06 美里、境界を越える *
「えっ、教会の番犬じゃなくて境界の番人?」
瞬きを繰り返すわたしに、壱兎が犬の一言に嫌そうな顔をしながら教えてくれた。
「誰が番犬だ誰が。うさぎ堂の店主は代々境界を守る役目をしている」
「その境界って何?」
「境界って言うのはこっちの世界とあっちの世界を繋ぐトンネルみたいなもんだ。大昔、術使いだった俺のご先祖様が、術の発動に失敗して出来たのが境界だ」
なんか漫画やアニメでありそうな話だね。でも、それが現実なんだね。
「ふ〜ん。ご先祖様がしでかした失敗の責任を取って壱兎が守っているんだね」
壱兎も苦労しているんだね〜。これからはちょっとは優しくしてあげようかな。
「お前なぁ、もうちょっと言い方があるだろ……まあ、いい。この業務用冷蔵庫の中が境界で、その向こう側が異世界ってことだ」
なんだかピンとこないよ。だって、どう見ても冷蔵庫だもの。
「境界って国境みたいなもの?」
「まあ、似たようなもんだな」
「お父さんがゲートって言っていたのはここのこと?」
昨日壱兎と電話をしていたお父さんの会話を思い出すと、なぜかお父さんはその辺のことに詳しそうだった。聞いても教えてくれなかったけど。
「その通りだ。うさぎ堂の地下が空港の税関で、お前が今いるこの扉がゲートってわけだ」
ふむふむ。
「税関って旅行に来た人の荷物検査をする所だよね?」
空港に見学に行った事があるからわかるよ。
「まあ、そんな所だな。荷物検査と言っても誰が居るわけじゃない。特殊な術がかけられているから資格がある奴しか通れない」
壱兎が真剣な顔で話をするなんて珍しいからわたしは黙って聞いていた。
「それと異世界の物もこっちの物も、互いの世界に存在しない物質は持ち込めないし、持ち出せないようになっているぞ」
どんどん現実離れした話になっていくよ。
「お互いの世界に存在しない物質?」
「こっちの世界に魔術や魔法は存在しないが、異世界には飛行機やパソコンは存在しない。持ち込み禁止物を並べたら数え切れないぞ。要するにそれぞれ文化や発展も違うから互いの世界を壊すわけにはいかないってことだ」
不思議な術が勝手に検査してくれるなんて、境界の番人って楽な仕事なんだね。
「持ち込み禁止物を持って境界に入ったらどうなるの?」
壱兎は片手で拳を作ると手のひらを上に向けてパッと開いた。
「術に引っかかって消滅だ」
なるほどね、消えちゃうのか。
だからアントンさんはわたしに手ぶらで来るように言ったんだね。
壱兎の話から考えると、アントンさんからもらったこのバッチはお互いの世界に存在する物で作ったってことになる。
異世界と地球、共通バッチ。そう考えるとなんだかセーデルフェルトが近い世界に思えてきた。
「細かいことはあまり気にするな。こんな話を信じる奴は少ないと思うが、お前の父さんみたくこの手の話に順応する奴もたまにいるからな。ここで見聞きしたことやあっちの世界でのことは、くれぐれも外に口外するなよ。まっとうな大人から変な子供認定されるぞ」
それって遠回しに家のお父さんがまっとうな大人じゃないって言ってるようなものじゃない。まぁ、否定はしないけどさ。
扉から明るい光がもれ、開けられた隙間を覗くと中は眩しくてよくわからなかった。
「壱兎は一緒に行ってくれないの?」
一人じゃ心細い。誰かがいてくれたら気が楽なんだけど。
「俺は番人だからな。ここを離れるわけにはいかない」
やっぱりダメか。一人で行くしかないんだね。
親も兄弟も友達もいない世界。
そんなところに一人で行かないといけないなんて、なんだか急に気が重くなってきた。一歩がなかなか踏み出せない。
壱兎が隙間からもれる光の向こうを指差す。
「境界越えはほんの一瞬だ。まっすぐ歩いて見えてきた扉を開ける。それだけだ、簡単だろ?」
「わたしでも簡単に扉を開けられるの?」
「もちろんだ。ユーリが通ってきたんだぞ。境界越えは痛くもかゆくもないから安心しろ。それと向こうに着いたら誰か迎えがいるはずだ」
わたしは一週間前に出会った銀色の髪に青い瞳の少年ユーリの顔を思い出した。
礼儀正しくて育ちの良さそうな感じの子。
「向こうの世界にはユーリがいて、変な世界じゃないんだよね? 帰りたくなったら帰ってこられるんだよね?」
「もちろんだ。バッチがあれば帰ってこられるからな」
どうってことないって壱兎は言うと、わたしの背中をパシパシと叩いてきた。
「セーデルフェルトはお前を必要としている。虹ヶ丘っ子の根性を見せてやれ。行ってきな香月兄弟四番目!」
むむっ、また言ったなぁ〜。
「わたしは四番目じゃない。美里だよ、和菓子屋のおじさん!」
キッと睨むわたしに、目くじらをたてる壱兎。
「俺はおじさんじゃねぇ。壱兎お兄さんかマスターだ!」
こんな所で何やってるんだろ。
視線が合うと可笑しくなって思わず二人して笑っちゃったよ。
今のでちょっと気が楽になったなんて言ってあげない。
わたしって単純に出来てるよね。
わたしはもう一度扉の中を覗いてから大きく深呼吸する。
そして両手で握りこぶしを作った。
ユーリに出来てわたしに出来ないことはないはず。どっちも子供なんだから。虹ヶ丘っ子として負けてられないよ。
「わたし行ってくる!」
「楽しんでこい」
壱兎の言葉に背中を押されるように、わたしは光の中にゆっくり入っていった。
巨大冷蔵庫の中は暑くも寒くもなかった。
つるつるした乳白色の床石と、辺りをゆらゆら漂う赤や黄色、緑の淡い不思議な光。数メートル先は靄がかかっているみたいでよく見ない。しんと静まり返っていて、わたしの足音だけが響く。壁のない広い空間みたいだ。
しばらく歩くと靄がスーッと二つに分かれ道のように開けてきた先に、入ってきたのとは別の扉が姿を現した。
あれが壱兎が言っていた扉かな?
近づくにつれ扉の様子がはっきりしてくる。
金色の蔦模様で縁取られたアイボリー色の扉。
わたしは扉の前に立つと、ドアノブに手をかけ下に回した。
この扉は重くなさそう。
キィッと小さな音を立てて扉を開けると、隙間から鮮やかな緑が視界に飛び込んできた。
恐る恐る扉の外に出ると、扉が勝手に閉まっちゃった。
出た時だけ自動ドアになっているみたいだ。
外側の扉は大きな木の幹に埋まっていて、木をくり抜いたような造りになっている。
扉は勝手に閉まると木と一体化しちゃった。どこから見ても普通の木だ。
木の幹を叩いて確認していると、自分の服に目がいった。
「えっ、ええっ? 何この格好!?」
さっきまで膝丈のオレンジ色のワンピースを着ていたはずだよ。
なのに今はフリル付きの白いエプロンと足首まであるひらひらワンピーススカート。テーマパークにいるキャラクターが着てそうなメルヘンな格好をしている。
可愛いけど……。
「うわ〜、こんな格好なんか恥ずかしい」
まるでハロウィンの仮装じゃないの。
家でこんな格好したら絶対に笑われちゃうよ。
わたしは自分の格好を見て顔が引きつるのを感じた。




