第一話・神々の会議
目を覚ますと、そこは病院では無かった。
薬品の臭いもしないし、ベッドも何も無かった。
ただ一つあるのは、俺が座っているキャスター付きの椅子だけ。
おかしなことに、大抵の部屋にある窓が一つもなかった。
視界にある全てが汚れの無い純白で、境界線が見えないため、距離感が掴めない。
この部屋が小さいのか、大きいのか、それが分からないのだ。
何かを考えようとすると、頭に酸素が回っていないのかじんわりとした頭痛がする。
俺は確か、路上で命を落としたはずだ。
出血量からして、出血性ショックが死因だろう。
ならば、ここはどこだ?
死んだのなら、ここは天国か? 地獄か?
それにしては、随分、現代的な椅子に座っている。
それなら、俺は奇跡的に助かって夢を見ているのか?
「すまないね、君は確かに息絶えた」
突然、俺の正面に、ガラス製の果てしなく長い机と、多くの椅子が浮かび上がり、そこに十数人の人々が腰掛けている。
俺に声を掛けたのは、横並びになっている人々のちょうど中央に鎮座する、年配の男性だった。
オーダーメイドの高級スーツを着こなしている。
「あなた方は誰なんでしょう? それにここはどこなんですか?」
「我々は数多の世界の神だ。それ以上でもそれ以下でもない。次に、ここはどこかという問いに答えよう。ここは、君たち人間が夢想する神界の一部だよ」
目の前にいる人間が、神だというのか?
信仰心の薄い俺でさえ、死ねば神には会えるのか。
「死ねば神に会える訳では無いさ。君は運が良かった。たまたま、君の世界の神の目に留まっただけなのだから。それにしても自分の死を受け入れるのが早いんだねぇ」
口に出していないのに、俺の考えが読まれたのか?
こんな能力があれば、仕事も円滑に進んだだろうに。
「あんた、仕事が好きよね。あんたの国の住民はみんな働きたくないと思ってるのに」
背の小さな、老婆の神が言う。
「昔からの夢だったものですから。そういう仕事に就けたから、楽しかったのかもしれません」
「あなたの気概、私は好きよ。顔立ちも誠実そうだし、胸板も厚いじゃない? あなたさえ良ければ、わたしと番になって新たな神を産み出しませんこと?」
「アマテラスは黙っていなさい。そろそろ、本題に入ろう辻村佑斗君」
黒髪のグラマラスな和装の女性が甘く誘うのを、年配の男性が止め、彼は手にタブレットのような端末を持ちながら、俺の名前を呼んだ。
「君は死んだ訳だが、君は通常の輪廻転生には入れない。仏教徒扱いになっているからね、本来は次に人間以外の生き物の身体を借り受けるべきなんだが……おめでとう、君はまた人間に産まれることが可能だ。魔法が存在する世界で、類まれなるスキルを得た状態でね」
年配の男性が微笑んだ。葉巻の似合う笑顔だった。
別の世界で、新たな人生か。
「そうですか……良かったです」
「どうしたの? 表情が固いままね。ああ、分かったわ。あなたの最期に近くで泣いていた女の子が気になるのね? 約束も果たせず、いじめられている彼女が将来上手くいくのか。それが気掛かりなんでしょう?」
アマテラスという神が優しく尋ねる。
俺はそれに頷いた。
「皆さん、私は久しぶりにこんなに心根の優しい男を見ました。今回の異世界転生という特別措置も、彼が他人のために死んだ事実を考慮してのものですが、その待遇を聞いてもまだ残された少女のことを想うのですよ」
アマテラスが他の神々に熱く言うと、思うところがあるのか一様に頷いた。
「よし、分かった。辻村君、君には追加の特例を認めよう。君が命を懸けて守った少女を、君の転生する世界に、君が転生するのと同時期に転生させよう」
「ちょっと、待ってください。今の彼女はどうなるんですか? 死んでしまうのなら、元も子も無いでしょう?」
年配の男性の神に、身を乗り出して言った。
俺が彼女を守ったのは、彼女にこれからの人生を幸せに送って欲しかったからだ。それが叶わないのなら、俺が命を賭した意味が無い。
「死ぬのとは違う。存在が消える。身体が消滅するだけでなく、人々の記憶からも少女はいなくなる。代わりに彼女は転生後も、君と同じく記憶を保存したままだ。物心付いた頃には思い出すだろう」
「そんなのは…………死んでしまうのと変わりません」
「しかし、神だから分かることもある。少女がこのまま生き続けた先にあるのは苦しい未来だ。いじめが悪化し、不登校になり、自殺未遂を繰り返す。君を失い、同時に希望を失ったのだ。こんな未来、何の意味がある? 新たな世界で、君と生きる方が幸せではないのか?」
目を逸らし、彼は淡々と話す。
俺はそれを聞いて、何も言い返せなかった。
彼女の運命を天秤に掛ける責任を、今俺は負っているのか。
俺は、どうすればいいんだ?
「あら、逆に悩ませてしまったわね。訊き方を変えましょうか。また彼女に会いたい? いいじゃない、貪欲になっても。彼女だってまたあなたに会いたい、と思ってるはずよ。単純に考えて」
素直な気持ち、自分の本音は一体何だ?
俺は彼女をどう思っていたんだ?
警察官だから守っただけなのか?
自分でも分からない。
だけど、俺があの世界で最後に放った言葉は覚えている。
「俺は…………また、会って話したい。今度こそは幸せにしてやりたい、と……思います」
俺がぽつぽつと言うと、神達が一斉に立ち上がり拍手を始めた。
「そうと決まれば、早速手続きに移りましょう」
「急かすな、アマテラス。最後に、口頭で確認を行う……君は魔法が存在する世界に転生する。あの女の子も一緒だ。心の準備はいいかい?」
「はい」
「それでは幸運を祈る」
俺が身構えると、身体の質量が、がくんと減った。緊張で閉じた目を開くと、身体が水銀のような煌めきを放って、爪先から一粒一粒宙に飛んで行くのが見えた。
「いつか会いに行くわ。それまで頑張って生きてね……」
アマテラスの声が聞こえて、意識を失った。