33 いつものユーリじゃない!?
ライグルは相変わらずいびきをかいてわたしの上で寝ているし、巨体に圧迫されてて苦しくて大きな声が出なくて。
「ユ〜リ〜……」
ってなんとか声に出してもユーリには届かない。
この巨体を早くなんとかしてほしいんだけど。
「リッターにお酒を飲ませた新人騎士については、後ほど父上に報告するとして。酔って暴走し、この有様とは困ったリッターですね。グナットの木の前で寝ていると言う事は、リッターは花の蜜でも食べたのですか?」
ユーリって鋭いね。それをやったのはわたしです。リッターは蜜玉を食べたんじゃなくて頭から被ったんだよ。
「詳しくはあそこでリッターの下敷きになってるヤツにでも聞いてくれ」
足音が近づいて二足のブーツがわたしの視界に並んだ。
「ミリィ! なぜあなたがここにいるのですか!?」
顔を限界まで上げると、驚いた顔でわたしを見下ろしているユーリがいた。
ユーリならどこかのいばりんぼと違ってきっと助けてくれるよね。
「なんでこうなったのか話すけど、先にここから救出してくれると嬉しいかも」
ちょっとすねた顔になるのは仕方ないよ。だってユーリってばわたしに気づくの遅いんだもん。
どうにか出した声で伝えると、ユーリは頷いた。
「ええ、すぐに出してあげますよ」
ユーリが魔術を使って、わたしの体の上に乗っていたライグルの巨体を、宙に浮かせて退かせてくれた。
ああ、やっと解放されたよ。
押しつぶされてカチカチになった身体をどうにか起き上がらせる。
ユーリの魔術で地面に寝かされたライグルは、動かされた事に気づかずゴォ〜ゴォ〜とイビキをかいている。なんてのん気なの!
その背中をマティアスが撫でているのが目に入った。
下敷きにされたわたしのことより、真っ先に気にかけるのが自分のペットって酷い。優先順位間違ってると思う。
「兄上、もしかしてこいつが父上が言っていたクレーメンスのところの見習いか?」
「そうです。彼女がミリィですよ」
「嘘だろ、こんな奴が!」
そんなに驚かなくても良いじゃない。
「酔って倒れてきたリッターも避けれないなんて、お前へなちょこダメダメ魔術師だよな」
はいはい、わたしはダメダメですよ。魔術師になった覚えはないけど。
さっきからマティアスはわたしに酷い事ばかり言ってくる。言い返すのが面倒になっちゃった。
ユーリの声を聞いたら安心したのか、疲れがどっと押し寄せてきた。だからマティアスのことは無視。
マティアスの隣でライグルが眠ったままあくびをした。
ここからでも大きな口の中に白く光る鋭い獣の歯が見える。
頭をよぎったのは、動物番組で見たライオンが獲物を捕らえた後の映像。
あんな歯でがぶりとされてたら、わたしは今頃骨と皮……。
想像したらサーーツと血の気が引いていった。
「ミリィ、顔色が悪いですね。どこか怪我や痛いところがあるのですか?」
ユーリが何か聞いてきたけど、わたしの意識はライグルに集中していた。
突然あのライグルが目を覚まして襲ってきたらどうしよう。今のうちにここを離れた方が良いんじゃないかな。
「おいヘナチョコ、兄上が呼んでるだろ。ちゃんと返事しろよ!」
マティアスがギャンギャン騒いでいるけれど、ライグルから目が離せない。
起きたらどうしよう……。
ライグルの獰猛な顔を思い出して腕をさする。
今になって怖くなってきちゃった。
「マティアス、ここは僕に任せてリッターをお願いします。このままではおそらく酷い頭痛に悩まされると思いますので、その時に飲ませる薬草を採ってきて下さい」
「わかったぜ」
マティアスは馬を連れてその場からいなくなった。
どこかに行くなら、寝たままのライグルも一緒に連れて行って欲しい。
「ミリィ、大丈夫ですか?」
ライグルを見ていた視界に突然、何かが伸びてきビクリと肩が跳ねた。
「ミリィ?」
左を向くとユーリがわたしに手を差し出し、心配そうな顔で見下ろしていた。
「起きてきたらどうしよう。また襲ってくるかも」
わたしはライグルに視線を戻す。目を離したすきにって事があるかもしれないから。
「あの様子ではリッターはしばらく起きませんよ。だから大丈夫です」
大丈夫?
眉がピクリと上がる。
「蜜玉の効果がいつ切れるかなんて、わからないじゃない。どうしてそんな事が言えるの!?」
思わず声を荒げちゃった。ユーリがどうして安心だって断言できるのかわからない。もっと警戒するべきだよ。
「怖い思いをして警戒しているのですね。でも安心して下さい。一度熟睡したリッターはなかなか起きません。起きても命令しない限り決して人には害を与えないので、それほど警戒しなくて大丈夫ですよ」
大丈夫大丈夫って、そのリッターにわたしは襲われたのに。
この前わたしに野生動物には気をつけろって、散々言っていたのはユーリじゃないの。
「わたし襲われたんだよ。起きたら襲ってこないってどうして言えるの?」
ユーリはわたしと目線を合わせるように地面に膝をついた。
「僕がいるから大丈夫です。安心して下さい」
ユーリの瞳は真剣だった。すごい自信満々な言葉。
「本当に大丈夫なの。もう襲ってこない?」
「ええ、襲ってこないから大丈夫ですよ。万が一襲ってきても僕がミリィを守りますから」
ユーリの力強い言葉にわたしの不安は少し和らいだけれど、今度は緊張が解けて涙が溢れてきた。
「食べられちゃうかと思った。もうダメかと思ったんだから」
どうしよう涙腺が決壊しちゃったみたい。手で何度も拭っても涙が止まらないよ。
「怖い思いをさせてしまいましたね。マティアスに変わって兄の僕が謝ります」
「セーデルフェルトは安全だって言ったじゃない。なのに全然安全じゃない」
イノシカに追いかけられたり、ライグルに襲われたり。
そのライグルはマティアスのペットで、人に慣れているのかもしれないけど、襲われた恐怖心は残っている。
虹ヶ丘にいたらこんな目には合わなかったはずだもの。
ライオンや猛獣なんて檻の中で見るのが一番だよ。
夏休みなのに、受験生でもないのに、わたしってば異世界に来て勉強ばかりしてるじゃないの。
こんな事になるなんて考えてもみなかった。知ってたら魔術なんて習いになんか来なかったって。
涙と一緒に色々な感情が溢れ出てきた。
「セーデルフェルトでの暮らしが嫌になりましたか?」
ユーリはどうしてわたしの心を見抜くのが上手なの。人の心の中を勝手に覗かないで。
イヤだって言ったら帰してくれるの?
帰るには高度な転移術が必要になる。それを使えるのはクレーメンスさんだけ。そのクレーメンスさんは今すごく体調が悪い。
だから帰れないじゃないの。虹ヶ丘に帰りたいのにすぐには帰れない。
わがままを言ってユーリを困らせるわけにはいかないじゃないの。
「…………」
言葉に詰まっていると、ユーリがゆっくりと言葉を綴った。
「こちらの世界に来るのも、魔術を習うのをやめるも、それを決めるのはミリィの自由です。僕には引き止めることができない。嫌がるミリィに無理強いする事はできないから」
いつものように落ち着き払った静かな声なのにどこか違う。
「ミリィが我が国に来るのが嫌になったら、僕達はもう会えなくなってしまうかもしれない。ミリィとセーデルフェルトを繋ぐものはミリィの魔力だけだから」
わたしに魔力があるからユーリやみんなと一緒いられるってこと?
わたしがこっちに来なくなったら、魔術を習うのをやめたら。
みんなともう会えなくなっちゃうの?
クレーメンスさんはちょっと変わってるけど、クレーメンス邸の人達は親切で優しいし、ご飯も美味しい。
エミリアとの距離もちょっぴり近づいて友達になれそうで。
セーデルフェルトでの暮らしはイヤなことばかりじゃない。
みんなともう会えなくなるのは寂しいよ。
すぐに顔色が悪くなるクレーメンスさんを放ってなんておけないし。
エミリアとももっと仲良くなりたい。
わたしが考えている間、ユーリは何も言わずに待っていてくれた。
わたしの中でごちゃごちゃに絡まっていた色々な感情が、少しずつ解けていく。
「……襲われるのはもうイヤ」
「そうですね。僕もミリィがリッターの下敷きにされているのを見た時は、頭が真っ白になりました。無事で良かった」
ユーリがわたしの手を取りぎゅっと握った。
ユーリの手はちょっぴり冷たくて、それがわたしの心を鎮めてくれるみたい。
「ミリィの事は僕が守るけれど、僕が近くにいなかった時、自分で身を守る事も大事だと思うんだ。今日のような事があった時のために、ミリィを守る術が魔術になる。だからミリィが嫌じゃなければ、魔術は護衛術だと思って続けてくれたら嬉しい」
危険な生き物に出会っても、自分で自分の身を守れば怖い事にはならない?




