いてくる。
「ジンたちは休んでいろよ。魔物が来ても俺たちで対処しておくから」
「良いのか?」
「ジンはベレンディアとの往復で疲れてるだろ。いいから休んどけ。レミちゃんもな」
ハッシュが倉庫として使われていたテントを指差す。すでに素材や魔石は運び出した後でもあり、倉庫代わりのテントはもぬけの殻だ。
ここにはハッシュとフォーリの仲間、全部で八人が揃っており、魔物が来ても十分に対処可能だ。
「功労者にダンジョンの中で休ませるのは忍びないが、流石に今ターバラに戻っても気が休まらないだろ。下手をすれば暗殺される」
「いや、どうせ後でハッシュたちと警備を交代するんだ。一々ターバラに戻るよりはここで休んだ方が楽なくらいだよ。それじゃあ、俺達は休ませてもらう。何かあったら起こしてくれ」
レミの手を引いてテントに戻ろうとするジンに、ハッシュがにやにや笑いながら声を掛けてくる。
「テントは外に声が漏れやすいから気を付けろよ!」
「ハッシュ、お前……」
ジンが下品な冗談を飛ばすお調子者に憐れみの視線を返すと、怯んだハッシュは仲間に救援を求める。
しかし、仲間たちも冷めた目でハッシュを見ていた。
「ないわー」
「ちょっと距離を取らせてもらおうかな」
「……」
「無言が一番つらい!」
賑やかな奴らだと笑いつつ、ジンは奥のテントへ向かう。
「少し獣臭いな」
テントに入るとすぐに異臭を感じて、ジンは呟く。
素材や魔石を入れていたため、掃除をしても臭いが取れていないらしい。
テントの入り口を閉めると、レミがフードを取った。
途端に芳しい花の香りが広がり、獣臭さを消し飛ばした。
「やっぱりいい匂いだな」
「私は臭い消しじゃないよー」
「知ってるよ。可愛い女の子だ」
言葉を返して、ジンはテント端に置いていた鞄から毛布を取る。
ベレンディアとの往復でも、ターバラに戻ってからも仮眠しかとっていなかった。ダンジョンの中だけあって熟睡するわけにはいかないが、それでも毛布にくるまって横になれるだけでもありがたい。
毛布を被って横になった直後、待っていましたとばかりにレミが毛布に入ってきた。
「レミの毛布は別に用意していたと思うんだけど?」
「ジンが毛布になるんだよ」
「俺はそんなに毛深い方じゃなくてな。ご期待には添えない」
「温かいから良いの」
レミがジンの腕に抱き着く。清涼感のある甘い香りが漂った。
ダンジョンにいることを忘れてしまいそうな心地よい香りだ。
そのまま目を閉じた時、レミが小さな声で問いかけた。
「……ねぇ、何でジンは怒らないの?」
「何の話だ?」
「この世界に召喚したこと。私、凄く身勝手な事をしたんだって自覚してるよ。それなのに、ジンは一度も怒らなかった」
言われてみれば、この世界に召喚された当初からジンは生活環境を整えることばかりを考えていた。
「二度と元の世界に戻れないんだよ?」
「ダンジョン内で帰還できるような魔道具を拾えるかもしれないけど、現状では手段がないだろうな」
怒るべきなのかもしれない。
しかし、ジンは怒る気にはなれなかった。
「レミのは身勝手とも違う気がしてるんだよ」
「違う事なんて――」
「まぁ、聞けよ」
話も聞かずに反論しようとしたレミの頭を押さえて、ジンは続ける。
「召喚する時に、レミは条件を付けただろう?」
「……裏切らない味方」
「それだよ。洗脳能力でもない限り、裏切らない味方に該当するとすれば、元の世界に嫌気がさしてるとか、しがらみがないとか、そういう条件を満たしている必要がある」
「ジンは洗脳されてないの?」
不安そうにジンの目を覗き込むレミに、ジンは頷いた。
「されてない。誰かを助けるのは当然のことだと思ってる。レミが俺を召喚した理由は裏切らない味方が欲しかったわけではなく、助けが欲しかったんだろう。なら、助ける。ターバラの冒険者にしてもそうだ。助けられそうだから助けた」
「……いつか、抱えきれなくなるよ?」
「身の程は知ってる。だから、助けられないと思えば見捨てる覚悟も持っている。いくつかの予想外の展開はあったが、俺は今まで計画的に動いてきただろう?」
倉庫業を始めるなど、ジンは計画的に動き続けていた。魔石レンガを開発し、実験を行い、協力者を集め、倉庫業を稼働させた。街道が封鎖されればベレンディアに渡りをつけ、護衛の冒険者を手配した。その手配に際しては、騒動が終わった後の単眼王討伐までもが視野に入っている。
「別の形で召喚されても、俺はレミの境遇を知れば助けるために動いたし、ターバラの冒険者にしてもそうだよ――レミだけが特別じゃなくてごめんな」
「ちょっと悔しいけど、安心した」
レミがジンの胸に顔を埋める。
ジンはレミのつむじを見て、ため息を吐く。
「……安心してないだろ?」
指摘した直後にレミが体を離そうとした。
予想していたジンは素早くレミの背中に腕を回して捕まえる。
「レミ、顔を上げろ」
「……やだ」
「ならずっとこのままだぞ。魔物が来ようがなんだろうが、無理心中するからな」
固定するように腕に力を込めると、レミは諦めたように顔を上げてジンを見上げた。
レミの瞳がうるんでいるのを見て、ジンは目を細める。
「レミが何を考えているかを当ててやろう」
「……当てなくていいよ」
「自分は足手まといだから、俺がより多くの人を助けられるように姿をくらませた方がいいんじゃないか、そう思ってるな?」
言い当てられて、レミは顔を伏せた。もぞもぞとジンの腕から逃れようと身じろぎしているが、魔法でも使わない限り腕力ではかなわない。
当然、ジンも逃がすつもりはない。
「優先順位があるんだよ」
「優先順位?」
「個人にとって人の命は平等じゃない。家族が大事で、恋人が大事で、友人が大事だ」
理想論として人類はみな平等だが、理想論はあくまでも理想論だ。絵空事だ。
「より多くを救うのは確かに立派だ。だからって、博愛主義以外が否定されるのはおかしい」
抵抗を諦めたレミがそれでも言葉の上では勝とうと考えたのか、口を開く。
「だとしても、私が救われる立場になるのはおかしいよ。私は貰うばかりで何も返せてない」
「返せてないから俺がレミを見捨てるとでも? 見返りを求めて助けたわけじゃない」
そもそも、見返りを求めているのなら、召喚された時点で何も持っていないレミを助けるはずがない。
倉庫業という生活基盤を整えた今になってもレミの正体を冒険者に教えない事で、ジンは証明しているつもりだった。
「俺がレミを大切に思ったらいけないのか? その他大勢と同列視しないといけないのか? 助けを求めて俺を召喚したレミがこともあろうに否定するのか? もしそうなら、俺は怒るぞ」
半ば理不尽に召喚されても怒らなかったジンの宣言にレミが震える。
「俺はヒーローになるつもりはない。だからさ、自分は足手まといだからなんて考えで、俺にとってのその他大勢のために去ろうとはしないでくれ」
レミは顔を伏せたままジンの服を掴んだ。
「……私は特別じゃないって言った」
「召喚された時点ではほぼ赤の他人だからな」
「……じゃあ、今は?」
「……恥ずかしいんだが」
すでに散々恥ずかしい台詞を並べた気もしたが、ジンは僅かに抵抗する。
しかし、この流れで言わないわけにもいかない。
ならば、面と向かって言うべきだろう。
ジンは上半身を起こす。覆いかぶさるような形になっていたレミはそのままジンの膝に座る形になった。
抵抗するようにジンに縋りついたまま胸に顔を埋めているレミの背中を叩く。
「顔を上げろよ」
「……やだ」
「俺は一回しか言わないぞ?」
「……やだ」
「わがままな――それじゃあ、妥協して……」
ジンはレミの横髪をそっと手で退けて、聞こえやすいように耳を露わにする。横髪と一緒に鈴のような紫色の花が揺れて甘い香りが散った。
「俺はレミが大切だ。これからもそばにい――」
「――敵襲!」
雰囲気をぶち壊す切羽詰った声がテントの外からある種の暴力を伴って飛んできた。
微妙な空気で固まった直後、ジンは枕代わりの鞄の横に置いてあった短剣を乱暴に掴む。
「ぜってぇ、許さねぇ」
「ジンが怒った!」
レミがくすくす笑いながら顔を上げる。ぶち壊したのは何も空気だけではなかったらしい。
ジンはレミにフードを被せてやり、立ちあがった。
「行くぞ。続きは後だ」
「うん」
テントの外に敵の有無を確認してから入り口を開ける。
防壁代わりの板の向こうから怒号と剣戟の音が聞こえた。