30 グナットの木とモンスター?
もふもふのコキアの丘を下ると、白樺の林が現れた。
エミリアが真剣な顔で本と木を交互に見比べている。
「何か探してるならわたしも一緒に探すよ」
本から視線を外したエミリアは「仕方ありませんわね」って顔をした後、わたしに開いたページを見せてくれた。
「この絵と同じ木を探していますの」
エミリアが熱心に見ていたのは植物図鑑。わたしが知ってる写真付きの図鑑じゃなくて、写真の代わりに黒インクでイラストが描いてある。
エミリアが指さしている絵は木と言うより、枝に葉っぱと花がついた絵。全体像が全くわからない。
「木の色や大きさとか、幹の太さはどれくらいなの?」
「樹皮は茶色。背丈は大人の身長くらいだとわたくしの屋敷の者から聞きましたわ。幹の太さなんてそんな事知りませんわよ」
葉っぱと花を頼りに探すのかぁ。
葉っぱは柊の葉みたくトゲトゲしていて、花は朝顔に似ている。
あれ、でもこの絵の花は朝顔とちょっと違うところがあるね。
「この花びらの真ん中にある丸いのは何?」
「これは花の蜜の塊、蜜玉ですわ。わたくしが探している木、グナットの木には琥珀色の綺麗な蜜玉がありますの」
蜜玉って言うくらいだからアメ玉みたいなものかなぁ。アメ玉と言えばアレだよね。
「その蜜玉でクレーメンスさんのキャンディを作るんだね」
この答えには自信があったのだけど、首を振るエミリア。アメ玉の材料じゃないのか。
「違いますわ。これはお茶に入れて飲みますのよ」
紅茶の中に花の蜜を入れるなんてオシャレだね。
「花の香りもするの?」
「あなたが蜜玉を試したいと言うのなら、採取した後で試させてあげても良くってよ。ただし、寝たら置いていきますわ」
「寝る?」
「この花の蜜玉には睡眠作用がありますの。蜜玉をそのまま口に入れたらおやすみ三秒ですわ」
花の蜜に睡眠作用、それも速効性があるなんて蜜玉恐るべし!
知らずに食べたらあっという間に夢の中だね。
「エミリアが蜜玉をわざわざ探しに来たって事は、夜眠れないの?」
枕が変わると寝られなくなる人がいるって言うけど、昨日からクレーメンス邸に泊まってるエミリアもそうなのかな。
もしそうならハンナさんに言えば眠れるようにしてくれると思ったのだけど。
「わたくしではありませんわ」
「じゃあ……」
誰だろう? って、考えたらすぐに青白い顔が思い浮かんだ。
「もしかしてクレーメンスさんのため?」
ありゃ、図星だったみたい。エミリアの頬がみるみる真っ赤に染まっていく。
「こ、これはわたくしが勝手にやっている事で、深く勘ぐらないでちょうだい。さっさと行きますわよ!」
本をパタンと閉じると歩き出しちゃった。
忙し過ぎて不眠症気味のクレーメンスさんを心配して、エミリアは蜜玉を探しに来たんだね。ふふっ。
「ねぇねぇ、エミリア」
前を歩いていたエミリアがバッとこっちを振り返った。
「な、なんですの!?」
「エミリアって良い子だね!」
エミリアはまた顔を真っ赤にさせて、身体を一歩後ろに引くと口をパクパクさせている。
「あ、あなたに誉められても嬉しくなくってよ!」
ようやくそれだけ言葉にできたみたいで、すぐに前を向いてまた歩き出した。今度は早足で。
怒った言い方は照れ隠しかな?
むふふ、エミリアってプライドが高いだけのお嬢様じゃなかったんだね。良いところと可愛いところ見つけちゃった!
歩く事数分、本に載っていたイラストと同じグナットの木を見つけたよ。
でも見つけたグナットの木はエミリアが言っていた『大人の背丈』よりも遥かに大きかった。
細い枝には青や紫に赤紫の朝顔そっくりの花が所々に咲いている。花の真ん中には遠目からでもはっきりわかる、光を浴びてキラキラ輝く琥珀色の丸い球体。あれが蜜玉だね。
木に近づこうとしたんだけど、ちょっと変わった生き物が空からふらりと降りて来て木の前に着地した。
「あの動物は?」
「どうしてこんな所に……隠れますわよ!」
眉間にしわを寄せたエミリアが突然わたしの腕を掴んだ。
「え、何? どうしたの?」
わたしはエミリアに手を引っ張られ、草むらの中にしゃがまされた。
「ねぇ、なんでわたし達隠れているの?」
「しっ、静かに! 気づかれたら厄介ですわ」
人差し指を口にあててるエミリアの顔は緊張で強張り、額にうっすら汗まで滲ませている。
その生き物は顔も体もライオンそっくり。色はダークグレイで背中には鳥のような二つの黒い大きな翼が生えている。すごく獰猛そうな動物だ。
わたしはエミリアの耳にそっとささやいた。
「それであの生き物はなんて言うの?」
「ライグルですわ」
ライグルはグナットの木を見上げ、木の上に向かってグルルと低いうなり声を上げている。
目はすわり口からは牙をむき出しにして、前足には鋭い爪がある。見るからに凶暴で強そうな獣。
これじゃあ、木に近づけないよ。蜜玉はすぐ目の前にあるのに。
「この辺に危険な生き物はいないってユーリが言っていたよね?」
「ええ、その通りですわ。ライグルは本来ならもっと西の大草原地帯に生息する生き物でしてよ。どうしてこの人里近くに出没したのかわかりませんわ」
ライグルは木の前でうろうろしながら、上に何かいるのか威嚇を続けている。
うろうろ、と言うよりなんだか歩き方がよたよたしているけど。
花の蜜玉が欲しいとか……あれ、今そこの枝の上で何か動いた?
よく見るとまん丸くて茶色い物体が枝の上にいて、上から下にいるライグルを見下ろしているように見える。
「グナットの青い花の横にいるまん丸いのは何?」
「青い花……ああ、あれですわね。汚れてなんだかわかりませんけど、あんな生き物知りませんわよ」
まん丸い生き物には両脇に翼なのか腕なのかわからない物が付いていて、それをパタパタさせながら小さな足で右に左にと枝の上を行ったり来たりしている。
「クワッ、クワッ!」
「グルルルッ」
下で低くうなるライグルは木によじ登ろうとしたのか、後ろ足で立ち上がって足元をふらつかせる。すぐに体のバランスを崩しよろけた。
「ねぇ、エミリア。ライグルって運動神経悪いの?」
「そんな事ありませんわよ。ライグルは猛獣ですわ。あの爪に裂かれ牙に噛みつかれたら人間なんてあっという間でしてよ」
「でもあのライグルさっきからなんだか様子がおかしいと思わない?」
足元はふらふらで、木にパンチをしてもスカッとかすってばかりだし、時々ヒックってしゃっくりみたいな声が聞こえるもの。
「たしかにあなたの言う通り変ですわね」
「ライグルって頭は良いの?」
「そこまでは知りませんわ」
翼があるなら飛べば良いのに飛ぼうともしないし。
あ、さっき飛んできた時も着地によろけてた。
これはもしかしたら酔っ払いかお年寄りのライグル?
「いつまでも見物しているわけにはいかないし」
「あなたクレーメンス様の弟子ですわよね。魔術でライグルに気づかれないよう、蜜玉を上手に採る方法を知りませんの?」
エミリア、それは無茶ぶりだと思う。それに弟子って言われても困るよ。
クレーメンスさんから魔術を習ってはいるけど、大魔術師長の弟子って呼べるほど力はないと思う。弟子になった覚えもないからね。
でも、このままだと蜜玉は採れないし、木の上にいるまん丸い生き物も降りられなくて可哀想だよね。
「あのちっちゃい生き物も助けてあげたいし……」
「あんな得体の知れない汚れた生き物など、放っておけば良いのですわ」
それはちょっと酷い言い方だと思うよ。
「ダメだよ。ライグルの鋭い爪に引っ掻かれたらおしまいじゃない」
「そんな事言って何か良い案でもありますの?」
「それは……」
わたしにできる事は……あっ、そうだ!
「エミリア、あの蜜玉使っても良い?」
「何をしますの?」
「おやすみ三秒だよ」
不審顏のエミリアににっと笑ってから、わたしはウエストのリボンに引っ掛けてある杖を取り外した。
「クレーメンス様に差し上げる分は取っておいてちょうだい」
「わかった」
わたしが杖をグナットの木に向けると、エミリアの手に杖を下げられた。
「ちょっとお待ちなさいな。蜜玉はとても壊れやすくってよ。グナットの尖った葉に触れないように気をつけてちょうだい」
「了解!」
わたしは再びグナットの木に杖を向ける。
クレーメンスさんから出された『魔術で花を咲かせましょう』の課題の中には、魔術で雑草を取る項目がある。
あれと前に習った保存維持魔術を使えば蜜玉を取り出せそう。
ライグルはわたし達が草むらにいる事に気づいていないみたい。
気づかれないように、今のうちにこうやって蜜玉を花から取り出して、力加減に気をつけて
……あっ!




