第十二話 旅路
元見届け人ことフォーリはすぐにやってきた。
「――出発は?」
事情を説明するやいなや訊ねてくるフォーリに、ジンは答える。
「今から」
「仕事の早い奴は好きだぜ」
にやりと笑ったフォーリはここまで案内してきたハッシュを振り返る。
「ジンたちの留守中、この倉庫はハッシュたちが守るんだよな?」
「そのつもりだ」
「ベレンディアから冒険者を連れて戻ってくればどうしても人目に付く。グバラ同朋団がなりふり構わずにここを襲撃するかもしれん」
「明後日からは警備を増員する手はずだ」
「なら後顧の憂いは無しだな。ジン、さっそく行くぞ」
ジンは頷いて、荷物を担ぐ。
計六人での移動だが、全員が冒険者だ。街道に網を張っているだろうグバラ同朋団の目を避けるためにも、森を突っ切ってベレンディアに向かう必要がある。
フォーリたちと時間をずらしてダンジョンを出たジンはさりげなく周囲を観察した。
レミがフードを提げて顔を隠す。
「屋台が出てるけど、監視だよね?」
ダンジョンの出入口に小さな屋台が二つ出ている。迷宮から出て来たばかりの冒険者に新鮮な野菜をふんだんに使った料理を提供すると謳っている。
ジンたちが倉庫業を本格的に始める十三日前まで、あんな屋台は存在しなかった。十中八九、商会が派遣した監視だろう。
ダンジョンを出た冒険者の数とターバラに帰還した冒険者の数が合わなければ抜け道を勘繰られる。
「ターバラに一度帰る?」
「必要ない。俺達は街道を使わないからな。拙速を尊ぶべきだ」
打ち合わせていた合流地点にはすでにフォーリとその仲間が待っていた。
フォーリのパーティーは四人組。剣士一人に弓術師が一人の組み合わせで二手に分かれて戦うのがスタイルだという。
「索敵は任せておけ。ベレンディアまでは急いでも二日だが、かなりの強行軍になる。レミちゃんは大丈夫か?」
訊ねられたレミは小さく頷いた。
逃避行を続けてきたレミよりも、日本で暮らしていたジンの方が体力は少ない可能性もある。
「時間はギリギリだ。急ごう」
魔物の襲撃などの対応策は道中で協議する事にして、ジンたちは一路ベレンディアへと向かった。
ジンにとって、この世界での旅は今回が初めてだ。ターバラ以外に町はおろか村すら知らない。
だが、そんな初めての旅は出だしから山へ突入する形で始まった。
フォーリたちがかき分けるように藪を進み、ジンとレミが後に続く。
冒険者だけあって山にもある程度慣れているらしく、フォーリたちの進みは早い。
帰ってくるときはベレンディアの冒険者を引き連れているから速度が落ちる。行きで可能な限り急ぐことで後々の時間的な余裕を作りだしたいのだろう。
「森にはよく入るのか?」
「魔物の討伐に入る事がある。後は狩人と合同で害獣狩りなんかもやるな。冒険者が少なくなっていて、魔物の間引きが追いついてないとよく愚痴られる」
森で狩りをする狩人たちにとって、魔物はただ危険なだけで邪魔な存在だ。獲物を横取りされることもあり、魔物の間引きは度々冒険者ギルドに依頼される。
見慣れない植物を横目に山を登っていくと、川のせせらぎが聞こえてきた。
フォーリたちが足を止め、木の陰に姿を隠しながら川を窺う。
「ちっ、クマがいるな」
フォーリが舌打ちする。
川に入って水浴びをしている大型のクマの姿があった。魔物ではないが、戦うのも嫌な相手だ。
「戦闘に入っても時間を無駄にするだけだ。下流域から迂回しよう」
「了解」
フォーリの先導で川を下りかけた時、レミがジンの服を引っ張った。
振り返ったジンに、レミが耳打ちする。
「今からクマを追い払う」
「出来るのか?」
「うん」
フォーリたちとは直接会話をしたくないらしいレミに代わり、ジンはフォーリの背中に声を掛けた。
「レミがクマを追い払える」
「――なに?」
怪訝な顔で振り返ったフォーリはジンの後ろに隠れているレミを見つめる。
レミはフォーリには答えず、近くの藪から葉っぱを一枚むしると半分に折って口に当てた。
レミが頬を膨らませて葉っぱに息を吹き込むと、微かな音が漏れる。すぐそばにいるジンにもよく聞き取れなかったが、かなりの高音域で何かの音色を奏でているらしい。
バシャンと水音がして川へと目を向ければ、クマが川から飛び出して逃げ出す後ろ姿が見えた。
レミが用済みの葉っぱを数回ちぎって足元に散らす。
「草笛か」
アルラウネらしい技能だな、と思うと同時にフォーリたちに正体がばれていないか気になって、ジンはそっと窺った。
逃げ出したクマが戻ってこないかと警戒していたフォーリたちだったが、どうやら本当に逃げていったらしいと知ると感心したようにレミを褒めた。
「凄いな。何かの秘伝だったりするのか?」
「草笛でこんな事が出来るんだな」
褒められたレミはジンの後ろに身を隠して背中に顔を埋めた。
ジンは川を指差す。
「それより、先を急ごう」
「あぁ、そうだったな」
指摘されてフォーリも時間が押していることを思い出したらしく、川へと歩き出す。
ジンも森を出て川原を歩きながら、小声でレミに訊ねた。
「正体がばれるような技能じゃないんだよな?」
「狩人の中には知っている人もいる生活の知恵だよ」
「そうか。なら安心だな。それにしても、あんな特技もあったんだな」
「曲も吹けるよ。祭りの時に皆で吹くから」
「今度聞かせてくれ」
「今晩の子守歌にしてあげる」
「それは楽しみだ」
川の浅い部分を渡る。革靴にはダンジョンを出る前に油を塗ってあるため、あまり水は浸みこまない。
クマはかなり遠くへ逃げたらしく、もう気配すら感じなかった。
レミが川縁に生えていた赤い小さな実をいくつか手に取った。
「ジン、これ口に入れておいて」
「なんだ、これ」
「疲労回復効果のある実だよ。正確には花のガクなんだけど」
渡された花のガクはころころと丸く、ブルーベリーのように見えた。だが、色はかなりきつい赤色で、毒がありそうな色合いだ。
フォーリがジンとレミのやり取りを見て、興味を引かれたようジンの手の上の赤いガクを見る。
「ダマグリの実か。そういう季節だな。というか、レミちゃん、若いのに良く知ってるな」
フォーリに話しかけられると、レミはフードを目深にかぶり直してジンの後ろに隠れる。
困り顔のフォーリはジンを見た。
「口に入れてすぐは苦味とえぐみを感じるだろうが、噛み潰さずに舌の上で転がしていろ。冒険者でもなかなか知っている奴がいないが、効果は保証する」
再び歩き出したフォーリに背中を追いながら、ジンは赤いガクを口に放り込む。
「うぇっ」
「がまん」
「へい」
レミに囁かれて、ジンは吐き出しそうになったそれを口の中に留めて置く。
パセリのような苦味と青臭さ、舌がきゅっと引き締まるようなエグミを我慢していると、徐々に甘味が出てきた。
おぼろげな甘さではあるが、確かに感じる。
「それを舐めてると喉も乾きにくいから、しばらくそうしてると良いよ」
「この先長いしな」
二日もこのペースで歩き続けられるのかと少し不安になりながら、ジンはフォーリたちの背を追いかけた。
※
陽が落ちた頃になって倒木により開けたスペースに出たジンたちは明朝まで野営する事に決めた。
ジンはテントを張り終えて、夜食の準備をしていたレミの隣に立つ。
「道中に採っていた野草か?」
「うん。本当は衣を付けて揚げた方が美味しいんだけどね」
少し残念そうに鍋の中の野草の色合いを見ていたレミは、少し離れたところでキャンプしているフォーリたちをちらりと見た。
「あっちは温かい物を食べないんだね」
「急な出立だったから、買っている余裕がなかったみたいだ」
「なら、これをおすそ分けしてあげて」
レミが木の器に入れて差し出してきたのは野草のスープだった。
「調味料も持ってきてたのか?」
「小瓶にちょっとだけね。せっかく山に入るなら久しぶりに食べたいなって思って」
「用意が良いな。いい奥さんになるぞ」
「ちゃんともらってね」
笑い合って、ジンは木の器を持ってフォーリたちの元へ足を運ぶ。
もそもそと硬いライ麦パンを齧っていたフォーリたちが、ジンの持つ木の器に気付いて歓声を上げた。
「スープじゃねぇか。ありがたい」
「季節外れに冷えるからさっさと寝ちまおうと思っていたところだ」
「レミちゃん、ありがとう!」
声を掛けられたレミがびくりと肩を跳ねさせて、フォーリたちを恐る恐る振り返って一度頭を下げた。
フォーリたちがテーブル代わりにしている切り株の上に木の器を置く。
「仲良く分けて食べろよ」
「当たり前だ。山の中で喧嘩するほど馬鹿じゃない」
フォーリたちはスープにパンを浸して食べ始める。
空になったら呼んでくれと声を掛けて、ジンはレミの元に戻った。
「私たちも食べよう」
ちょうど用意ができたところだったらしく、レミが木の器にスープを盛る。別に用意された皿にはすでに山菜サラダが出来上がっていた。
事前の準備時間もほとんどない急な旅だったというのに、山の中でこれほどの品数が出るとは思わなかったジンは少し感動すら覚えた。
旅人の明かりの安定した白色光に照らされて、テーブル代わりの石の上は明るい。
「頂きます」
スープはほろ苦い野草の味わいが素朴な品だったが、滋味のある野草が歩きづめだった身体を内側から温めて栄養を行きわたらせる。どこか安心する味わいだ。
このスープと一緒なら酸っぱさのある硬いライ麦パンも美味しく食べられる。
山菜サラダの方は丁寧に灰汁抜きしてあり、茹でた事で生じた僅かな甘さが塩漬けベーコンの欠片と合わさってうまく調和していた。
「ダンジョン内でも思ってたけど、レミは料理が上手いよな」
「山育ちだからね。山菜の扱いはお手の物だよ」
自信満々に胸を張るレミが今日は頼もしく見える。
食事を終えて水魔法で食器を洗う。魔力で作った疑似物質である水魔法は込めた魔力が切れると自然に消滅するため、乾かす手間が省けて助かる。
「それじゃあ、俺達が最初の見張りをするから、フォーリたちは休んでいてくれ」
「あぁ、時間が来たら起こしてくれ」
テントに消えていくフォーリたちを見送って、ジンは焚火に枯枝をくべる。旅人の明かりでは寒さまではしのげない。
「ジン、靴擦れとかは大丈夫?」
隣に座ったレミがひざ掛けを共有しながら訊ねてくる。
「靴擦れはないけど、疲れるな」
「歩きづめだったもんね。それでその、疲れてるところ申し訳ないんだけど」
「あぁ、魔力か」
「ごめんね」
ジンが差し出した指を加えて魔力を吸い取ったレミは満足そうぺろりと唇を舐める。
「おいしゅうございました」
「……なぁ、吸わせておいてなんだけど、アルラウネは周囲の植物から魔力を分けてもらえるんじゃなかったか?」
「お礼にジンの足を揉んであげよう」
「誤魔化すなよ。まったく」
油断も隙も無いな、と笑ったジンはせっかくなのでレミに足を揉んでもらう事にした。
レミは一度フォーリたちのテントの様子を窺った後、ポーチから軟膏のようなものを取り出した。その軟膏に見覚えがあったジンは訊ねる。
「ダンジョンで練ってた奴か?」
「そうだよ。血行を良くするの。じわっと温かくなるよ」
人差し指で軟膏を取ったレミはジンのふくらはぎに軟膏を揉み込むようにマッサージする。痛かゆい感覚は気持ちがいいのかくすぐったいのか分からなくなる。
軟膏を見た時は薬臭いのではないかと警戒したが、ジンの予想に反して無臭だった。軟膏の効能とレミのマッサージのおかげでふくらはぎがじわじわと温かくなっていく。
「凄いな、この軟膏。レミのマッサージも」
「材料は手に入りやすいんだけど、植物魔法で成分を反応させたりもするからアルラウネにしか作れない軟膏なんだよ」
「それでテントを気にしたのか」
「そういうこと。こんな事でばれちゃうのは間抜けすぎるからね」
当然だが、この世界にはこの世界で生きる人々の文化があり、それは多くの場合魔法やダンジョンと密接にかかわっている。
文化から種族が特定されることもままあることなのだろう。
「植物魔法はアルラウネ特有の魔法なんだよな?」
「そうだよ。だから、私たちが絶滅したらこの軟膏は誰も作れないね。いまはもう、流通もしてないはずだよ」
「アルラウネしか作れないなら、自分がアルラウネだって証明するようなものだからな」
レミがジンの隣に座る。
「さぁ、私の番」
「それが目的だろうと思ったよ。この軟膏、適量はどれくらいだ?」
「私の足なら全体で小指の爪に乗るくらいかな。その軟膏は伸びが良いんだよ」
「本当だ。良く伸びる」
乳白色の軟膏は存外にさらさらしていて、非常に伸びが良い。
「マッサージの経験なんてないから痛かったら言ってくれ」
「覚悟は決まってるよ。骨は拾ってね」
「そこまでの覚悟はいらないはずだ」
レミの細い足に軟膏を擦り込むように揉んでいく。レミにやってもらった方法をそっくりまねただけだが、召喚される前、今はもう亡くなった父母の肩を揉んだのを思い出した。
「上手だね」
「そうか?」
「女の子の生脚を触っているのにまったく緊張しないんだね。慣れてるの?」
「経験はないと言った」
それにしても、とジンはマッサージを続けながらレミに話しかける。
「綺麗な脚だと思うぞ」
「胸でもお尻でもなく脚派かぁ。軟膏味だけど、舐める?」
「短文にいくつツッコミどころを作る気だよ」
くすくす笑うレミは開いている手に植物魔法で葉を生成する。
「それじゃあ、約束通り演奏するよ。見張りだから寝ちゃいけないし、子守唄はダメだね。何か聞きたい曲はある?」
「アルラウネの伝統曲とか興味があるけど、フォーリたちが聞いていたら不味いか。俺が知ってる曲を教えようにもな」
「あ、ジンも笛を吹けるの?」
「弦楽器だよ。こっちの世界にギターがあるとは思えないけど」
「あぁ、指先が硬いのってそういうことだったんだね」
レミは魔力を吸うときのジンの指を口に含むため、納得したようだった。
「じゃあ、ちょっと有名な曲を吹くね」
レミが葉を口に当てると、軽やかな旋律が流れだす。頼りない葉一枚から出ているとは思えないほど豊かな音色は民族音楽を思い起こさせる旋律を奏でてた。
譜面に起せば十六分音符で埋め尽くされそうな曲だが、フレーズを繰り返しているため覚えやすい。有名なのも簡単でノリが良いからだろう。
自然と口ずさんでいると、レミも興が乗ったのか途中からフレーズを変えてくる。
軟膏マッサージを終えて、ジンは席に座り直す。レミが膝掛けを掛けてくれた。
「もう少し大きめの膝掛けを買っても良かったな」
「肩が当たるこれくらいがちょうどいいんだよ。ジンは情緒ってものが分からないのかな?」
「はいはい、野暮な事を言いましたっと」
明日からもまた歩きづめだが、こんな時間が明日も待っていると思えば悪くない。そう思える夜だった。