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プロローグ

短い作品ですが、一週間程度お付き合いいただければ幸いです。

 白い肌が密着してくる。柔らかな弾力を感じると同時に体温が肌を通して交換された。

 爽やかなのにどこか甘い匂いを纏う少女は蠱惑的に微笑んだ。

 そんな少女に、彼は穏やかに微笑み、口を開く。


「――で、どういう状況?」

「うわぁ、冷静だねぇ」


 興を削がれたように不機嫌そうに呟いた少女を見る。

 夏雲を梳いたような白い髪。横髪には鈴のような紫の花が付いている。若葉色の瞳はくりりと大きく幼げで、先ほどまでの甘やかな空気に飲まれずに済んだ理由となった。

 改めて眺めてみれば、少女は十四、五歳。身体に主張するほどの凹凸がないのは年齢のせいだけではなさそうな年齢だ。

 それでも、薄絹一枚を羽織った状態で迫られては過ちの一つもおかしそうな魅力があったが、あいにくと場所が悪すぎる。それに、薄絹というには少女が着る服は穴だらけで、およそ体を隠す用を果たせていない襤褸布だった。


「どこだよ、ここ。洞窟に見えるけど」

「足元の混沌、この星のあらゆる場所にその入り口を開いている世界最大のダンジョンだよ」

「……ダンジョン?」


 聞いたことはあっても実生活で耳にする機会の少ないその言葉に困惑を示すと、少女は細い指で地面を指差した。釣られて視線を向ける。途中、伸びきった襟元から薄いピンクの何かが見えたが極力気にしない。

 予想が正しければ、甘い空気に流されていい場所ではないのだから。

 地面には何かのツタが這っている。それは視点を引くと少女と自身とを囲むように円を描き、ツタから生える大ぶりの葉っぱには爪か何かで模様が付けられていた。


「召喚魔法であなたを呼んだの。来てくれてありがとう。……永遠に愛してあげるね」


 最後の台詞だけはわざわざ耳元に口を寄せて囁くあざとさ。少女が体を動かす度に嗅いだこともない心地よい香りがふわりと漂う。


「召喚魔法……」

「うん。そこの宝箱に入っていた使い捨ての魔道具と魔法陣で発動したの」


 確かに、少し離れたところに木箱があった。縁に金をあしらった豪華な木箱だ。もっとも、箱の下半分が地面にめり込むように消えていく途中だった。底面にあしらわれていただろう金が転がっている。


「私を裏切らない味方をお願いしたら、あなたが召喚されたの。ねぇ、名前は?」


 ツタが絡むように腕を回してしなだれかかってくる少女が訊ねてくる。


「荻本仁だ」

「ジン?」

「いきなり名前呼びか。まぁ、良いけど」


 ジンは混乱しそうになる頭をどうにか整理する。

 ここで目覚める前に見た最後の記憶は飛んでくるガラスの灰皿だった。高校卒業後に就職した会社は粉飾決算がどうたらで傾き、逆上した社長が投げつけてきた灰皿だ。

 おそらくはガラスの灰皿が当たっただろう額に触れてみるが、打撲や切り傷はない。


「はぁ、もうすぐ二十歳だったのに」


 二十歳になったからと言って祝ってくれる誰かがいるわけでもなかったが、節目まで日本で生きられなかったのは心残りだった。


「ところで君は?」


 ずっと体を寄せたままの白い少女に訊ねる。


「レミ。アルラウネのレミ」

「……アルラウネ?」


 また、ダンジョン同様に聞きなれない単語が出てきた。

 ジンは記憶を掘り起し、植物と人の間のような空想の産物を思い出し、目の前の少女、レミを見た。

 レミは横髪を片手で弄る。紫色の鈴のような花がゆらゆらと揺れた。

 襤褸をまとっているのにいい香りがするのも、髪の一部に花が咲くのも、アルラウネの種族特性らしい。


「それで、なんで俺を召喚したんだ? 裏切らない味方がどうとか言っていたけど」


 召喚に関する条件の付け方といい、レミの纏っている襤褸といい、ダンジョンらしいこの洞窟といい、まともな境遇とは思えない。

 レミはジンを抱く腕に力を込めた。まるで最後の希望に縋るような力の込め方だった。


「アルラウネは魔物だから討伐するべきだって教会が言い出して、皆で逃げて逃げて、逃げ続けて、このダンジョンまで来た。散り散りになってもう私一人で、怖いし暗いし寒いし――」


 震えはじめたレミの声に事情を大まかに察して、ジンは頭を掻いた。

 道理で裏切らない味方を求めるはずだ。

 落ち着くまでレミに抱き着かれたままでいたジンは彼女の震えが収まったのを感じて声を掛ける。


「事情は分かった。それで、何をすればいいとか、今後の目的とかあるか?」


 まだ自身が置かれた境遇全てに納得したわけではないものの、話を聞く限りレミの方が今後の予定を立てられるだけの情報を持っていると判断してジンは訊ねる。

 レミは顔を上げてジンと目を合わせた。


「後、召喚した理由がもう一つ」

「まだあるのか。なんだ?」

「魔力が欲しい」

「魔力?」


 ジンは魔力も魔法も無縁の日本で生まれ育った身の上だ。魔力が欲しいと言われてどうぞと渡せるはずもない。


「魔力って俺にもあるのか?」

「ある」

「で、どうやって渡せばいい?」


 あると言われてもどこにあるのかもわからない。聞くのが手っ取り早いと訊ねてみれば、レミは一瞬きょとんとした後、悪戯を思いついたように笑みを浮かべた。


「身を任せれば――うぐっ」

「口頭で説明しろ」


 顔を寄せてきたレミに嫌な予感がしたジンは、彼女の額を人差し指で弾いた。


「ひどい」

「それで、何をするつもりだった?」

「キスをして口から魔力と水分をちょっともらおうかと……。しばらく水を飲んでなくて干からびそうだから……」

「水分って……」


 キスと呼ぶにはいささかディープなモノをするつもりだったらしいレミに呆れつつ、ふと気付いてジンは周囲を見回した。


「なぁ、確認したい。水や食料はあるのか?」

「……ない、です」

「……口ごもったという事は、今の俺たちがどれくらい危機的状況にあるかは認識しているんだな。つまり、水や食料の補給の目途は立っていないと?」

「追われる身の上だから……」


 追われ続けてダンジョンに逃げ込んできたと語ったレミが人里に降りられるはずもなく、水も食料も手に入れる術は限られる。

 こんなところで油を売っている場合ではないと気付いて、ジンはようやく立ち上がった。


「水と食料の確保が先だ。俺も召喚されてすぐに死ぬなんてまっぴらごめんだしな」

「まって、魔力だけでも!」

「キスは嫌だぞ?」

「がーん」

「お前、意外と余裕だろ?」


 間の抜けたオノマトペを口にしている少女に苦笑しつつ、ジンは自分の状態を確認する。

 会社で着ていたスーツ一式。穴が開いたりもしていないし、ガラス製灰皿から飛び出した灰を被ったりもしていない。五体満足怪我もない。ついでに言えば持ち物もない。

 凶暴な野生動物に出くわしたら逃げるしかないな、と考えてここがダンジョンだと思い至り背中を冷たい汗が流れ落ちた。


「なぁ、ここって人を襲う生き物がいたりするか?」

「ダンジョンだから、魔物がたくさんいるよ?」


 何を当たり前のことを、と不思議そうにレミが首を傾げた。ふわりと甘い香りが発散されて、ジンはぞっとした。

 レミの匂いに引きつけられた生き物がやってくる可能性が高いと、いまさら気付いたのだ。


「レミ、魔法みたいなものはこの世界にあるか?」

「あるよ。ジンも使えるよ」

「今すぐ教えてほしい。できれば、目くらましに使える物と足止めに使える物、それから逃げ足が早くなるやつもだ」

「戦う気が皆無な注文だね」

「平和な国の生まれなんだ」


 逃げ切る事さえできれば戦う力が身に付くまで時間を稼げる。

 しかし、不幸は対策する時間を与えないものだ。

 微かな揺れを感じて、ジンは反射的に振り向いた。

 日本の一車線道路と同じ程度の広さの洞窟。街灯があるはずもなく、奥は暗闇に閉ざされている。

 だが、何かがいるのは間違いない。気配と呼ぶには濃密なそれに、ジンが眉を顰めた時、レミが彼の手を握った。


「逃げよう」

「逃げ切れるのか?」

「大丈夫」


 言うが早いか、レミが軽く腕を振る。彼女の前に魔法陣が描かれた。空中に投影された魔法陣はジンにホログラムを思い起こさせる。

 暗闇に潜んでいた何かはレミの魔法陣を合図にしたように駆けだした。いまだ姿が見えないが、足音が近付いてきているのが分かる。


「――(あや)(いばら)


 レミが呟いた瞬間、洞窟に突如として茨が出現した。優雅なまでに編み込まれた茨のツタがレミたちと襲撃者を隔てる壁となる。茨の隙間から覗く襲撃者はぽたぽたと紫色の涎を垂らす巨大な狼だった。動物園の檻に入れられていたトラと同等か、それ以上の体躯を誇り、額には赤銅色の角が生えている。


「あまり長くは持たないから、早く逃げよう」


 レミに腕を引かれて、ジンは茨の壁に背を向けて駆け出す。

 同時に、早く戦う術を身に付けなければあっさり死ぬ、と確信した。



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