24 エミリアは熱中症?
突然エミリアがガクッと地面に膝をついた。
やっぱり熱中症なの!
慌ててしゃがみ込んでエミリアの顔を覗く。
「めまいがするの?」
声をかけてもエミリアは下を向いたまま反応しない。横顔を見るとどこか調子が悪そうに見えるよ。
「大変、誰か大人を呼んでこなくちゃ!」
お屋敷に戻ろうと立ち上がったら、ワンピースエプロンの裾を引っ張られた。
「フクハンチョウとかビカイインってなんですの?」
ぶつぶつ何か言ったみたいだけど、声が小さすぎてよく聴こえないよ。
「え、何? 大丈夫?」
顔の前で手をひらひらさせるとエミリアは勢いよく顔を上げ、何か考えるように宙を見つめる。
「そういえば最近設立された新しい社交クラブがあるという噂を耳にましたわ。それに違いありませんわね」
「しゃこうクラブ?」
なんのことかさっぱりわからないから聞き返したんだけど、エミリアから答えはもらえず相変わらずぶつぶつ呟いている。
「そこはきっと身分を問わないクラブに違いありませんわ。でも礼儀も何もなっていないこんな子が、三つの社交クラブに所属しているなんて……信じられませんわ。わたくし敗北感を感じますわ!」
「頭がおかしくなったんじゃ……どこか痛い?」
最後の方の敗北感とかは聞き取れたんだけど話が通じないよ。もしかしてわたしの声が聞こえないのかな。
「ねぇ、エミリア大丈夫なの?」
顔を覗き込むとエミリアがわたしのエプロンスカートの裾をぎゅっと握ってきた。
「ふふふふ……わたくし負けなくってよ」
わたしを見て不敵に笑うエミリア。
どうしちゃったんだろ?
これはやっぱり酷い熱中症で頭がおかしくなっちゃったんだよ!
この子、いかにもお嬢様っぽいし暑さに弱いんだよ。
「エミリア、しっかり!」
肩に手を置いて揺さぶってみる。
「ちょっと、なんなんですの。おやめなさい!? 侯爵令嬢のわたくしを馴れ馴れしく呼び捨てにするなんて、あなた図々しくってよ!」
手をパチンと叩かれちゃった。
なんかよくわからないけど、また怒ってる。呼び捨てにしたから機嫌が悪くなっちゃったのかなぁ。
でもそれだけ怒る元気があったら大丈夫そうだよね。
「じゃあ、なんて呼べば良いの?」
「そんなことも知りませんの!? あなたそれでも使用人の子供ですの?」
エミリアはなんか勘違いしているみたい。
わたしは使用人の子供じゃないし、お客さんでもない。
「友人、知人でもないし……あれ、わたしって何?」
「ちょっとわたくしの話を聞いてますの! クレーメンス様に新しく雇われたメイドか庭師の子供じゃないのでしたら、あなた一体何者ですの?」
エミリアが苛立ったように言葉を飛ばしてくる。
不審者を見るような目で見なくても良いのに。
「う〜ん、強いて言えばここにホームステイしてる居候としか」
「居候……このような身なりで?」
エミリアが目を細くしてわたしの身体に上から下へと視線を流していった。
言っとくけど変な格好してないよ。ゴージャスお嬢様には到底及ばないけどね。
あ、もしかしたらこのエプロンスカートが、メイドに見えるから?
「信じないならクレーメンスさんかユーリに聞いたら良いよ」
結局なんて呼べば良いのかわからないからエミリアで良いか。
エミリアの瞳がこれでもかって程に見開かれた。人差し指をわたしに突きつけ、口をパクパクさせている。
人を指差しちゃダメだよ、金魚さん。あ、目があった。
「あ、あなた居候のくせにクレーメンス様とユリウス様をそのように気安く呼ぶなど、無礼ですわ!」
それってそんな怖い顔して怒ることかなぁ。
エミリアの怒りのスイッチがいまいちわからないよ。
「え〜、クレーメンスさんとユーリって呼んじゃダメなの?」
今さらそんなこと言われても今の呼び方で二人に怒られたことないし、ユーリには初対面の時に許可もらってるもの。
「高貴な方々を敬うことは当然でしてよ」
エミリアは難しい言葉を知ってるよね。
「呼びなれないし面倒くさいな〜」
「あなたのような無礼な方は即刻死刑にされますわ。それでもよろしくて?」
「そんなんで死刑はないでしょ、ないない」
手を横に振るとエミリアに睨まれちゃった。
「それができる方がユリウス様ですわ」
子供のユーリにそんなことできるわけないよ。
エミリアはきっと熱中症で頭のネジが溶けちゃったんだね。
大人を呼ぶ前にエミリアの思考回路を戻した方が良いのかなぁ。
そんなことを考えていると、エミリアが腰に手を当て胸をはって再び指差してきた。
「よ〜くお聴きなさいな。ユリウス様はこのセーデルフェルトの王太子ですのよ!」
セーデルフェルトのオオタニシ、巨大なタニシ……ああ、ジャンボタニシ!
ってなんのこと?
ジャンボタニシよりピンク色の卵はよく田んぼや川で見るよ。色が綺麗だけど毒があるって影羽兄が言ってた。
怖い顔のエミリアに迫力負けして一歩二歩と退がる。
「わかったわかったから、落ち着いて! なんか近いし、ちょっと離れて」
両手を向けて詰め寄ってくるエミリアをブロックすると、エミリアはふんっと鼻を鳴らした。
「わかればよろしくってよ。今後気をつけることね。それとわたくしも居候のあなたより身分が上でしてよ。礼儀をわきまえるのでしたら、わたくしに対しても同じことですわ」
セーデルフェルトって、身分に厳しい国だったんだね。知らなかったよ。
クレーメンスさんは大魔術師長で偉い人だってわかるけど、ユーリとエミリアって見るからにお金持ちの家の子っぽい。
この国ではお金持ちの家の子は偉いってことかな?
普通の家に生まれたわたしにはなんだかイヤな世界だなぁ。
そんな事よりなんでわたしはエミリアに声をかけられたの?
「わたしに何か用があったんじゃないの?」
「あら、そうでしたわ。クレーメンス様とユリウス様はご在宅ですの?」
「ゴザイタク?」
「いらっしゃるのかと聞いているのですわ」
「あ〜、なるほど」
普段使い慣れてないから意味を理解するのに時間がかかっちゃったよ。
その時、お屋敷につながる誰もいない小道にユーリの姿が現れた。
「それでいらっしゃいますの? どうなんですの?」
ユーリが転移術を使ってエミリアの背後にいることに気づいていないみたいだね。会いたいみたいだから教えてあげよう。
「ユリウス様なら背後にいますよ」
エミリアの背後を指差すと、ユーリが王子スマイルを浮かべながらこっちにやって来た。
「ミリィ、こんな所で何をやっているのです?」
「え〜〜っと、何をしているのでしょう? あっ、この子が熱中症になったのかと思って木陰に入っていました」
「ミリィ?」
ユーリが首を傾げたままエミリアに顔を向けた。
「こんにちはエミリア。熱中症は大丈夫ですか?」
エミリアはさっきまで怒っていた顔を一瞬ですまし顔にチェンジして、ドレスのスカートの裾を少し持ち上げ優雅にお辞儀する。
「ご機嫌ようユリウス様。わたくし熱中症ではございませんわ。この方が勘違いをなさったのです」
すごい変わり身の早さだね。でもホント熱中症じゃなくて良かったよ。
「楽しそうに話していましたが、エミリアといつの間に仲良くなったのです?」
仲良く……う〜ん。ユーリにはそう見えたのかなぁ。それならそれで良いけどね。
「自己紹介の仕方を教えてもらっていました」
正確には自己紹介の技を盗んだんだけど。
「自己紹介……ああ、さっき僕が言った挨拶のことですね。エミリアの立ち居振る舞いは気品にあふれていますから、お手本としては素晴らしい人選ですよ」
ユーリって子供なのに歳とった先生みたい。
褒められたエミリアは顔を真っ赤にしながらうろたえ始めた。
「あの、わたくしこの方に何もお教えしておりませんわ」
首を傾げるユーリ。
「ミリィ、どうやってエミリアから教わったのです?」
ユーリは自分が言ったこと忘れちゃったのかな。
「エミリア様にお願いはしていません。ユリウス様が見て覚えるようにと言ったので、エミリア様の挨拶をそのまま見て覚えました」
わたしに真似されたなんて全然思っていなかったらしいエミリアは、戸惑い始めた。
「あなた、挨拶って……あの挑戦的なアレは……あ、いえ。ユリウス様なんでもございませんわ」
興味を惹かれたのか目を細めているユーリにエミリアははっとして慌てて言いつくろった。
「ミリィ、成果を見せていただけますか?」
「え〜、アレをやるの。あ、やるんですか?」
あの時はエミリアの濃いキャラに押されて、勢いのままにできちゃったけどさ。
実はすっごく恥ずかしいんだよね。
はい、スタートって言われてできる勇気はないかも。
わたしは女優や芸人さんじゃないからね。
「ミリィ、お願いできますか?」
王子の微笑みで聞かれてもなぁ。
「また今度ということでお願いします」
「そ、そうですわ。先ほど拝見しましたけれど、もう少し綺麗な所作を身につけられた方がよろしいかと思いますわ」
あれ、エミリアが加勢してくれたよ。
「それは残念ですね。ところでミリィ?」
今度は何よ?
わたし何もやってないし、企んでも……クレーメンスさんの好き嫌い克服作戦は企んでるけど。宿題増やされるようなことしてないよ。
「なんでしょうか?」
「その言葉使いはなんですか?」
何かと思ったら言葉使いね。何と言われても、エミリア様に注意されたからに決まってるじゃないの。
言わないと宿題増やされたら大変だから正直に話そう。
「わたしは居候の身なので、ユリウス様やクレーメンス様、こうきな方々にはうやまうようにと、エミリア様から教えていただきました。あ、エミリア様もこうきな方だと聞きました」
「ちょっと誤解を招くような変な言い方をしないでいただけますこと!」
変なこと言ってないと思うのに、エミリアがすごく怖い顔で睨んできた。
お嬢様と平凡な一般家庭のわたしだと仲良くなれないのかなぁ。




